千葉法相の死刑執行に関するウソの発言について

このQ&Aのポイント
  • 千葉法相は、記者会見で死刑執行に立ち会ったと言いましたが、実際はウソであり、既に処刑を終えた棺を見ただけであったといううわさがあります。
  • 千葉法相の死刑執行に立ち会った心境について訊かれた際、彼は指揮命令者として確認したと冷たい言葉を返しました。
  • もしもウソの発言が本当だとしたら、人の生命を奪うという行為を命令しながら、その責任を軽視し侮蔑するものであり、怒りを覚えます。
回答を見る
  • ベストアンサー

千葉法相は、記者会見で死刑執行に立ち会ったと言いましたがこれはウソで、

千葉法相は、記者会見で死刑執行に立ち会ったと言いましたがこれはウソで、既に処刑を終え納められた棺をガラス越しに見ただけで、被執行者の死顔も見ていないといううわさがありますが本当なのでしょうか。 その理由は死刑執行に立ち会った心境を訊かれて「私はあくまで指揮命令者として確認した」と氷のような冷たい言葉をかえしたこと、その会見は処刑当日の昼に行われました、つまり本当に死刑執行に立ち会っていたなら、目の前で自分の命令によって、二名もの同じ人間がもがき苦しんで殺されてからほんの数時間後の会見で「今日、午前中執行に立会ってきました」と平然と心の動揺の片鱗も見せずに語れるものではない、というのがうわさの出どころといわれています。 うわさがウソでなかったとしたら、人の生命を奪うという人間性に反した行為を命令しておきながら、あたかもそれを見届けるのが指揮命令者の責任であり、自分はその義務を直視したという偽りの発言は人の生命を軽視し侮蔑するものはないかと怒りを覚えたので質問しました。

  • tamoht
  • お礼率91% (287/314)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • migimonza
  • ベストアンサー率26% (44/166)
回答No.3

q:棺をガラス越しに見ただけで、被執行者の死顔も見ていないといううわさがありますが本当? a:千葉法相が嘘を付いているとは思えません。立ち会っているでしょう。 理由:「私はあくまで指揮命令者として確認した」と氷のような冷たい言葉を   発言したのは、彼女が受刑者の人格を尊重して、死刑廃止を論じているのでなく、   イデオロギーの徒であり、主張として【人間の命を大切に】と言っているだけです、   なので。死者を物としてしか考えていませんし、立ち会うどころか、刑場施設を   公開しようと、いたりするのです。人格の尊厳や刑死者への敬意など持ち合わせていません。 蛇足:自衛隊を否定する【ピースボート】が、ソマリア沖を航行するとき自衛隊に護衛を頼んだ   のをご存知ですか?   ピースボートの人たちのご都合主義と、憲法9を守れと主張しているのは、平和を望むから   ではなく、国民を欺くパフォーマンスからでした。   千葉法相と似ていませんか?

tamoht
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 もし本当に立ち会っていたとすれば、人間の皮をかぶった鬼としか思えません。 生まれて初めて目の前で人が殺されるのを見た人間が、その数時間後に何の動揺も見せずに平然としたあの態度は、血の通った人間ではありません。 私は死刑廃止論者ですが、ご回答者様のご意見には賛同させていただきました。

その他の回答 (2)

回答No.2

貴方とは少々意見が食い違うと思いますが、私見を述べさせて下さい。 「人の生命を奪うという人間性に反した行為を命令しておきながら、あたかもそれを見届けるのが指揮命令者の責任であり、自分はその義務を直視したという偽りの発言は人の生命を軽視し侮蔑するものはないかと」 と書かれておられますが、我が国では死刑が確定した場合6ヶ月以内に執行をする事が法律で義務づけられております。日本は法治国家ですから方の手続きに従い刑を執行するに何の問題もないと思います。見届けるのが義務云々はあまりにも悪い冗談ですが。 (現状日本では死刑制度が法律上制定されているのですから、死刑廃止論は別の場所での議論とさせて下さい。) ここで問題視したいのは、千葉法相は強固な死刑廃止論者であり、参院選で落選するまで一人も死刑執行にサインをしなかった事です。つまり、自分個人の心情で法律を無視していたわけです(法務大臣が法を無視するなんて悪い冗談にも程がありすぎます。)。 さらに、民間人になっても忌々しくも居座り続けておりますが、死刑執行のサインをしたのは、議員としての任期が切れる直前、これは法相としての責務を果たしたとのパホーマンスををやってのけたわけです。要は、自分の心情を曲げてまで大臣の椅子にしがみつきたかったわけです。これを欺瞞といわずしてなんと言おう。 この自己保身の態度こそが「人の生命を軽視し侮蔑する」行為であり、指弾されるべきものである。そう私は理解しております。

tamoht
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私は、死刑廃止論者ですが、ご回答者様のご意見に賛同する点が多々あり大変参考になりました。 千葉法相は、えせ死刑廃止論者であり、信念よりも自己宣伝と次の選挙をねらった演出のために二人の生命を道具に使いました。生命の尊厳を第一に考えるべき法の最高責任者としてまさに失格者であり、選挙民の方が常識をわきまえた選別をしたと思います。

回答No.1

>もがき苦しんで まず、日本の死刑(絞首刑)の場合、窒息死ではなく頚椎骨折と それに伴う神経の破断であり、ほとんど苦痛もなく死ぬことになります。 したがって、死刑囚のもがくところなどは、見たくても見られるものでは ありません。 >平然と心の動揺の片鱗も見せずに語れるものではない これは、その人の資質の問題ですので何とも言えませんが、 本人は弁護士としてのキャリアがあるため、そういうのには 耐性が有ったのかも知れません。

tamoht
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 死刑執行の法相命令について~

    先頃、法相が死刑囚の死刑執行命令に捺印しましたが、久しぶりとのことです。 法律では、死刑執行は、判決後、6ヶ月以内にすると、なっていますが、実際は、法相の 命令がないため、そうなっていないようです。 所で、質問なんですが、法相の信条次第で死刑執行が延びて良いのでしょうか? ちゃんと裁判で判決されているのなら、三権分立の立場からも、法相は、単に形式的な捺印で速やかに済ませるべきではないでしょうか。 現在、死刑には、賛否両論があります。 でも、一番大事なのは、被害者の遺族感情を考えるべきではないでしょうか。  大切な人を犯罪で殺された遺族は、ほとんどの場合、極刑を望んでいます。 確かに、人道的には、死刑廃止論は説得力があります。 しかし、もしそう唱えている人たちの家族が、犯人に惨殺されても、そう言い切れるのでしょうか? 何か、この考えにアドバイスを下さい。

  • 小川法相が殺人予告 死刑執行を楽しみたい、と明言

    13日、野田改造内閣が発足しました。新たに入閣した小川敏夫法相は午後の就任会見で、死刑執行を楽しみたいという膨らむ気持ちがあり、その欲望が自分でも止められない旨をカミングアウトしました。小川法相は会見で、死刑執行について、「法相の職責であるということをしっかり認識しているので、その職責を果たす」と述べたうえで個人的な性癖をも披露しました。死刑はここ1年半ほど執行されておらず、死刑囚の数は、11年末の時点で戦後最多の129人に達しています。小川法相としては、生存する死刑囚のもがくさまを思い浮かべるだけで、にわかに興奮するらしく、また、その異常性癖を知っている議員たちは、死刑囚を殺してゆけば、議員削減問題から国民の目がそれて議員寿命が延びるやも知れぬと、超党派で応援なされているようです。そんな事で、無駄メシ食らいの数が減るのでしょうか。

  • 死刑執行に対する誘惑について

    昨年12月の就任以来、6人目の執行命令を出した、あの(谷垣法相)は、死刑制度について、 「現在のところ見直しが必要とは考えていない」と明言し、制度を維持する姿勢を強調した。 「精密な審査や吟味をした上で、私自身が決めた」 と法務省で記者会見した谷垣法相は、淡々と述べ、ニヤリと笑った。 執行された熊谷徳久死刑囚(73)は、1審で無期懲役だったが、2審で死刑となり、最高裁で確定した。2人が銃撃され、うち1人が死亡しており、谷垣法相は 「被害者と遺族にとって無念この上ない事件だ」と指摘。ただ、確定から約2年半という比較的速いペースでの執行について、 「どういう基準で選んだか、答えは差し控える」とするにとどめた。 ・・・「殺したくて殺したくて、ハンコを持つ手が震えるのじゃよ」と心の中では思いつつ、それを言っては狂人扱いされますよ、と秘書に固く念を押されたのであろう、すべてを語ろうとしない。 谷垣がハンコを持って笑う姿を見た者の多くは、 「まるでバイブを手したサイコ野郎のようだった」 と語っていても、まんざらおかしくはないと思う。 死刑に前向きすぎる人間、あるいは政治家の心情を、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=t9T0yz9MDro

  • 死刑はすぐに執行すべし

    死刑判決が出てもなかなか執行されないことに不満を持つ人が多いです。 刑事訴訟法475条第1項に法務大臣の死刑執行命令は、確定判決が出た日 から6ヶ月以内にしなければばらないという事が明記されていますので、法務大臣がこの法律を遵守すればいいだけの事です。 とりあえず確定判決から6ヶ月経過した死刑囚を片っ端から全員処刑しましょう。 さっさと処刑してしまえば袴田事件のように再審請求で警察や検察が恥をかくこともなかったのです。一旦再審請求が認められ逆転無罪が確定すると司法のメンツが丸潰れになるだけではなく多額の損害賠償義務を負わされます。だからまず処刑は冤罪の可能性が高い奴から執行してしまいましょう。そうすれば日本から冤罪はなくなります。 ぼくは高卒で馬鹿ですが、有識者のみなさんは どう思いますか?

  • 千葉落選人の死刑執行について

    千葉落選人の死刑執行について 国会議員を失職しながらも法務大臣の座に留まり続けている千葉景子民間大臣ですが、従来からの自分の死刑廃止論とは異なり、突然の如くに特定2名の死刑執行を前例なき対立会いまでして行ないましたが、これについて以下のような記事が出ております。 この記事に紹介された見解である「参院選で落選した千葉氏を続投させた菅首相への批判をかわす狙いがあるのではないか」という目的であるならば、言語道断。 身内の保身と自己の信念を天秤にかけ、保身を優先させた節操無い大臣と言えるのですが、どうなんでしょう。 この見解以外の解釈の仕方はあるのでしょうか。 そもそも千葉民間人とはどういう性格・信条の人なのですか? 選択された特定2名の死刑囚にとっては理不尽すぎます。 なお、これに関する質問を2回立てましたが、時間が過ぎると削除されてしまいました。不思議に思い再度立てましたが、これも削除されるのであれば法務省その他の法務機関に相談してみます。 以下、引用の記事です。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100728-OYT1T00534.htm 死刑執行、落選法相続投への批判かわす狙い?  千葉法相が28日、昨年9月の就任以来一度も行ってこなかった死刑執行に突然踏み切ったことについては、野党などから「30日に召集される臨時国会を控え、参院選で落選した千葉氏を続投させた菅首相への批判をかわす狙いがあるのではないか」との見方も出ている。  仙谷官房長官は28日午前の記者会見で、「千葉法相は非常に重要な行政権行使の責任者で、あくまでも法にのっとって行った。法治主義のもとで自らの職務を全うした」と強調した。  ただ、千葉氏の続投については野党側から「参院選での落選は有権者が千葉氏の法相としての実績を判断した結果であり、首相が内閣の都合で続投させるのは民意の軽視だ」との批判が出ている。  千葉氏は「基本的な法務行政に対する立場に変わりはない」として、国会議員の身分を失っても政策執行に支障はないと反論していたが、野党側は臨時国会で厳しく追及する方針だった。 (2010年7月28日12時47分 読売新聞)

  • みなさんが法務大臣だったら死刑執行の命令できる?

    実際に法務大臣になってみないとどういう心境になるのかハッキリ断定できませんが、よく2ちゃんとか読んでると「おれが法務大臣だったら死刑囚の執行を毎日でも命令するけどな」とか書き込む人間が必ずいますがこういう人間に限ってきっと法務大臣になったら怖気づいて執行の命令を全然できないタイプだと思います。 みなさんは執行命令をだせそうですか?上記にも書きましたけど、なってみないとわからない部分だとはおもいますけど、私は完全に自分が法務大臣になったつもりで深く考えましたが、自分だったらゼロ数にはならないでしょうけど、あんまり執行命令は出せないなあって思ってしまいました。 自分の命令で人が死ぬわけですから。そうおもうと怖いです。死刑囚に殺された方や遺族の気持ちを考える余裕とか殆どなくなってしまうのではって思ってしまいました。

  • 法務省2人の死刑執行を発表 2カ月連続ノルマ達成 

    法務省は27日、死刑囚2人の刑を執行したと発表しました。8月に続く2カ月連続の執行で、これで確定死刑囚は131人となりました。法相は、 「前回の執行から2カ月足らずということになりますけどブー、ずっと調査をしてきて完了したものですから、今回、執行命令したブー」 と述べました。27日に刑が執行されたのは、江藤幸子死刑囚(65)と松田幸則死刑囚(39)です。 祈とう師だった江藤死刑囚は、1994年から1995年にかけて、福島・須賀川市で 「霊を追い払う」 などと言って、太鼓のバチでたたくなどして信者6人(ウワッ)を死亡させ、1人に重傷を負わせた殺人などの罪で死刑が確定していた、死ぬしかないような女でした。また松田死刑囚は、2003年、熊本・宇城市で男女2人を殺害し、現金を奪った強盗殺人などの罪で死刑が確定していた人物です。死刑の執行は2カ月連続でポンポンと進められ、全国の拘置施設に収容されている確定ムシケラ死刑囚は、131匹となったわけです。 そんなこんなではありますが、政治と死刑執行との間に、何らかの因果関係はないのでしょうか。

  • オウム真理教の麻原彰晃を死刑執行に調印した上川法相

    オウム真理教の麻原彰晃を死刑執行に調印した上川法相の命が信者に狙われていて暗殺される恐れがあるって本当ですか? 麻原彰晃が収監されていた刑務所の周りを回って参拝する巡礼が行われており、遺骨をどこかに埋葬してお墓を作るとそこが聖地化してしまう恐れがあるため海に撒く案がありましたが死刑囚の麻原彰晃は四女に遺骨を預けるように指示してなぜか刑務官も洗脳されているのか信者なのかそのことは遺族に伏せて海に撒けば良かったのに遺族に伝えてしまったのでなにか政治家も刑務所も絡んで四女に遺骨が渡って四女を次期オウム真理教のトップにするつもりですよね?これって政治家も刑務所の刑務官も裁判所の人間も信者じゃないとこういう流れにはならないと思う。隠れ信者がウジャウジャいる。

  • 死刑廃止論者の死刑執行

    死刑廃止論者の死刑執行 千葉氏は死刑制度の廃止論者だったと言われていますが、法務大臣として2名の死刑執行を命令しました。省内からの圧力だったか、あるいは自らの選挙戦敗北から次期への布石が働いたのか、誰も真意は読み解くことはできません。 みなさんは、死刑制度の是非について、どのようにお考えですか? これは質問と言うより、「見方」をお聞きするものです。 このテーマはあまりに重く、簡単に何が正しいとか、おかしいとは言えない話題です。 人の普遍的な問題を含んでいるからです。 かつて、鳩山邦夫法務大臣は死刑囚をパッカパッカと13人も執行を命令しましたが、私は法務大臣の死刑執行の"命令"の有無はあまり大きな問題でないと思っています。なぜなら、最高裁など国の司法機関で法律に基づいて判断した以上、法務大臣がこれを否定するのもおかしな話ですから。 本当の論点は、「法的」な死刑制度そのものです。つまり、本当に国の機関が「人の死を決めていいのか」です。例えば、アメリカの大統領は、アフガンやイラク、ベトナムでも何万人という民間人を殺害してきました。しかし、その戦略を支持した大統領や国務長官などは有り余る報酬で老後を優雅に生活しています。そう言う歴史はよくある話で、日本でも起きています。「大量殺戮すれば免れ、数名でも個人だから死刑」という矛盾を含んでいます。 一方、自分の愛する子供を突然、殺されて心のやり場のない苦しみにある家族がいっぱいいるのも事実です。なぜ、最愛の家族を亡くしたのに、殺人者が刑務所で生きながらえているのかという絶えがたい憤怒が家族に湧き上がるのも必然です。全国犯罪被害者の会が今も立場を主張しています。 一方で、我々は、自分の「意志」でこの世に生を受けてきた訳ではありません。また、人を殺すために生まれてきた人もいません。近代の哲学者カントの認識論には、人間の思考にある後天的なものを明確に取り上げています。例えば、鳩山邦夫氏の両親が、小さい頃に離婚し精神的に情緒不安定になり、非常に生活にも困窮していたとしたら、場合によったら、窃盗や、生きるための非人間的な行動に陥ったかも知れない。これを100%、否定できないでしょう。人は誰も社会で育ち、規制改革などの失敗も含め、国の制度や施策の影響を受けています。自殺者が多いのも、ある意味、国の施策の原因が何パーセントかあるでしょう。 では、もし、刑務所内で飯を食って長らえているのは許せなくて、なんとか、死をもって償うこと以外、家族にとって許容できるものが無いという考えだけが優先されるとしたら、上記のような後天的な国が作った要因はどうなるのだろう?死刑を執行する国そのものにも遠因があるはずである。 さらに、死刑執行が本当の意味で、被害者家族に、苦しみを乗り越えられる安息を与えることになるだろうか?殺された愛する家族が戻ってこないという事実は、未来永劫、決して消えないし、結局、被害者自ら運命を乗り越える以外に無いのも事実である。 果たして、怨念と敵(かたき)によって、残された人間は苦しみを乗り越えることができるのだろうか?何も生まないと私には思えてしようがない。例え、国家であろうと、死刑制度は、人が人を殺すことに変わりない。冤罪の問題もあり、凶悪事件の抑止に直結するとも思えない。 内閣府の死刑制度に関する調査によると、最近は85%ほどが容認となっているようである。ここ何年か増える傾向にあり、秋葉原殺人事件のように「誰でも良かった」とするような理解を超えた残虐性が増えていること事にも原因があるのかもしれない。 一方、世界的には死刑制度は廃止の流れが強い。 みなさんも、是非一度、感情論だけではなく、人はなぜ生きてきて、何で苦しみを乗り越えられるのか、また、社会制度を果たして絶対的なものとして受け入れていいのか、自問して欲しい。

  • パイロット焼殺と死刑執行。

    イスラム国に逮捕されていたヨルダン軍パイロットと、 ヨルダンに拘束されていた女死刑囚が、 どちらも処刑されました。 日本のマスコミ報道や、政府の会見などでは、 イスラム国=悪。 というように言われています。 パイロット殺害に対して、 ヨルダンは報復として死刑を執行した、 などと公然と発表したりして、 どっちもどっちじゃねえのか。 と思ったりもします。 安倍総理は片方に肩入れして、 イスラム国を、 ゆるさんぞ、必ずみんなでやっつける。 といっていますが、 くだらない争いにいちいち首をつっこむひつようなんかあるんですか。 あのパイロットだって、 逆の見方をすれば、 イスラム国の人をぶち殺す立場だったんだから、 自分が殺されるのも仕方ないと言うことじゃないのですかね。 日本でも、自分が殺されそうなら反撃も許されるじゃないですか。 個人でもそうだし、 国としても、 攻められたら戦うといってるんですから、 殺しに来たパイロットは殺されても仕方がないじゃありませんか。 どっちもどっちなのに、 何で片方に肩入れするんですか。 日本はイスラム国に敵対しないと表明して、 在外邦人の安全を保証してもらった方がいいんじゃないんですか。 日本はイスラム国の人たちをぶち殺しにいけないんですから、 それが一番いいんじゃないかと思うんですけど。