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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

  • yoyopon24
  • ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.98

永遠に必要かと言われれば疑問がわきますが 現在のところ、部落差別は一部で残っています また、この問題を逆手に取る人たちもいるわけで。。。 こういう差別があるよ、って大人になっても覚えている程度で十分で、逆に詳しく知る必要もないですが、知らないよりは知っておいたほうがいいですね

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回答No.97

現在大学で同和教育について学んでいます。 「知らなければ差別する事もない」 これは大きな間違いだと思います。自分自身が知らなくとも、他に必ず被差別部落を知る人は存在します。その人たちが差別の意識を持ち続ける限りなくならないと思います。自分たちが差別しなければそれで良いのですか? 本題の部落教育についてですが、これは必要なものだと思います。人間長い人生を生きていればいつか部落差別と出会う日が来るかもしれません。このとき部落というものに対してある程度の知識、たとえば部落差別の歴史、どのような差別があったのかといったようなものがあれば、より良い対応が可能になると思います。 知っているのと知らないのとでは大きく違います。 ただ、人の考えは十人十色なので、今回の中学生ようなケースも出てくるとは思います。 そのようなリスクを冒してでも、教育を続ける価値はあると思います。 文章力ないんでこんな文になってしまいましたが・・・

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  • mt33
  • ベストアンサー率7% (4/54)
回答No.96

なんとなくですが、 警告のために泥棒や詐欺の手口を公開すると「そんなことをするから、模倣犯が出現するのだ」 と反対する人たちの言い分に似ているなぁと思いました。

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  • mt33
  • ベストアンサー率7% (4/54)
回答No.95

いくつか、私の回答によるものかなと思います。 >1.「知らなかったら差別をしない、とは言えない」 ではなく、「知らない人が増えたら差別はなくなる、とは言えない」です。 どうしても存在する「知ってる人」の間で、続けられるのが差別なのです。 >2.「教育していないと将来知った時、差別心が生まれる」-現実には教育によって差別心が生まれているのが分かります。 目的は「正しく理解する人を得る」ですから、当然そういったリスクは覚悟の上でしょう。 私の住む町は新興住宅地ですが、いわゆる「井戸端会議」で、「知ってる人」がまず親たちに教え、子供へと広がっています。 教育がありませんから、親の言うまま、子供も公然と悪口を言っています。 公立学校の学区割りでは、一つの学校が部落専用と化しています(ガラガラです)。 事実上、結婚の自由もありません。 町では教育を反対するので、部落の人たちの中には、違う町の人たちに現状を訴え助けを求めていますが、答えは教育反対派と同じ「ここで部落問題を語ると、関係ない私たちにも差別者が生まれる」です。 そんなこと、覚悟の上なのですが。 そうやって理解者を得られず、ひっそりと差別が続いています。

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  • kirara18
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.94

全部読ませていただきました。 多くある意見の中に「?」と思われるものがあるので書かせてもらいます。 1.「知らなかったら差別をしない、とは言えない」 -これは明らかにおかしいですね。知らなければ差別のしようがありませんから。 2.「教育していないと将来知った時、差別心が生まれる」-現実には教育によって差別心が生まれているのが分かります。No66の回答は重いです。教育賛成派の方は心すべきです。 3.「男女差別や身障者に対する差別も同じ」-違うでしょう。男女や身障者に対する差別があるとしたら見た目で生じます。部落差別は見た目ではありません。だから難しい問題なのです。“差別をなくす教育として部落も”なんて安易な取扱は厳に慎むべきです。 で回答ですが、 その中学生には「何についても知らないより知っている方が良い。後は自分の情報処理の問題。この問題で言えば、自分の心に差別心を持たせないようにする事」と答えれば良いと思います。 「部落差別」教育は特別の教育としては不要でしょう。 社会の問題でなく歴史の問題として取り上げるべきと思います。ただ勿論他の教育同様現実に酷い差別が行われているのであれば行うべきだと思われます。

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noname#15782
noname#15782
回答No.93

回答がたくさんですので、全てを辿ってみずに回答します。 同様の回答が、既に寄せられている事と思いますが.........。 私も部落差別についての教育は必要だと思います。と言うよりも、 強調して教育すべきなのは『差別』についてですね。部落差別しかり、 外国人差別しかり、障害を持つ者への差別しかりです。 差別全体について考えると、『なぜその差別が生まれたか』を知りたく なると思うんです。差別が起こった歴史を解く事=差別についての教育 をする事は、その差別が正しいものではないというのを知る事に繋がり、 それが、差別がなくなる世の中(?)に繋がるのではないかと思います。 個々の差別の存在自体を知らずに、依然存在するそれら個々の差別を 前にしたら、同様の視点を持つ可能性があると思うんです。 何についても、正しい由来やその実像を知る事は、大切な教育だと 思えます。 ただし、なにか一つの事についてのみ強調して教育にあたると、ある種 の差別については、様々な補助があるのも事実なので、『差別を盾に 利権に甘んじている!!!』というような意見が出るのもわからなくは ありません。 総合的な差別に対する考え方と、各論としてそれぞれの差別の歴史を 勉強するようにすれば、表題のような疑問は無くなるのではないかと 思います。同時に、人には選別する目とそれに伴う区別する視点もある というのは教育したら良いと思います。中には、『区別しているという 軽い気持ちで差別している』方や、『差別の気持ちに罪悪感を持って いるが実は区別の域だった』という方もいらっしゃると思いますから。 ちなみに、分類したら私も被差別者に入ると思います。

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  • mt33
  • ベストアンサー率7% (4/54)
回答No.92

読んでますと、「気にしない人」からの視点ばかりですね。 問題は、どんなに気にしない人が増えても必ず存在する「気にする人」に対する教育なのですが。 民法上の権利を持ち出したりして「なかったことにしよう」と放り出され、忘れ去られ、そうやって「気にする人」の間だけで、孤立して残っていくのでしょうね。

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  • stklaas
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.91

結論から言えばいらないと思います。 私はいま20代の後半ですが、同じく中学生の頃に部落差別というものがあったと知り、「へーそんなものがあったんだ」と思いましたが、それだけです。 「そんなナンセンスなこと、昔の話でいまは全然関係ない」という意識でしたので、もちろんそれを理由に誰かを差別しようなんて露ほども思ったことはありません。 はっきりいって、このまま放っておけば忘れられていくと思いますし、それでいいと思います。 それよりも教えるべきなのは、「どんな理由であれ、人を差別してはいけない」という倫理観ではないでしょうか。

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回答No.90

私は、実はもう部落差別(同和)問題なんて、存在しないんじゃないかと思いますよ。 確かに、お年寄りなんかで「部落民だから」とか言う人はいないことはないでしょうが、実生活においてはもう、存在していないじゃないですか。 選挙権もあるし、もちろん公共サービスは公平に受けてて、差別部落だけ道路が舗装されないなんてこともないし、就職だって、結婚だって自由にできていて、具体的な部落問題を確認できる場所がないじゃないですか。 じゃあ、どうして依然として同和問題という言葉が残っているのかといえば、左翼の日教組と、暴力団のエセ同和団体が利権のために利用しているんだと思っています。 私がもし、自分の息子の学校の先生が、同和問題を教育現場に持込むなら、今ある差別の具体的事例を示せと、抗議しますね。

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回答No.89

私は大阪に住んでいますが、こちらはそういった問題が多いらしいですね。(逆差別も発生したりするそうです) 小さい頃は北海道でしたので、「アイヌ人に対して、『あ、イヌだ!』と言って差別しないように」と言われ、ちんぷんかんぷんながらも、 悪口を教えなければいいのにと感じたことがありました。 結局、だれがアイヌの方なのかはわかりませんでしたが。 少数だから差別になるのだとしたら、それは島国根性だからでしょうね。 違う話ですが、私の友達は、「あなた韓国系?」ときいただけで(当たっていたのですが)激怒されました。 確かに、差別自体はあまりよろしくないけど、無くなるものでは無いと思います。 『私は柴犬は好きです。でも、ピンシャーは好きじゃない!』 そういうのを人は否定できないですよね。 差別を受け止めてこそ、そこからスタートなように思いますが、今の状態では 変な情報だけ与えて、見せないようにすると言った感じに受け取れます。 足が無い人に、「足が無くて、不便じゃない?」と心配してあげられるような社会になるのが、 本当の差別をなくしていくのだと思います。

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