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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

  • kos4
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.138

私は部落差別への教育は必要だと思います。 部落差別があったことは事実です。それを知らないということは、部落差別があったという事実を隠すことになるようにも感じるからです。 話はそれますが、アメリカでは日本に核爆弾を落としたことを直接教えない教育もあるようです。それは正しいとはいえないと思います。核爆弾をおとしたことによって、得られた知識というか経験は、伝えられそれを糧に一人一人が学習しなにかを身に付けることが大事だと思います。 たとえが極端なのかも知れませんが、部落差別にも同じことが言えると思います。差別がいけないと教えるのではなく、部落差別があった事実を教える必要はあると思います。そこから得るものは小さいものだとは思えません。

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回答No.137

私も最近まで知りませんでした。 部落差別とは全くかかわったことがなかったので、存在自体知りませんでした。 しかし、とあることがきっかけで知ってしまい、ショックを受けました。 そんなことが日本にあったのかと。 しかし知ってしまうと、どうも無視できません。 私もむしろ知らなかったほうがいいなと思います。 知ってしまうと、差別はいけないとわかっているのに、「どこだろう」とか思ってしまう卑しい自分がいます。 もし場所を知ったからといって、いじめに加わったりあからさまに差別するわけではありません。 しかし、そうなるとそこを見る目が今までとは違ったものになってしまいますよね。 心の中に、薄い壁が出来たような。少し意識してしまうと思うんです。 「どこだろう」とのんきに想像すること自体、自分が罪を冒しているように思えます。 えた・ひにんとか、穢れだとか、そんなものはずっと昔の話ですし、 そういう人達が社会の一角を担って、皆が嫌がるような仕事をしてくれていたからこそ 社会は成り立っていて、むしろ感謝すべきだったと思うのです。 教えることもよいのかもしれませんが、風化させてもいい気がします。 しかし、それをあえて教えているということは、今後このようなことが起こらないようにとの戒めなのではないでしょうか。 結局の処、いい面もありますが悪い面も沢山あると思います。

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  • marky2
  • ベストアンサー率34% (8/23)
回答No.136

教育は必要だと思います。 私は小学校の時から同和教育を受けていました。 私が通っていた小学校は当時特に力を入れていたようで、一日中同和教育の時もありました。(教科名は社会、今は総合で行ってるみたいです) その授業の時だけ、クラスの雰囲気が全く違いました。例えば、メガネケースを出しているだけで、怒られたこともありました。 西光寺などにフィールドワークにも行きました。 何が問題であるかと思うのは、他の授業とは全く違う雰囲気。萎縮してしまいました。あと、「差別はいけない」「エタ・非人の人は素晴らしい」という答えありきの授業です。その2つ以外の発言は認められませんでした。 当時の担任に最近会って話をした時に、担任も正直授業の進め方に自信はなかったをおっしゃっていました。しかしこれが現実だと思います。 まったく責めるつもりはありません。やはり、いろんな関係の中で担任も悩まれたと思います。 小学生には同和教育以外にすべきことがあると思います。それは、同和教育に耐えられるべき心を作ることです。小学校においては、その心が作られている学校のみ掘り下げた教育をすべきだと思います。 同和教育は政府の是正政策の下、逆差別にあたることがあるのも事実です。全て教えなければならないと思います。中途半端になるとシンドイものがあります。授業時数の削減で難しいと思いますが。 これは100年200年で消えるような問題ではなく、日本の恒久的な課題だと思います

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  • PinkSea
  • ベストアンサー率30% (76/247)
回答No.135

私は部落教育は必要だと思います。 私が小さい頃引っ越したので、両親共に地元の人ではなく、どこが部落だとかも知らずまったく差別を知らずに育ち、部落教育で初めて存在を知りました。 その時は特に差別など頭もよぎりませんでしたが、私の住んでいる市が比較的部落の多いであろう土地で(あまり知らないのですが)車を運転するようになってから部落の土地をいくつか知りました。その辺りでは当たり屋がたくさんいたり、事故を起こしたら話し合いがすごく大変だったりすると教えられました。もしかしたら事実かもしれませんし、私もついついその辺りでは特別丁寧な運転を心がけてしまいます。それが差別なのかも知れません。でも、知っている人が部落だったとして友達をやめたいと思うとは思えません。 誰も部落に関して私に教えてくれなければ、そういった小さな差別の感情も生まれなかったのも事実です。 でも、学校で部落教育を受けていなければ、その地方がそういう地域だと誰かに教えられた時によりいっそう酷い差別をしてしまっていたのかもしれません。どこの土地にもずっと住んでいる人たちはいて、強い差別の念をもっている人もいると思います。 私の実家はたまたま差別なんてしなかったかも知れませんが、自分の親が、祖父母が差別をしている場合ももちろんあり、それがいかに不当なことであるか、いけないことであるか、なくさなければならないことであるかを学ぶことは必要ではないでしょうか。

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  • magil
  • ベストアンサー率50% (3/6)
回答No.134

部落差別は、悲しいことにいまだに残っています。 私の地域でも、ときどき話し合いが持たれます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「部落差別の教育は必要か」ですが、必要ないと思います。 しかしそれは子供達への教育が必要ないということです。 ただし、日本の歴史教育として教えるのは良いと思いますが、サッと流し 深くは掘り下げないほうが良いと思うのです。 それよりも、部落差別の教育が必要なのは大人です。 それもお年寄りたちです。 こちらはかなり深刻に真剣に教育しなければならないと思います。 部落問題は、父母⇒祖父母・・と、代があがるほど深刻な問題と なっているからです。

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  • chacha7
  • ベストアンサー率32% (38/117)
回答No.133

私も30年くらい前、小学校高学年の頃、同和教育を受け、この生徒さんと全く同じ気持ちでした。映画を見せられた後、同級生の数人が講堂の舞台に立ち「私達を差別しないでください」みたいな事を言い出し「えっ?なにっ?えっ?なんか差別れてるのっ?え~っ!!なにっ?」って感じでショックでした。疑問を持ってしまった以上、知らずにいられないのは、今でも何事につけても同じですが、当時、どうやって知ったのか忘れてしまいましたが、やはりその同級生が住んでいる辺りが気になった事は憶えています。私も質問者様と全く同じで、教えなければ、知らないままで済み、知らない人ばかりになったら、差別なんて無くなるんじゃないの?と思ってました。それから数年後、maruumamaさんの回答にあるように、その事に付随して利権を得て暮らしている人達も居るという現実を知り、二重のショックでした。 最近、仕事で、小学生の頃に見せられた映画の舞台だった、縁もゆかりも無かったはずの土地に時々、行く機会があり、何故か、その度に、その映画の事が思い出され、やや重い気分になります。教育って恐いですね。質問者様への返答には、なっていませんけど。 でも私、昨年、転職し、20代後半の大卒の後輩の面倒を見てるんですが、あまりの精神的な幼稚さに呆れ果てると共に、日本の将来を憂いています。ホントに頭が悪いというなら、諦めもつきますが、決して頭が悪い訳ではないのに、自分を客観視できず、社会的責任というようなものに対し、精神年齢が二十歳くらいで止まっている幼稚さ、どうにか成長させようと我慢に我慢を重ね、説教すると「別に食べるのに困った事ないし」「周りもみんなそうですよ」と、恐いのは決してヒネている訳でもなく、サラッとそう言われ、のけぞりそうに驚愕しました。このコには、ホントに驚かされ、全く料理もしなかったようで「なんで料理をしようと思ったんですか?」などと言いながら、「(結婚相手のことだと思いますが)料理の出来る人がいいなぁ」など自分は、全く努力をせず、相手にだけ要求する事を全く不自然とも思っていない様子。究極は「みかんって腐るんですね」って言われた事でした。決して深窓のご令嬢という訳ではなく、れっきとした日本の高等教育を受けている20代後半の女性の口から出た言葉です。同和教育なんかより、もっときっちり人間教育をしてくれっ!!と言いたいです。(学校教育と言うより、親の責任なんでしょうが、親がおかしいから、こんな大人が育ってしまうんでしょうし、いったい、どうすればいいのか、もはや私には理解できませんが・・・)

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  • maruumama
  • ベストアンサー率25% (28/109)
回答No.132

私もこういうことは教えなければ、差別も生じないと考え、自分の子供には、教えませんでした。 その存在すら、子供は知りませんでした。 しかし、中学生になった頃、友達から部落差別の話を聞かされたようで、ある日、学校から帰って来た娘の口から、「あー、私、部落でなくてよかった!」という言葉が出てき、大変ショックを受けた覚えがあります。 教えるから、そういう差別意識が生じるのだという考えは甘いでしょうか? それとは別に、今もって、逆差別というものもあるそうです。 部落と呼ばれる地域の人達が、いろんな面で優遇されているのです。 公務員にも優先的に採用されたり、(ごみ収集の仕事だとか、汲み取りの仕事がそうだと聞きました。) 家賃が安かったりとか。 これも、公平性に欠けますよね。 その昔、部落の人々はエタ、ヒニン、(漢字はどう書くのだったかしら?)と呼ばれていたことは、歴史の時間に習いましたね。 身分制度が厳しくしかれた江戸時代、なぜそういうところにおとしめられた人々なのかというと、犯罪者だったりしたとも習った記憶があります。 現代の科学では、性癖や性格は元より、犯罪を犯す事さえ先祖からもらったDNAがそうさせていると言われています。 もし、そうだとしたら、やはりそういうDNAを持ち合わせている人々と縁を持つ必要はことさらないかな、とも、最近考えます。むしろ避けたいかも。 私の夫は建設会社に勤めておりますが、工事をする際に、近隣から言いがかりをつけてくる人が必ずおり、(お金をせしめるために言いがかりをつけ脅してくるのです。会社は事を荒立てない為にお金を出したりもするそうです。) その人々というのは、やくざと部落の人なんですって。 または、部落の人を装ったやくざ、だそうです。 私自身は差別には反対なので、そういう教育を子供にしたつもりですが、世間を見渡すと、どうしたものかと悩みます。

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  • kanda09
  • ベストアンサー率0% (0/16)
回答No.131

必要ないと思いますよ。 部落差別自体、昔の人が作った造語だと思うのです。 人を見下すような言葉を教育の場で教えて何の意味、 又は子供達に何を伝えることができるのでしょうか? これから成長していく子どもたちには、もっと違う大事な事を教えていった方がいいと思います。

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回答No.130

部落の人に対しても部落の外の人に対しても、必要だと思います。部落差別(部落に限らず、その他の差別問題などもそうですが、)のことを勉強し、その差別が生じた政治的、社会的要因、歴史的要因などを勉強し、果たしてその差別は意味のあるものか?という事を考える必要があると思います。そうしなければ、社会は変わっていかないのではないかと思います。 ただし、現在(すくなくとも僕が受けた頃)の日本の同和問題についての教育はそこまえ深く掘り下げて議論などせず、(極端に言えば、)そういう問題があるという事を暗記するのみでした。その程度でしたら、やる必要はないですし、逆効果になる可能性があります。 僕がその塾の先生でしたら、一緒に部落差別について議論し、「部落差別は実際には意味のないもの」という結論までたどりつけることを目差します。

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回答No.129

皆さん答えられているように、 同和利権をむさぼる同和地区の方が多いのが事実で、かつ行政としては昔そういった地区の方が虐げられた歴史があるためそれを振りかざされたら優遇しないといけないのが現実です。 しかし長野県の田中元知事のように同和優遇措置を取らないという方針を打ち出す方もいますし、最近、市役所などでまともに公務をせずにお金を貰っている同和地区の職員の方が問題視されており、今までの隠された部分が改善されようとしていますし、国が変わればなあ・・・とは私はいつも思います。 ただ完全になくなることはないとは思いますね。同和の団体の方は裏社会の方が多いですから・・・看板などを堂々と掲げている同和団体の方々は国を食い物にするために同和を風化させない事を望んでますしね・・・ 社会問題としては知る必要はあると思います。 ですが訳も分からない子供に教えることは、子供同士でのくだらない差別を生むことになり兼ねないし、そのせいで同和地区の子供たちを今問題になっている同和の悪い方々のようにしてしまう可能性がありますし。 こんな昔があったけど、差別はしちゃダメだよ・皆平等なんだよ、 という教え方ではなく、 こんな差別があって今こんな社会問題が起きてるんだよ、 国がやっている事が問題を生んでいるんだよ というふうに教えるべきなんじゃないかと思います。 学校では無理でしょうが、ご質問者さんの状況ならそう言ってあげたらいいのではないかなと思います。 現実的には同和団体の方が国を強請っている状態ですが、やはり国から・自分たちから変わらないとという意識は、頭ごなしにダメだよと言うよりはいいかと。 私たちが払っている税金を今やエタもヒニンもない時代に、行政が勝手に一部に優遇して使っている事が私はイヤなので、同和差別なんてくだらないと思っています。

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このQ&Aのポイント
  • 60kg瘦せた松村邦洋 or 60kg太った木村拓哉? 変身するならどっち?
  • 世界中の言語を話せる能力 or 動物と会話できる能力? 言語能力を得るならどちら?
  • 透明人間になれる薬 or 空を自由に飛べる薬? 飲むならどっち?
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