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部落差別について

今、部落差別のことと、共産党関係の事を同時進行で調べています。 理由はずっと部落関係のことは気になっていて小学校の頃同和教育の一環で 「解放子ども会」のビデオを見た記憶があります。しかし、私がそこに参加する ことは出来ずある特定の人だけがいける場所で幼心に「なぜ私は行けないの だろうか・・・」という疑問をもちました。そして母や祖母からいろいろな話を きくに連れ、もっと深く知りたいと思うようになりました。 部落が生まれたのは昔、商人に自分より下の存在があるということを示すために 「えた、非民」の階級を作った教科書などには書かれています。しかし、祖母から の話には違う見解があります。部落の人たちは、「死んだ人の始末をさせられ たのだ、そういうのが仕事だったのだ」と。 どちらが本当かを正すつもりはありません。しかし、この2つの話をどう理解して いいのか疑問に思うのも事実です。 また、今でも部落の方々には差別を受けているからと保証がされているという ことは、逆におかしいのではと疑問に思う時もあります。 例えばお金が無利子で借りられたりすることと、差別を受けてきたからという 理由付けだけで優遇されてよいものなのでしょうか? 私にはわかりません。肯定する人もいれば否定する人もいる。 だけど過去のことにこだわりを持って、「差別」という看板を自らが背負って いるとは思いませんか?部落の方々が読んだら怒り心頭になられるかも しれません。でもこれが本当の平等でしょうか?? 部落をなくそうとスローガンで掲げている町や村、だけれども優遇もそこには 存在する。何か矛盾を感じて仕方ないのです。 私の考えおかしいでしょうか?そしてもっと教えて頂けないでしょうか? 私の知識のなさが原因ならもっともっと教えてください。部落について。 お願いします。

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  • mimiren
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回答No.6

わたくしは東京23区内在住の者ですが、東京都が政府とは別に、独自の財源と判断に基づいて行っておる同和対策事業について詳しく調べておりましたので、その知識の中からお答えしたいと思います。 まず、同和対策事業や部落解放運動に関しては、出身者の自発的な手によって行われるべきものだとされておりますので、出身者でない人々から見れば、閉鎖的で独善的なものに映るのは間違いありません。ただし、部落差別による最大の被害をこうむるのは同和出身者の人たちですので、強い動機として、また、明確な成果を確実に得られるためにとして、ある程度は仕方がない部分が多いと思われます。 次に、同和出身者の職業についてですが、これは地域や時代によってもかなり異なるものなので、教科書にはその一例が示されておるに過ぎないと考えられた方が、賢明な判断と言えるのではないでしょうか。 同和対策事業や部落解放運動によってもたらされる利権や逆効果については、既に共産党系列の団体が指摘しており、公的にも同和行政を削減・廃止する自治体も出て来ているようですので、torichan2001さんのおっしゃることは全く間違っているわけでも過度の知識不足なのでもありません。 けれども前述したように、対策事業や解放運動は出身者自身によって行われるべきものですので、出身者の利権に結びつくのはごくごく自然な流れだと言えますし、またその利権を追及したらいけないとも言い切れないので、難しい問題を含みます。 確かに事業や運動によって得られる権益も少なからずあるでしょうが、差別を受けることによって失う損失も少なからずあり、また、いつ甚大な差別の被害に遭ってもおかしくないという、不安や恐怖感など心理的に大きな損害も加わりますので、大儲けというわけにも行かないでしょう。 さらに共産党系列の団体も、20-30年ほど前までは活動家の人たちと一緒になって、部落解放運動を積極的に推し進めておったようで、同和利権の追求や差別者への徹底的な糾弾も行っていたとのことです。したがって「今になって削減・廃止しようなどと筋違いではないのか」と世論は非常に冷ややかであり、いまだに「共産党系は同和利権を追求している」と考えている人も多いので、削減や廃止への取り組みには難問が山積みのようです。 共産党は前述した対策事業を削減・廃止する自治体が出て来たことに対して、共産党と賛同する人たちの働きかけの成果であると発表しておりますが、削減・廃止を行った自治体は殆どが過疎化や昨今の不況による多大な財政赤字を抱えており、緊縮財政を履行する上での一環として同和を捨てたのだろうとの見方も強く、逆に都市部では反比例して対策事業が加速していくだろうとの予想もあります。 わたくしも、同和の名目だけの利権漁りや不祥事、さらには似非同和行為など悪質なものに対しては、断固として取り締まり・厳しい処罰を強化して行く必要があると思いますが、それをもって全ての同和を悪しきものとして全廃せよとの考え方は、あまりにも危険性が高いように思います。同和の削減・廃止には、torichan2001さんのように合理的に物事を考えた上での結論というのもありますが、過度の知識不足や調査不足から来る「ことなかれ主義」が多いことも確かなので、充分に注意を要するでしょう。 いずれにせよ同和問題は日本社会の根幹に関わる重大な事象ですので、正しくかつ詳しく理解をした上で、時間をかけてじっくりと話し合い考えていかねばならぬ問題だと思いますね。特にこの場のようにいろんな立場の人が、ハッキリと自分の意見を言いながらも人の意見をも聞くというのが、何よりも大切なことですよ。

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  • musikayo
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回答No.5

こんばんは。関西在住のものです。 関西では大学で教職を取るのに「部落問題」の授業を取らなければなりません。関東、それ以北から来た子は理解できないと言っています。しかし、関西、それ以西の地域にはまだ差別は根強く残っていますよ。 torichan2001さんのお祖母さんが言われたことは半分あっています。 >部落の人たちは、「死んだ人の始末をさせられ >たのだ、そういうのが仕事だったのだ」 部落の人たちの仕事は死んだ家畜の皮をはいでそれを革製品に加工して生活していました。「なめし皮」で作られた鞄などは高級品として扱われています。いまでは伝統産業に数えられていますが、普通のお百姓さんが家畜の皮をはぐことなどを生業としたいでしょうか?一種の死体解剖ですよね。あまりそういうことを好む人はいないと思います。商人も出来上がったものなら扱いますが1からはしないでしょう。そういう3K(キツイ・汚い・嫌われる)の職業を担っていました。 土地名に「~新田」「~新」とついているものも、『開墾した土地』という意味です。それ以前は沼地であったり湿地であったりしたところを開墾したのです。住宅環境もあまりよくありません。 しかし彼らは身分こそ低かったもののその仕事に対しての報酬はかなりのものでした。(ただしその土地から出ることは出来ませんが)ですから一種の優遇措置は昔からあったわけです。それが今も無利子などという形で残っています。 ではなぜ大人(特に老人)たちは部落出身者を嫌うのかという疑問が残ると思います。 部落の人たちは、外との交流がなく、差別対象となっていた分、中での結束が非常に固いです。血族でなくても、家族同然の結束があります。 それは中で生活するには必要でしょう。 しかし、婚姻によって結ばれた姻族(外の土地から来た人)に対しても要求することがあるのです。 例えば、Aさん(非部落出身)がBさん(部落の人)と結婚します。Bさんの隣の家の人(Cさん)が借金をして返せなくなりました。BさんはCさんの保証人になってたので、Bさんのところにも借金の取立てが来ました。しかしBさんの家に返済できるお金がありませんでした。するとBさんの部落の人たちはAさんの実家に返済するお金を要求し、それが足りなければ、Aさんのお姉さんの嫁ぎ先にもお金を要求するのです。結果Aさんは実家と絶縁しろといわれ、以後一切の連絡を取ることを拒否されました。 ここまで極端なことは最近はないと思いますが、おじいさんおばあさんの若いころはこういうことが頻繁にあったそうです。個人では悪くないですが、部落の人たちは集団でほぼ暴力に近いことを行います。それは行政が部落地域に対する優遇措置が『あめ』になってしまったのでしょう。 行政側としてはやっかいなことは引き受けたくない、部落側は集団で行けばいうことを聞いてくれる。この構図が出来上がっているのです。 また、彼らは部落の土地に縛られずに他の土地に移りますが、そこでも厄介事は絶えません。なぜなら育った環境が言えば何とかなるとわかっているため、自分の気に入らないことがあると、自分の言いまいによりねじ伏せるのです。 私の発言には差別も含まれてしまっています。しかし、こちらが譲れば向こうはどんどん頭に乗ってきてしまうという構図があるのです。これは関西で共存していると嫌というほどわかります。 一方的な譲歩ではお互いが譲り合わなければ、多分部落問題は一生解決しないと思っています。

  • Asihana
  • ベストアンサー率9% (8/87)
回答No.4

現実には、一般の人が、「あの人の先祖は江戸時代の身分がどうだったか」なんて、考えもしないし、調べようもない。江戸時代まで遡れば、たとえば5代で32人の先祖がいることになるけど、それぞれの先祖の名前、誰も知らない。 行政がわざわざ「あなたの先祖はえた身分でしたよ」と、「父親家系」だけ遡って「認定」しているのです。 で、「学習会」で、「君たちはこうこういう星の元で生まれてきて差別される運命になるが、これは誇らなくちゃ行けないんだよ」ということを教えこむ。 けっきょく、行政自身が「男女差別」をしている。 「お役所仕事」で、「差別」がなくなっちゃうと、それまで「同和予算」で組んでいた予算口実がなくなってしまう。だから、「差別」を維持しなくてはいけない。あるいは、同和予算であれば、指定業者も限られるのでその利権もからむ。 たとえば「同和住宅」。 入居資格は「同和住民」であること。じゃあ「同和住民」とは何か、というと定義に苦しむ。親が同和住民であれば子供も同和住民だということのようです。(それも母親だけが「同和住民」ではだめで、父親だけならOK。 ) 同和地域に住んでいるから同和住民なのか、同和住民が住んでいるから同和地域なのか。 民族差別や男女差別や障害者差別というのは、根拠になる「差」があるのだけれど、「部落差別」って、誰かが認定した肩書きがなければ「差」は存在しない。どこも変わったところがない人間なんだから。このへんをいっしょにして差別云々というほうがおかしい。 市役所が「あなたは同和住民ですよ」って認定しているんだから、犬や馬の「血統書」みたいなもんだ。 もともとは、「死」を「ケガレ」とした発想です。 もともと「死体」(家畜であれ人間であれ)を扱う人たちは、特殊技能の持ち主であって(大きなウシを解体したり皮をはいだり),べつに差別の対象ではなかった。江戸時代に「肉食」が禁じられた時代の発想ですね。 いまでも、葬式に行くと「清めの塩」なんか配られるけど、「清め」なくちゃならないほど、葬式が汚れているのか?なんてことを誰も疑問に出さない。 こんなことでクレームをつけても、お金が関わらないから。 同和に熱心な関西の自治体で元市長の葬式があっても「塩」をくばっていますし、それに対して「同和団体」の幹部も何も言わない。 こいつら本気で差別をなくそうと考えていないな、って、まるわかりです。 ついでに「同時進行」の話があるので。 かつて、大阪府知事選挙で社会党と共産党が支持して当選した黒田知事が、2期目に社会党から反発されたのは、同和問題で解放同盟の方針に賛同しなかったからだ、ということです。

  • izumokun
  • ベストアンサー率30% (1129/3679)
回答No.3

 部落差別については、差別によって本当に苦しんでいる方がいる一方で、No.2の方が指摘しているような事例があったり、あるいは働けるのに補助金で生活しようとしている人もいるでしょう。  しかし、これらは何も部落差別に限ったことではありません。一般の人で、パチンコに明け暮れ、働きもしないで生活保護を受けている人もたくさんいます。  したがって、我々にとって大切なのは、一つの事例がすべてであると捉えるのではなく、一つ一つの事例に対し本当はどうなのか、ということを検証していくことだと思います。すなわち、科学的認識をもつことがさまざまな問題を解決するための基本だと思います。

  • Bokkemon
  • ベストアンサー率52% (403/765)
回答No.2

「部落差別」というのが本当の意味で現代においても続いているかどうかは疑問が無いでもありません。実際、色々なところで話を聞いても具体的な例には行き当たらないからです。 それに、本当にそういった差別を受けていて、その差別を無くしたいと思う人にとっては、「優遇」も差別ですし、踏絵を踏まされるような嫌悪感を感じるものでしょうから、快く思っていないことは容易に想像できます。 しかし、「部落」を利用している「エセ部落」の団体が存在します。右翼の資金源になっている例です。元々の部落解放運動は差別を無くすという社会主義的な理念による活動でしょうから、これを右翼が利用すること自体が陳腐なのですが、総会屋と同じように、企業を「部落差別を肯定する会社だと言いふらすぞ」と脅して寄付を強制することで資金源にしています。それらしい装丁を施した、内容の乏しい書籍を10万円以上の値段で半ば強制的に売りつけたり、年に数回しか発行しない薄っぺらい「定期刊行誌」のために何十万円も支払わせたりするのです。 そういう団体の人間にとっては、「部落出身」を名乗って無利子融資を受けることは「役得」だったりしますし、「自分たちの活動の成果で勝ち取った恩典」という宣伝材料にもなります。政治家にとってもそれら団体を敵に回すと厄介(竹下元首相の誉め殺しのような仕打ちを恐れます)なのと、「弱者救済」の施策は反対しにくい性質のものですから、そういった団体に間接的に利益を享受させ(て自分を守)る格好の手段であったりするのです。 本当に差別をなくしたいのなら、利益・不利益にかかわらず、同じ扱いになるように求めるものです。torichan2001さんの疑問は極めて健全なものだと思います。

torichan2001
質問者

お礼

私たちはよく「相手の立場にたって物事を考えろ」と言われることがあります。 差別のことで行けば、「部落の人たちの気持ちを理解することから・・」などと。 しかし、その立場を利用して自分の部落を「役得」する人たちがいるのなら、 それはとても悲しい現実だと思いました。 じゃあわたしはどうすればいいの??なんて疑問を持ってしまいました。 ただただ、差別をなくそうなどときれいごとだと・・・。 どっちも本当は同じように影で酷いことをしているんじゃないか? そんな疑問さえ浮かびました。   そして自分の思った平等などとは「永遠のテーマ」であり、 差別をなくそうなどとスローガンを掲げることってあるいみ「???」 と思ってしまいました。

  • izumokun
  • ベストアンサー率30% (1129/3679)
回答No.1

>部落が生まれたのは昔、商人に自分より下の存在があるということを示すために「えた、非民」の階級を作った教科書などには書かれています。  最近の教科書には、そのような記述はありません。なぜなら、そのような身分は江戸幕府が設定したのではなく、昔からあった民衆の賤視思想を利用しただけであった、という理解が大勢になっているからです。 >部落の人たちは、「死んだ人の始末をさせられたのだ、そういうのが仕事だったのだ」と。  まあ、そればっかりでもなかったのですが。しかし、事細かに言うと、差別のばら撒きになる可能性があるので、差し控えます。 >例えばお金が無利子で借りられたりすることと、差別を受けてきたからという理由付けだけで優遇されてよいものなのでしょうか?  優遇措置の具体的な内容は知りませんが、では、あなたが職業差別を受けて収入が得られなかったとしたら、どうでしょう。優遇措置は必要ではありませんか?というより、むしろ、そのようなことをしなくてもよい、差別のない社会を築くことを、まず考え行動するべきではないでしょうか?差別されている方々の多くは、それを一番望んでおられると思います。

torichan2001
質問者

お礼

わたしはまだ未熟者です。 実際職業差別でどのような苦しい思いをしていたのかさえ知りませんでした、 またそれに目を向けることさえもしなかった。それは私自身の責任だけでなく、 この世の中に差別がある限り、永遠に続くものなのかもしれません。 優遇優遇にこだわりすぎていた自分がまず相手の立場に立って物を考える ことが必要なはずなのに…。  未だ優遇措置というものをしなければならない世の中に対して何か憤りを感じ ました。

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