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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

noname#110649
noname#110649
回答No.148

必要です。差別とはどういうものであるか。あるべきか。知るためにも必要。思い上がったクズが権力握ると地獄見ます。

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回答No.147

差別、偏見意識がなくならない限り必要です。

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回答No.146

裏では差別が残ってますから、必要です。 アメリカのいいなりで、競争、市場原理主義、強い者勝ち優先で、都合の良い所にばらまきで、役人経営者経済団体とぐるで、開発経済優先で、大企業金持ち役人優遇で、国家権力側は甘くしろ反国家権力側は厳しくしろで、マスコミも世論も司法もコントロールしろで、選挙の時だけパフォーマンスを行えで、闇献金インサイダー取引パーティー官房機密費懐入れなどで金をつくって数を勝ち取れで、国家権力側に住み良い都合の良い日本社会を目指す自分党公暗党政権が良いか、 アメリカとは距離を置いて、理念ある独立国家として言うべき事は言いで、全人類の共存共生協調自然とも共存共生協調を目指すで、必要な所を重点に予算を組んで、役人を国民の公僕として職務を行わせるようにし天下りは許さんで、環境福祉質素な生活セフティネット優先で、汗水流している労働者中小企業弱者優先で、なんぴとたりとも公平平等に扱えで、マスコミ弁護士司法などは独立しろで、政権を担えば優先順位を考えて直ちに真の改革国民のための政策を行えで、志のある者だけで連帯し政党助成金も有効に使えで、全国民が住み良い日本社会にするかもしれない民主党政権が良いかの総選挙の結果、 民主党が大勝したわけであるが、国民新党や社民党に気を使って妥協したために、おかしな決定もあったわけである。 そして、自公政権で任命した、腐りきった国家権力の役人幹部らが、今だに裁判所、検察、警察、法務省などに居座って、自民党や創価学会公明党やこれらのバックにいる、アメリカ支配層の影響をうけているから、こいつらの命令意向に従って、与党幹部らのみを徹底的に攻撃しまくっているわけである。 御用マスコミも使ってね。 自公政権や自民党政権が復活すれば、また今まで通り、天下りや裏金作りや血税を飲食いに使うや不都合な人々を不当逮捕、不当起訴、冤罪に追い込むなどのやりたい放題の甘い汁が吸えるようになるというわけである。 鳩山総理や小沢幹事長の疑惑がすべて事実と仮定してさえ、自民党や創価学会公明党や腐りきった国家権力である悪徳役人の行ってきた犯罪悪行悪政の数々に比べれば、微罪にさえならないのである。 野党が贈収賄など成立するわけがないし、疑惑のほとんどがどぐされマスコミなどのデマだからね。 ということで、民主党がアメリカ支配層側に向けば、まともな国民にとっては、期待が失望に変わる、というわけである。

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noname#74008
noname#74008
回答No.145

随分前の質問ですが、参照の多いQ&Aに出ていて考えさせられたので答えてみます。似たような回答があったらすみません。 私も義務教育はとっくに終えましたが部落差別教育なんて初めて聞いて驚きました。どういう内容の授業か想像もつかないし、そんなことをやるなんてオカシイんじゃないの!?と最初は憤慨しました。が、よく考えてみれば、小中学校ではそれぞれの地域に根ざした内容の授業があります。その一環なのではないですか? 部落のようなものは知りませんが、私もその中学生の子と同じ気持ちになったことがあります。アイヌや沖縄の人達のことを知ったときです。北海道や沖縄の市長さんの顔を見て、ああこの人は私と顔の作りが違うと反射的に考えてしまうのが嫌です。そんなことを知らなければ、同じ日本人の中のわずかな個人差としか捉えないだろうし、それを意識することさえないのに。 ですが、それってちょっと自己中心的な考えかもと思います。 私はそんなもの知らないし、考えたくないし、関係ないのに嫌な気分にさせられるものなど見せられたら、ムカムカします。 しかし現実にそのことで人を傷つけたり傷つけられたりしている人たちがいるんでしょう。 だからその問題がまだ取り上げられるのでしょう。 大部分の人が関係ないからと言って目を逸らせていたら、取り残された人をどうやって救えるんでしょうか。 まさかそれが社会だなんて言う人はいないでしょう。それはちょっと情けなさ過ぎじゃないですか。 たまたまその地域で生まれたり育ったりした人達は、特にそれについて考える機会を与えられたと考えるべきではないでしょうか。彼らを実際に助けるのは、その地域の人達なんですから。その地域を良くするために、逃げてはいけない問題なのでしょう。 それを初めて知る人は純粋な心で傷つくかもしれないけど、乗り越えなければいけないことでもあるでしょう。社会にはありとあらゆる差別があります。部落がなくなったらほかの差別がなくなるわけではありません。 早くからこういう問題を考えられるのは、良い経験になるのではないでしょうか。

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noname#65870
noname#65870
回答No.144

「部落差別」の教育はやはり必要だと思います。が、これと関連してきますが、部落差別の様な出身、或いは出自に因る差別が仮に無くなったとしても、又差別する要因を探し出して結局はなくならないと思います。教育に依る地道な啓蒙、啓発をして行くより手は無いと思います。あと国や行政、自治体も協力して行かない事には難しいでしょう。誰かが、「部落差別は誤解です」と言う人がいればもっとこの問題は人々にとって理解されて、多少なりとも「言われ無き差別」に苦しんでいる人達の支えになるのではと思っています。実際はその人達の代の問題を後世の人に押し付けているだけで、問題は本来はその代で済んでいるはずです。でも、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」で問題(差別)が現代迄続いているのはおかしいと思います。

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  • kaimu1
  • ベストアンサー率18% (72/393)
回答No.143

被差別部落出身の26歳です。 部落差別がまだ普通にあった頃の老人はくたばり始めてるので 少し前ならともかく今はもう必要無いかもしれない。 という時期に来てるかもな、と思います。 ただまぁ未だに村社会な田舎もありますし(私の地元はそうですが) そういう意識がある人間が残ってるのも事実です。 現状を調査しそういう知識がまだある地域では今後も続ける、とかにした方が良いと思いますが、部落開放同盟の凝り固まったアタマじゃ無理だろうなぁ。。。。。 ただ、「教育」というカテゴリでくくった時に、もっと教えなきゃいけない事って沢山あるだろ。そんな事教えてるヒマあるならもっと他の事教えろよ、ってのが正直な意見です。

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  • ken89
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.142

あのー、部落開放同盟を主体に色々な背景があっての今日の教育をおこなっているのでしょ? ただ単に、わざわざ部落の事を知らない子供に、そういう単語自体を教えるのは、誰が考えてもおかしいでしょ? そりゃそうですよね、逆に余計な感情を植え付けますよね 自分が部落出身者だったら、そっとその過去の事を闇に葬りたいですよ 目的が違うんです。目的が! そりゃー、誰も知らないまま時が過ぎる方がその存在すら薄らいでくるのは、誰が考えてもそうですよ(^^) 部落差別教育を行う理由、目的。 明白な回答はネット上では、書けません ただ、目的があるんです・・・

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  • ruserina
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.141

書き込みは2回目ですが、もう一度。 部落差別の授業は必要だと思いますが、それだけでも駄目だと思います。結局その現実をどう捉えるかは個々によって違います。 その現実を知って恥じる子もいれば、自分は違ったと喜ぶ子もいるでしょうし、新しい苛めの対象を得られたと思う子もいるかもしれません。 先生だって万能ではないですし、全員良い子になんてなれる訳はありません。けれど最低限倫理や道徳を学校と”家庭”で教えていれば、真実を知ったときの個々の受け止め方に差が出てくるのではないでしょうか? 当たり前な意見ですみません。。

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  • motacilla
  • ベストアンサー率18% (103/558)
回答No.140

 私も、教育を受けるまでは部落というものの存在も知らず、「こういう差別があって!」という授業に対して、「蒸し返すなよ」と思いました。  心なしか教師側にも微妙な差別意識があるように感じたりして。  でも、それはさておき。  最近子供に突飛な名前をつける親が居ますよね。  そういうのを集めたサイトがありまして、そこを見ていると。  差別用語そのものを自分の子供の名前としてつける親も居るみたいで。  差別そのものがなくなって100年くらい経った後なら問題ないんだろうけど、「同和教育って必要なんや!」と思いました。  存在するものは存在するものなのだから、知るリスクと知らないリスクで「知るリスク」を選ぶというのは真っ当な考えかもです。

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  • ruserina
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.139

私は授業で習うまで部落差別という用語を知りませんでした。 けれども、私の地域は田舎なので未だに韓国の方というだけで侮蔑したりする人もいます。 部落差別をしてはいけないという教育を受けましたが、韓国の方やハンデを持っている方を差別してはいけないという教育は母からしか教わりませんでした。 私は自分の考えで、差別という考えた方は愚かしいのでしませんが周囲の人間は自然に差別しています。 おそらくその子の親もそうなんだと思います。 話が部落差別とは逸れてしまいましたが、差別教育は学校ですべきだと思います。 (部落というのは地域なのですか?わざわざ地域を指定して教育する必要はないと思いますが・・・。

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