• 締切済み

ボードレールの魅力?

littlekissの回答

回答No.18
noname#130919
質問者

お礼

回答ありがとうございます。紹介くださった論文、素晴らしいですね。リンクが多いとそれを確認するのに時間がかかるので、お礼が遅くなるのをお許しください。『レノーレ』はボードレールの友達のネルヴァルに関連させてお答えしてみます。 フランスにゲーテが入ったのは、ジェラール・ド・ネルヴァルを介してでした。彼は「シルヴィ」という恋愛小説の作者として知られますが、ドイツ語が堪能で、二十歳にしてゲーテの『ファウスト』を訳してゲーテ自身に絶賛され、ドイツの詩篇も訳しました(ちなみに世界で一番美しい小説と言われると、「シルヴィ」だという人もいます。『火の娘たち』というアンソロジーに収録されています)。 ネルヴァルがドイツ文学に関心をもったのは、産褥で亡くしてしまい顔を観ることが叶わなかった母の面影を探すという要素があったのですが、なぜドイツかと言えば、それは彼が逆説的にもヴァロワという故郷の伝統的な言葉の残滓をドイツに感じたからだと言われています。ヴァロワの文化は自国内では塗り替えられ、忘れられていますが、逆に外国にそれが残っているというのです。(こうした外国において自国の古い文化が保存されているという転倒は、次の例と同じです。たとえば中国ではもう漢字は変形して省略体を使いますが、日本では昔からのものが残っている――など。同じことでカナダでは古いフランス語が残っています)。 ここには世界文学というべき考え方がここにはありますが、この論文ではドイツとケルトとの関係を論じることで、まさにフランスにおけるドイツ文学の受容についても核心的な示唆を与えている――と私は思います。ケルトはフランスの北西ブルターニュ地方にもありますから。勉強になりました。どうもありがとうございました。

関連するQ&A

  • 詩に詳しい人に質問です。

    詩に詳しい人に質問です。 私は本格的に詩を読むようになってまだ数ヶ月ですが、ボードレールの作品にとても感銘を受けました。 気になったのですが、日本人で彼の影響を強く受けている、もしくは作風が似ている詩人を教えていただけませんか?

  • 美しい悪

    悪という言葉は、それを用いた時点で既に批判のニュアンスを含んでいるため、設問の「美しい悪」という言葉自体が矛盾語法であるという指摘があるかもしれません。ただしここで俎上にあげる悪とは、宗教上の悪、倫理上の悪、法的な悪ではなく、美学上の「悪」です。 この悪を簡単に言えば、一般的な審美基準からしてみれば判定外や醜いとも判断されうるが、私的な感覚では美しいと思えるもの――ということになります。この意味での「悪」の用例は日本語では、「悪食、悪趣味」など、私的行為を批評する修飾語「悪」と同じといえるでしょう。以上の定義において「美しい悪」とは何か?と問うのがこの設問です。 理論的にはいえば「悪」は大勢の感受性に抵抗する私の位置付けをとらえることになり、「崇高」の概念に関連することにはなるでしょう。またこの設問は哲学のカテゴリーに入れたように、最終的には抽象性を求めます。ただしまずは私的な感性に関わる問いとして、具体例に比重を置いて回答していただけたらと思います。 イメージを膨らませるために書けば、美術的には、ギリシア彫刻に対する千手観音像、韻文詩に対する自由散文詩、「決定的瞬間」に対するピンぼけ写真、などあるでしょう。美術史の中で注目するべきはプリミティヴィスム、シュルレアリスムになるだろうとは思われます。 ただし議論は既存の芸術作品に限定するものではありません。というのも審美的な「悪」とは当然ながら、国や時代によって変化するものです。(1)「現代の日本において有効」であり、しかも(2)「私的」な悪を問うのが質問の趣旨です。 したがって、未だそれが芸術作品として表象されていなくても構いませんし、美術史的な潮流を踏まえている必要もありません。実際、接尾辞ismeがつくように、理論化され、潮流となって大勢を占めたものは、もう「悪」ではないでしょう。 また耽美的な問題に議論は限定しません。たとえば時代から取り残されつつある、セレブリティに対する清貧、エコロジーに対する蕩尽という価値観は、現代日本においてメディアが流布したモラルに対する「悪」とさえ呼べるかもしれません。 ・具体例は何か、 ・一般的に流通している審美基準で評価できない点は何か、 ・それを「美しい」と呼びうるのはなぜか、 に言及しつつ、私的に考える「美しい悪」について、教えていただけないでしょうか。

  • 純恋?を描いた海外の文学作品、小説を紹介してもらえませんか?

    純恋?を描いた海外の文学作品、小説を紹介してもらえませんか? 表現が難しいのですが、純愛純恋を描いた小説を探しています。(いまさっき夢に出てきたんです…) 作品ですが、落ち着いたタッチのほうがいいです。 主人公が一途でどちらかといえば悲恋がいいですかね… 「そうだ!!ここは君と出会った場所なんだ~~~~~!!!!」 と絶叫発狂してしまったりとかそんな感じで…いや自分でも何言っているのかよくわからないですけれど… 似たようなというか、上の条件に対して線行っているなというのは 作家が同じですがゲーテの『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』…でしょうか ただファウストは詩でしかも韻文なので少し物語性に書けるかなと、 ウェルテルは手紙を公開していく様式なの盛り上がりとしては淡白かなと そう思いました。(勿論この二つに文学的価値があるのは言うまでもないですが) 散文で、純愛純恋悲恋(あまり肉体関係が…とかどろどろしたのは好きではないです。胸が痛くなるので)、できればドイツ語(本当にできればでいいです!むしろ違う言語でもいろいろ紹介していただければ幸いです)、こんな小説はないでしょうか? お願いします!

  • なぜ平安日本の後宮だけ文学作品が生まれたのか?

    平安時代には枕草子や源氏物語など、後宮の女性が書いた文学作品がありますが、江戸時代の大奥や、あるいは中国やイスラム世界など外国の後宮ではこういったものは無かったのでしょうか? 中国だと女流詩人は何人かいるようですが、「小説」が「史書や詩に比べてくだらない物」という意味で使われていたというのを聞いた事があり、物語などを書いても後世に残らないのかとも思いました。 ご存知の方ご教示ください。

  • 詩の作者について

     はじめまして。CMのカテゴリーに質問させていただこうとも思いましたが、30年も前のことで、どちらかというと、このカテゴリーの方が回答頂ける確率が高いと思い、質問いたします。  30年程前、高校受験を控えて、高校のランキングが載っているということで関西の地方紙を購読しておりました。(歳がばれますが…)  その紙面に今では有名となった消費者金融(アコムかプロミスかどちらか)の広告として、ある詩人の詩が掲載されていました。  その詩がやけに気に入っていたのですが、最近年齢を重ねるにつれ、どうしても、その詩の作者が知りたい、もう一度読みたいという気が募り、片っ端から書店の詩集にあたっているのですが発見できません。  前置きが長くなりましたが、その詩で断片的に覚えている趣旨は、  「丘の上に登ってみた…」  「そこから見える人々の生活の象徴としての灯…」  「その灯り一つ一つに人生があり、それは荘厳なセ  ロのように響いている」 といった非常にロマンテイックな詩でした。(今の消費者金融のCMからは想像できませんが)  都心の高層ビルに登って下界を眺めたり、低山から夕刻に町々を眺めますと、自然にその詩の断片を思い出してしまいます。ちなみに、成績優秀だったにも関わらず、文芸にめざめた私は、それからさる大学の文学部に進んでしまい、男性としては、あまり恵まれないサラリーマン生活をおくるはめになってしまいました。  長文になり、恐縮ですが、上記の手がかりで、どなたか、詩作者もしくは詩の名を特定できる博識な方いらっしゃいませんでしょうか?日本人女性の作者だと思います。  よろしく、お願い申し上げます。

  • 私は現在28歳で理学療法士としての道を歩んでいます

    私は現在28歳で理学療法士としての道を歩んでいます。 しかし、以前から(18歳くらいから)音楽や文学、芸術関係に大変興味があり、ギターを弾き、簡単な作曲をしたり、絵やエッセイ、詩を書いています。 理学療法士として働くことも夢ですが、夜寝ていると夢で自分がギターを弾いてみんなから賞賛を受けたりしている姿が頻繁に出てきて、自分の人生何か物足りないというかやりたいことができていないのでは?と悩んでしまいます。 自分の中に芸術的な表現(言葉じゃないものや、言葉では表現しきれない何か)を発散したい欲求が確実にある(そのため音楽、詩、絵など特にこだわらず行っていると思います)のですが、それはとても社会において生産性を持ちうるものだと思いません。つまり、飯が食えるミュージシャンになるだとか、詩人になるだとかは何か違う気がします。 芸術を生活の糧にしたり、それで儲けたりするのは(芸術で儲けるという発想自体がなんか矛盾してる気もするし)結局自分の純粋な芸術的欲求の発露にはならず、やりたいことではない気がするのです。それならば、理学療法士として働き、人の役に立つ方が余程合理的だと思います。 ならば、家で自己満足の為にひたすらやり続けたら良いと思い、詩などを今まで誰にも見せず、作ってきました。このまま趣味として続けて行くとは思いますが(自分の中に芸術への興味がなくなることは無いと思われるから)何か物足りない感じはやはり人からの賞賛というか第三者に認めて欲しいのかな?という感じもします。 私は一体何に物足りなさを感じているのでしょうか?またどうしたら解消すると思いますか?みなさんは 自分の人生何か物足りないなぁとか夜中にふと目が覚めて思ったりしますか?

  • QA118 三回目の質問

    QA118 三回目の質問 この質問は二回目の回答者三人の方の回答をもとに再検討したものです。 再度、問題点をご指摘いただきたいと思います。 1) Tradition puts Homer and the Homeric poems proper back in the ages before chronological history began, and at the same time assigns the purely Cyclic poems to definite authors who are dated from the first Olympiad (776 B.C.) downwards. This tradition cannot be purely arbitrary. 三回目の試し訳 伝統的には、ホメーロスと本来のホメーロス風叙事詩を 年代学的な歴史が始まる前に遡って配置し、 同時に、純粋な叙事詩環を オリンピアの初年(B.C.776)から時代を下る一定の詩人たちに 割り当てている。 この伝統が全く恣意的である筈はない。 質問 回答者から意訳が示されました。 しかし、質問者には納得できません。 文章の意味を完全に理解していないためです。 これを理解するには、可能な限り、文法に従うしかないと思います。 回答がこれを示していることもよく分かります。      それでも、疑問が生じましたので質問させて下さい。  (1)まず、叙事詩環とは、ホメーロスを含む詩人8人、8作品の事です。   伝統的に、この作家と作品が年代順に配置されていると述べている    ように思われます。この理解はどうでしょうか。  (2)and the Homeric poems properについて     このproperは限定形容詞といわれるもので、名詞の後にきます。 そのため‘本来の……‘としましたがどうでしょうか。 (3)traditionについて    二度使われています        最初のTraditionは ‘伝統的には‘        二度目のThis traditionは ’この伝統は’    このように訳してみてはどうでしょうか。 (4)assignsについて    ここは、やっぱり‘割り当てる’という意味で良いように思われます。     ‘年代順に作品を配置し、そこに詩人たちを割り当てている’としま した。     assignsは現在形ですが、‘割り当てている’ としました。     この点はどうでしょうか。       又は‘あてがう’でもよいかもしれません。 (5)before chronological history beganについて     beganは過去形です。 ‘年代学的な歴史が始まる前に’としましたがどうでしょうか。 *これらの解釈が文法的に矛盾しないかということが、質問者の一番大きな 関心であります。

  • 「ニンフェット」の登場するおすすめ作品を教えて!!

    「ニンフェット」の登場する長編小説を書きたい16歳女子です。 本来の定義の9~14歳に限らず、妖しい魅力のある少女(17歳以下)が登場する小説、詩などの文学作品、また合法で芸術的な映像作品(ミュージックビデオも含む)を教えてください。成人男性との恋愛があると尚良し。  できるだけ露出(水着とか)や性描写のないものでお願いします。ほのかなエロティシズムを感じさせる作品が好きです。  すでにナボコフの『ロリータ』『カメラ・オブ・スクーラ』、森茉莉の『甘い蜜の部屋』、谷崎潤一郎の『痴人の愛』、川端康成『みずうみ』、澁澤龍彦『少女コレクション序説』、倉橋由美子『聖少女』、吉行淳之介『砂の上の植物群』などの私なりに少女愛的かな?という書籍は読んでいます。また映画はキューブリック版の『ロリータ』を見ました。  古典好みです。

  • 好きな詩、和歌、俳句

    最近詩の魅力に改めてはまってます。 エミリ・ディキンソンのAfter a hundred years、Success is counted sweetest ウィリアム・ギブソンのリバーズエッジに載ってたTHE BELOVED, ホイットマンのI celebrate myself, and sing myself 大岡信 水底吹笛 茨木のり子さん 汲む などなど。パウル・ツェラン、e.e.カミングスなども大好きです。 歌人では、北原白秋の 君かえす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ を、久方ぶりに目にして、巧いなあと思ったところです。 言葉遊びが面白いもの、一瞬にして違う次元に連れていってくれるもの、自分を深く見直すきっかけを与えてくれるもの、視覚や聴覚、嗅覚が刺激されるもの、胸に刺さるもの、などが特に好きみたいです。 もっと色々読みたいので、お薦めの詩人、歌人、俳人とできれば一番お気に入りの作品を教えて下さい。

  • ボードレールについての文です

    ドイツの評論家 Walter Benjamin がボードレールについて、次のようなことを言ってるのですが、どのように訳したらよろしいでしょうか。 Baudelaire knew how things really stood for the lierary man: As flaneur , he goes to the marketplace, supposedly to take a look at it, but already in reality to find a buyer.