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ボードレールの魅力?

cyototuの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.83

ルドンの挿絵を見て私が思い出したのは、何とホウネンエビでした。ブライン シュリンプとかシーモンキーなどとも言います。鑑賞者から見ると一見超現実的な世界や構図に見える物が、実は現実の忠実な写実だったりすることもあるのですね。SF映画の宇宙人や怪奇な想像生物の絵を見ていると、人間の想像力の貧弱さが良く判る。どういうわけか宇宙人は皆、地球上の生物の寄木細工だったり、未来の宇宙人が中世の人達の服を着ていますからね。 ブリュッセル暮らしをしていたときに私の好きだったマグリットの絵: http://www.google.co.jp/imglanding?imgurl=http://pds.exblog.jp/pds/1/200603/24/48/c0049848_12342588.jpg&imgrefurl=http://kumagusu2.exblog.jp/m2006-03-01/&h=649&w=500&sz=31&tbnid=6fLXqes-v-NrhM:&tbnh=137&tbnw=106&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2583%259E%25E3%2582%25B0%25E3%2583%25AA%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588%2B%25E4%25BD%259C%25E5%2593%2581&zoom=1&q=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88+%E4%BD%9C%E5%93%81&hl=ja&usg=__9v_E1DpXUyM_L1JlSGYfPbB5NWw%3D&sa=X&ei=YWVRTavCEsWclgf4m-CvCg&ved=0CDEQ9QEwBA が実はシュレリアリズムでも何でもないことを発見したときには驚きました。日が一番延びる6月の遅い宵にカンブレの森を散歩しているときでした。未だ明るい広場から森に入って行ったら、ベルギーは緯度が高いためにもう森のなかは真っ暗で、街灯も点いていました。そのまま前を見て歩いていたら何でもなかったのですが、どういうわけかふと空を眺めたんですね。そしたら空は明るい青空でした。そのとき、何だマグリットのあの絵は彼の頭が創り出した世界でも何でもなく、この辺りに住んでいれば誰でも知っている景色を写実しただけだったのかと知ったのです。実際私が見た景色はこのマグリットの絵で家の部分を街灯に入れ替えた景色その物だったのですから。 ついでに、私の持論である天使昆虫説を紹介させて下さい。これも人間の想像力の貧弱さを良く物語っていると思うからです。鳥は羽根を手に入れて空を飛ぶことができるようになりました。しかし、それに払った犠牲も大きかった。何故なら鳥はそのために手を失ってしまったからです。ところが天使には羽根もあるが手もある。だから、これが鳥類である筈がない。さらに天使はあの羽根で空を飛べる筈がない。鳥を良く観測してみて下さい。ニワトリを食べるとわかるように、胸骨が人間のように胸に平についているのではなくて、胸に直角の方向大きくせり出している。あの部分に巨大な筋肉が付いています。だから鳥は皆鳩胸ですね。そして、そこにあれだけの肉がついているので食べがいがる。鴨の肉も同じです。あれだけ巨大な筋肉を付け、あれだけ鳩胸になってやっと空を飛べるのです。でも、鳩胸の天使を見たことがない。 しかし人によっては、そもそも天使は神秘的な能力があるので、物理学の法則に従う必要はない。だから鳩胸にならなくてもあの羽根で空を飛べるのだ、と言う方もいるかもしれません。でも、その論理は駄目ですね。もしそんな神秘的な能力があるのなら羽根なんかなくても空を飛べる筈でしょう。羽根を付けたと言うことは、天使にも物理学の法則が適用できるからだと暗に考えているからでしょう。だから、支離滅裂ですね。日本の神通力では空を飛ぶのに羽根を使っていない連中がいっぱい居りますね。どうやら、日本人の想像力の方が西洋人のそれよりも合理的だったと言うことらしいですね。 まあ天使が飛べるかどうかは横に置くとして、羽根も在るが便利な手も同時に持っているとなると、やはり昆虫でしょう。だから、私は天使は昆虫の一種だと言っているのです。でも、これを書きながら思い付いたのですが、天使昆虫説と呼ばない方が良いことに気が付きました。そうではなく、私の説は、昆虫天使説と呼ぶべきではないのか。だって、私たちの願望の中には、空を飛べるような神通力を持って、更に私たちのような手足を持った者が存在していて欲しいと言うのが在るんじゃないですか。その夢を叶えているのが、昆虫だった。だから、天使が昆虫なのではなく、昆虫がその夢を叶えてくれた天使だった。だから昆虫天使説です

noname#130919
質問者

お礼

1 どうもありがとうございます。とても興味深く拝読しました。 >私はフィクションの世界よりも人間の営みも含めてノンフィクションの世界の方が桁違いに奥が深いと思っているのです。 おっしゃるお話、同意するものが多くあります。 マルグリットの絵はいいですね。昼と夜を接続したのは、「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の出会い」(ロートレアモン)というシュルレアリストの始祖の言葉を地でいって、一見取り合わせの異なるもの同士を接続させてみせたという結果なのでしょう。 こうやって矛盾する要素を取り合わせることで、理論的に、シュルレアリスムは普通にありえないことを描いていると言われます。しかし、それが現実にありうるものにヒントを得ているというのは、まさに私も思っていたところです。 マルグリットの絵に関して言えば、猪突先生のお話で思い出したのは、白夜です。私はレンヌで白夜に似たものを体験したことがあるのですが(厳密には夜が一時間程度あるので白夜ではない)、あまりのことに呆然となりました。夜が消えたと思ったものです。これは聞いてみると、「ふんふんそうですか」としか思いませんが、実際にそこで暮らしてみると、ものすごくインパクトがありますね。体内時計を調節できなくなってしまいます。 こうしたことが起きるなら、マルグリットの絵の中の世界は、十分起きえるのではないかと思います。 他にシュルレアリスムの系譜に連なる例を挙げれば、たとえばガルシア・マルケスの魔術的な世界、実は南米に行くと、いくらもあるのだそうです。旅行嫌いの私は残念ながら目撃したことはありませんが、蝶の群れが砂浜でジュースに群がってくるという幻想的な場面を、私にスペイン語を教えてくれた先生は体験したらしいです。 案外、シュルレアリスムの奇妙な世界は、どこかに行けば遭遇しえる現実なのではないかと私は思っています。大人になると、案外、ちょっとやそっとのことでは驚かないつもりでしたが、不思議なこととはあるものです。

noname#130919
質問者

補足

P.S. 1 画家の名前を「マルグリット」と書きましたが、マグリットの間違いです。すみません。私はよく誤字をやります。お許しください。 P.S. 2 非現実だと思ったものが、実は現実であったという問題は、外国の芸術作品を受容する際に、自然現象に限らず、常に起きうる問題だという気がします。たとえば村上春樹の世界観は奇妙だなどと評されますが、その理由の半分は、日本の生活について想像ができないためだと思えます。『ノルウェイの森』など、七十年代の風潮を理想的に描いたものであって、村上にすれば現実に即して描いたわけでしょうが、背景を知らない者にしてみると何かモラルが消滅した奇妙な世界に思えることでしょう。私の世代でさえ、日本ではない別のシュールな世界に見えるのです。 フランスに暮らしていると、特に十代の日本の生活など、想像ができなくて仕方ないかなと思うのです。外食は高いので、高校生では、外で集まるなど、そうそう、できないでしょう。カフェでお茶でしょうか。またちょっと通俗すぎる例ですが、ラブ・ホテルもないので、男女の交際の仕方は、相当変わるでしょうね。相手の家に行って、挨拶しないと、場所が確保できないだろうなと思います。すると交際も、投げやりなものではありえなくなるでしょうね。この点、日本は学食産業が盛んでレストランなど閉まりはしないし、ホテルもいくらでもあるわけです。二つは村上春樹的な世界で重要な要素ですが、まったく別世界のことに思えるだろうなと私は推測するのです。

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