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ボードレールの魅力?

amaguappaの回答

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.81

ご返信は期待していませんでした。ありがとうございます。なにしろ、大切な時期に大切な時間を潰してたしまったと後悔して断食しているんじゃないかな、と思っていましたから。 外科医は仁科君のジョークだと思いますよ、細かくメスをふるっているという。彼はマゾだと思われ。 妖艶なる美少女のおもかげは風前の灯です。博士は学術とpsychanalyseで横断性がありますが文系といえます。アカデミズムからはみ出すうちに現場サポートが増えて、自分の研究の一貫性は弱くなりました。東洋に触発された近代神秘思想の精神史の大著をてがけたいのですが、いつになるやらわかりません。サイコロさんは象牙の塔に入るチャンスをぜひ逃さないようにしてください。教職は休みが多くてやっぱりいいものだと思います。 それから表の教授は金と時間をかけて50歳になると申請でき、由緒正しさはいらないんです。わたしは末っ子で年寄っ子だったため、小学3年で母が教授になりました。そういうわけですから、わたしを在パリマダムブルジョワーズだと幻想してはいけません。 少しはまた、ボードレールの話をしようと思ってレオ・フェレをかけようとしたら、ケースの中身が何故か空なので、デュパルクを手に取りました。バリトンのブルーノ・ラプラントが高音気味に歌っています。L'invitation au voyage とLa vie anterieureの二つが入っています。 詳しくは次の機会に送ろうかと思いますが、 デュパルクの甘美な感傷のせいで、スノッブな不倫の恋愛をしながら聴くのでなければ味わいが半減してしまうだろうと思われたのは確かです。 サイコロさんがパリで歌曲の夕べなどに人妻と繰り出す喜びと苦悩をこれから味わうのか、人生を手に入れてから若い娘とスリルを楽しむのかわかりませんが、 まあ、こう言うことを許していただけるなら、こうしたボードレールの詩は、経験と表現の幸福な結婚ではないかと思われたのです。何か恋愛にひそむ崇高で傲慢な感情をやるせない夢であるように想っているという醒めたジレンマの匂いが込められているのを、デュパルクは感得して引き出したのかな、、、と思って聴いているわけでした。

noname#130919
質問者

お礼

雨合羽さんは、私の立場をよくおわかりなのですね。ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。 雨合羽さんが美女だというのは、言葉の使い方からわかります。着かず離れず、焦らすというのが非常に上手いように私には見えるのです。つまり概ねではAと解釈できるが、BやCという伏線もあるという風に見えるのです。一種の謎かけできるのはご自分の魅力に自信があるからでしょう。男性の注目を引いてきた方なのだなと、わかります。 そうした駆け引きのうまさが、もって生まれた優雅さなのか、それとも、人生で培われたものなのか。ともあれ私のような者は直球型の言葉しか許されてはいないのです。相手が強い関心を抱いてくれるなら、謎をかけてもみましょうが、下手に出て寛容さを請うのが上策であるわけですから。 このような朴念仁の私に恋の話題を振っても満足いくお話になるかわかりませんが、やってみましょう。現実と詩の二つを重ねてらっしゃいますね。現実の世界のことから話すと、私の歳では、恋は単純なものなのかもしれません。フレデリック・モローのように、ただ求めて、待って、期待するというだけ。「美とは幸福の約束である」と純朴に期待することができるのは若さの特権なのかもしれません。 ボードレールも期待して待ってはいるのです。しかし、期待しきれないという悲観が彼にはついて回ります。まず彼は相手を崇め、褒め、期待します。これにはサバティエ夫人に贈った詩の中でも、「讃歌」Hymneを思い返してみれば十分でしょう。サバティエ夫人の存在そのものが彼の心をさわやかにし、永遠を感じさせるのだと述べます。しかし、愛が永遠化するとは述べません。「バルコン」などでは思い出が残るだろうとは述べますが、それは刹那的な刺激が詩人の心に深く刻まれたという意味に過ぎません。思い出がかくも大切なのは、それが過ぎ去っていくものだとわかっているからです。そうした関係の儚さが、不倫的な淡さと重なるといえば、その通りですね。 しかし、ボードレールは、どうせダメなら強く求めようというところがあるように思います。だから、相手を褒めに褒めるが、失望も隠さないという風に、思いやりに欠けるものを感じます。たとえばユゴーの恋愛詩Puisqu’ici bas toute âmeが「受け入れて欲しい」という動詞を強調すると同時に、相手の心を察しつつ求めるのに比べたら、ボードレールの求めが一方的であるのは明らかです。 二人とも不倫なわけですが、この差は一体何でしょうね。ユゴーが相手を察することができたのは、彼には詩人として国から受け取る年金もあり、アカデミーでの立場もあったのに対し、ボードレールは無職無収入であったためでしょうか。私には、彼の場合、本当に口説いたりできないし、関係をもっても一時のみ、という諦めがあったように思います。 見込みがないのを承知なうえで愛を捧げ続けたというのなら、不倫と言っても、現代的な意味合いではなくて、身分の高い姫君に愛を捧げた騎士の宮廷風恋愛の延長にあるといえるでしょう。そして母性的な女性ならば、気の毒に思って、ボードレールの求愛を受け入れられるかもしれません。レオン・フェレがボードレールを愛唱したのは、彼もまた、愛が受け入れられないかもしれないと思ったためだろうと思います。容姿がコンプレックスだったそうですから。 デュパルクを今、聞いてみています。私の持っているのはFelicity Lottの歌謡ですが、雨合羽さんに言われて考えてみると、高音の上り下りが、気怠い官能を刺激するものですね。微睡のように緩やかな曲は、表題が「旅への誘い」L’Invitation du voyageでありながら、現実に旅立つのではなく、心の内を旅し、一時の幸福を味わいつくすという詩人の世界観をよくあらわしています。留まり続けるという行為は、不倫的な刹那観に基づくといえるかもしれません。勉強になりました。 もっとも、こういう気怠さについて、私は不倫とはまた違った観点で、子供の夢想という一面を見ていたのです。私が連想するのは、バルテュスの「黄金の午後」でした。 http://kitten.blog.ocn.ne.jp/kitten_diary/2008/11/post_ef66.html 眠りの中で少女の心が幸せに満ちて行く様相は、遠近法か崩れた構図によって、部屋の外と内が、合一していく過程にあるように、私には見えるのです。バルテュスは、ご存じのように、ボードレールに親しみを感じた画家の一人でした。詩人は自分が夢想する姿を描き、画家は少女が夢想する姿を好んだという差はありますけれども。 「東洋に触発された近代神秘思想の精神史の大著」、面白いですね。どういう思想家が考察の対象となるのですか。機会があったら、ぜひ教えてください。

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