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普通の日本人なら誰にでも理解できる言葉文章を使わず、あえて小難しい専門

Ganymedeの回答

  • Ganymede
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回答No.5

言葉の例をいくつか挙げて考えてみたいと思います。 (1) 仕事、強制連行 重い荷物を提げて静止している人は、力学的には仕事がゼロである。力学でいう「仕事」とは、「力」と「力の向きに動いた距離」との積(スカラー積)をさす。しかし、物理を勉強したことのない人は、「私はこんな重い荷物を持ってるのに、ゼロだって?」と憤慨するだろう。「仕事」という「普通の日本人なら誰にでも理解できる言葉」を専門用語に採用したばっかりに、かえってトラブルの元になる可能性もありそうだ。 いや、物理用語の「仕事」なら定義が明確だから、まだ良い。たとえば近現代史の「強制連行」は、絵に描いたような典型的な強制連行だけでなく、さまざまな半強制も含むことになっている。「いい仕事があるよ」と誘われて朝鮮半島から日本へ渡ったら、タコ部屋に送り込まれた、なども含まれるそうだ。「そりゃあ就業詐欺プラス強制労働であって、強制的には連行してないんじゃないの」と思う人もいるかも知れないが、近現代史の専門家は、当時存在したそのようなシステムを「強制連行」と表すようだ。知らない人が素人なのである。 つまり、専門家が駆使する概念は「普通の日本人なら誰にでも理解できる」とは限らない。これに対して表面だけ易しい言葉をあてるのは、かえって混乱の元ともなりそうだ。そう言えば、「北朝鮮の拉致被害者」という時も、絵に描いたような拉致だけでない。だまされて(自分から乗り物に乗って)北朝鮮へ渡り、出てこれなくなった人や、(自分から亡命した)ジェンキンスさんも、拉致被害者として扱われているようだ。 (2) コンプライアンス、レギンス 「コンプライアンス」という言葉がけっこう広まっている。「コンプライアンス重視の運営を目指します」などと用いられる。これに対し、「日本人なら日本語を使え」「法令遵守と言えば済むことだろ?」と思う人がいるかも知れない。 しかし、「法令を遵守した運営を目指します」と言ったら言ったで、「法律規則を守るのは当たり前だ」「今までは遵守してなかったの?」と突っ込まれそうだ。また、「コンプライアンス重視」という言い回しは、たとえば「当社の新規計画は、法令抵触の恐れなどトラブルも予想されて面倒なので、中止にしときます」という文脈で用いられたりもするらしい。好景気の時代のように「行け行けどんどん」ではなく、新規事業なども差し控えたりする慎重な御時世になっているので、その判断を美化するために「コンプライアンス」などという言葉をまぶすのである。 次に、レギンスはスパッツとどう違うのか。「違いがある」という人もいるし、「同じ物。スパッツの新しい呼び方がレギンス」という人もいる。「スパッツ自体、耳慣れない新語」という男性さえいるかも知れない。これらファッション用語は、次々と新語を繰り出して購買欲をそそるのも仕事のうちだろうから、「誰にでも理解できる言葉を使え」と言ったって始まらない。 (3) 輸贏、説明責任 1995年に改正されるまで、確か刑法185条は「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ五十万円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス……」となっていた。いったい、「輸贏」って何だよ……。要するに賭博を禁じているのだから、「賭博」と書けばいいではないか。現在はそうなっている。 一方、「説明責任」はアカウンタビリティー(Accountability)の訳語で、米国あたりから移入された。ただし、説明する責任が包括的にあるということではなく、さまざまな制度や関連法規の集積として成立している(たとえば、http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-principles15.htmlに説明がある)。日本ではこれを「普通の日本人なら誰にでも理解できる言葉」に安易に翻訳して、弊害が起きているようだ。アカウンタビリティーがあるとは言えない局面でも、「あんたは説明責任がある!」とマスコミがマイクを突きつけて吊るし上げるための合言葉と化している。 つまり、私たち素人にとっては「アカウンタビリティー」と言ってくれるほうが、むしろ親切なのではないか。「輸入概念であって、適切に定着していくのはまだこれからだ」と察することができる。これを「説明責任」と訳してしまうと、未消化の輸入概念であることを示す目印が消える。 【結論】 専門家が使う言葉は、単に文字面(もじづら。文字の並び方から受ける感じ)が難しいだけでなく、概念自体も難しいことがあります。文字面だけ「普通の日本人なら誰にでも理解できる言葉」にしても、結局その意味内容は理解できない場合があるでしょう。 とは言うものの、「輸贏」など無闇に難しい言葉をやめて、分かりやすい言葉に代えたのはよいことだったと思います。

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