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低学歴の出来損ないが公教育を妄信する不可思議な現象について

恥ずかしながら私は学生時代成績は優良でしたが、交友関係は実に怠惰な生活を送っていまして、同窓の学友は低学歴の単純労働者や平凡な会社員であったり専業であったりと、褒められた面子ではありません。 ところでそんな彼らは例にも漏れず今回のゆとり教育廃止を喜んでいます。 ネットで国士様が喜んでいるのと大して変わりの反応をしています 私にはこれが不思議でなりません。 彼らは日本の教育環境下における負け組みであり、不良品、出来損ないです。 彼らの落ち零れっぷりを私はこの目でしかと見ていました。 ボロクソに罵られた詰め込み教育下の落ち零れですから、その程度たるや皆さんよくご存知かと思います。 カリキュラムを満足にこなせず、その最終的到達地点である最高学府においてもしょぼくれた場所にしか籍をおけなかったのです。 その彼らが熱心に公教育を妄信する理由が分かりません。 もし私が彼らの立場であれば、まず公教育に対する不信感、疑いが芽生えるでしょう。 何故なら自分自身こそが、どのような教育(この場合ゆとりに対する詰め込み)を施そうと処置の仕様がない出来損ないが出来上がるという素晴らしい見本だからです。 学校教育のカリキュラムの過多で知的活動領域が改善されるとはとても考えられないでしょう。 むしろ学校のお勉強についていけない子供が、悲惨な境遇に追い込まれるのではないか、など不安を感じるのが当然ではないでしょうか。 何よりもっと単純に、出来ないのであれば内容と量を減らすのは当然のことであり、「ゆとり」は彼らにとって喜ぶべき政策のはずです。 こういった発想は一切せずに、公教育のカリキュラム濃密化が雑多な青少年問題を解決すると妄信している彼らは一種滑稽にも思えます。 私であれば公教育への不信に始まり、この科挙的受験体制と、それを支える為に存在するとしか思えない教育システムに対する疑念が生まれるでしょう。 そしてより抜本的な解決を望むはずです。 私は一応勝ち組であり、体制下における「優良品」ですから、当然詰め込みに戻すと聞くと「まあいいんじゃないかな。」と考えます。 しかしそれでも今回の措置に疑念を抱いているのです。 それなのになぜ不良品たちが、自己を顧みる事もせず、公教育(付け加えるなら自身に施された公教育)をひたすら妄信出来るのでしょうか。

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noname#123390
noname#123390
回答No.2

質問者様は結構悪ぶって読者に反発を催させるような手法を使われておられますが、その実、今の教育制度の現状と改革の方向に深刻な危機感を抱いておられるらしいことも伝わってきます。 質問者様が気づいておられるように、また無遠慮なほどに表現しておられるように、一般大衆である国民の大多数が一国の教育制度について真の問題点をよく理解し、そのあるべき方向性へ自らの意見を進んで出すほどの見識を持っているはずはないと思います。そういった改革はやはり質問者様のように優秀な一握りの選良に任すべき事柄でしょう。 もちろん国全体の方向性を決めるのは国民ですから、彼らの思いを無視することは出来ません。政治が選良の考えをある程度分かりやすく、単純化して彼らに示し、彼らの思いを操作して行くべき方向へ動かしていこうとしているわけでしょう。そういう意味で現状はその一過程にすぎず、私は彼らが当面のゆとり教育見直しに好意的なことを教育行政のひとつの成果だと思っています。 >今回の措置に疑念を抱いているのです。 それなのになぜ不良品たちが、自己を顧みる事もせず、公教育(付け加えるなら自身に施された公教育)をひたすら妄信出来るのでしょうか。 質問者様が”ご自身の思い”をそのために疑っておられるのなら、それは考えすぎだと思います。 kokoro様には、更に進んだ教育改革についてのご提案を望むものです。

  • yama_x
  • ベストアンサー率20% (188/940)
回答No.1

質問者さんの言葉遣いや価値観に疑問を感じますが、とりあえず、 ご質問の答えとしては、詰め込み教育下でさえ、きちんとした 学力が身につかなかった→ゆとり教育の下ではさらに学力が つかないものと思われる→こなせるかどうかは別として、 教育をきちんとしてくれることは良いことだ・・・ということなのでは? 重要なのは「カリキュラムをこなせたか?」ではなく、「どれだけの知識が 身についたか?」ということでしょう。 知識が身につかなかった(つける努力を怠った)ことを自覚し、後悔の 念があるからこそ、しっかり教えてくれることを歓迎する、というのは さほど不自然な流れだとは思えません。 もっともカリキュラムをこなせない人が増えることを危惧する、質問者さんの 疑念とは相容れないものでしょうが。 ・・・というより、冒頭にも書いたとおり、質問者さんの言葉遣いや価値観には 大いに疑問を感じます。根本的な人・教育に関する価値観が異なる以上、こういった 表面的な制度に対して、理解しあえることはないでしょう。

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