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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人の好き嫌いが全くわかりません。 )

人の好き嫌いが全くわかりません

noname#163132の回答

noname#163132
noname#163132
回答No.4

長文回答になってしまったことを先にお詫び致します。 貴方は自分が間違っているのではないかと悩んでいらっしゃいますが、間違ってなんかいないと思いますよ。 人に無関心だとか冷たいのではなく、これまでのことも思慮深く生きていらしゃるが故のことだと思います。 ご質問を読んで全てが分かったわけではありませんが、私は貴方の生き方に好感が持てました。 貴方ご自身が欠点のように思っていらっしゃることは見習う点が多く、寧ろ長所で大人の考えに思えました。 私には、貴方が清廉な生き方をしていらっしゃる様に感じられました。 貴方は変に大人にならないで、人を値踏みするようなところが無く、純粋さを多く残したまま成長なさったのでしょう。 また、人に寄りかかったり振り回されたりせずに、自立して生きることを旨としていらっしゃる、というよりも、貴方には気負ったところが無く、柳のようにしなやかに生きることが自然に出来ているのだと思います。 また、貴方にはしなやかさを感じさせられる反面、自分という軸がしっかりしている様に私には思えました。 恐らく、貴方の言動や行動にはブレが無く、人を戸惑わせるようなことは少ないと思います。 だから貴方が思うよりも、貴方に好感を持っている人は多いと思います。 あまりに変化が激しい人といると、合わせるのに大変だけれど、あなたにはそういった気苦労を人にさせない長所があると思います。 私は好きと嫌いの感情は表裏一体だと思うのです。 どちらも根底にあるのは「相手に認められたい気持ち」で、その願望が強いと、想いが報われれば相手を「好き」だと思い、報われなかったときに「嫌い」になるのだと思います。 分かり合えると「期待が強かった分」、報われれば「より好きに」なり、報われなければ「より嫌いに」なるのだと思います。 貴方には、人から認められたいという願望が強くない印象を受けましたが、元々、自分と他者の関係を真に対等に感じていらっしゃるのだと思います。 生来持ったものによる面が大きいのだと感じましたが、育った環境なのか、人に優劣を付ける感情が貴方にはあまりないのだと思います。 だから、貴方には意地の悪いところが無く、嫌なことを相手にされても根に持ったり、仕返ししようなどとは思わないのでしょう。 それは、貴方の長所だし美点だと思います。 私は悪口を言う行為は、あまり精神衛生上良いことだとは思えません。 溜め込むのも良くないけれど、反復して良いことは何もないと思います。 私は人間が出来ていないので、悪口を言ってしまうことがありますが、あれは言っている最中に費やすエネルギーの損失と、後から来る虚しさを思うと、言って自分のためになることはあまりないと思います。 そして、相手のためになるとも思えません。 悪口を言いたくなるということは、相手に溝を感じてのことだから、それを修復したいのなら「悪口」としてで言うべきではないし、「修復する気もないのなら、嫌いは嫌いのままで良い」のだと思います。 別にわざわざ溝を深めずとも、最初から個人個人として切り離していればいいのだし、お互い寄り添って生きる必要性がなければ尚のこと、それぞれの人生を生きているだけなのだと割り切れば、それで良いのだと思います。 貴方は、それを意図的にすることなく自然に出来ているのだと思います。 相手を「嫌いだ」と思うその感情をどうにかしよう、この怒りのやり場を何処かにぶつけようと躍起になると、「悪口を言う」行為に走ってしまうけれど、別に相手を嫌いな気持ちを育てても意味はないと思います。 人を嫌いな気持ちを育てると、相手は実像から掛け離れたモンスターのようになってしまうし、自分も心の中に魔物を飼っているようなものです。 魔物の餌は人を憎む気持ちだから、悪口や仕返しばかりしていると、自分を貶めることになり、精神を病むことになると思います。 結局、自分で自分の非を認めたくない気持ちが悪口を言う行為に走らせるのだと思うけれど、そうすることによって、その時の嫌な情景をまた思い浮かべることになってしまうし、相手を嫌いな気持ちを再確認して、もっと嫌いになるのだから余計に疲れます。 「あのとき、ああ言って切り返してやれば良かった」だとか、 「なんで、ここまでして分かってくれないんだ」だとか、 自分自身に不甲斐なさを感じていたり、相手に対する期待が大きいと、悪口は言いたくなってしまうのだと思います。 悪口はある意味、後悔の念が生み出すものだと思います。 何かに付け、未練がましいところがあると、その様になってしまうのだと思います。 要するに、「人に認められたい気持ち」も「悪口」も、自分が優位にありたいという願望が生み出すものだと思います。 けれど、執着が過ぎると自分で自分を卑小にしてしまっているのと同じです。 大きく見られたいと望むのは決して悪いことではないと思うけれど、自分で自分を小さいと何処かで自覚していると、認めたくないという気持ちが働いてしまい、それを跳ねとばそうと自分が努力すればいいのに、その思いが相手に向かってしまうと悪口や仕返しという他罰行為になってしまうのだと思います。 それは惨めなことだし、悪口が達者になっても自分自身が成長するわけではないので、虚しい行為だと思います。 そして、人からの評価ばかり気に掛けていると、それはそれで主体性のない生き方だと思います。 ですから、貴方の場合は感情が希薄なのではなくて、人それぞれのあり方を尊重し、過干渉することなく、達観出来ていらっしゃるのだと思います。 自他の境界線を混同することなく生きていらっしゃるということでしょう。 「好き」とか「嫌い」と感じるとき、相手に自分と共通点を見つけて判断している人も多いと思います。 「波長が合うから好きになる」というのがありますが、私は自分が心地良いと感じることをさりげなく出来る人に対して感じます。 また、私が「嫌い」と思う相手はしつこい人が多いです。 自分でもしつこくなっているときは嫌な気持ちになっていることが多かったり、もしや、しつこくし過ぎて相手の気分を害しているのでは?と悩むことも多いので、しつこい人が嫌いなのだと思います。 それと、ふと思ったのですが、貴方は良い意味でも悪い意味でも自分と似た部分を持った人と出会ったことがあまりないのかもしれませんね。 今の時代、便利になった分、過干渉と無関心が増えた感があります。 貴方は、干渉好きな人から見ると無関心で冷淡な人の様に映るかもしれないけれど、それは、過干渉な人がそう思うだけで、人から干渉されるのが嫌いな人は貴方のような人に好感を持つと思います。 けれど、干渉好きじゃない人は、あっさりしているので自分のことをあまり深く話さないし、人のこともあれこれ聞かないですよね。 だから、干渉好きじゃない人同士で話しても、お互い好感を持っていても気が付きにくいと思います。 何かの拍子で話し込む機会を持てると、すごく気が合うのではないかと思いますが、お互いが自分を全面に押し出すタイプではないので、あまりそういった機会には恵まれにくいかもしれないですね。 でも、本当に波長が合う人とは、無理せずとも楽しく話せるし、無理に相手を縛ろうとか考えないものだと思います。 だから、お互いが自然体でいられるのだと思います。 自分を見失うぐらい相手を好きになってしまったら、不自然なので、関係は長続きしないと思います。 それは、その人自身を好きになったのではなくて、その人を好きな自分が好きなのであって、恋に恋した状態だと思います。 ご質問を読んでいて好感を持てたのは、貴方からは見栄や嫉妬のようなドロドロした感情が感じられない上、気配りが心地良く感じられたからです。 好感という気持ちも不思議なもので、相手と共通点を見つけて感じることも多いのですが、自分がそうありたいと思うものを持つ人に対して抱くこともあります。 貴方は貴方のままで良いと思います。 貴方には、自分がしっかりあるから、簡単に人を嫌いにならないのだと思います。 ――だって、人がどうこう言ったとて、貴方という人の本質が変わるわけではないですからね。 人が悪く言ったから、貴方の価値が下がるなどと言うことはないんですよね。本当の貴方は貴方の中にいるのだから、相手に悪意を感じても自分の中にに取り込まなければ良いんですものね。 貴方は、それが出来ているから、人を殊更嫌ったりしないのだと思います。 それに、もし貴方が相手を嫌って悪く言ったとしても、その人が変わろうという気持ちがなければ変わらないでしょうし、どうしてその様に言われたのか悩んだり、貴方を分かりたいという気持ちがなければ、やはり変わろうとは思わないと思います。 それが分かっているから、貴方は嫌いな人にあれこれ働きかけようと思わないのだと思います。 貴方は、自分も他人もどちらの気持ちも尊重出来るので、無理に変えようとは思わないのだと思います。 それに、言葉の受け止め方は人それぞれ違うのですから、同じ環境にいても同じ人にはならないんですよね。 持って生まれた本質は、どの様な環境にあろうと残るものだと思います。 そして、失われたと思っていても、何処かに残っているものだと思います。 それが、元々その人に備わっている自分らしさだと思います。 あなたは、その人その人の人格を重んじていらっしゃるのだと思います。 もしかすると、いつもの自分と違う行為を取らせてしまう相手が、貴方にとっての好きな人であったり嫌いな人であったりするのかもしれませんね。 どちらにしろ、自分にとってインパクトのある人と出会ったことがないだけかもしれないですよ。 世の中いろんな人がいますから、会ったことのない人に出会って初めて、自分のまだ知らなかった一面に気が付くことがあります。 出会いの場が少ないと、本当の自分は中々見えてこないものです。 サークルや習い事など何か活動の場を広げると、これまで気が付かなかった自分の感情を知る機会を持つこともあるかもしれませんね。 こういったサイトでの出会いも良いけれど、やはり対面した上での出会いの方が、温度が分かって良いと思います。

hamaki1978
質問者

お礼

長文ありがとうございます。 お礼が遅れまして申し訳ございません、何度も何度も熟読させていただきました。 温かいながらも、鋭い見解も合わさった大人の視点で見てくださり――― アイデンティティというものが曖昧な私ながらも、ほんのちょっぴり前に進む勇気が出ました。 「私は私でいいのかな」だなんて気持ちがスッと楽になったんです。 だって、此処まで深く掘り下げて考えてくださる方に初めてお会いできましたから。 そう、そんな感じなんです! と何度画面の前で頷きましたことか(笑) 何も信じたくないわけじゃない。 でも期待をすることが怖くて諦めてきました。 何も欲しくなかったわけじゃない。 でもあまりに手に入らなさ過ぎて、あまりに現実が厳しすぎて欲しがることを止めてしまいました。 何とか未来を変えたくて。 何とか人を変えたくて。 必死こいて歩きまわって、なのに何も変わらなくて。 こんなちっぽけな私じゃとても手が届かなくそのうち打ちひしがれては蹲って自分から感情を閉ざして行ったんだと思います。 清廉潔白と書いてくださってましたが私はそんな人間じゃないんです。 つい最近まで醜い嫉妬や僻みに悩まされていた社会人でした。 私はそれが無い事で何時も憎しみや劣等感に苛まれていました。 それぐらいとてもとても欲しかったものがありました。 誰もが持っているものなのに、ただ何も特別なことじゃないのに、 ただ私は「家族」が欲しかったです。 私はただ何にも怯えずに、何にもおそれずに普通にご飯を食べて普通に寝れる環境が欲しかっただけなんです。なのに全然手を伸ばしても、この両手はあまりに小さすぎて、 掴む機会すらも失って。 もう何が言いたいんだかわからないんですね。 それでもある日気がつきました。 「私にはソレは必要ないから、見合うだけの力がまだ無いから手元にないのだと」 そう思えて漸く嫉妬に勝てました。 劣等感にも勝てました。 だから今は大丈夫です。 少し周りから言われて混乱してトピを立ててしまいましたが、もう大丈夫です。 えへへ、現実での出会いをだから私はいっぱい探してみるようにします。 世界を広げること。 何より大切なことを教えてくれて本当にありがとうございました。 あまりに拙い日本語でもない乱文でごめんなさい。

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