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過去は水に流すという価値観は一体どこへ?

済んだ過去は水に流すという価値観・考えが日本にはあると聞きましたが、 あまり実感することはありません。 現代では見られないのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

[あまり実感することはありません。 現代では見られないのでしょうか。] そんなことはないですよ。みんな水に流してますよ。 割りと気づかない人も多いですが、それはある意味いいことでしょうね。流してる側から見ればノー天気の御仁とあきらめてるだけでしょうね。実感することが少ない人は、周りが水に流しているかもしれないという客観的な観点で見直してみるのもいいですね。 例えば、いじめっ子はいじめていることにさえ気づかないということがたくさんありますからね。いじめられたと感じた殆どの子はそのことを水に流しているのですね。どの社会でも同じようなことたくさんありますね。内向的な日本では特におおいんじゃないかな。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 現代でもあるのですね。 周りが流してくれたなども含めて、一度過去を振り返るようにするとよさそうですね。

その他の回答 (9)

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.10

こんにちは! 他の方のアドバイスがあまりにすてきで読みふけっていました。 それで、僕は少し抽象的な仕組みで思うことがあるので書いてみました。 すてきな過去を水に流すとは言わないので、やなことの話ですよね? となると、下の方もかかれてますが、禊ぎや、キリスト教の懺悔の仕組みをちょっと考えてるのでいいます。 これは一つの極論だと断っておきます。 悪かったことをはっきり表明するー政治で引退するのも、懺悔で告白するのも、そう表に出すことは、その本音を見てる人にとっては、自分自身のこととして共感されます。 ただたとえば悪いことをした人がいる、というなら反発しますが、その事情を聞いたり、心底からの改心を感じたりすると、それは他人事ではなくなります。 人の本音は、人間によって共通になっているので、共通感ー自他同一感などが働くと、要するに悪いことをした人のことが他人事として感じられなくなることを持って、悪という感覚は消えます。 人の心の仕組みがそうあるので、それを生かした儀式ー禊ぎや懺悔などが成り立っています。 もっと広い意味で、謝罪ーごめんなさいして許してもらう、という単純なことも、謝ることで、人として共感できて、その結果、気持ちから悪を指摘するものがなくなります。それで結果的に許しになります。 許す側の視点から見て、水に流してやろう、と思う感じるときも、「そいつのことを」みたいな気持ちが事前に働きます。つまり、ただの悪人犯人から、身近な人への、その把握感覚が変化します。知らない他人から、共感できる人へと、その人物が変化することで、悪をとがめる気持ちが消滅します。 ・・こんな説明は、役に立ちますか?まとはずれだったらごめんなさい。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 こんにちは。 ええ。素敵な思い出などではなく、嫌なこと、揉め事、ケンカなどです。 説明が足りなくてすいません。 共感というわけですか。 確かにそれはあるかもしれませんね。 多くの人間はそこまで駄目でも優秀でもないだろうから、 かつては自分もこんな風に迷惑かけたなあ、 もしかしたらそのうち自分も、 明日は自分が同じ事をしているかも、 同じこと友達にやられたよ、 たまにあることさ、 自分と同じような境遇だ、 というところがあるのかもしれませんね。 参考になりました。

noname#88701
noname#88701
回答No.9

価値観というより直接の実感そのものだと思います。 時間が全てを解決する、という事でしょう。 過去は消えなくても、今は今・・という感じなのです。 お互いの心にわだかまりがあっても、時の移り変わりと共に冷静に見つめられるようになるものです。 この感覚は一度でも、人にたいして強い憎しみを持った人でなければ分からないかもしれません。 人によっては、水に流せない人も多いと思います。 価値観という見方からすれば、心の包容力の価値という事になるのでしょうが 私はそれよりも、時の移り変わりのなせる業、だと思うのが実感です。 人間誰しも簡単には感情を消す、などというのは出来ないものです。 ですが、 自分では変えられなくても、時間が自分を変えてくれるのです。 いつのまにか自分が過去の自分ではなくなっている、そんな感じです。 また、相手の人も同様です。 時を隔ててそのような人と相対した時に、その過去の時間とそれからの時間を感じます。 過去は水に流す、というのは 水の流れに喩えて、誰も逆らう事の出来ない時の移り変わりの重みを言っているようにも聞こえます。 また、同じ時間に生きて、同じような苦しみを味わっている者同士の共通した心がある、とも言っているようにも聞こえます。 水に流す体験など無いに越したことはありません。 でも数知れぬほどの人が味わっている事も確かなのだと思うのです。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 時間が解決する、ですね。そういえばそう言う事あります。 今は怒っていても、時間が立てば冷静になるだろうとか。 時の流れは大きいですね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

私なりの解釈では、、、、 水は浄化する作用がある。 呪わば穴二つ。 呪った側もただでは済まされず、呪った後も呪われた人同等に災いを浴びる。 起きてしまったことにづっと恨み抱いていた場合、恨まれた人も辛いし、恨んでいる人も辛い。 過去の出来事を水に流し無害化した場合、呪った側も呪われた側も健康を取り戻す。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8A <禊> 『神道や仏教で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。』 ・現代でよく使われる例 『現代では犯罪を犯した政治家等が、一定の立候補中止期間(冷却期間)を置く事の意味にも使われるようになっている。または、冷却期間を置いた後に再び立候補した選挙を禊と位置付け、当選すれば「禊は済ませた」というようにも使われる。』 他の例だと、過去に歌手が麻薬で捕まったとします。 水に流した人は、いい曲だと思えば、「でも あの歌手は麻薬所持で過去につかまったことがあるから、応援しない」とならない。 水に流していない人は、過去を持ち出して、「どうしてヒットするだよ 犯罪者を応援するな」と言う。 水に流さず呪い続けることで、自分も病むわけですね。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 禊(みそぎ)という事ですか。 恨んでいる人も辛い。そうかもしれませんね。

回答No.7

 人と人、この限られた陸地。  この中で、逃げ隠れしないで日々死ぬまで生きていく。  時にはそのことは水に流そう、ということが無い限り、どうやって、生きていけますか。互いにかかわりあっていけますか。  生きること、かかわりあうことを避けることのできないこの地上で。  実感しょうがしまいが、そのようにせざるを得ないのが、日本の人生ですよ。  みなそうしてきたし、そうする羽目になっていくものです。  万全で人は生きていかれませんからね。  それにしても、同時にまた一方で、雨降って地固まる、というように、そういう過去の経緯があって、反ってよい結果と経緯を生んでいく場合もあり、不幸にして、流した過去が再燃するということもある。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 世の中、完璧な人なんていませんものね。交流が出来なくなりますね。 揉めたり喧嘩したり。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.6

「それはもう、水に流そう」と言って、気持ちを切り替える努力をするのは被害者側ですよ。 もし周囲や加害者側からそれを期待するのなら、傲慢というものです。 加害者が深い傷を負ったのなら、そう言ってもらえるまで懸命に償うのが筋です。 そもそも深い憎しみは消しにくいものだから、被害者側を慰める言葉として存在する「水に流す」ですからね。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに、事件などやられたほうにしか分からないことですね。 簡単に痛みを忘れることが出来ると言うならとっくにしている。 そういうのは別にして、友達との喧嘩など忘れても良いんじゃないかなあ思う事例がいくつもありまして(OKwaveの恋愛・人生相談などでも)。 部外者だから思えることかもしれませんが。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

人間と生まれて来て、失敗に悔やまない人は皆無でしょう。でも殆どの方は「まっ、いいか」と、「過去を水に流して」いるから、挫折せずに生きていられるのですね。 この発想は日本人だけの専売特許ではありません。最近、アメリカのオバマ大統領が、息子ブッシュ元大統領とその一派のチェイニーやライス等の戦争犯罪に関する調査をするつもりがあるのかを聞かれたとき、「誰も法の上に立つ者はいない。しかし(と、ここで声を大きくして)、我々は、過去に向いているよりも、前を見ていなくてはならない」と言っていました。こんなのは、「過去は水に流す」の典型ではないでしょうか。けっこう皆、過去を水に流しているようです。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。他の国も同様ですか。 人生は後悔の連続なのですよね。如何にして前を向くかですね。 (過去の失敗を教訓と出来ないなどとなると困りますけど)

noname#194289
noname#194289
回答No.4

被害者加害者という観点からすると加害者が実は被害者であったというようなことがあるのではないでしょうか。中国における日本(軍)のふるまいも、たどっていくと鎖国をしていた日本が開国を強要されたことに行きつきます。立場や観方で結構逆転することもあるということではないでしょうか。子供のころインディアンの逆襲などという物語りをずいぶん読みましたが、今考えてみれば侵入してきた白人が加害者だったことは明白ですが、現在こんなことは誰も考えていないと思います。水に流すというより水のように流されるというような感じです。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 結構、単純なものではない事がありますよね。

回答No.3

質問者さんの質問文を読むと、私は今までいろいろなところで多くの失敗をしてきましたが、そのいろいろなところで、その失敗をおおめに見てもらってきたことが、いかにたくさんあったかと、今、改めて思いました。 周りの人には寛容であるべきですね。感謝! こちらに危害を加えてくる相手に対しては話は別ですが。。。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 沢山ありましたか。私も人に対して寛大でありたいと思います。 危害があるなら駄目ですね。問題を起こしたほうの反省があってこその許しです。

  • sanserif
  • ベストアンサー率25% (2/8)
回答No.1

流してもらうための努力はしましたか?

noname#97419
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 勿論、悪かったところ、次からはどうするべきかを分析し、謝るようにしています。 私以外の人の話でも、それはもう忘れてあげて良いんじゃないかなと感じることがあります。

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