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キリスト教の異端・改革派・異教への弾圧・迫害について

arayata333の回答

回答No.1

私は無知ですが(その点がいろいろ恥ずかしくなる時がありますが。)、高校生の時の世界史の知識からは、  キリスト教の弾圧とか迫害については、魔女狩りとかいろいろなプロテスタントとの対立とか あるいや十字軍のことぐらいは、そういったことがあったようだ、ぐらいにしか解らないところ、 そこから考えれば、 現代の各説のキリスト教徒どうしの争いは、 弾圧とか迫害のようなものからは遠いのではないかと思えます。 実際には、高校生程度の知識では知ることのできない、隠された醜い史実とかもたくさんあるのでしょうが、   わたしは知りません。 もし、 キリストは神か人間か?などという感じの説の違いで争っているとかいうことならば、 それは哲学が介入して争いの馬鹿馬鹿しさを訴えることの出きる地点なのではと思います。 お互い、そんなことで、弾圧とか迫害をしあってるならば、馬鹿馬鹿しいというよりあきれてしまいますし、 これは哲学者やキリスト者がなんとしても止めなければならない事態なのではないでしょうか。 遠い過去に、踊りやその絵や歌などのもっとも純粋な表現ジャンルがキリスト教会(カトリック)によって抑圧され それがルネッサンスの時代に開放された形となっていますが、 その抑圧自体は もう過去のものととらえていいことだと思うところです。 理解が深まれば 自然に消えてゆくことです。  人間が人間を裁くことはその限りは必要の無いことと思っています。 問題は 理解が浅いからそれらの問題が起こってきたのだし、いまだに問題点が多々あったりするということです。 キリスト教などの一神教の自己解体ということでならば、 私も以前から同じ考えがありました。 《尊いのは、たった一枚の葉っぱの方が バチカンや教会の集いよりはるかかなたに尊い存在なのに、 あるいは新約聖書から言えば「野のユリ」のほうがはるかに尊いのに(というより ほんとうは大自然は無限に尊い)、そしてキリストはそのことを主張したのに、   その贈り物よりも、その組織を尊んでいる姿は、  私たちの脳には いらないことだ。》という意味合いでのことです。 ですが、これも よく考えてみたら《「野のユリ」への感性が育っていないあるいは阻害されてる文明の渦中》にては、 無理からぬこととも思えてきてしまっています。 それに 西洋ではそれはなじみの文化として人の心の奥にまで入り込んでいます。  いきなり解体するのではなくて、 教育も含めてこの情報化時代に市民の力でむしろキリスト教の深い意味合いを進化させることからはじめる必要があるのではないでしょうか? 理解さへ深まれば 異端とか改革とか異教とかの分裂自体、馬鹿馬鹿しくなりますし、  いわゆる権力はもう必要ないという自覚が たとえばバチカンにしたって哲学者の集まりの可能性のある人たちですから 必然的に生まれてくるのではないでしょうか? blagelone様の 気持ちの中には、もっともその責任の大きな立場の人がその逆をやってきてしまった責任の大きさを問いたい気持ちがあるのでしょうが、   それこそ、これはキリストが意識もうろうとした中で語ったことばであるだろう「 その罪は赦されてる。 それはあなたはそれを知らないからだ」 という十字架上でのその言葉の意味合いを受け取るべきところかと思います。 私自身、 知らないで後から どれだけその人をきづ付けてしまったかという行為におもいあたることがけっこうありますし、 その時点では罪の意識も無かったりしたこともありますし、   今から考えると未熟というより 信じられないようなことを自分自身が いとも簡単に、  しでかしてしまってたりします。 このとき、意識もうろうとした中でのキリストのあの言葉は おちこむ私にそれでも前に向かって進めという 進んでいいんだよというプラスの志向性を与えてくれはげましてくれます。 これはキリストがファリサイ派でしたか、その司祭たちにムチを持って怒ったという事と  一緒に出来ない事態と考えているわけです。 彼(キリスト)にとっては、 その勤めの神聖さ、そのお祭りの神聖さは無限であるわけです。 そのような踊りを踊れる主であるキリストだからこそ、模範としておそらく演技ではなくて、ほんとうに怒ってみせたのだと思うのです。 私たち凡人が 凡人を裁くとか 赦さないというのは、哲学の道、知性のあり方ではないのではないかと思うのです。 教会の自己解体を 私も、今でも理想と考えています。  でも、それは理解を通じてです。    その理解を急ぐべき時というのならば、私は急進派ですので大賛成なのですが…。 一説によると、バチカンはマフィアや、ポルノの世界と、自らの安泰のためにひそかにつるんでいる とのこと。   でもこれ自体、ほんとうに新約聖書のキリストが言っていることを理解したら、その両泥沼にも、蓮の花を咲かせることが出きることではないですか。 マフィアを解体させ、ポルノの中から不浄をなくし(セックス自体は野のユリ以上の尊い贈りもの、あるいはその可能性を宿している贈り物、一夫一婦制の重みを否定しているのではないですが、 その気づきが中途半端ではポルノを変えることはできない)(ポルノを無くすことは意味無いし、無理。 方向はすばらしいその意味合いをまずは文だけであったとしても もっともっと語ること)ていくことが必要な時であるということなのですが、  おそらく それには、司祭なら「あなたの罪を赦された」という資格があるのか?といったあたりの 罪の問題の哲学の浅さとか、 不浄とはという哲学の浅さがくずれないと、 その改革は無理でしょう。 でも、その理解が生まれたなら、 逆にキリスト者がそれを実現できないとは、これも私には考えられないことなのですが…。 マフィアだって、やくざだって、神にとっては、私たちと同じに無限の尊い命なんですから…。  娼婦だってもちろん同じことですから…。

noname#80116
質問者

補足

 arayata333さん ご回答をありがとうございます。  この質問の趣旨をあらためて確認させてください。  1.キリスト教つまり ローマ教会およびそれに挑発されたプロテスタント諸教会は 人の血を流し過ぎたと思われます。その重大性について 事例を交えて おしえて欲しい。  2.現在すでに おおむね 反省して あらたなあやまちを繰り返すことも少ないと思いますが 過去の清算をきちんと終えたとも思えないものがある。単純にですが 自己解体し二百年の謹慎をもって つぐなうとよいと思われる。  3. 以上について 認識のあやまりがあれば 正しつつ ご見解をおしえてください。  こうなっています。  寄せていただいたご回答は   ★☆ 方向において賛成し その実行の仕方において しかるべき扱いをおこなっていくべきだ。  ☆ となりましょうか。まづ  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  一説によると、バチカンはマフィアや、ポルノの世界と、自らの安泰のためにひそかにつるんでいる とのこと。   でもこれ自体、ほんとうに新約聖書のキリストが言っていることを理解したら、その両泥沼にも、蓮の花を咲かせることが出きることではないですか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これについては なんとも分かりません。分かりませんし 仮定として論じるのも なんとも 気が進まないです。いまのところ 保留とさせていただけますか?  一番の問題は わたしたちが 自己解体を迫るといったときに どういう立ち場に立って どういう態度で臨んでいるのか になるでしょうか。  ★▼ (ルカ23:34) そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」  ☆ この言葉とその考え方を応用することは出来るかも知れませんが この今取り上げている教会の悪事については もっと単純であると考えられませんか?  要するに 血を流すことを平気でやったわけです。人殺しです。《異端者・改革と言う名の反逆だと思った者・そして未信徒(異教徒)》であるなら 殺してもよいという意識は ありありだったのではないでしょうか?――《遺憾に思う。ごめんなさい》で つぐないが済むかどうか なのですが。  《赦す・赦さない》の議論は ここでは 省略させていただきます。《つぐない》の問題だけとして扱うという意味です。しかも横から つぐないが足りないのではないかと強引に叫ぶ恰好のそれです。  と言いますか つぐないを迫るより先に 赦すことをしなさいという意味でしょうか? 《赦さない》という立ち場を取らずとも――そして 《赦す》という立ち場でもないのですが―― 《つぐないを迫る》ことは出来ると思うのですが?  これで だいたい お応えできたかと思うのですが? というのも 相互理解の問題や哲学の出番といった捉え方もあるにはあるのですが ともかく ここでは 《血を流しすぎた――それの清算は 済んだか》 このような過去の一事にのみ しぼっています。いかがでしょう?

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