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喉自慢(NHK)は、日本の誇る文化の一つ?

noname#91067の回答

noname#91067
noname#91067
回答No.5

お久しぶりです~。お世話になりに回答してみます。 独自の(発想、表現)と模倣と偽造は関係があります。 一致ではなく相違という。 だからその痕跡について語る価値も生まれるし、自分に何が出来て何が出来ないということも学べる。 日本もそうやって文化の発展を遂げてたのですし、今じゃ追われる立場になって偽造され他の文化に消化されてきてますよね。 接収→消化(再構築)→淘汰→排泄 これも日本にある独自であり、世界でも共有していることなだけだと思います。

arayata333
質問者

お礼

ほんとにお久しぶりですね。 「十字架に接吻」への 今度は回答の方も急ぎ書いてみたいとおもいます。 今 私自身が、すこし悩んでいたり 迷っていたりもします。 こんな時には そちらの思索と文の深さは 魂まで励まされる思いがします。 いつも ありがとうございます。 言葉から文章の奥を 真剣に考える謙虚な言葉への姿勢を持っていてほんとによかったと思います(^^) そうでなければ、 そちらの詩心にも気がつかなかったと思いますし、  まして哲学的な理解の深さにもきがつかなかったでしょう。( 誉めてるのか けなしてるのか よく解らない文章より^^)。 ふたたび お会いできてうれしいです。 ありがとうございました。

arayata333
質問者

補足

久しぶりです。 ご回答ありがとうございます。 私のブログを 変な検索で(^^)発見してしまったのにはびっくりしました。 でも そのブログは、 ちょっとした病気以後、体力とかの問題で続けられなくなってしまっています。  (こちらへの コメントとかが遅くなっている理由の一つでのあるところです。) なんとか再開したいのですが、今のところまだ無理のようです。 こちらへの参加一本にしぼっています。 ほんとに久しぶりですね。  どうしていられるか気になっていたところです。  お元気そうですね(^^)。 ご回答ですが、 さすがアランの勉強を勉強された方のご回答だと思いました。 文章は 哲学的な「謎」を追う文章ですと、やはり今一解りにくさはありますが、  この文章ですと、意味合いの深さはかなり読み取れます。 以前はなかなか大変でした。(あの…、 ついバラしてしまいましたが^^)。 以前の文でもなんとかかんとか 意味合いの深さは読み取れ、それで??と驚いてしまったのですが、 今回はストレートに よく解ります。 でも あとでちょっとそのへんはアドバイスしてみたいことがあります。 それはともかく、 そちらの言いたい内容は、  独自性ある表現や発想の世界も、模倣から入ってそこに到達する場合もあるし、模倣が全く無い独自性というものはないわけだし、  そのへんをさらに考えると、偽造的な いっけんいい加減な表現の世界でさへ 創造性の過程としての痕跡を持っているものであり、 それを総合的に分析したり考えたり語ったりする価値がある世界だ。   その総合的な全体の中でこそ、自分の人生での道、今何が出来て何が出来ないかをも学びつつ進んでゆけるのだから。 という大きな含みのあるお考えが まず、一本ずしっとした重みで語られているのが解ります。 日本の文化を考えてゆくにも、その大きな流れを見失ってはだめだということですよね。   まさに >接収→消化(再構築)→淘汰→排泄<の流れを 大きな度量と眼力で見直すならば、  「喉自慢」の文化も 独自の文化としての価値の世界が見えてくるものだし、 それが世界にも共有されている文化というものの総合的な見方の世界だ。   というふうに意味が通じてきます。 アランというフランスの教育家であり哲学者の方も、そこまで大きく感性や表現の世界の教育の世界を見据えたかたなのでしょうか。 改革すべきことは改革すべきだと私は思っています。 しかし真の改革にはこうしたスケールの大きさ、視野の広さが必要なのだと、あらためて考えさせられました。 さすがですね。 ありがとうございました。 *  ただ、 哲学的な思索と関わる文章については、 そちらの場合は、おそらくですがエスプリの効いたフランスの哲学の日本での翻訳ものとかだけを読んでいても、  せっかくのそちらの深い理解力を その文章に生かせないだろうと思います。 多読こそ文章上達の最高の道と言っても、 フランスの頓知の世界の翻訳なのですから、言い回しが普通の文章の創造性の世界とは違ってきてしまうと思います。 mikoーdesi様は、「プルクワ(フランス語で「謎」のことのようです。)」を追いかける哲学的姿勢も おそらくアランから学んでいます。 姿勢も 理解力もそのへん深い哲学向きの女性なのに、  惜しいですよね。 多読といっても、 随筆や評論ですと、アランをこれだけ理解し頭の中で消化できている人にとっては物足りないものも多いでしょうが、 ここで言うわかりやすい物語というのは文字通り 頭を使わないでも楽しめるような小説とかなのですが、  いままでは、 これはおもしろいな と思ったようなものはありますか? 詩なら そちらは生きられた感動する心の動きをそのまな素直に文にすることが出来るmikoーdesi様は 天才みたいなものです。 そして其の詩心の世界は 普通の散文とか手紙コメントにてはすでに、文章の味わいの世界として生きています。  詩だけでなく すばらしいものがすでに文章の中に生まれているわけです。 それならば、いつか哲学の頓知の世界にも それがゆとりと創造性自在性のあるエスプリとユーモアの世界へと進化してゆけるはずです。 mikoーdesi様ならです。 淘汰→排泄    其の地点の独自な哲学者の貴女でありますように♪ 淘汰→排泄   その日を目指して♪

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