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死を意識して生活することについて

noname#97062の回答

noname#97062
noname#97062
回答No.13

貴方は、苦しいのではないでしょうか > 私は毎日「今日死んでも後悔しない様に」と思いながら生きています。 この言葉だけですと、とても勇気のある前向きな感じですが 読み進ませていただきますと、不安に怯えている貴方を感じました もしかしたら貴方は「死」が怖くて、こだわってしまっているのでは ないでしょうか 太陽を直視できないように、死も直視できないと思います 「がん」を例にお話しますと、末期がんの方のためにホスピスという 病院があります、余命があと少しという方のために痛みを薬剤で 緩和したり、精神的な支えをして差し上げたりしているようです 万一死が身近に訪れたとしたら、私なら、医師に助けて頂きます ホスピスは日本中で増えていますが、通常の病院(ホスピタル)でも 同様なことは医師の判断で可能でしょう がんという病気は意識が混濁しない傾向のある病気です 痛みをあまり感じない方もかなりいらっしゃるようです もし痛みが強い場合は鎮痛剤に始まってモルヒネも使用するそうです それ以外の病気で死に至る場合は、たいてい意識が混濁して、苦痛を 感じない場合も多いようです もちろん死という一大事に遭遇しているのですから様々な想いや 苦痛もあるでしょうけれど人間の身体は不思議なもので苦痛や恐怖に 直面すると、人体では 「アドレナリン」が放出され「興奮」したり 「セロトニン」が放出されて「安定」したり 「ドーパミン」が放出されて「爽快」になったり 「エンドルフィン」が放出されて「快感」になったり、するそうです 「ドーパミン」は脳内覚醒剤とも言われ 「エンドルフィン」は脳内麻薬と言われるほど効くのだそうです つまり私達の人体は様々なことに適応できる不思議なものらしいです ですから安心して死を忘れて楽しいことをしたり考えてはどうですか もしできないなら心療内科や精神科に相談されてはいかがでしょう

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なんだか具体的なご説明を頂いて少し気持ちが楽になった気がします。 そうなんですか。 人間の脳はそんなに不思議な働きをしてくれるものなんですね。 少し安心しました。 ありがとうございました。

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