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無意識と‘「記憶を司る脳領域」の作用’との違い?

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.5

無意識とは意識していないってことですよね。 例えば待ち合わせをして、その喫茶店に行ったとします。 待ち合わせの人が見当たらないので、とにかく席について相手を待ったとします。 相手がやってきて「喫茶店に入ったとき、まず何を認識した」と聞かれ「あなたがいないことを認識した」と答えたとしましょう。 ちょっとおかしいですよね。  いない つまり 無である状態を認識したって。 この人にとっては目的の相手がまだ来ていないということを意識したわけです。 他は意識していない。まるで待ち合わせの人以外この世に存在しないかのような状態。 で、喫茶店を出て、どんな客がいたかと聞かれた場合。 何人かは答えられますよね。 意識をして見てはいないと思ったら、意識はしていないが、無意識で他の客を見ており、無意識に記憶しているので、答えられるわけです。 考えてみれば、段差があっても無意識に乗り越えていますし、机にぶつからないよう 無意識に避けてテーブルについています。 たまにあるのですが、車で走っていて「あれ? 今日は一度も信号でひかっからなかった?」と思うことがあるんですね。 ありえない。 急いでいるときは、信号でひっかかる度に「信号多すぎ 流れを考えて信号機つけてくれなきゃ 全部の信号機にひっかかって これじゃ 間に合わない」と思える。 信号機を意識しているので、「黄色になるなよーー」と全部の信号機を意識しているわけです。 そのようにすごく沢山信号機があるルートなのに、一度も信号機で止まったという記憶が無い状態。 信号無視をしたら、横から出てくる車にぶつかっているはずで、ぶつからなくてもひやりとして「赤だった」とか思うはずです。 それすら記憶が無いことから、恐らく無意識に赤信号を認識し、筋肉を動かしブレーキを踏み、ちゃんと前の車にぶつからないよう車間距離を開けて止まっているはずです。 ただ、急いでいるときと違い、意識を向けていないので、つまり 無意識にやってしまっているので、強い記憶として残っていないので、信号で止まったという記憶が蘇らないだけ。 人間の脳はパソコンに似ていて、大脳がハードディスクで、海馬はメモリの部分で、側頭葉あたりは、ハードディスクのスワップ領域じゃないかと思うんですね。 外部から入ってきた情報と、大脳からの情報を、海馬にどーんと載せ、処理している。 で、眠っているときは、デフラグが起こって、あまり頻繁に使わなくなった記憶は奥の方にしまわれる。 強い刺激が無いと海馬までなかなか蘇らせることはできないが、関連があると引っ張り出される。 ひっぱりだされて海馬に乗っかり、寝ているとき、もしくは脳が省エネモードになっているとき、デフラグが起こり、大脳の上の方に移動する。 でも、長期間呼び出されないと、デフラグ時に「あまり使っていない」として奥に移動させられる。 だから、試験勉強をするとき、奥の方にしまわれてしまわないよう、一度覚えたと思ったことも、再度呼び出す作業をして、試験の時「えーっと なんだっけなー」と大脳の奥に入ってしまった記憶を引っ張り出す時間がかからないようしておく。 ただ、人間は無意識を使うことで、脳というかCPUが熱を持たないようにしていると思えるんですね。 今必要じゃない情報まで呼び出してしまうと、海馬でうまく処理できず、再現がへんてこりんになってしまう。 疲れていると脳の処理がうまくいかないので、思い出せなかったり、変な記憶が海馬に乗っかり、混乱して思考がまとまらなくなる。 ということで、睡眠は大事だと思うんですね。 大脳に記憶を移動しないと、海馬の部分が混雑しちゃうので。 ある人は40年間くらいの記憶がぽっこり抜けてしまいました。 大脳には残っていると思うのですが、そこにアクセスする回路が雪崩でふさがってしまったように通行止めになっているので、40年前から今までの記憶が無く、自分は20代だと思っており、40年前のことが昨日のこととしてしか認識できない。 今は西暦何年かを言っても信じない。 新聞を持ってきて日付を確認してもらっても、「おもしろいジョークだ からかうなよ」としか言わない。 そして倒れてから初めて鏡を見せると、「誰なんだ どうなっているんだ。」って驚いた。 40年前のカーテンの色は昨日のことのように覚えているのに、そっから先の記憶が蘇らない。 人は記憶の連続の中に生きているわけで、その人にとっては昨日は40年前。 脳科学は20世紀になってから本格的に始まりました。 戦争で科学兵器を使い出して、それで外見はダメージがないのに、精神病のような行動を取るようになり、戦争によるPTSDだろうと最初は考えられた。 原因は戦場で浴びた科学薬品により、脳に可塑化が起こってしまったから。 海馬に関しては http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E9%A6%AC%E2%80%95%E8%84%B3%E3%81%AF%E7%96%B2%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%A0%E8%B0%B7-%E8%A3%95%E4%BA%8C/dp/4101183147 が参考になるかもしれません。 他に http://www.amazon.co.jp/%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F%E8%84%B3-%E3%83%96%E3%83%AB-%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B1%A0%E8%B0%B7-%E8%A3%95%E4%BA%8C/dp/4062575388/ref=pd_sim_b_title_2 もわかりやすく読めました。 他にはオリバー・サックスのシリーズが参考になります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 脳関連の臨床例です。 異例を調べることで、逆にその部分はどういう働きをするのかがわかってくるわけです。 どの本も興味深いですよ。 空想の物語じゃなく、本当にあった事例と分析、研究なので。

arayata333
質問者

補足

とある「状況下」にて月に一冊の本も買えない状態が続いています。 年寄りの場合とくにそういう状況は日本にも起こりうるようになってきましたね。私だけでなく‥。 で、 ともかく そんな本は喉から手が出そうに欲しいですし、それどころかその著者と いろいろ話したいです。 こんなに丁寧に わかりやすく物事を表現してくださるkigurumiさんとも、もっともっとお話したいです(笑)。 コンピューターやロボットの構造を例にすると、こんなその面苦手な私でもわかりやすいですよね。  こちらからは そのへんから再質問させていただきます。 興味が湧きましたら是非再回答してください。 おねがいします。 疲れ方は、人間とロボットやPCでは、脳のそれにしても違いますよね。 似たリズムもあるかもしれないので、その詳しい違いというのもテーマとなるかもしれませんが、 それは私のほうがお手上げとなってしまうところですので(超ネット音痴)、 ともかく人間の疲れの因の話からいきます。 当然 生物の脳を持っているというのが答えであるわけですが、これって人間の脳が生物の本能もまだ脳としても持ってるということですよね この動物の本能が、どう無意識を形作っているかというふうに、もう一度考えてみてください。 人間の場合も この生きぬく本能の衝動に、それを見つめ自由に思索できる脳でありつつやはり支配され、また助けられてる部分ってたくさんありそうです。 この本能の部分も無意識ですよね。   ただ、この人間の場合、このへんの無意識が言葉を獲得した変わりに「文明人」ほどひねくれてもくるんです。ここに大きな問題があると思います。 これ自体 抽象的な言い方ですが、言葉には価値があると同時に、知性の混乱も引き起こし、混乱による大きな問題も生み出したことからの反価値も生まれてしまったんです。 コンピューターやPCの「脳構造」の中には 生きる必死さがありません。 快も苦もなく その深みも記号としてしか認識しません。 まずその簡単な動物の本能のよすがからして無いわけです。 無生物ですからあたりまえですけどね。 そのそれらしい設定はロボットやPCにできますか?  猫の命の真似とかならできそうですか?   そのへんどう思いますか?   むかし黒い野良猫のボスがどす黒い目で私を睨みました。 ちょうどえさがあっったので ついあげてしまいました。 そのうちによってくるようになり ついつい、えさをあげる癖がついてしまいました。 野良猫なのに 自分に余裕が無いのに、ずっと飼えるわけでもないのに と ある時心を鬼にして もうえさをやらないことにしました。 ちょうど雨の降ってる寒い日でした。 なんとその黒はビッコを引いて現れました。 でも私はその場に出会わせてしまってやっぱりえさになるものを持ってましたが がんとしてえさをやりませんでした。 と、なんと、 え     なんと、 えええええええ その黒猫の目が 少女のよううな目でキラキラ輝きだしたんです。 ほんとです。 そして、こっちを見ます。 そのまま ずっっとです。  ずううううっっとです。 何時間も   ほんとです。何時間も 別人になった黒猫がそこにいました。 別猫ですけど(笑)。    でも私は 私は   こんどは 興味本位からいつまでやつは いやこの子はそうしてるんだろうと 動けなかったんですが   えさ  やりませんでした。もう鬼になりきっていました。   そのうちに泣きそうになりましたが 鬼になってしまっていました。     何時間もすぎてからです。 クルっと黒猫は 雨の中に 出て、 出て行きました。  ゆっくりビッコを引きながら、 かなしそーーーに。     そう設定できますよねロボットの猫にも、            ほんとですか? これが あたなに次に質問したくなったことなんですが。 いや、ほんとの必死さは設定できませんね。  そうです。 ナメクジが一生懸命生きたから 私たちがいます。 ハイエナがサバンナを生き抜いたから私達がいます。 猪がトラと戦って怯ませて追い返し それでも最後は食べられてしまったから      そんなすごい命の連鎖があったから こうして私もあたなもここに生きています。  そんな生物の頂点の苦悩やその涙を ロボットやPCは ほんとうには設定できません。 でもその根源を理解してるかぎり、私たちはたぶん、自在にPCもロボットもどこまでも自由に設定していいんです。 黒猫の その俳優ぶりのお人形ロボットを作るとしてkigurumiさんは、どんな猫の海馬のメモリ設定をしますか? 以上です。     こんな新しい質問を呼び起こしてくださってアリガトウございます。 ほんとに アリガトウございます。

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