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自我意識とは記憶が作り出すものなのでしょうか?
ヒトだけが持つと言われる「自分」という概念、 すなわち自我同一意識(アイデンティティ)は、 記憶を源泉として成り立っているものなのでしょうか? *** 私は自分の過去が記憶でしかないことに気がつきました。 自身の一秒前の行動と二十年前の行動を振り返ると、 両者では記憶の“鮮度”が異なります。 しかし両者とも、自分が行った無意識の動作を、 記憶を頼りとして客観的に認識していることに 所詮変わりはありません。 そして、自分の過去が真実なのか否かについては、 他人の証言や物証を自身の記憶と照合する以外には 確かめようがないことにも気がつきました。 仮に途中で自身の過去についての記憶が 何らかの事故で変容していたとしても、 自分一人だけではそれに気がつく由もありません。 自身という認識は記憶に過ぎないのでしょうか? また、冒頭の話題との関連で、 もう一つ派生的に記憶についての疑問が湧きました。 精神的トラウマが原因で多重人格になった人は、 互いに他の人格でいる時の記憶がありません。 その一方で、コトバを話したり字を読んだなどの 後天的学習により習得した基本的能力の一部については、 大抵どの人格であっても発揮できるようです。 母語については後天的に習得するものとはいえ、 無意識的行動をつかさどる領域に まるで本能のように刷り込まれるためなのでしょうか?
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>母語については後天的に習得するものとはいえ、無意識的行動をつかさどる領域にまるで本能のように刷り込まれるためなのでしょうか? これは、脳の各部分が違った役割を持っているからです。言語の発音や理解する領域と、人格をつかさどる前頭葉とは別ですし、記憶する領域も違います。 http://www.slg.ne.jp/contents/h8/h8_4_2.html
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- ga111
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自信はありませんが、自我意識は記憶が作り出すものとは必ずしもいえないと思います。記憶ができないひとでも、自我意識がある例があったと思います。以下も参照。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3737756.html >鏡に写った姿が自分であると認識することを「鏡像認知」といいます。人間の子供で概ね一歳半から二歳、動物ではチンパンー、オランウータン、イルカなど賢い動物で確認されています。そして、ちょうど一年ぐらい前のことですが、アメリカの研究グループが象にも鏡像認知ができたと発表しました。この新聞記事を読んだときにはさすがに驚きましたね。 実験の方法は主に「マーク課題」というもので、被験者(動物の顔)に色(マーク・ペイント)を塗って鏡を見せます。そして、汚れているのが自分の顔だと気付き、拭う、触るなどの行動が見られるならば鏡像認知は成立ということになります。では、象はいったいどうやって自分の顔を拭ったのでしょうか、やっぱり鼻ですかねえ。
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記憶の総計そのものとは別に自我意識というものがあるかどうかということになると思います。言葉を用いないでよみがえる記憶というものが自我意識に近いようにも思います。ただその記憶をほかの人に話す目的で言葉にしようとするとそれは自我意識ではなくいわゆる記憶になってしまうように思うのかもしれません。つまり記憶も個体発生と同じようにはじめは言葉以前の記憶(案外モノゴコオロガツクという言い方に相当するのかもしれません)が自我意識の本体で成人して言葉で自我意識と表現するようになると自我意識も逆に記憶のひとつになるのかもしれません。ところが自我意識とはどういうものかを言葉によって説明できないことが結構本質的なことかなと思いました。個体発生は系統発生を繰り返すという生物学では有名な原則があります。まさに言葉以前の記憶だから言葉によって説明できないのではないかと思いました。この原則は脳の発達にも適用できると思いますが、自我意識と記憶の関係をご指摘いただいて大変勉強になりました。
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ご回答どうもありがとうございました。
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ご解説ありがとうございました。