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恐ろしいほどの自由

nabayoshの回答

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.6

>例えば、事故で今日から一生車椅子の生活になる。自分の子供が不慮の事故で亡くなる、その時、なぜと問わずにいられるでしょうか。その時、これは人生の自由の一部であり当たり前だ、と言えるでしょうか。サルトルさんはそれが出来たのでしょうか。 サルトルさんがどうだったかは知りませんし、知ったこっちゃありません。 当たり前だ、と私は言えます。 だって、人間、いつ災難に遭うかわかりません。 可能性としては最初から起こりうることなんです。 起こりうることに対して「なぜ」と問うてみたところで、まともな答のあろうはずがありません。 せいぜい自分を慰めるための言い訳を思いつくだけであり、そんなのは本当の答でもなんでもありません。 最初からそういう災難は「起こりうること」であった。起こったとしても文句は言えない(文句を言うのは自由だが虚しいだけ)。 ところが、多くの人は、災難を体験していないうちは、災難など「起こりえないこと」であると勘違いしています。そして実際災難が起こると「起こりえないことが起こった」などと勘違いを改めずに主張します。はじめから起こりうることに対して不満を持ったって仕方ありませんよ。「起こりうる」ことを「起こりえない」ことに変えることは事実上ほとんど不可能ですから。 少なくとも私は、なぜと問うことはしません。 >因果や意味を相手にしないのではなく、相手にしなくても問題ないかもしれない かもしれないじゃなくて、問題ありません。 因果や意味が散らばっている、「でもそんなの関係ねえ!!」です。 私は恐れません。 まあ、私のような人間は少数派でしょうけどね。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問してもいいでしょうか。 心理的に因果から開放されている今の状態で至福感のようなものは感じますか。

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