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恐ろしいほどの自由

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.11

質問を読んだとき、私もサルトルの「人は自由という刑に処されている」というのを思い浮かびました。 同時にもう一つ別の物語が思い浮かび、そっちの方が頭から離れませんでした。 本当にあったことなのかわからないですが、こんな話を聞いたことがあります。 戦時中の話で、戦争が過酷になり、上野動物園(違うかもしれません)の動物にエサを上げることができなくなった。 飼育係はある象に芸をさせていたが、もうエサを挙げられないのを悲しんだ。 その飼育係が象の檻の前に来ると、象は必死に後ろ足で立ち上がり芸をしたのだそうです。 象にあげる食料はない。 それでも象は、後ろ足で立ち上がり万歳をする。 立てなくなるまで、芸をしたそうです。 飼育係りの人は、その象の姿を見て涙したそうです。 象といえばアフリカの大草原で群れをなし、大地によって生かされた動物 というのを連想します。 一日中食料を求めて移動する。 でも、上野動物園は、芸をしようとしまいと、人間に檻という中に入れられ、生かされていた。 象を外に出しても生きていけない。 アフリカの象と動物園の象、両方とも生きるために食べる ということは一緒だし、人間だってそう。 人間だって、食べるために芸をする。 家庭という檻、学校という檻、会社という檻、社会という檻。 その中で芸をする。 芸をしなくても、食べ物は出されるし、芸をみがくことで、より多くの食べ物を得られる場合もある。 どの学問を学んでもいい自由があるし、どの仕事についてもいい自由がある。 人間は自由だ。 でも、食べるために(生きるために)が根底にある以上、恐ろしいほど自由でもなんでもない。 家庭を飛び出す自由、学校をやめる自由、仕事をやめる自由があるが、その檻を飛び出したところで、別の檻に自ら入ってしまう。 生きるため。食べ物を確保するため。 入るしかない。 そういう人ばかりじゃありませんが、ほとんどが自ら檻に入っていく。 中には今までいた檻から出て、山奥で暮らす人もいます。 自給自足。 食べたい時に食べ、寝たいときに寝て、気楽な自由か。 実際は朝から晩まで食料を確保し、安全な生活を確保するため、働いている。 一つの檻から出たのに、結局肉体という牢獄に入っている限り、自由は無いんですよね。 ユダの福音書では、イエスは肉体という牢獄から解放されるために、ユダに協力を仰いだとなっている。 私たちは自由だと錯覚しているんですね。 生きている限り、不自由であり続けるわけです。 じゃあ 自殺して開放されるか? できないですよね。 で、仏陀は生きながら仏になる ということで中道を説いたと思います。 気の持ち方次第で、肉体を持ちながら自由になれるってことらしいです。

shift-2007
質問者

お礼

自由とは何かが問われますね。 例えば、人を殺せないことは不自由でしょうか。 私たちはそのことに不自由を感じるでしょうか。 それとも殺さずに生きていけることが自由でしょうか。 私たちが意識している”檻”は実は私たち自身が作ったかもしれないとしたらどうでしょうか。檻には不自由がありますが、ゾウと同じように安定した生活があるのではないでしょうか。 故に私たちは檻から出ようとしないのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

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