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動物愛護について

tyr134の回答

  • tyr134
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回答No.3

動物愛護は難しい問題ですね。 以下に、この問題について常々私が考えている事を纏めてみたいと思います。 人が他の動物を『搾取』するのは、二つのタイプがあると思います。 第一は、『食物連鎖』による『搾取』 第二が、『経済活動』による『搾取』です。 第一の『搾取』は、人が動物である以上逃れられない運命でしょう。 サプリメントや栄養補助食品など、人口的な食品も市場に溢れている昨今ですが、あれとて植物由来や動物由来の成分が原料となってるはずです。 『食物連鎖』による『搾取』は、人が生きる上でどうしても必要なことです。 しかし、だからといって他の動物が絶滅するまで『搾取』するのは正当化されるのか? 此は『否』でしょうね。 自然の『食物連鎖』は上手くできていて、特定の地域においてどれか特定の動物だけが数を増やしすぎると、こんどはその動物自身が数を減らし数を調整します。つまり、バランスを保つのです。 人間は『知恵』という『武器』を身につけたお陰で、『食物連鎖』の頂点には立ちました。 しかし、同時に失ったのがこのバランス感覚でしょうね。 そしてその原因が、第二の『経済活動』による『搾取』です。 『経済活動』は、ほぼ人間のみが行う独特の活動です。(すくなくとも、私は他の動物が「経済活動」をするというのを聞いたことも見たこともありません) 私は『経済活動』の有無が、文明の有無だと思っています。 貨幣経済のみでなく物々交換レベルから『経済活動』であると思います。 さて、この『経済活動』によって我々は生活圏を拡大してきました。 そして、それと共に『経済活動』による『搾取』も拡大しました。 この『経済活動』による『搾取』にも3種類あって、『食物連鎖』、『嗜好品』『生活上の必要性』です。 『食物連鎖』は食べるために捕るのですが、これも経済ベースに乗ると過剰に捕る事になる。なぜなら、売るために捕る事に変るから。 昨今メディアを賑わせているマグロ問題なんかは、良い例でしょうね。 あれとても、中国やヨーロッパでの日本食ブームによって普段はマグロを口にしない人々も食べるようになった(=売れるようになった)から捕るようになった。 『嗜好品』としての『搾取』は、象牙とか毛皮など、食べると言うよりも美術的価値から経済ベースに乗る場合ですね。 これとても、人間に不必要なモノではない。 何故なら、人は『美術・芸能・文化』活動を行う動物だから。 どんなに否定しようとしても、この活動から逃れることは出来ない。 そして、これらの活動を通して社会活動を円滑に行っている。 決して無駄な活動ではなく、必要な活動です。 しかし、その反面、やはり経済ベースに乗ることで過剰『搾取』がおこなわれてしまう。 『生活上の必要』は、宅地開発やダム開発など人国建造物を造ることによる自然環境の破壊、それに伴う他の動物の住処の減少ですね。 これも、『経済活動』とは無縁ではない。 そして、生活する上で住居の問題や安心して暮らせるインフラの問題は、切実な問題です。 人は自然の脅威から逃れるために、都市を生み出しました。 そしてなるべく自然をコントロールして、被害を最小限にしようと努力を重ねてきました。 しかし、その結果として自然を破壊する事にもなってしまった。 自分たちを守るはずが、他の動物を巻き込んでの自然破壊によって自分たちの首を絞める結果になっている。 なんとなく、皮肉な状況が生まれていますね。 『経済活動』は、どれも人が生きる上で必要な活動です。 社会学にこんな説があります。 「50年代以降の米国による『大量生産・大量消費社会』の創出は、戦争を回避するために生まれた。」 『経済』は『好況』と『不況』を繰り返すのが運命です。 第二次世界大戦までは『不況』が起こると、その解決を「戦争」に頼っていた。 それを裏付けるように、戦争と「好不景気」サイクルとが一致する。 しかし、戦争は国を疲弊させる事になる。 景気が良くなっても、国力低下は否めない。 そこで戦争に頼らないシステムとして『大量生産・大量消費』によって経済サイクルを回そうとした。 その結果、第二次世界大戦以降は大規模な戦争は起こっていない。 朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争と小規模な戦争は起こっても、米国にとって国家を挙げての総力戦になるような戦争は起こってない。 何故なら、『大量生産・大量消費』システムによって経済サイクルを回すことが出来るから。 そして、平和という人にとっても自然にとっても貴重な財産を長く保有する事が出来るから。 以上、少し脱線してしまいましたが、『経済活動』という人間の基本的活動と『動物の搾取』は密接に関係していると思います。 そして、これこそが質問者様のいう人間中心の思考なのかもしれません。 しかし、『経済活動』と『動物の搾取』を考える動きは、国際的に成されていると思います。 それは、なんとかピースのような一部の動物愛護団体のような、ある種宗教的活動ではなく、『経済活動』と『自然』との間のバランスを取るような動きです。 例えば、マグロの漁獲量の国際的な制限などですね。 もっとも、政治的な思惑が絡むために多くの問題を含んではいますが。 少なくとも宗教的な信念から盲目的になるよりは、建設的な動きだと思います。

hatokamome
質問者

お礼

社会学のお話大変参考になりました。自分なりに出来ることを少しずつしていきたいと思います。ありがとうございました。

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