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いじめる側が100%悪いとしたら・・・

大雑把かもしれませんが、3つにイジメを分類して、 1)身体的特徴もしくは環境等、平均値からズレがあるもの 背が低い、吃音、斜視、音痴、学力、または、片親、貧困、親の職業など。 2)ゲーム的な要素が起因するもの イジメが習慣になっており、昨日までイジメていた者が、今日からはイジメの対象となる。またはその逆 3)一般常識から外れた行動が引き金となるもの 密告、陰口、嘘つき、不潔、裏切りなど この場合1)2)は「いじめる側が100%悪い」と断じて問題ないんでしょうが、3)の場合はどう思われますか? 当然、だからといって、よってたかってイジメてもいいはずないですが、何でもかんでも「いじめる側が100%悪い」と言い放って解決に近づくとも思えません。誤解を恐れずに言ってしまえば、「いじめる側が100%悪い」とすれば「イジメられたことにより、イジメの対象となった原因すら免責される」的な状況すらありえるように思います。 イジメ問題がこれだけ取り沙汰される現状において、良識派?はイジメをなくすのに必死な感じは理解できるのですが、どうも現場と温度差がありすぎる気がしてなりません。 「自殺をする前に近くの大人に相談して」なんてフレーズは「真剣に言ってんの?」ってな感じです。(少なくとも学校には担任も副担任も校長も保健の先生だっているし、親だって親戚だってオマワリさんだって大人なんていくらだっているのに) 「足を踏んでいる者に、足を踏まれている者の気持ちは解らない」 確かにそうですが、足を踏んでいる者に相手の気持ちを理解しろって言ったって理解しないから現状があるわけで、印象批判的ではないでしょうか? もっと実証的に決して正攻法ではないですが、「足を踏まれている者に、足を踏んでいる者の気持ちは解らない」といった視点で、予防策を講じるような考えはないんでしょうか?

みんなの回答

回答No.16

いじめはいじめる方が悪いのは当然ということから始めるとしても、いじめの原因は大抵の場合は双方にあるのです。 仮にそれがいじめられる側が変えようがない事柄でも原因は原因です。 悪い側に全ての原因があるというのは論理的には無理あり、悪くない側にも原因は存在するはずです。 話を変えると青信号を道路を横断していて信号無視をした車に轢かれました。 もちろん悪いのは信号無視をした車です。 ただ、もし青信号で道路を横断するときでも左右を確認していれば車に轢かれなくて済んだかもしれません。また、その道が信号無視する車の多いことを知っていて少し歩いて歩道橋を渡れば事故に逢いません。 もちろん、信号無視をする車を無くすことを忘れてはいけないのは当然ですが、それと並行して被害者になりうることを避ける方法も考えるべきだと思っています。 話をいじめに戻すと、すべての子供が無作為にいじめにあっているのでしょうか? 仮に背が低いことでいじめられている子がいたとしても、周りで背の低くてもいじめられていない子はいないのでしょうか? もしいたのであれば、その二人に何らかの違いがあるのではないでしょうか?その原因究明をすればどうすればいじめられない子になるかがわかるはずです。 これまた、いじめる子を無くしていく事がすごく重要であることは当然のことです。

de-niro3
質問者

お礼

同感です。同感なんですが、「イジメ側が100%悪い」としておかないと、反感を買い、批判される結果になる風潮にあるって強く認識しておくべきなんでしょうね。 信号無視の例になぞると、「100%信号無視した車が悪い」として、その他の事柄については一切触れない方が良い。被害者側の視点で、「自衛、予防ができるのでは?」などと語ると、=「加害者擁護」と結びつけられがちですね。 この状況において「結果に対する正論のみ」を語り、正論が故、自己陶酔し「解決に向かうだろう」と推測し、成り行きを傍観する態度で本当に良いのか、未だに疑問です。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.15

> は正反対なのですが、1970年代~2006年とするか、1990年代~2006年とするかといったスパンの問題でしょうか。 むしろ、1970年代あたりから、明らかに「いじめる側が100%悪くは無い」という論調に傾いていったといえます。 言い方を変えるなら、19070年代までは、「いじめはいじめるほうが100%悪い」という意見も少々はあったのですが、その後、そのような意見はマスコミ等でもどんどん駆逐されてゆき、「いじめる子もまた被害者」というのが、呪文のように繰り返されるようになりました。この論調は1990年代にピークに達したと、私は考えています。 「昔もイジメはあったけど、昨今のような陰湿なものでなかった」というのは、私の聞く限り、1940~50年代くらいの話です。70年代くらいまで、その雰囲気は残っていたのかもしれませんが、(地方によりずれているようですが。)いじめの陰湿化というのは、私が「現役」だった、1980年代にはすでに言われていました。そして、その教育現場を構成する教師たちこそ、「いじめられる側にも原因がある」などと、繰り返し言っていたのです。 あなた自身おっしゃっているように、「『イジメは悪だ、恥ずかしい行為だ』と教育すること」が、何より大事であるはずなのですが、現在はいまだに「いじめられるほうにも原因がある」とか「いじめる側もまた被害者」「いじめが起こるのは社会がひずんでいるためで、いじめている子達は悪くない」などなど、「いじめっ子擁護論」は、まだまだ根強いものがあります。 先日ラジオで指摘されていたのが、「いじめではなく『いじり』」ということで、近年、バラエティ番組と称する番組の一部では、「いじり」と称して、特定のタレントを多数で笑いの種にすることがごく当たり前のように行われています。そして、「いじめ」の現場でも、いじめている側は「いじって」いるだけで、「いじめている」わけではない、むしろ、親愛の表現だ、などと、平然と言うわけです。 > 加害者の殆どが「イジメに対する罪悪感がない」とは想像しがたいです。 というのが、どのようなデータに基づくものかはわかりませんが、「実証的に」考えるのであれば、その根拠をよく洗ってみるべきでしょう。 あえてもう一度言うのであれば、本当に「実証的に」考えると、どうしても全く違う結論にたどり着きます。さらに言うなら、「足を踏んでいる」ことにすら気づいていない人たちや、「足を乗せているだけだ」という人たちにどう対処してゆくのか、というのも大きな課題です。 そういったことを踏まえて、「いじめる側が100%悪い」という意見が最近出てきているということは、十分に理解してください。

de-niro3
質問者

お礼

私の論調では「イジメは100%加害側児童、生徒が悪いとは言い難い」といったものです。(不毛な反論を避けるため 1)2)は除くと注釈を入れさせてください)当然、質問内容に、その時点で「期待する回答」はありました。 その後、ある意味「期待する回答」に反するanachronism様のご回答をいただいた中で、私の自説、持論に欠落していた部分に気がついた部分は多々あります。 私としては 混乱を避けるため 1)2)3)と分類しましたが、子供にはこの分類が理解しがたいのかもしれない。(現に思わしき回答あり)←を踏まえて考えれば、「いじめる側が100%悪い。とは言い切れない」とした上で進行すると、いじめた側が「そう!今回のイジメは『100%』と言い切れない残りのパーセンテージの中で行われたもので、むしろ当然の制裁」といった短絡的結論を誘発する危険性はあります。 さらに、「ケースバイケース」を語ると「俺のいじめは、『いじめて良いケース』」と恣意的に解釈しかねません。(幼稚な子供っぽい短絡思考ですが、被害者、加害者共、子供ですからね) 上記より、指導する側としては、「いじめる側が100%悪い」として問題はなさそうですね。 しかしそうした中でも、なお、自衛、予防は必要ですし、過失割合10:0で被害者全面勝訴と言い得たところでどうなのか?リスク回避的な視点を削ぎはしないか?といった疑問は残ります。 3)はイジメられる原因となりやすいと伝え、改善する努力をしたところで、マイナスなファクターを無くすだけのことですから。 まぁ、「イジメられるからやめる」と理解するより、「悪いことだからやめる」と理解したほうが良いに決まって召すが、この現状(イジメ自殺0件から14件に訂正といった)を考えたら・・・。 再度の、ご回答ありがとうございます。

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  • mambo_no5
  • ベストアンサー率22% (51/231)
回答No.14

1)いじめる側が100%悪いのか 2)いじめを減らすためにはいかにすればよいか は、関連はありますが別個の問題として論じる方がよろしいかと。 質問では、『100%悪いのか』と言いつつ主眼は『いじめをなくすためにどのようにすればよいか』だと感じましたがいかがでしょう。 それに対し回答は『100%』にこだわりすぎているような。 --- いじめられる側の要素が、いじめた側の責任を多少なりとも免責するのかどうかは、程度の問題かと私は思っています。 ただ、仮にいじめた側が100%悪いからと言って、『被害者だから何の義務もありません』は間違いだと思います。 いじめられる原因を自ら取り除けるのであれば、『自分に非は皆無』でも、いじめを防止、軽減するよう努力しなければならないと思います。 いじめもいじめられもしていない人ですら、いじめ問題を何とかしようと思っているのですから。

de-niro3
質問者

お礼

>質問では、『100%悪いのか』と言いつつ主眼は『いじめをなくすためにどのようにすればよいか』だと感じましたがいかがでしょう。 まぁ、そのとおりです。今日イジメが起こっても、明日イジメによる自殺者が出ても、現時点で「イジメた側が100%悪い」と言っておくことは出来るし、特別、それに異論はないどころかその正論を語ったことに酔いしれていたい。 しかしそのとき現在想定できる原因に対し「無策」だったなぁ、などと思ったって後の祭りです。 昨今の報道を見ていると、やたら結果についてセンセーショナルに書き立てるばかりで、原因についてあまり語られていないように感じ、質問してみたのです。(私もセンセーショナルなタイトルで質問してるんでマスコミ報道と同じ手法ですが) 100%と書いたことについて、「質問者よ、3)についてお前は何%と思っているんだ?」と聞かれたところで実際明確には解答できません。ただ「100%加害者が悪い」として論じると「被害者または、被害者の視点で考える状況において、原因に着眼することが困難になりはしないか?」と思ったわけです。(過失ゼロと最初から演繹的結論があるなら、「どうしてこうなったんだろう?」など考察すること自体無意味です) #13様同様、mambo_no5様、軌道修正の助言いただけることは、大変ありがたく感謝いたします。 1)いじめる側が100%悪いのか2)いじめを減らすためにはいかにすればよいか を同一線上で捉えるのは無理がありますね。別問題とすべきですね。 アドバイスありがとうございます。

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回答No.13

一連の回答及びお礼を読ませて頂きました。 また失礼ながらde-niro3さんの他スレの回答も読みました。 ここで回答する方々はほぼ苛められたもしくはそれに同等する経験・記憶を有する方と勝手ながら推測します。 de-niro3さんは極限すれば世渡り上手というか悠々自適の人生を闊歩してきた有能者と感じます。 被害者側の視点でしか考えを構築できない回答者と、文部大臣並みの視点でしか意見を述べられない質問者が話し合えば溝が出来るのは当然です。 質問・回答の場が言葉尻の議論攻撃の場になりそうな傾向を察知してるなら 自ら丸くなったらどうですか? それが大人ってもんですよ。

de-niro3
質問者

お礼

>de-niro3さんは極限(原文ママ)すれば世渡り上手というか悠々自適の人生を闊歩してきた有能者と感じます。 私の人物像ですが、ほぼ外れています。まぁアイロニーと受け止め、自戒いたします。 >文部大臣並みの視点でしか意見を述べられない質問者 文部大臣並みと例えられたのが、やや疑問です。こんな暴論と判断されそうなこと文部大臣が発言するだろうか?(毒にも薬にもならないような、当たり外れのない発言をするイメージがあるので) >自ら丸くなったらどうですか?それが大人ってもんですよ。 おっしゃる通りですね。反省いたします。 アドバイスありがとうございます。

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回答No.12

No7です。 質問されたので回答します。 >質問文は「嫌われて当然、注意されて当然=いじめて当然」といった主張を書き込んだつもりは全くありませんが、拡大解釈されても仕方ないでしょうかでしょうか? 回答者様の主張は「いじめる側が100%悪いのはケースバイケース」ですね。 何を質問されてるのか判りません。何が言いたくて何を言ってるの? もう一度書きましょう。 勤務先に陰口、嘘つき、不潔、裏切りの同僚が居れば周りから嫌われて当たり前です。 注意されて当たり前です。ですがいじめられて当たり前ですか? 質問者様の3)のケースは知的障害者にも当てはまります。じゃあ知的障害者をいじめても100%悪くないですか? >1)の分類(身体的特徴・・・)としたので、知的障害の例示はしませんでしたが、それにより、「知的障害者をいじめても100%悪くない」にまで飛躍してもやむを得ない程の質問文でしょうか? そうゆう風に読めます。 質問者様の認識で知的障害者いじめは=100%ですか。 ↓ではこれはどう思いますか? 人間関係やコミュニケーション不足・未発達の人間をいじめても100%悪くないですか? 小学生の頃から家に引きこもっていた知り合いが、もろ該当します。 目上の人への話し方とか他人への思いやりとか嘘への罪悪感とか一般人に比べて未発達です。 ですがその人は知的障害ではありません。

de-niro3
質問者

お礼

学生さん?でしょうか。 >もう一度書きましょう。勤務先に陰口、嘘つき、不潔、裏切りの同僚が~~~注意されて当たり前です。ですがいじめられて当たり前ですか? 「仲良し仲間の昼休み的感覚」だったら、当事者間で話し合えばいいんでしょうが、経営者の立場なら、職場との関係を断たざるを得ないでしょう。それをイジメられたと解釈するか否かは、個人の感覚です。また経営者でなくとも、その方向に向かうべきでしょうね。 陰口程度は許容したとしても、「嘘つきの作った耐震構造計算書」を信じるのは問題だし、「不潔な者が作ったお菓子を、衛生的な設備環境下で作りました」として販売したら、いくら設備が整っていても不衛生だし、裏切り者の語る「決してあなたのご期待を裏切りません」なんて信用できません。 職場は「ビジネスマナー」や「その業種の技能」を学ぶ場であっても、「最低限の一般常識」を学ぶ場ではありません。いくら学力低下が問題視されている世の中であっても、義務教育を主軸とした人間関係の中で「最低限の一般常識」は身に付くはずです。 子供は一般常識を身につける成長過程です。そういったものを身に付け大人になっていくんです。だから常識がなくても容認する必要があります。 しかし、その過程を経て大人になるわけですから、大人も同様に捉えるのは問題外です。それを認めたらいつまでたっても大人にはなれませんね。 補足欄へ続く

de-niro3
質問者

補足

お礼欄からの続き(補足要求ではありません) >子供の善悪、中高生の善悪、社会人の善悪を別々に考えてはいけません。 幼ければ幼いほど責任能力はないものなので、悪事を働いた際、処罰の方法が異なります。一方、社会人は責任能力があると判断されるので、自動車免許も取れますし、銀行から融資等も受けられると同時に、事故を起こした場合、その責任は個人が負うことになります。(先生や親には頼れません) >そうゆう風に読めます。質問者様の認識で知的障害者いじめは=100%ですか。→もう一度補足要求欄の文末を熟読願います。(贅言を要す必要は無いと判断します。) >↓ではこれはどう思いますか? 人間関係やコミュニケーション不足・未発達の人間をいじめても100%悪くないですか?・・・・・その人は知的障害ではありません。 心的外傷によるものかも知れませんし、鬱病、対人恐怖症、自閉症等の可能性もあるのでなんともいえません。上記同様もう一度補足要求欄の文末を熟読後、ご判断ください。 再度、ご回答ありがとうございます。

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回答No.11

> 何でもかんでも「いじめる側が100%悪い」と言い放って解決に近づくとも思えません。 なぜでしょうか。 今までの「いじめ対策」というものこそ、「いじめる側もまた被害者」「いじめられる側にも原因がある」という前提で行われています。その結果、いじめはなくなるどころかどんどん集団化し、陰湿化しているのであって、そういうこれまでのパラダイムに対する反省と批判から、「いじめる側が100%悪い」という意見が出てきているのです。 実際、「いじめる側の意見」というのを聞いてみると、「いじめ」ということに対する罪悪感や、羞恥心というものがミジンも感じられないわけで、そういった現状を何とかしないといけないという、意見なのです。 実際、いじめられている子供が教師や親、その他の大人に相談できないのは、「いじめられている自分が悪いのかもしれない」「相談したら、逆に怒られるかもしれない」という恐怖感からです。そして、それは杞憂ではなく実際にそうでした。「いじめられるお前にも問題がある」「おまえがもっと強くならなきゃだめだ」「そんなのはいじめには入らない。」「いじめてもらえるだけまだ幸せだよ」これまでの教師は、そういう言葉でいじめられている子供をどんどん追い詰めていったのです。 あなたのいうところの「現場」というのは、これまで、そういういじめを醸成してきた「現場」であり、その現場を変えようという意見とは、当然、「温度差」があるでしょう。 「『足を踏まれている者に、足を踏んでいる者の気持ちは解らない』といった視点」なんて、それこそいじめの実態を知らない、観念論の意見でしかありません。「実証的に」考えれば、そんな意見はいじめを助長する以外の何者でもありません。

de-niro3
質問者

お礼

なるほど、ご指摘の「パラダイムの変換の経緯」については理解が及びませんでした。 >その他の大人に相談できないのは、「いじめられている自分が悪いのかもしれない」「相談したら、逆に怒られるかもしれない」という恐怖感からです。 これについても、日々周囲から全面否定されていたら、自分が否定されるのは、自分が悪く客観事実であるかのように錯覚してしまう状況も、想像に難くありません。 しかし、陰湿化していった経緯について、「昔もイジメはあったけど、昨今のような陰湿なものでなかった」といった意見はよく耳にするし、私自身、体感的にそう感じます。まぁ感覚的なことなので必ずしも正しい認識でないかもしれませんが、 >今までの「いじめ対策」というものこそ、「いじめる側もまた被害者」「いじめられる側にも原因がある」という前提で行われています。その結果、いじめはなくなるどころかどんどん集団化し、陰湿化しているのであって、 は正反対なのですが、1970年代~2006年とするか、1990年代~2006年とするかといったスパンの問題でしょうか。 私としてはなぜ「陰湿化したか?」考えたとき、#3の方もいっておられる通り「いい子じゃないとやっていけない」現状があり、「イジメを行っている事実は絶対知られてはならない」訳で、必然的にコッソリ、影で、陰湿にいじめる事になる。ような気がしてならないです。 >実際、「いじめる側の意見」というのを聞いてみると、「いじめ」ということに対する罪悪感や、羞恥心というものがミジンも感じられないわけで、 一部には上記のような、常識的な道徳心、倫理観の欠片もないような子もいると思いますが、その多くはモラトリアム特有の「自己正当化」「反抗心」のような気もします。たとえば14人のイジメ自殺者がいたとしたら、その5、6倍の直接的加害者と10倍以上の間接的関与者がいると思います。 いくら荒んだ世の中とはいえ、加害者の殆どが「イジメに対する罪悪感がない」とは想像しがたいです。 しかし、逆に加害者の認識が間違っているのが原因だとしたら、「イジメは悪だ、恥ずかしい行為だ」と教育することで、イジメは激減すると思います。 ご回答ありがとうございました。

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noname#23734
noname#23734
回答No.10

1)2)は「いじめる側が100%悪い」 3)「いじめられる側が100%悪い」 3)一般常識から外れた行動が引き金 陰口、嘘つき、不潔、いじめなど としたらどうでしょう。 3)に「密告」「裏切り」が入っているのは不都合だと思います。 密告 友人同士の悪事や、悪戯の犯人などを知らせることは「告げ口」程度に認識されることが多い。告発という言葉のもつ響きでは政治 に対する批判や、生活 に対する不満を口にする者を、治安 当局に通報 することを指すことが多い。 http://epedia.blog360.jp/%CC%A9%B9%F0 他人の行状などをこっそりと告げ知らせること。つげぐち。特に、ひそかに関係当局などに告発すること。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%AF%86%E5%91%8A&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=17674400 陰口 その人のいない所で、悪口を言うこと。また、その悪口。かげごと。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%99%B0%E5%8F%A3&stype=0&dtype=2 ”一般常識から外れた行為”をしている者を陰で批判する行為も含むとすると陰口も悪くないような・・ 批判だけならしていても意味がありませんから完全に良くないこととしても良いかも。 裏切り うらぎること。味方を捨てて敵方についたり、約束・信義・期待に背いたりすること。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%8A&stype=0&dtype=2 裏切りはケースバイケースで処理しないと大変なことになると思います。 約束・信義・期待が”一般常識から外れたもの”なら裏切りは”常識的な行動”。 逆なら”一般常識から外れた行動”。 ”一般常識から外れた行為”に加わっている者の密告を許すべきだと思います。 そんなことで、密告は、取りあえず”常識的な行動”とした方が良いと思います。 そして密告した者の保身は細心の注意を払うべきだと思います。 関係当局がしっかりしないと密告してもらえないかも・・・ こうするとイジメはできなくなるように感じますけどね。 最終的には、”モラル”の問題なんでしょうかね。 フジヤのニュースを見ているとそんな気もします。

de-niro3
質問者

お礼

「寸鉄、人を殺す」って言葉もありますからね。言葉のチョイスもカテゴライズも慎重に行わないといけませんね。 実際、#7、#12で不測の事態が発生してます。(苦笑) 含蓄のあるアドバイスありがとうございます。

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  • kapiroba
  • ベストアンサー率35% (12/34)
回答No.9

3)についてですね。 その「引き金になる行為」があったとして、「いじめで返す」という行為が間違っていると考えます。 例えば嘘をつかれまくる方は嫌ですよね。 でも、その人の間違った行動に対して注意するとか、関わりあわないようにするとか(シカトではなく)、そういう身の守り方があるものです。 子供のうちは、口下手だったり、身の振り方が下手だったりして、いじめという形になってしまうことは多々あるかとは思います。 だからと言って、親や教師が「仕方のないいじめ」として肯定してはいけません。 教育、躾のチャンスです。(言い方は悪いですが) まだいじめの根が深くならないうちに気付き、上記の方法(注意、係わり合いの工夫)を教えるべきなのです。 根の浅いうちに、繰り返し繰り返し、いたちごっこかもしれませんが、そういう「いじめ以外の対処法」を教えていく必要があると思います。 子供は心も成長過程。 間違ったことはあります。それを見逃さずに教育していくのが大人の役割です。 同時に、嘘つきなどの個人の性格についても、いじめの原因とは別の次元でその子の問題としてケアしていくべきですね。 いじめをなくすことは難しいかもしれませんが、新芽のうちに摘むことはできると思います。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」→いじめ、人格否定 「罪を憎んで人を憎まず」→その人に対する誠実な注意 自分自身も後者でありたいと思っています。

de-niro3
質問者

お礼

>まだいじめの根が深くならないうちに気付き、上記の方法(注意、係わり合いの工夫)を教えるべきなのです。 >いじめの原因とは別の次元でその子の問題としてケアしていくべきですね。 当たり前のことのようで、意外とそういった体制が整っていないんでしょうね。 ご回答ありがとうございます。

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  • animex
  • ベストアンサー率34% (30/88)
回答No.8

なんか死刑論争そのままですね。 死刑囚には大抵幼い頃の虐待などで~。 だから死刑までは行きすぎであって~。 と言う論争と同じです。 昔は死刑反対派が多数を占めてた気がします。 それと同様に、イジメもイジメられてる側が悪いと言われてました。 最近は死刑肯定派の頑張りもあり、社会では死刑賛成論が殆どのようです。 とにかく殺人したらなんでも死刑の流れです。 実際死刑判決も倍に増加しています。 同じくイジメも加害者側が何がなんでも悪い、と言うのが最近の流れ。 なので何を言っても加害者が100%悪い、と言う結論しか今は出なそうです。 まぁ正論なんですがね。 しかし対処法としては被害者側から取り組んでいかないと難しいと言うのが一つ。 いきなり加害者側へのアプローチはイジメの増加にも繋がりかねませんからね。 しかしその上で被害者が悪いと言う風潮を作ると、当事者である被害者が対処出来なくなるわけで、最低でも君は悪くないよ、と言う雰囲気作りをしとくべき。

de-niro3
質問者

お礼

死刑制度との比較については、割愛させていただきます。 >しかし対処法としては被害者側から取り組んでいかないと難しいと言うのが一つ 私もそういった切り口で見ていかざるを得ない状況にあって、それにあわせた対処が(正攻法でなくとも)必要かと感じます。 質問タイトルは「いじめる側が100%悪いとしたら・・・」としましたが、ステレオタイプのイジメ論でないことを示したかった為であり、比率が90%だろうと50%だろうと、おこなって良いイジメの存在の有無を聞いたわけでは、ないです。 ご回答ありがとうございます。

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回答No.7

>3)の場合はどう思われますか? いじめられる人間に原因があり、いじめ人間が100%悪い・・・これが私の持論です。 暴力や権力を利用して相手の身体・精神に苦痛を与える行為と 単に友達として付き合わない・仲良しグループに入れない行為は違います。 被害者の言動を無視するのと相手にしないのは違います。 子供の善悪、中高生の善悪、社会人の善悪を別々に考えてはいけません。 会社に陰口、嘘つき、不潔、裏切りの同僚が入れば周りから嫌われて当然です。 注意されて当然です。ですがいじめて当然ですか? 質問者様の3)のケースは知的障害者にも当てはまります。 じゃあ知的障害者をいじめても100%悪くないですか? 人間関係やコミュニケーション不足・未発達の人間をいじめても100%悪くないですか?

de-niro3
質問者

補足

私の文章構成力、要約力が劣っていることは認めたうえで、今後の参考にしたいので、回答いただいた文の中で、疑問符がついている箇所について、逆に質問したいのですが、 >会社に陰口、嘘つき、不潔、裏切りの同僚が入れば周りから嫌われて当然です。注意されて当然です。ですがいじめて当然ですか? 質問文は「嫌われて当然、注意されて当然=いじめて当然」といった主張を書き込んだつもりは全くありませんが、拡大解釈されても仕方ないでしょうかでしょうか? 質問者様の3)のケースは知的障害者にも当てはまります。じゃあ知的障害者をいじめても100%悪くないですか? 1)の分類(身体的特徴・・・)としたので、知的障害の例示はしませんでしたが、それにより、「知的障害者をいじめても100%悪くない」にまで飛躍してもやむを得ない程の質問文でしょうか? そこまで書かなくてもご理解いただけると思っておりましたが、念のため分類に注釈を加えます。1)2)は本人の努力では克服できないもの、しきれないもの。3)は本人の努力で改善可能なもの(改善としたのは、本来マイナスイメージなもの) 私は当然、知的障害は本人の努力不足が原因だとは思いませんし、実際そうではありません。

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    小学校低学年です。 幼児期に特定の一人からいじめの体験をし、入学後も続いておりました。 いじめとはいえ、幼い子のする事ですから、現代の中学生のような酷い内容ではありません。親も子供のことと軽く考えておりました。 しかし、1年前から心のケアが必要とされ治療を受けており、今でも一方的に周りを囲まれ主犯の子から蹴られるということがありました。 何度言っても学校側が子供同士のトラブル・お子さんを見ても問題ないと言われます。子供は、「仕返しが怖いので周りの大人にばれないように、平気な振りをしている。でも少ししょんぼりしているから、学校の先生ならきっと気づいてるよ。」と先生を信じてます。 新学年にあたり、子供のこういった内面のフォローを学校へ伝えておくべきかどうか悩み、担任へ尋ねましたが、子供の内面の問題は、「家庭で行うもの、子育ては親がするもの。」と言われました。 こちらの意図がちゃんと伝わらないまま、勝手に担任が解釈していたのがすぐに分かりましたが、担任は思い込みで理解してくれませんでした。 子供は、「蹴られても我慢する、もう慣れたから。蹴られても大丈夫なように、足やおなかを鍛える。泣くと仕返しがくる。先生に言うと仕返しがくる。誰かが大きな声で怒るとあの子に怒られている気がして、頭が働かなくなる、あの子ににらまれると足が震えてくる。」と言ってます。 どうしたらよいか、教えてください。

  • いじめを学校側が発見するのは無理ではないか?

    例えば中学校でいじめがあり、そのことが原因で生徒が自殺した場合、 学校(教員・教育委員会)にも責任はあるだろうが、 学校が発見できるだろうか?と考えると無理だと感じます。 ・教員の仕事量や1人当たりの生徒数、敷地面積から難しい。 ・いじめの関係があった場合、一番いじめ側といじめられ側に近い他の生徒が 見つけやすいと思うが、親や保護者に報告してくれない場合が多い。 ・親は親がゆえに自分の子のことに気付きにくいし、子も親に悩みを打ち明けにくい。 (子は親の前では良い子を演じたりする) ・学校(担任)が普段から子を気にかける方法を考えたとしても、 それは子ども同士の人間関係に大人が介入する行為でもあるので定期調査でしかなく、 本音を打ち明けるがどうかは疑問。 ・今の平教員は、社会経験豊かな人格者などではなく、コネで学校に採用された人間で しかも閉鎖された職場で、他業者・企業との横の付き合い駆け引きなど知らず、 先生先生と崇められているので、要するに純粋なボンボンやお嬢様が多く、 子どもの様子に敏感に気づく能力に期待できない。 というわけで、学校にも責任があると丸投げし、何かあった場合責めても これ以上変わらないだろうし、再発防止にもならないのではないかと思いますが、いかがでしょうか? ※ではどうすればいいか?ということまでは別の話で、今回は学校側が発見するのは無理ではないか?という質問です。

  • いじめをしてはいけない理由

    いじめを根絶したい、いじめはあってはならないという立場での質問です。 よく、「なぜいじめが起こるのか」という問いに対し、「いじめられる側にも原因があるから」という答えがくることがありますが、いかなる理由があろうともいじめはいけないことを私自身はわかります(理論的に分かると言うより人としての生き方としてわかるという感じです)。しかしこのことを本来いじめている者(ここでは中学生を対象としています)に言っても理解ができないことがあります。彼らは、相手(いじめられている者)がむかつくことをしてきたとか、暗いとかダサいからと言います。また、本来いじめをしていない傍観者的な立場の子も、その考えに同調しがちです。そこで、理詰めで「いじめをしてはいけない理由」を説明したいのですがどのような説明が一番わかりやすいでしょうか。

  • 保健の新しい単元として斜視及び斜位を学習するのは賛成or反対?

    保健の新しい単元として斜視及び斜位を学習するのは賛成or反対? 30代女性で斜視に悩んでいますが賛成です。理由は遠近感・立体感・距離感が掴みにくい。物が2重に見えることもある、目の位置がずれている事から、いじめの対象になりやすい、集合写真や卒業アルバムの正面写真などを撮られるのが苦手、球技や体育、高いところが苦手等、斜視は生まれつき、事故で発症することが多いと思います。相手から「どこ見てるの」とか「ロンパリ」などと言われていじめられ、ほとんどの人が斜視を理解できない人が多いと思います。斜視の特徴と理解と接し方が必要だと思います。 保健の新しい単元として斜視及び斜位を学習するのは賛成または反対ですか。 年齢、性別、意見などをお願いします。

  • 大人のいじめ問題。

    大人のいじめ問題。 大の大人がいじめをしている。 大人の集団での話です。 自分は最初はいじめられている側に付いていた。 なぜならいじめが嫌いで、自分がこのいじめは解決出来ると思っていた。 もう大人だからみなわかってくれるだろうといじめ対象の人Aをかばっていた。 かばうというのはみなAは気持ち悪いと言った。体の表面上の話ではなく内面の性格が悪いと1人が言い出して、その発端は彼女がいるかいじめているBが聞いてAは何を思ったのかいないのにいると答えたらしい。 でBは別人のCを使って聞カセに行ったらCにはいないと正直に答えたらしい。で、BはAは嘘つきだと言い出した。 Bはいじめられることを恐れていて、集団になったときにすぐにいじめ対象を作ろうと画策していた。で、弱そうなAにターゲットを絞っていじめ対象はAにしようと皆に言った。 大の大人ならそこで私はAに何もされてないから私は参加しないよと言うかと思ったら皆がAを叩くようになった。 当然暴力ではなく言葉だが。態度で無視したり。 私はAから何もされてないので集団も相手にしなかったら、Aは私を無視するようになった。私はAを救うために1人A側でもグループ側でもない中立に立ったのにまさかのAが私を無視する行動を取ってきた。 私はグループにも入れず、Aは私からも遠ざかり私とAは孤独になった。 助けてやろうと何もされてないのにいじめ側についた人をあんたらはいじめる理由がないと自分の気持ちを言ったら2人は確かに自分たちは何もされてないのにいじめていたと気付いてくれて私のグループは3人。Aは1人。私のグループの2人はいじめグループから離れてくれたが先のグループで洗脳されたらしくAは嫌いなままだったのでAとは話さないがいじめはしなかった。私はそれで満足だった。 でいじめグループは10人で10人でA1人を相変わらずいじめていた。 Aは何もしてないのに10人グループがAにちょっかいを掛けてAが切れて、またAがキチガイな行動をしていると言っていた。 私はいじめグループがちょっかいを掛けなければAは何もしない。Aはいじめグループがちょっかいを掛けてくるからAは大人なので耐えるがさすがにキレて反論する。大人として当たり前のことをして反論も言うだろう。でも私から見て正しい反論しているのだがアホな大人のいじめグループは未だにいじめている。 私はAが私にもいじめの危害が加えられないようにわざと私を遠ざけたのかと一時は思ったがそういう理由ではなく私が嫌いになったのかかばってた私すら捨てていったので、いじめグループが私に「あんなやつを助けても良いことなんてない」と言われたことの方が正しかったのが悔しいが実際に正確だった。 で、一旦向こうから離れてAはまた私にいじめられ続けながらいじめは続行中だがまた気が回復したのか私に寄ってきた。 助けてる最中に私からも遠ざかったので、助けていじめが無くなってもこの人は自然にいじめが無くなったのだと思って、私への恩など忘れるんだろうなと思って助けるのを辞めた。 最初は大人になった自分はいじめをなくせると思ったが、大の大人ですら大人のいじめを止めることが出来なかった。 大の大人が大人のいじめを止めらてないので中学生が中学生の同級生のいじめを止められるはずがないと思った。 いじめ経験を人生で2回したが、中学校のときと変わらず大人になっても止められなかった自分が情け無かった。

  • イジメは教師に解決できるのか?

    最近は、いじめを苦にした少年少女の自殺が相次いでおり、学校側の対応が 不十分だったと取りざたされていますが、教師が自分のクラスのイジメの 現状を把握したとして、どんな対応がとれるものなのでしょうか? 私は高校時代、いじめというか、ある種の差別を受けて心を痛めていた 時期がありました。しかし、このことを担任教師に話そうとは思いませんでした。所詮、自分のことをゴミのようにしか見ていないクラスメイトが、今更、自分のことを人間としてみてくれるとは思えず、担任教師にもなす術もないと思ったからです。 いじめでも、陰湿で差別を含むいじめというのは、もはやどんな教師にも 解決する無理だと、高校の三年を必至で我慢して過ごしました。 私は卒業して10年以上たった今でも、気持ちは同じです。 それとも、現場の教師にはいじめを解決する手段を何をお持ちなのでしょうか?

  • 娘の「いじめ」での登校拒否の解決のために

    前回にむすめの「いじめ」の件で質問した者です http://okwave.jp/qa/q6508795.html その後に娘は学校へ行っていません 学校の担任から休んで件で電話があり事実を話したところ 担任も気がついていたようです(それとなく、いじめがあったのでは・・・と言葉を濁していました) いじめの解決を図るとのことで月曜に私の家族と先生とで話をすることになっていますが ただ学校のクラスでは娘が休んだ理由を 担任が「親の用事で休んでいます」とクラス全体に嘘の発表をしたようです 考えによってはいじめが公に出るのを避ける発言とも思えます いじめていた女の子達は 他の子もいじめていますし特に精神障害の児童をからかっていることまで 他の生徒や親から知ることが出来ました また、学校では今も私の娘や私達家族の悪口を責任転換として言っているようです 来週の月曜日には話し合いをすることになっていますが どのようなことで話を進めたら良いでしょうか? いじめの解決と今後のいじめを出さないために 話合いをするのは当然として娘には納得にいく話合いでなければ 学校には行かせるつもりはありませんし 他のいじめられている精神障害の子の親や他のいじめられている 子にも解決の方法を取るべくその子達と親の意見も学校側には聞いてほしいと思っています 学校に行かないことでは 家庭としては損害が出るわけで(校費や給食費等) それらも損害であるし精神的な被害があると考えています それらも相手側には出してほしいとも思っています 行動すべき方法でのアドバイスがあれば教えて下さい

  • いじめる側の理由なんて後付け…それ本当ですか?

    イジメに関する意見の中に、「いじめる側の理由なんて後付け」つまり、イジメを正当化するためにあとから理由を考えてるんだ。 というものを見かけます。 しかし、どのようにしてそう確信したのでしょうか? 魔女狩りの異端審問のような野蛮なやり方ではなく現代的で公正な取調べの結果、容疑者がはっきりと、自分の行いはれっきとしたイジメであり理由は後付けであると認めたのでしょうか? 加害者の主張が二転三転していたからでしょうか? いじめる理由はどのようにして語られたのでしょう? 暴行や暴言といったイジメとともに語ったのでしょうか? 取調べの際に加害者(容疑者)が語ったのでしょうか? 通報を受けた親なり教師なりが取調べを行うなら、被害者の主張を聞いたり現場を目撃してから加害者側の言い分を耳にするんだから、被害者側に感情移入して加害者側の言い分は後付けと解釈しているのではないでしょうか? 他にもイジメ加害者(容疑者)の言い分が後手に回るケースはいくらでもあります。 どもり、口下手といった事情から、その場で言い分を主張できなかった。 イジメ(きつい口調の注意や距離を取るといった対応をイジメと解釈するケースも含む)をする前に問題点ははっきりと指摘していたが、被害者は聞く耳を持っていなかった。 (被害者が都合の悪いことを黙っているケースもあり) 大人の介入を防ぎ自分たちの手でケリをつける必要があった。 (自称被害者の問題はもはや犯罪レベルであり、親や教師に話せば罪に問われるのはむしろ彼。しかしそんな奴でも仲間であり警察沙汰は忍びなく、なんとか改心して欲しかった。そのための苦言や距離取ることをイジメと解釈された) etc… あと加害者被害者とわず、社会に出て色々経験してから当時の被害者の特徴や所業を考えると問題があったと考える人もいる。 そういう人が自分の見解とともに事例を語ったのを、加害者が後付けの理由でイジメを正当化してると解釈しているのではないでしょうか?

  • 苛め、あるいは苛められ経験者へ

    学生時代に苛めにあった経験もしくは、実際苛めをやったことのある経験者に質問です。 苛めにあった事のある方は、振り返ってみて何故自分が苛められたと感じますか? もちろん理由などなく苛めに遭われた方もいるでしょう。現在大人になり、どういった心が備わりましたか?苛めに遭う子供の気持ち、傷ついた心が理解してあげられる優しさが備わったのか・・あるいは、弱い立場の人間は苛められても仕方ないと理解してしまい、職場などで自分より弱い立場の人間を無意識に攻撃してしまうような性格になった・・など。 逆に苛めをした方・・何故苛めに走ったと思いますか? 今現在、幼少時に弱いもの苛めをしたことを当然と思っていますか? それとも何であんなことしてしまったのかと後悔していますか? いろいろな方の体験談や大人になった今現在の感想などお聞かせください。 質疑応答の中で、今、苛めに遭われている方の何か現状打開や悩み事の解決の糸口などが見つかる事を祈りつつ、質問を終えます。