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生きがいって?

何があったわけでもなく、ただ生きがいをなくしてます。死にたいとか決して悲観的なキモチでいるわけでもないのですが、何が楽しくて何を生きがいにみんな生きているんだろうって思ってしまいます。仕事が生きがいって人も居れば子供の成長が生きがいって思う人もいると思います。ですが、私には何も見つかりません。五体満足で彼氏もいて仕事もあって、本当に贅沢な悩みなのは分かっています。でも日々仕事に行き時々友達と出かけて、彼氏と会って、、毎日が同じように過ぎていくように思います。厳しい意見でもかまいません。みなさんの生きがいってなんですか?何のために生きているんですか?

みんなの回答

noname#128033
noname#128033
回答No.6

やりたいことないですか? 行きたい国とか。 わたしは留学が夢でした。そしてその為にこつこつとお金を貯めました。今振り返ると留学のために働いてお金を貯めていたのは間違いなく目的を持った生き甲斐でしたね。 そして留学は人生の宝になりました。たくさん刺激も受け、学び、そして自分の生きる舞台が広がったように感じています。 最近子供が生まれましたが、しばらくは育児を楽しむのが生き甲斐かな。「こうなりたい」っていうのはあえて作っていません。 育児は手探りだし、子供にとってどういうことをしてあげるのがいいのかまだまだわからないし、勝手にわたしが目標を作ってそれを生き甲斐にするのは傲慢だと思うから。子供が自分で興味を持つものができたときに子供の目標を応援してあげたいですね。 質問者さんは今の環境に慣れてしまっていませんか。同じ事の繰り返しに感じるのは行動範囲も変わらないからだと思います。 趣味を増やすとか本を読んで刺激を受けるとか知識の面や実際に活動する面でも質問者さんの舞台を増やした方がいいです。 生き甲斐なんてその都度変わると思います。一生同じ人なんていないと思います。 変化を求めてみて下さい。 自分の幅を広げると見えてくるものが違ってきますよ。

qqc
質問者

お礼

ありがとうございます。環境ですかぁ。。そうですね。色んな分野にもっと興味を持って自分の幅を増やして行けるようにしてみようと思います。何か目的を持って生きている人って羨ましいです。

noname#56103
noname#56103
回答No.5

お若いのでしょうが何か悟りきったような感じすね。般若心経で釈迦が説いているような感じですね。色即是空空即是色。  私は猛烈とは行きませんが仕事に打ち込んで65歳で退職。仕事をやめたらあれもしたい是もしたいという計画を持っていたのですが、いざやめてみるといつでも暇。忙しかった勤めの合間に、貪欲に取り組む趣味や付き合いなど、そのほうがずっと充実感があったと感じています。  家内が作ってくれる食事を食べて、元気に生きているからまた食事をして、食事をするから元気に生きる。生きているからまた食べる・・・・  あなたと同様死にたいとは思わないけれど、生きていなければ食べないし、食べないから生きられない。それで人生に終止符を打っても良いのでは?などと罰当たりな思いも時々頭を掠めるのです。  人のためにばかり仕事をしてきた自分が、急に自分のためばかりに時間を使う嬉しさとむなしさ。やはり何か人のために役立ちたいと言う思いが顕著なのです。あなたも何かでどこかで人に影響を与えているのだと言うことを、もう一度探ってみてはいかがでしょう。恋人まで持っておられるのですから。あなたが死んだ後で、生前あんなことをしておけばよかったと、思い残したことに気づく(かも知れない)事を探ってみましょう。いやそこまで行かなくても、どなたかの回答にあるようにイツまでも人生があるわけではない。つまり12時間で一回りするような時計や,過去や未来の前後の経過がわからない,現在の時刻しか表示しないデジタル時計でもなく。生まれた時にあなたに神が与えた巻尺のように1日ずつミシン目の入った目盛がつき、0時になるたびにちぎっていく時計。トイレットペーパーのように、あと何目盛しか残っていないと気づいたとき、あなたはあああれもしなければならない、是もしておこうと思い浮かべることがいくつか見えてくることでしょう。いまその巻尺の芯が太いうちにそれを感じ取っておくことも大切ではないのでしょうか。すばらしい輝けるあなたの人生のために。乾杯!長くなってごめんね。爺より  

qqc
質問者

お礼

ありがとうございます。aakireiさんのご回答を読み一つだけ気づいたことがあります。もともと私は人の役にたつことに喜びを感じていたんです。自己満足と言われればそれまでですが、「ありがとう」「助かったよー」って言われるとその苦労なんて吹っ飛んでしまうような。でもそれを最近見出せてないような気がします。仕事でも人に迷惑をかけてしまったり、恋愛でも彼氏を困らせたりしてて、だから生きがいを見失ってるのかもしれません。自分の意見を言うこと。これがずっとできなくて人に合わせてきたんですが、やはりそれではダメだと思い自分の意見はしっかり持って言うってことを実行するようになりました。それが返って迷惑をかけたり人に気を使わせたりして。自分の意見を言うって難しいですね。なんか質問内容と話がそれてきました。。。 読みづらい文章で申し訳ありません。ありがとうございました。

回答No.4

恥ずかしながら、何が生きがいとか考えたことが無いです。 でも無くなったらどうしよう?と思うようなものが、その人の生きがいなんじゃないですかね。 親しい人が居なくなると判ると思いますよ。

回答No.3

単調な毎日だと思っているのですね。 でも決して同じ事は起こらないことに気が付きましょう。 毎日違ったことが起こっているのです。 昨日の自分と今日の自分と未来の自分は同じではないのです。 違いを見つけるだけでも楽しむことが出来ます。 何か特別なことが起こらないと楽しめないと感じていては、目の前にある楽しめることに気が付けませんよ。

  • Prunella
  • ベストアンサー率65% (82/125)
回答No.2

五木寛之さんが書かれた「大河の一滴」という本をご存知ですか? 著作権法に触れるとは思いますが、その中の一節を下記に抜粋します。  評論家の小林秀雄さんがむかし、人間というのは、おぎゃあと生まれたその瞬間から死へ向かって一歩一歩あるいていく旅人のようなものだ、と、話されたのをきいたことがありましたが、そういわれればたしかにそういうものなのです。先は見えているにもかかわらず、ぼくたちはそれに絶望せずに生きていく。そのことを考えると、生きている、というだけでも、どれほど大切な大きなことを人間はやり遂げているか、と考えざるをえません。  ましてや、他の人間とくらべて、自分の人生にコンプレックスをもったり、優越感をもったりすることは、まったく意味のないことではないでしょうか。 ---中略---  人間は一生、なにもせずに、ぼんやり生きただけでも、ぼんやり生きたと見えるだけでもじつは大変な闘いをしながら生きつづけてきたのだ、というふうに、ぼくは考えます。 ----以下略--- 五木寛之さんの言う通り、生きているというだけで、大きな意味を持っていると私は思っています。

qqc
質問者

お礼

ありがとうございます。何もかも無気力で、どんどん時が経つのは早くなって。。。このままで何が楽しいんだろうって。 いつか死が間違いなく来るのですが、どこか現実味がなくて。。。 ちょっと考えてみたいと思います。

  • zoo-zoo
  • ベストアンサー率20% (45/221)
回答No.1

働いていた時期は、毎日のランチ、週末の食べ歩きが生きがいみたいなものでした。今度はどこの食べ放題に行こうか。。とか。 それから、私は思い切って仕事をやめ、ヨーロッパやアフリカを放浪してきました。今度はどこの国に行こうかってプランを練るのが今の生きがいかな?とても楽しいです さて、生きがいがないとのこと。 では、余命1年だったら、何をしますか? 余命3ヶ月だったら? 余命1週間だったら? 行ってみたい国に旅行に行ってみるのも良いと思いますし、悔いのないように♪

qqc
質問者

お礼

そうですね。本当に贅沢な悩みです。平和ボケといわれればそうかもしれません。毎日健康でいられることが当たり前になっているのかもしれませんね。私も何か打ち込めるものを作りたいです。

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