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生まれ変わりたい

taeko2の回答

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  • taeko2
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回答No.17

私とあなたはとてもよく似ています。 状況的にもまさに昔の私を見ているようです。苦笑 no14にも書きましたが、なんだかアドバイスが慰めにしかなっていないようなので、私の経験を参考にされるといいかと思います。 私が数年前に大学を卒業したときの話です。 長くなってすみません。 私は大変に自己中でいつも自分のことしか考えていないような人間でしたので、自分では人付き合いをがんばっているつもりでも(今のあなたも人付き合いをがんばろうとしたんですよね?)、大学時代友だちは一人もいませんでした。 大学では、サークルやバイト、ボランティアを含めて10以上の活動をしていましたが(今思えばそれは人と関わることを求めていたんだと思います)いつも人間関係で失敗し、もしくは面倒くさくなり、活動が長続きしませんでした。活動をやめるときも、電話にでないままにしたりして勝手に辞めることが多かったです。完全に逃げグセがついていました。 そんな中、大学4年を迎えました。 私はいつも通り面倒くさがりのクセが出ていましたので、卒論を適当に進めていたところ、夏休み中盤の8月頃、もう今からでは取り返しがつかないという状況に陥りました。周りはもう半分以上卒論を進めているのに、私は今ごろ「やっぱり新しいテーマにする!」なんてことを考えていたんです。 時間はどんどん過ぎていくのに、夏休み終わりになっても新しいテーマなんて一つも浮かびません。新学期に入ってとうとう私は大学不登校に陥りました。 本当はあの時期すぐに、担当の教授に相談していればよかったんですね。でも私は自分の自業自得でこんな状況に陥っていることを理解していましたので、怒られるのを恐れて教授に連絡ができませんでした。結局、不登校という形で、卒論からも教授からも逃げました。また逃げたんです。 でもそれは大学4年。しかも卒論。大学卒業がかかっています。これまでのように逃げてすまされる問題ではありませんでした。そこで私は両親に電話をし、大学を退学したいと話しました。このまま大学を退学しちゃえばいいと、またさらに逃げることを考えたんです。苦笑 両親は絶句していました。でもその時初めて、両親に私の本当の気持ちを話すという経験をしました。もう22歳でしたので本当は何も話さず心配をかけない方がよかったのかもしれませんが、私は誰かにあるがままの自分を受け入れてもらうという経験がすっぽり抜けていたため、誰にも受け入れてもらえず自己否定しかできない人間になっていました。私は両親に、本当は友だちがいなくて悲しいこと、勉強が面倒くさいこと、これまでの活動もうまくいかなかったこと、そして卒論でも行き詰まってしまい大学をやめたいと考えていることなど全てを話しました。 両親は始めこそ絶句していましたが、次第に私のことを理解し受け入れてくれるようになりました。やはり完全に理解してもらうなんてことはできませんし、大学退学なんて!という親との摩擦はもちろんありましたが、それでも私の心は多少楽になりました。両親は最終的には「大学やめるなんてすごく親不幸だけど、お前がやめたいなら退学届けに判子を押します」と言い、退学届けを送付するように言ってきました。 しかし、ここでまた問題が起きたんです。苦笑 あれだけ退学退学と考えていたのに、いざ退学となると、私はなかなか退学の踏ん切りがつきませんでした。私の性格で大学卒業の資格までなくなったらちゃんと就職できるのだろうかと不安になったんです。未練がありました。それに退学するにしても一度担当教授と話し合う必要がありましたから、それも嫌でした。無断で大学を辞めるという最後の逃げ道もありましたが、ようやく理解してくれた両親の手前そんなことはできませんでした。結局私は、進むことも逃げることもできない状況で一ヶ月間、引きこもって悩みました。 結局、最終的に私を救ったのは、生活習慣の改善と私の中に残っていたわずかな勇気です。一ヶ月の引きこもりの後、私はまず生活習慣を整えること考え、早寝早起きと散歩を始めました。しばらくすると気分も上向きになってきたので、そこで初めて、担当教授に連絡をとりました。かれこれ三ヶ月ほども音信普通にしていたので(私は携帯も解約していました)、担当教授もさすがにあきれ果てているような状態でしたが、留年してまた来年卒論を書くということで話は収まりました。ここでようやく、肩の力を抜くことができました。苦笑 もう一年卒論をやるというのは私にはとても苦痛でした。既に専攻科目に興味もありませんでしたし、周りは知った先輩後輩や教授ばかりでしたので、「やっぱりあいつは留年したな」と思われてるんじゃないかと本当に恥ずかしく辛い思いをしました。針のむしろでした。それでも最終的にはなんとか卒業することができました。 そして今、ちゃんと仕事も見つけ働くことができています。 大変長くなってすみません。それでも、あなたや他の方のお役にたつんじゃないかと私の経験を書いてみました。 結局、逃げる人って何度でも逃げます。でもいつか必ず、立ち向かうという場面を迎えねばなりません。そのとき目の前には、今までの積み重ねで大きくブヨブヨと巨大化した醜い自分が立ちはだかっていて、とても恐ろしく足が震えるだろうと思います。また逃げたくなると思います。それでも、そこを乗り越えないとその先も苦しいままです。私は生活習慣の改善と両親からの後押し、それから自分の中に残っていたわずかな勇気によってそれを乗り越えました。 あなたは「学校に行くことはもう不可能な状態にまでなってしまっているんです・・・」と書いていますが、どのくらい不可能な状態なのでしょうか。原因が他人にあるのなら(例えばいじめとか)それは仕方のないことでしょう。でも原因が自分にあるのなら、「不可能」と決め付けるのは早すぎるかもしれませんよ。 あなたは先の書き込みで、「それなら違う場所で一念発起です!」と言われたのに対して「そうですよね!今の私が望んでいるのはまさにそれなんです!」と言っていますが、それは本当に解決策ですか? 自分に無理なことは見栄をはらずにやめてもいいし、たくさん友だちができなくてもいいんです。時には逃げることも必要でしょう。でも少し勇気を出して、後ろではなく前に進んでみてください。始めの一歩は本当に本当に恐ろしいものですが、一歩でれば二歩も三歩もきっと歩けますよ。 余談ですが、私は一人旅の経験があります。その経験から言わせてもらうと、孤独感を抱いていたり人付き合いの苦手な人は一人旅には向きませんね。私は一人旅の間何度も寂しい思いをしました。苦笑 ただ、旅は人との出会いを生みます。私は長く旅をしていたので多くの人と出会いましたが、その経験を通して初めて、自分の性格を改善しようと思うようになりました。ですから、人を育てるのは人との関わりだということを私は身をもってよく知っています。 だからといってむやみにたくさん友だちを作ろうとするのは無謀ですよね。私はまず自分の家族に優しくすることから始めました。 始めの一歩は小さいもんですよ。

plump2222
質問者

お礼

ありがとうございます。とても参考になりました。 生活習慣の改善については取り組んでいるところですが、親に話すというのは、まだ勇気が出せないでいます・・・。 原因は全て自分にあります。確かに今まで2~3回、「もう駄目だな」って思いながら学校に行ったら案外そうでもなく、周りの皆はすごく優しくて私を受け入れようとしてくれました。 でもそれを自分はことごとく無駄にしてしまって、今度こそもう見限られたという感じなんです。 自分が周りの立場であっても、もう相手にするのも馬鹿馬鹿しいっていうぐらいです・・・。 違う場所に逃げることは確かに解決策ではないですよね。 学校を辞めたいと先生に言った時もそう言われました。 でも逃げることしか考えられないんです。 せっかく良いアドバイスをして頂いたのにすみません・・・。 回答ありがとうございました。

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