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ノモンハン事件は航空戦と陸戦を総合するとどちらの勝利ですか

nanndesutoの回答

回答No.2

諸説さまざまですが、私は日本陸軍側のの勝利だと思います。乱戦の場合、戦果報告が重複することはよくあることですが、当時のソ連はまだ複葉戦闘機を使っていてパイロットの質も低く、物量で押したようですが、日本陸軍はその物量に耐えて制空権を確保していたのですから航空戦については勝利は間違いないといえるでしょう。 肝心の陸上戦についてですが、最近になって知られるようになったことですが、ノモンハン事件初期ではソ連戦車は火炎瓶で容易に火がついたので、被害が続出したのでその後エンジンを換装せざるを得なかったほどです。確かに日本陸軍の戦車はソ連戦車に比べて明らかに質の面で劣っていたのは事実ですが、当時のソ連はまだBT戦車や装甲車に戦車砲並みの主砲をつけた車両を多用(この頃に試製のT34が出てきた)してたので当時の陸軍の戦車でも接近すれば撃破可能でしたのでノモンハン事件が終結した際の最終的な被害は正確な数値は思い出せませんが日本陸軍のほうが質量ともに劣っていたにもかかわらず、ソ連に同等かそれ以上に損害をあたえました。 それと重要なこととして、このノモンハン事件によってソ連は中国・朝鮮への侵攻を見合わせたことです。 多大な損害を被ったとはいえソ連の侵攻の意思を第2次大戦末期まで押さえ込む一因になったのですから戦略的な勝利といえなくはないでしょうか? ・・・なぜ日本陸軍は仮想敵国の主力兵器の性能とそれに対する対抗手段を考えなかったのか謎ですが・・・。

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