武家の上下関係
江戸時代の大名は石高の高さと家の格式は必ずしも一致しませんよね?
譜代中の譜代ともいえる井伊家や酒井家でも、石高自体は中堅大名に過ぎません。
高家筆頭で有名な吉良上野介なんて大名ですらなく、実は旗本です。
逆に島津や伊達は石高は多くてもあくまで外様大名です。
この辺りは幕府の統治政策の現われだと思いますが、実際のところ当時の
人の意識において武家の上下関係を考える場合、家格の高い家と石高の多い家では、どちらが偉いと考えられていたのでしょうか?
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