日本陸軍機と海軍機のエピソードの違い

このQ&Aのポイント
  • 日本陸軍機と海軍機のエピソードには明確な違いがあります。
  • 陸軍機はノモンハン事件や加藤戦闘隊の活躍など限られたエピソードがある一方、海軍機は様々な戦闘での勇敢な活躍が知られています。
  • 陸軍機の戦闘参加回数が少ないことや、戦後の取り上げられ方の差がこの違いを生んでいるのかもしれません。
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日本陸軍機は海軍機に比べ、エピソードが少ないと感じます。どんな理由があ

日本陸軍機は海軍機に比べ、エピソードが少ないと感じます。どんな理由があるかおしえてください。 私が知っているエピソード(活躍、失敗)は 陸軍機は ・97戦のノモンハン事件での活躍 ・1式戦の加藤戦闘隊の活躍 ・99双発軽爆による沖縄米軍基地強行着陸 ・4式重爆の海軍指揮下による雷撃靖国作戦  くらいです。 一方海軍機は、真珠湾攻撃を別としても ・96艦戦の樫村機の片翼飛行 ・零戦の漢口での勝利 ・零戦の関大尉による初特攻 ・96陸攻の渡洋爆撃 ・96陸攻、1式陸攻の英2戦艦撃沈 ・99艦爆の英空母ハーミズ撃沈 ・1式陸攻の山本五十六機撃墜 ・1式陸攻の桜花もろとも撃墜 ・銀河の梓攻撃隊 ・紫電改の松山上空での迎撃戦 と海軍機のほうが多いです。 陸軍機が戦闘に参加した回数が少ないのか、戦後、話を取り上げられるのが海軍機に偏っているか。いったいどんな事情でしょうか。

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質問者が選んだベストアンサー

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  • tommy0516
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.1

こんばんは。 質問への回答ですが、 陸軍が主体となった中国戦線において 強力な敵航空戦力が存在しなかったということが大きな理由だと思います。 航空戦といえばやはり太平洋といった感じが強いです。 太平洋でアメリカの相手をしたのは基本的には海軍でしたから 必然と海軍の逸話が増えるのではないでしょうか?

その他の回答 (6)

  • tande
  • ベストアンサー率12% (22/179)
回答No.7

>日本陸軍機は海軍機に比べ、エピソードが少ないと感じます。 それは単に知らないだけでしょう。 陸軍航空隊は支那事変からマレー航空戦、ビルマ航空戦や41年と44年のフィリピン航空戦、ラバウル・ニューギニア航空戦、本土防空戦や沖縄戦と活躍しています。 質問者さんは華やかな単体エピソードが好みみたいですので、一○○式重爆のポートダーウィン空襲(多数被弾するも全機帰還)を挙げてもいいでしょう。 エピソードなんて戦いの数だけあるもんです。 どんな事情も何も質問者さんの知識不足というだけに過ぎません。

sumiyoshigawa
質問者

お礼

ここは知らないことを質問するサイトです。

  • KITAIKKI
  • ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.6

 それほど陸軍航空部隊の戦いぶりが海軍のそれより劣っていたとは思えません。  開戦当初の12月7日マレー方面の作戦において陸軍機が不慣れな船団護衛作戦中、太平洋戦争における撃墜第一号を記録しています。  蘭印作戦においてはスマトラのパレンバン空挺部隊降下作戦においても空挺部隊の護衛を務め、この陸軍機がいなければ作戦の成功は望めなかったと、高い評価を受けています。  ほかにも南西方面や南東方面、比島作戦などで部隊そのものが壊滅消耗するほどの戦闘を続けており、これも立派に活躍したと評価すべきものです。  特筆すべきは戦争末期の本土防空作戦です。詳細は省きますがB-29の搭乗員たちをして日本の陸軍機を恐れさせ続けたほどの撃墜数をカウントした活躍は高く評価すべきです。また戦闘機単体にしても、戦後アメリカによって日本軍の戦闘機としては能力的に最優秀であると評価されたのが、陸軍の4式戦闘機だったということも忘れるべきではないでしょう。  ということで、海軍のほうが見た目に派手なところも影響しているのかも知れませんが、太平洋戦争を通じて陸軍機が海軍機より戦闘回数や活躍の場が少なかったということはなかったと思います。

sumiyoshigawa
質問者

お礼

ありがとうございます。 本土防空作戦、大阪の交野で三式戦の残骸が展示されているのをみてきました。陸軍航空隊は本土防空という崇高な任務をおびていたのですね。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.5

それはですね、太平洋戦争において米軍と戦っていたのがほとんど日本海軍単独だったからです。実は陸軍航空隊は中国戦線やビルマ戦線あたりを除いて太平洋方面では参加しておりません。 理由は極めてシンプルです。大洋での戦いであった太平洋方面では、海軍航空隊じゃないと飛べなかったんです。は?どういうことかって。 つまりこれといった目標が一切ない海上では陸軍機は航法ができなかったんです。これはウソみたいな本当の話で、1943年頃だったかな、さすがに海軍も単独で米軍とやるのはキツいということで、ある陸軍航空隊が太平洋戦線に投入されることになったのですが、なんとこれが前線基地を目指して飛び立ったら「全機」行方不明になったんです。これじゃダメだ使い物にならんと以降は陸軍航空隊にお声がかかることはありませんでした。 実際問題、目標が一切ない海上での航法というのは陸軍にはノウハウがなかったのです。じゃ、海軍から教わったら良かったじゃないかって?あーた、旧日本軍ときたひにゃ「陸軍と海軍が全力で戦い、余った力で米軍と戦う」と揶揄されたくらいですよ。陸軍と海軍の対立というのはどこの軍隊でもあるんですが、日本軍ほどすごいのもなかなかありません。 ちなみに、アメリカ陸軍航空隊は言うまでもなく太平洋戦線で海軍、海兵隊航空隊と遜色なく活躍しました。

  • k16399638
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回答No.4

ビルマ航空戦もありますよ。英国と真正面からぶつかっています。また、陸軍の戦闘機は戦後、植民地のコーチシナ、ベトナムに戻ってきたフランス軍が一時期使っていました。 陸軍は大陸に航空機を温存し、本土決戦にそなえていました。南方では戦闘禁止になったりもしています。また、陸海の共同作戦が帝国陸海軍では極めて困難だったこともあるでしょう。 なので、いま一つ目立っていない、という印象があるようですが、本土防空などもやっており、決して遊んでいたわけではありません。 一式について。 一式は「敵戦闘機を攻撃する」というコンセプトなので、機首に武装を集中する方式はデメリットになりません。つまり、狭い範囲に攻撃が集中するからです(F型以降のBf109も同じ)。また、その分一式は防弾しています。特に翼内タンクには厚くゴム皮膜をほどこしており、これで命拾いしたと回想するパイロットは大勢いました。 米軍の敵機レポートの1945年版では、零戦より低空での加速力があるので、ゼロとちがいオスカー(一式のコードネーム)は依然として危険な機体である、とレポートされています。 陸軍は一式で戦闘機相手の軽戦闘機。二式(鍾馗)で、インターセプター的重戦闘機という住み分けを考えていたのです。 ただ、ビンボウのかなしさで、二式のバグ取りが進まない、その結果一式がなんでもやる図式ができてしまったのです。

  • tanuki4u
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回答No.3

大陸打通作戦 なんて、知っている人は、戦争好きくらいなもので、一般人は第二次世界大戦はアメリカと、ちょっとはイギリスと戦ったと思っているくらいだから。 で、中国戦線が陸軍メインで、太平洋戦線が海軍メインだから。

  • xiansui
  • ベストアンサー率73% (861/1164)
回答No.2

太平洋戦争開戦時、陸軍機は完全に準備不足だった事があげられます。 機数の面では、ある程度揃えていたものの、海軍が7割以上零戦だったのに対し、陸軍の一式戦隼はおよそ一割しか準備出来ていなかったのです。(残りは旧式の97戦) しかも、一式戦はこの時が初陣だったりします。(零戦は1年以上前から実戦投入されています。) なぜこうなったかというと、日中戦争時に主力として戦っていた為、負担が大きく、新兵器の開発が遅れた為です。(日中戦争時の海軍は脇役にすぎません。) 又、97戦の評価が高すぎて、一時一式戦の開発を中断していたりします。 つまり、陸軍は、ほとんど旧式機で構成されている戦闘機隊を主力に、実戦経験のない新型戦闘機に頼って、航空先進国の欧米の空軍に立ち向かった訳です。 又、物量面の差もあります。ノモンハン事変では、緒戦時を除いて、常にソ連軍は3~5倍の戦闘機を揃えて、陸軍を圧迫していきます。 (この時に、中隊長クラスのパイロットに十数名の戦死者が出ています。) 更に、一式戦には主翼の強度を受け持つ主桁が3本という構造的な大欠陥がある為、主翼に機関銃や機関砲が装着出来ないので、火力が圧倒的に不足します。 (火器の取り付け場所としては機首上面、数も2門に限定されます。) その間にも、どんどん欧米との差は質・量ともに引き離されていき、活躍する事が難しい状態になっていきます。 もし、陸軍がすでに運用実績もあった零戦を採用していれば、まだ活躍の余地はあったんでしょうけど、仲の悪さを知っているだけに、かなわぬ夢でしょうね。

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