• 締切済み

人間の認識できる最大の時間について

人間が「感覚的に」且つ連続的に認識できる最大の時間について、 皆さんの意見、知っている説、または個人的に自分はこう、 ということを教えてください。 理論的なことではありません。あくまでも「感覚的な」ことです。 手で幅を作ったりとかして、「感覚的に」自分でわかる範囲の時間。 それ(感覚的な時間)についての理論、議論は歓迎します。 謂わゆる天文学的な時間とかありますが、数字で示されても、感覚的に認識できないものです。例えば、50億年といわれても、「太陽が出来てからの年月」と言う比喩が解かるのであって、50億年という時間は感覚的に解からないでしょう。 ちなみに私は10年が感覚的に認識できる精一杯の時間です。 15年前、20年前のことも憶えてますが、記憶の問題でなく、 あくまで「感覚できるスパン」のことです。 必ずしも、生きてきた時間の分でもなさそうな気がします。 皆さんはどうですか?

みんなの回答

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.18

●わたしのまわりの方達と この問題について議論してみました。  さて みなさんは 一日単位でいいです。思い返してみてください。  何日前までの記憶が連続していますか? わたしは10日まえでとぎれました。  11日まえになにをしていたか わからないのです。  だからといって 時間を感覚的に10日連続して認識できていると思うか?  というとちがいます。一日を細分化して記憶をさかのぼると  とぎれているのです。さらに3分を細分化するとこれがまたとぎれているのです。 ●このようにして 記憶は途切れ途切れであることを 知っていただいて  そのうえで 尚も時間のを連続したものとして認識していると言った方は  ひとりもおりませんでした。 ●思い込みで 時間を連続したものとして認識できていたように感じていただけ。  それが いまのところの 結論です。  それでもまだ 連続した感覚がある方は 思い込みが激しいか 鈍い方だと  思います。 時間の連続した間隔が無くとも生活に不便はありません。  むしろ 現実をはっきりと捉えることができると思います。(思い込みしてた  時分にくらべて・・・。)

nekoucchali
質問者

お礼

お礼が遅れて相済みません。 chihokoさん丁寧におつきあい下さってありがとうございました。 >思い込みで 時間を連続したものとして認識できていたように感じていただけ。 まあそんなものでしょう。私的には、その勘違いがどういう傾向であるか、 どういう頻度であるかなどを知りたかったのです。まあ、今、それを なんで知りたかったか?と、聞かれると、単に知りたかっただけなのですが(笑)。 みなさんお答え下さってありがとうございました。質問の性質上、どのお答えも 尊重するに値しますし、出来るものなら皆さん全員にポイントを差し上げたいの ですが、そうもいかないので、無しとさせていただきます。ご了承下さい。 またどこかでお会いしましょう。

回答No.17

お話を続けられるようなので、 こんなエッセもあるので、何かのご参考になれば・・・ まったくもって、トンチンカン-☆なものでしたら、ご容赦の程よろしく。 http://nova.planet.sci.kobe-u.ac.jp/~matsuda/review/reverse.html

nekoucchali
質問者

お礼

お礼が遅れて相済みません。また、再度のご回答ありがとうございます。 >http://nova.planet.sci.kobe-u.ac.jp/~matsuda/review/reverse.html いや~~、楽しそうですねえ。こういうことを研究して食べていけるのって(笑)。 私が聞きたかったのは、物理学の問題でなく、「人間の」「感じ方」「あなたはどう?」なのですが、これはこれでおもしろかったです。

  • tale
  • ベストアンサー率43% (7/16)
回答No.16

まさにゴータマの教えに一切の苦しみには原因が必ずあるといい すべての認識に原因と結果があるといわれていますよね。 それを考えていました。 それゆえに<感覚的に>という質問者の方の着眼点が大切なのです。 時間ははたして<感覚的に>感じられるものでしょうか?見えないものを 見えたと判断しているのはなぜなのでしょうか?たんに記憶している/ 思い出せるということではないはずです。連続したなにか、切れ目のない 継起。といったものを10年前からずっともっているということが 時間の感得になるわけですから。それは そこに今を基準にした原因と結果を適応させておられるからだと思います。 そうでなくては時間はただの記憶になってしまいます。 本来なら現在目の前に移り行くものでしか認識できないものを 10年20年と伸ばしていけるのは、現在の自分から出発して それが<感覚的に>感じられたといえるところまで、意識が及んでいるからです。 感覚的なものは本来<一瞬>のものであるかもしれません。刺戟に対して 感覚器が瞬時に反応するからです。しかしあえて質問者の方が 感覚的にといわれたことには、別の意味が含まれているのだと思いました。 すなわち過去の出来事も「身体的に」認識できると解釈したのです。 そこで私は原因と結果を判断できる、すなわちもっといってしまえば 始まりと終わりの判断できるものが時間を身体的に認識できるものだと 考察したわけなのでした。

nekoucchali
質問者

お礼

お礼が遅れて相済みませんでした。また、再度のご回答ありがとうございます。 >今を基準にした原因と結果を適応させておられるからだ >本来なら現在目の前に移り行くものでしか認識できないものを >10年20年と伸ばしていけるのは、現在の自分から出発して ><感覚的に>感じられたといえるところまで、意識が及んでいるからです。 まことにもって、そんなところだろうと思います。

  • tale
  • ベストアンサー率43% (7/16)
回答No.15

皆さんは実に高度な議論をされておられます。連続量や時間の伸縮の 話が出てくるということは、ベルグソンなどを読まれたり、物理学者たちの 説にもお詳しいのでしょう。ですから私は質問者の方が着眼された <感覚的に>という魅惑的なタームに基づいてだけお応えします。 私の回答は単純です。<感覚的な>ものにはすべてにおいて原因と 結果の因果関係がむすべます。ですからすべての出来事において 原因と結果を説明できるものが、まさに<感覚的に>感知できる 時間の限界ではないでしょうか。逆にいえば原因がなかったり、 結果がわからないものは、時間としては感得されえないと考えます。 質問者の方が10年として提示されているのは、図式化されないまでも きちんと原因と結果の因果関係をそこにみているからだと思います。 ですから天文学的な時間においても、原因と結果の因果関係が 明瞭に自分自身に説明出来れば、この膨大な時間を感受したといえる 人もあらわれるかもしれません。しかしそれには膨大な努力が 必要です。いつのまにか原因は消えてしまったり、結果はとほうもない 未来におかれてしまったりするからです。 原因と結果の因果関係の説明の限界、それが人間の<感覚的な>時間の 限界であると考えます。

nekoucchali
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >高度な議論をされておられます。 >ベルグソン す、すいません、相対性原理ぐらいなら何も知らない人に概要を説明できる程度のことは知ってますが、ベルグソンって、初耳です(汗)。 話しがそっちに行くとややっこしくなるので質問には出しませんでしたが、この疑問が出る前の予備知識とプロセスに物理学で言われてる事があったのではなかったのです。 部派仏教の一派に「説一切有部」というのがあり、その学説は「一切とは人間の認識できるものの範囲である」というのです。認識の範囲外のことは影響も受けることは無いので、存在しないのと同じだから論ずる必要なし。と言う理論です。そのことについて色々考えてて時間について他の人は感覚的にどうなんだろう?と、思ったわけです。 >図式化されないまでもきちんと原因と結果の因果関係を >そこにみているからだと思います。 う~ん、そうなのかな、どうなのかなぁ。自分では視覚的に喩えると、10年までは見えるがそれ以上向こうは視力の限界でぼやけて見えない。しかし、過去に関してはとりあえず15年前の場所、20年前の場所に何があるか知っている・・・・。という感じなのですが。 無意識的に因果関係を把握している範囲が私の場合は10年?じゃあ一瞬と答えられた方は一瞬しか把握出来てない?のでしょうか?

回答No.14

感覚的には、時間はどのようにも経っていくのではないでしょうか? ですので、ご質問の『「感覚的に」且つ連続的に認識できる最大の時間』というものは、認識したと感じる(思う)その時々で、変わってくる(伸びたり縮んだり)一様ではない。計測不可能のように思えます。 へんなたとえ話ですが、 Aちゃんが公園へ遊びに行くと、そこにBくんも遊びに来ていました。AちゃんはBくんのことが大好きでした。大好きなBくんを見つけたAちゃんは『あっ!Bくんだぁ-!?Bくんあそぼ~♪』と、声をかけました。『うん、いいよ!あそぼ、あそぼ~♪』Bくんも元気よく応えてくれました。二人は、公園でキャッキャッはしゃぎながら、仲良く遊びました。 次の日、Aちゃんは、仲良しのBくんと遊ぼうとおもい公園へでかけていきました。公園でBくんの姿を探すのですが・・・みあたりません。ちょっと、ものたりなくて淋しそうな顔をしたAちゃん。次ぎの日もまた次の日もAちゃんはBくんに会いたくて、一緒にあそびたくて公園へでかけて行きました。でも、公園にBくんの姿はありません、それから何日経ってもAちゃんはBくんに出会えません。(TT) 大好きなBくんと遊べたときは、あっ!というまに時間が過ぎそうしてる間にお母さんが『Aちゃん、ご飯よ!帰ってらっしゃい~♪』の声が聞こえます。このときAちゃんには、とても時間が経つのを早くかんじたことでしょう-。Bくんと会えないときは、逆にとても時間が経つのをとても遅くかんじたことでしょう-。大好きなBくんに会いたいのに会えないことを・・・ 一ヶ月も経ったある日の夕方、Aちゃんは犬を連れて家の近くをお散歩していました。通りの向こうにテクテク歩いているBくんを見ました。Aちゃんはおもわず大きな声で『Bく~~~ん』と、呼びかけました。その声にハタ?!と、立ち止まるBくん。Aちゃんに気がつき駆け寄って来てくれました。二人は、犬を連れゆっくり歩きながら会えなかった間の話をすることもなく、『今日、クレヨンしんちゃんのある日だよ!』『あぁぁ・・ドラエモンもあるぞ!』・・・と、 今夜のTVアニメの話で盛り上がりながら家路につきました。 さて、AちゃんがBくんと再会できてふと、あえなかった日のことを思い返してみたとします。会えなくて長いと感じた時間は、いま思い返すとそのとき感じたであろう時間と同じものを感じられるでしょうか?おそらく、感じられることはないと思います。感じ方というものはとても曖昧だから・・・。 人間はしばしば時の経つのを忘れることができます。忘れることができるから、ちゃんと生きていけるのかもしれません。時間の経過を常に認識していなくてはならないとしたら、人間は死の恐怖や老いの恐怖に打ち勝つことが出来ないと思われるからです。 トンチンカ~ン炸裂です!読み飛ばしてください。

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >感じ方というものはとても曖昧だから・・・。 >忘れることができるから、ちゃんと生きていけるのかもしれません。 確かに一つの人間の実相でございます。私自身疑問の原因を整理してみると、その証拠を集めたかったようなのです。

  • Renard
  • ベストアンサー率57% (8/14)
回答No.13

nekoucchaliさんのお返事を見て少々驚きました。 ----引用 気のせいです(笑)。正直な気持ちRenardさんの回答に感謝してます。 泥沼云々もシャレのつもりなんですが・・・。ただ、私は本当はもっとふざけた人間なので、なれなれしい態度をとって不評を買わないよう、また、真面目に答えてるのにふざけて返事しているように取られないよう、気を使って返事しているところがあるので、それゆえ少々堅苦しい文面になっております。 ---- シャレのつもりが真面目な堅苦しい文面????よくわかりませんが、まあ、この点はどうでもよいことです。(^^) nekoucchaliさんは、何か勘違いをされているようですね。(^^) わたしが、"棘"があるようですが、といったのは、シャレを言っているとか、嫌味を言っているとかそういうことではないのですよ。  言いたかったことは、わたしは、一般的で単純なことを言っているつもりなのに・・・nekoucchaliさんは誤解をされているようだという事なのですよ。その誤解が棘となって発せられているようだと言いたかったのですがね。ネットというのは難しいものです。言葉足らずだったようです。(^^) 誤解が解ければよいのですがね(^^) ところで、最初の、「なるほど!そういう事例があれば知りたいもんです。」とのnekoucchaliさんの質問に対しては、先の"宇宙カレンダー"のモデルを敷衍してもらえればよいと思いますが、納得してもらえましたか? また、「私これでも忙しいのに・・・泥沼にはまっていくような・・・(笑)。」というのも、それほどお手間はとらせない問題だったと、納得してもらえたでしょうか?(^^)

nekoucchali
質問者

お礼

再再度のご回答ありがとうございます。 >納得してもらえたでしょうか?(^^) 納得しました。どうやら自分で勝手にいちびって泥沼にはまったみたいです(笑)。

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.12

hummm... #なんだか、いい雰囲気になってきましたね 少々、茶々を入れさせていただきますと・・・ SFですけど、こんな本があります。 「幻詩狩り」川又千秋 「それ」を読むと、”時間のヒミツ”が”解って”しまって、廃人のようになって死んでしまうという「詩」をめぐる物語です。(詩のタイトルは「時の光り」だったかな?) #原案は、きっとモンティパイソンです。 これ読んだら、時間について、もっと強烈に悩めると思います。 でわ。

nekoucchali
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 >「幻詩狩り」川又千秋 >これ読んだら、時間について、もっと強烈に悩めると思います。 そ、そうですか。「忠告」と受け止め、身も心も暇人になるまで決して読まないように気をつけます(笑)。

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.11

●息子(16才)に この問いをしてみたところ。  とまどいをみせたあとで。3分かなあ・・。ということでした。  しかもその3分の認識イメージは カップラーメンが出来上がるイメージ  だそうです。そしてしばらくしてから、やっぱり分からないとの返答でした。 ●わたしは 最初に書き込みしたように時間はもちろん、倫理的な思考の  全体像も感覚的には認識できないと つねずね感じていましたし。  人間の評価は その程度のもんだからきをつけろ!ってのが人生訓なんです。 ●じぶんを知らない人間ほどこわいものはない・・・。 ●こんなわたし(時間も論理もイメージとして認識できない)ですが  しあわせに くらしていますよ。 いやむしろ だから・・・ですね。  自分の脳が どういう処理をして生きようとしているか ここを押さえることが  いちばん基本のような気がします。  いま 秋晴れのなか庭のどんぐりの木がゆっくりと風にゆれ  季節遅れのトンボが 芝生にたわむれています。  遠嶺の尾根がくっきりとして 空気は秋のにおいがして  みずいろの空に薄く切った大根の断片のような雲がゆっっくりと流れています。  まわりには ことりの声とむしの合唱・・・。  遠くの国には戦争の火の手があがっています。  時間をイメージとして認識できない代償として 今という瞬間をはっきりと  イメージできます。  そしてなによりも この世で唯一の自分がはっきりと認識できるのです。 

nekoucchali
質問者

お礼

再再度のご回答ありがとうございます。 息子さんは3分ですか。わざわざどうもありがとうございました。

  • Renard
  • ベストアンサー率57% (8/14)
回答No.10

わたしの物差しの大きさとのことですが?  例えば、10分を計るのに、日本史的な物差しを使っても役に立ちません。その計るのに相応しい物差しを使うのがよいでしょう。 nekoucchaliが、10年前までのことは、同じ刻みの物差しで計れるということは、つまり、物差しの長さが、10年ということですよね。しかし、その一目盛りの大きさは、人それぞれ違うでしょう。 例えば日本史的な物差しにしても、その知識により、その一目盛りの大きさは違ってくるでしょう。 ところで、体内時計の単位でしたら、24時間が基準だと思います。暗闇の洞窟での実検というのが有名だと思います。 それから、遠大な時間をわたしたちの身近な時間に置き換えるという試みもあります。カール・セーガンの「エデンの恐竜」という本に「宇宙カレンダー」というものがあります。これは、150億年前のビックバンから現在までを、一年のカレンダーで表わしたものです。 1月1日がビックバン。・・・太陽系の起源は9月9日・・・地球の成立が9月14日・・・12月27日がジュラ紀・・・12月31日午後11時が、最初の人間・・・バビロニアのハンムラビ法典が、12月31日午後11時59分52秒・・・・ローマ没落が午後11時59分57秒・・・といった風です。 このように置き換えれば、150億年というような、漠然とした年数が、実感のもてるものに近づくと思います。 ところで、わたしは真面目に答えているつもりなのですが、どうも、nekoucchaliさんのお答えを見ていると、棘のようなものを感じるのですが・・・ わたしの言っていることは、泥沼にはまっていくような・・・ことではなく、非常に単純であるとおもうのですがね・・・(^^)

nekoucchali
質問者

お礼

再々度のご回答ありがとうございます。 >棘のようなものを感じるのですが・・・ 気のせいです(笑)。正直な気持ちRenardさんの回答に感謝してます。 泥沼云々もシャレのつもりなんですが・・・。ただ、私は本当はもっとふざけた人間なので、なれなれしい態度をとって不評を買わないよう、また、真面目に答えてるのにふざけて返事しているように取られないよう、気を使って返事しているところがあるので、それゆえ少々堅苦しい文面になっております。 確かにこの文面でシャレを言っても嫌味にとれるかも知れません。 そこはそれ、相手の顔や声が見えず聞こえず、文章になったものが人のすべてであるネット上の制約、相手がシャレがわかってるか不快に思ってるか、言われない限り判りません。 ですから、このままRenardさんが誤解したままであるのは残念なことであったので、敢えてこう指摘してくださったこと自体にも感謝しています。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.9

これは、税金の話や国債の話がよく分からない時の話でも出来ますが、何故子どもの時は時が長く感じるかということは、慣習的なものでないように思います。なんか、子どもの時は暇じゃなかった気がします。精神活動のスピードって言うか今、考えると、相対性理論的なものが働いていたように感じます。つまり、子どもの時は、速かったんです。精神活動と限定しませんが、、、。自分が速いと、周りは遅くなります。時間は時計や、日の動きのことだったので、時計の動くのが遅いわけです。ところが、中学、高校になると、授業がなが~くなっていきますよね?自分の精神がのろくなっているのだと思います。コレは生物学的に解決できるものなのかもしれないですが、、、。子どもは、成長?変化?しながら生活しているので速いのかなぁと思います。時間が短くなったのは成長?変化?してないんじゃないかと思います。つまり、変化率が高いと人生は長く、低いと短くなり、光速になるとその精神は不死になります。きっと、、。   光速になるとどうなるんでしょうか?精神の速さ?ですから、フィジカルに光速になるのとは又、別のことを想像しえるのでないかと思います。変化率、いくらかの間にコレだけ、変化する、ということです。光速になると、「いくらか」が0になるんでしょうか?自我を喪失してしまう事は間違いないでしょうか?しかし、面積と体積のように、比べられないほどの違いがあるように思います。ほんとのところ、どうなんでしょうね。  僕の慣習的な感覚としては、測りうるのは0.2,0.3秒~4、5年、部分的に8年ぐらいでしょうか?パスタの湯で具合の判断から、八年後にこうなっている事はありえる、と考えている限界です。後は想像し難いですね。

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >精神活動のスピードって言うか今、考えると、 >相対性理論的なものが働いていたように感じます。 >変化率が高いと人生は長く、低いと短くなり、 >光速になるとその精神は不死になります。 そういえばそんな話を相対性理論の説明として聞いた事があります。 >僕の慣習的な感覚としては、測りうるのは0.2,0.3秒~4、5年、 どうもありがとうございました。

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