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裁判についての素朴な疑問

思いがけない判決がでたときなど、裁判官の資質を疑問視する声があがります。 「勉強ばかりして世の中のことがわかっていないから、非常識な判決をするのだ」と。 しかし判決は、法律と過去の判例に基づいてくだされるのだとすると、世間知らずということが、どの部分に作用した結果、問題判決がうまれるのでしょうか。 シロウトなりに考えれば、法律の解釈の仕方に歪みが生じるのかなと考えもするのですが、もしそうだとすると、法律とは解釈の余地が大きく、判決は裁判官次第ということになります。 金融などでは裁量行政が問題になりますが、いってみれば判決とは、一種の裁量判決なのでしょうか。

noname#118935
noname#118935

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noname#11501
noname#11501
回答No.2

例えば「人」という文言が、胎児も含むのか 法人も含むのか 一義的には判断不能であり、そもそも言語というものは本来的にあいまいなものです。したがって、法律も原理的にあいまいな部分を含んでいます。したがって、裁判も必然的に裁量判断を伴い、裁判官によるブレがあります。ただ、法の下の平等を保障する見地から、ブレは最小限であることが好ましく、明確な基準として法律の文言と過去の判例に基づいて判断するというのが基本になります。 しかし、社会では法律や判例が想定していない様々な事例もあり得、その場合に既存の法律や判例に基づいて判断しなければならないとなると変なことになるわけです。 ただ、裁判でも死者を生き返らせることはできないように、そもそも裁判制度というのは完璧・万能なものではなく、一定の限界があります。むしろ、その裁判を契機に法律改正が議論されなければならないということだと思います。

noname#118935
質問者

お礼

本来的にあいまいな言語の性格上、法律は原理的にあいまいな部分を含んでいるというご指摘に、なるほど、そういうことか、と思いました。法律の制約により、裁判官本人にも苦渋の判決だったというようなことも起きるのでしょうか。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • iczer
  • ベストアンサー率21% (37/169)
回答No.1

裁判官の資質というのももちろんあるでしょうが、そういうことを無くす為の判例主義が問題だと思います。 裁判官によって大きく裁定が違ったりすれば困りますよね。(実際には違ったりしますが、建て前としてです) ならばどうすれば良いか。奇抜な裁定が出ないように過去の判例に沿って判決を下すしかありません。 だったら何故非常識とも言える判決が出るのか? 時代や風俗が刻々と変わってきつつあるのに対し、過去の判例が変わることはないからです。 そういうことを加味した裁定が出るように裁判員制度が出来たわけですね。 これで全ての問題解決が出来るとも思えませんが、少なくとも判決に一般的な考察が加わることは間違い無いわけです。

noname#118935
質問者

お礼

判例主義は裁判官によるブレを少なくする狙いだったのですか。ひとつ賢くなりました。でも上級審で判決が覆るということは、これもいってみれば裁判官によるブレともいえますね。入道雲のようにむくむくと素朴な疑問が湧いてきます。ご教示、ありがとうございました。

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