• ベストアンサー

漢文で習った様に思うのですが・・・

皇帝が村を視察していると,かまどの煙と共に「皇帝なんか関係ない」という歌声が聞こえてきました。従者が「無礼なヤツだ!懲らしめましょう」と言うと,皇帝は「皇帝や政治に興味がないということは,村人の生活がそれだけ平和で安定しているということだ」と言って喜んだ。 このような話の出典をご存知の方がいらっしゃいましたら,お教えください。 もしかしたら,仁徳天皇の話と混同しているのかも知れず,自信はありません。 どうか宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#252332
noname#252332
回答No.1

 鼓腹撃壌。俺たちはハッピーに暮らしてる、皇帝なんか関係ない、と国民が歌い踊るのを見て、これこそがその皇帝の理想とする政治のありさまだったという話でした。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1128/8957)
回答No.3

鼓腹撃壌と関係ないでしょうか。

copemaru
質問者

お礼

ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Thales23
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.2

↓ではないです ? 日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食 帝力何有於我哉 日出でて作(な)し、 日入りて息(いこ)ふ。 井を鑿ちて飲み、 田を耕して食らふ。 帝力何ぞ我に有らんや。 日の出と共に働きに出て、 日の入と共に休みに帰る。 水を飲みたければ井戸を掘って飲み、 飯を食いたければ田畑を耕して食う。 帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF

copemaru
質問者

お礼

それです! 昔,漢文で習いました。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • この説話がわかる方、教えてください

    昔むかし、ある村に若いお坊さんがいました。村人のために尽くして、たいそう尊敬されていました。お坊さんは本山に修行にゆくことになり、村人はこころよく送り出しました。 数年経ち、お坊さんが修行から帰ってくると、もとのありがたみが薄れており、村人達は以前のようにお坊さんを敬わなくなりました。 Q1. この話の出典はどこでしょうか? Q2. この話の意味するところは、なんなのでしょうか?普通なら本山で修行したら、その分成長すると思うのですが・・・

  • 「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。

    「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。 明治期に制定された皇室典範により、天皇・皇后に対しては「陛下」という呼び方をすることが 規定されているそうです。 しかし、そもそも「陛下」という語は、天皇に対して上奏をする際に文書中で天皇を指し示す語で あったということです。 すなわち、天皇ご本人に上奏するなど畏れ多くて無理なので、「陛下」、つまり玉座へ続く階段の下、 にいる取次ぎの従者に対して申し上げるという形式をとっていたとのことだと思います。 同様に、文書中で天皇の事を指し示す場合は文書の種類に応じて 「天皇」「天子」「皇帝」「陛下」などを使い分けていたのですが、 (これは大宝律令?に定められているらしいですが) 発音する場合は全て「すめらみこと」と発音したといいます。 そもそも、日本の統治者の日本語での呼び名は「すめらみこと」であったのが、 自国に文字が無かった為に漢語で「天皇」「天子」など相応しい文字を当て字にして 表記したのでしょう。 また、天皇を呼ぶ際には他にも「御門」や「禁裏様」などが用いられ、 いずれも婉曲表現として天皇がおわします場所を呼ぶことで 天皇ご本人を表しているものです。 これらの様な事を考えますと、明治の皇室典範にあるように 天皇に「陛下」という称号を付けてお呼びすることは、どうにも不自然な気がします。 まず、「陛下」とは上奏という特定の状況において、天皇を指し示す語であり、 言葉本来の意味は「取次ぎの従者がいる場所」です。 上奏文の中で「陛下に申し上げる」というのは至極妥当ですが、 現代のように天皇ご本人に対して「天皇陛下」と呼びかけるのはどうなのでしょう。 いわば、天皇ご本人に対して「天皇の階段の下の従者」と呼びかけているようなもので、 むしろ失礼ではないでしょうか。 また「天皇」を「テンノー」と音読みする様になったのも同様に明治期からであるとのことです。 本来やまと言葉では「すめらみこと」が正しいはずです。 他にも天皇が軍服を着たり、人前に姿を表したりと、 明治期には天皇に関する事に対して多くの伝統破壊があったのではないかと思っています。 もちろん西欧列強に対抗する為の政策として必要であったのかもしれません。 ただ、明治維新の立役者の多くが下級武士で有った事を考えると、 「陛下」という意味や用法も良く知らずに決めたのではないかとも思えてしまいます。 言葉は変わっていくものだ、と言われればそれまでですが、 国の最高位の方に対する呼び方ぐらい、自国の伝統的な言葉でお呼びしたいものです。 また、右翼や国粋主義の人達が主張する「伝統的な」日本とは、 多くの場合この様な明治期に作られ、昭和初期にかけて強化された作られた日本像 であると思います。 そのくせ、「2000年以上の皇室の伝統」とか「万世一系の天皇陛下」などと さも古来からの伝統であるような言い方をします。 「てんのうへいかばんざい」などというやまと言葉が一切ないフレーズを 「日本人の心意気だ」などと言います。 本当の日本の伝統とは、そのようなものではなく、明治維新が起きる前の 日本の姿なのだと思います。(良いか悪いかは別にして) その中で天皇は「すめらみこと」であり「禁裏様」と呼ばれ、お歯黒をし、 京都の宮中でひっそりと雅の世界を守っていたのではないでしょうか。 もちろん権力などは無かったでしょうが、少なくとも、現在の今上天皇のように、 自由を全て奪われ、国家の為に決められた仕事をひたすらこなし、 内閣の命令に従い、さらに崩御なさるまで引退も許されないといったような、 (ご無礼を承知で言えば)まるで奴隷のような状態ではなかったと思います。 昨日の文化の日、役人が決めた文化勲章受章者に対し、モーニング姿で勲章を親授される 「天皇陛下」の姿をテレビで拝見し、その様に感じました。 質問が分かりにくくなってしまいましたが、「てんのうへいか」という呼び方に対して、 詳しい方のご意見をお聞きしたいです。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 「ボカサ皇帝」の“承認”について

    以下の質問について確かな知識をお持ちの方のみ、お答えください(推測の混じった回答はご遠慮願います)。 よく次のような事が言われます。 中央アフリカのボカサ氏が「皇帝」を名乗った時、日本は「中央アフリカ帝国」という国号だけは認めたが、ボカサ氏を「皇帝」とは認めなかった、と。 私はこれに疑問を持ちました。 まず、ボカサ氏は「国軍参謀総長→大統領→(終身大統領→)皇帝」とその立場を変えていますが、このうち武力クーデターの類を用いたのは「国軍参謀総長→大統領」の時だけで、他は、その時のクーデターで誕生したボカサ政権によって平和裏に立場の変更が行われています。そして日本は、「国軍参謀総長→大統領」を承認していた、言い換えれば、ボカサ政権を「中央アフリカの政府」として認めていたのですよね?これは「中央アフリカの国内法を定める権利を持つのはボカサ政権である」と認めたという事です。つまり日本は、「ボカサ政権が定めた国内法によって“中央アフリカ皇帝”とされる人物」がいた場合、特に断りを入れてない限り、自動的にその人物を「中央アフリカ皇帝」と認めたことになるのではありませんか?そして日本は、ボカサ皇帝戴冠の際、「認めないからな」と断りを入れるどころか、昭和天皇の名で祝電まで送っているそうです。これはもう、「皇帝と認めた」としか言えないのではないですか? まあ、実はその祝電こそが「国号だけ認めた」派の根拠らしいのですが、「祝電」なのに「お前を皇帝と認めない」と書かれてるなんて事、ありえるのでしょうか? もしかしたら彼らは「いや、“認める”とも書いてないから認めてないのだ」などと反論をするのかもしれませんが、上に書いた通り、日本が「国軍参謀総長→大統領」を既に認めてしまっている以上、そんな反論には全く説得力が無いのですが。 そもそも、こういう時の祝電って普通、「相手国の国家元首本人に宛てて」送られるものですよね?で、国家元首に呼びかけるなら、当然「肩書き」や「敬称」を付けたはずです。「日本のあまりの無礼さにボカサ氏がブチ切れた」なんて話は、どれだけ調べても全く出てきませんから、用いた肩書き・敬称は、ボカサ氏を怒らせないものだったのでしょう。そうなると「Empereur」とか 「Votre Majesté Impériale」ぐらいしか思いつかないのですが。 以上が私の疑念です。 いかがでしょうか?確かな知識をお持ちの方(「国際政治・外交儀礼などに詳しく、なおかつ、昭和天皇の名で送られた祝電の文面をご存知の方」が理想です)、お答えいただけませんでしょうか?

  • こんな小説(SS?)知りませんか?

    小学二年生(十年と少し前)のとき、若い女性担任に借りて読んだ本の中の話なのですが、どうしても題名が思い出せず気になっています。確か短編集だったのですが、同じ本に入っているかどうかは分かりません。二つあります。 (1)金木犀の香りの香水を作ろうとしている女の人がいる。その女の人は頑張っているがどうしても作れず、おまけに恋人に振られてしまう。やけになった女の人はお酒に金木犀の花を入れて飲み、倒れる。目の覚めた女の人は、全身から金木犀の香りが発されていることに気づく。これが香水「○○○」(←思い出せません。「夜」の文字が入っていたかもしれません)の始まり――。 (2)平和な村に誰か(お婆さん?)が越してくる。最初は怪しまれるがだんだんなじんでいく。ある日その人から村の若い娘たちにお茶会の招待状が届く。娘たちは出かけていくが、いつまでたっても帰ってこない。心配した村人たちがお茶会の様子を見に行くと、娘たちの姿はなく、代わりにみずみずしい若木が何本も生えていた――(おばあさんの出したお茶で、娘たちが若木になってしまったことが暗に分かるようになっている) この二本です。確か講談社文庫だったように思います。お分かりになる方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。もう一度読みたいと思っています。m(_ _)m

  • 漢文についてです。

    漢文の勉強をしているのですが以下の書き下し文と意味がわかりません。 わかるかたお願いします。 1、利同霜雪 吹毛不過 2、看者施銭並興之 です。お願います。

  • 漢文について

    漢文について 清少納言の頃の漢文と現在中国語 と格差があるのはなぜでしょうか? 是非、教えて下さい。

  • 漢文

    現在高校2年生で ほとんど漢文の勉強は やっておらず 最近、漢文 早覚え速答法という 参考書を買い勉強をし始めたのですが 読んでいくと使役の問題で 「也(なり)」は連体形接続だから、 「しむ」の連体形「しむる」を 使って仕上げる。 と書いてありました。 漢文の知識はゼロではなく 学校でも授業はしているので 大体は理解できますが、 この「也(なり)」は連体形接続 だと初めて知りました。 学校で何に接続などと 授業をしたことがないので 驚きました。 もちろん古文では何に接続したり活用形を学んだりしていて意味も分かるのですが 漢文にもこのような 何に接続するなどという 形はどこで覚えればいいのですか? 入試まであと1年もないので めちゃくちゃ焦ってますが どなたかよろしくお願いいたします。

  • 漢文について・・・・

    わからないので質問するので答えてください 汝学文乎。

  • 漢文が分かりません(><)

    明日テストなので誰か分かる方教えて下さい。 常不得油。 で「いつも油が手に入らなかった」 復不食魚。 で「二度とも魚を食べなかった」 という訳になっています。なぜ、常不得油。で「いつも油が手に入らなかった」と、訳が過去形になっているのか分かりません。 急いでいます。誰か分かる方宜しくお願いします。

  • 漢文・・・・

    漢文を学習するに当たって、何を覚えればいいかとか、 どういう勉強をすればいいか教えてください。。

このQ&Aのポイント
  • 私には好きな人がいます。学校では一緒に行動することが多いけれど、私はその人の気になる存在ではないようです。その人が体調を崩してしまい、心配してLINEで声をかけましたが、図々しかったのかなと感じています。どうしたらいいのか分からなくなってしまっています。
  • 好きじゃない女子に心配されても嬉しくないのでしょうか?どんなことをされたら好きになってもらえると思うのでしょうか?
  • アドバイスをください。
回答を見る