人文・社会科学

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  • この額の書はなんて書いてありますか?

    この額の書はなんて書いてありますか? 某方からこちら(画像参照)の額を戴きましたが、なんて書いてあるのか判りません。 カテゴリ違いかもしれませんが、書に心得がある方、お分かりの方がいらっしゃれば、教えて頂けませんでしょうか。 また、その意味と背景(有名な詩?)、筆者等も共に判ればありがたいです。 よろしくお願いいたします。

  • われわれは阿呆を甘やかしていてよいか

     阿呆の代表として   《宇宙の法則》を神とする思考  を挙げます。どうでしょう? 同じやり取りが長すぎませんか?  このまま同じくつづくようなら お相手する側も 阿呆に入るのではないですか?

  • 絶対音感の訓練教材で適したものは?江口メソード

    はじめまして。 教室を初めて1年の新米ピアノ講師です。 現在3歳の生徒向けの絶対音感訓練のための教材を探しております。 「弾く」練習としては「ぴあのらんど」を使用しており、そのほかにもリトミックを取り入れたレッスンなどを行っておりますが、9、10月から始められた3歳の生徒さんらもレッスンに慣れてきたので絶対音感訓練も取り入れたいと思っています。 そこで、江口メソードの教材で「おんぷの学校」と「おみみの学校」とありますが、どちらを使うと良いでしょうか?ソルフェージュの基礎は既に開始してるので、絶対音感訓練に特化ものであれば、これにかぎらず別の教材でもいいので、良いものがあれば教えてほしいです。ただまずは1冊から始めたいです。江口メソード導入経験者の方もしくは知識をかじったことのある方がいらっしゃいましたら是非教えてください。

  • 明治維新で、新政府の要望が強いので、天皇家は都を転

    明治維新で、天皇の宮殿(皇居)すなわち都が、京都から東京に移動しました。 ところで、天皇の権威の源として、主に次の2項が挙げられる、と思います。 1.天皇家は古くから繋がっている 2.天皇家は神の子孫である 上記のことを勘案すると、天皇家は伝統や仕来たりを極力、墨守しなければなりません。軽々しく皇居を移動すれれば,権威があなどられると思います。 質問は、新政府の要望(圧力か)が強いので、天皇家は都を転移したのでしょうか? 明治維新で、新政府の要望が強いので、天皇家は都を転移

    • ベストアンサー
    • park123
    • 歴史
    • 回答数11
  • 聖書は間違い-宇宙の法則は創造できるものではない

      何故なら宇宙の法則の創造とは一つのプロセスなのであるから、これもまた一つの法則に基づく現象でなければならない。 つまり宇宙の法則を創造するにも宇宙の法則が必要になり、宇宙の法則は常に存在しなければならない。 既に存在するものを創造することは出来ない。 故に宇宙の法則は創造できるものではない。 聖書によると、「初めに、神は天地を創造された。」とあります。 In the beginning God created the heaven and the earth. 宇宙と宇宙の法則は一体でなければ成立しないので、宇宙が創造されたのであれば宇宙の法則も同時に創造されねばなりません。 しかしこれは上の考察より不可能である。 宇宙も宇宙の法則も創造できるものではないのである。 「初めに、神は天地を創造された。」と説く聖書は最初の1ページから既に間違っていることが分かるのではないか。  

  • オー・ヘンリー「賢者の贈り物」

    [オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」の冒頭にでてくる1ドル87セントは 今ではいくらぐらいでしょうか?

  • 一発屋はなぜ消えていくのか?

    どぶろっくは、なぜウケないのでしょうか? 何回も同じことを聞かされると、不快な気分にさせられますが、どんな流行った言葉でも歌でも廃る運命なのでしょうか? 水戸黄門などでの決まり文句も何度でも聞くと、あー、わかったと聞きたくなくなり見たくなくなります。 実に気まぐれなものですが、仕方のないことと片付けるよりほかないでしょうか? ディズニーランドなどでも同じアトラクションがいつまででもあっても人気は下がっていきますら、物ですらもあきられてしまいます。 常に新しいものを創造していくほかないのでしょうか? 会社や店などでも古いままだと衰退が激しいですし、白けられてしまいます。 ビンテージ化すれば、よいのですけどもヨーロッパなどからの発祥としては、絵画からブランドなどからしても長い間流行らすことができてますし、高値をキープしていますが、これらですら古いロレックスだとかいう時計だとしてもそれはそれで人気を博した状態をキープします。 個人か団体かで力の入れようが全く違うものというとで飽きられ方も差が出てくるのでしょうか。

  • ゴッホについて教えてください!

    ゴッホについてレポートを書くのですが資料がなくて困ってます。 ゴッホの生涯や絵の解説、説明されたサイトや番組を教えてほしいです。 また、こういった項目で書くといいよなどのアドバイスも頂けると助かります。

  • マクロ経済について質問です

    マクロ経済について質問です。 古典派の二分法が 実質賃金ー労働需要量 になるのはなぜですか? 簡単に教えて下さい。

  • 源頼朝の流人生活はどのようなものだった?

    源頼朝の流人生活はどのようなものだったのか詳しく教えてください 頼朝はそのころに政権の構想や平家打倒の計画をじっくり練っていたのでしょうか?

  • ▽東京芸大音楽学部買い上げ作品(曲)についてです。

    ▽東京芸大で作曲を学ぶ学生や院生で、卒業制作品や 修了作品が東京芸大買い上げになったのは、現在も 8名だけですか?8名とも修士課程修了作品ですか? 出来ればその全員の氏名と作品名を教えて下さい。 また東京芸術大学大学美術館に行けばその8人の作品を試聴したり 楽譜のコピーを取れますか?ご回答宜しくお願い致します。 ついでに東京芸大のある上野公園は、ホームレスが多く、 通報の為の携帯を持たず散歩するには結構、危険な場所なのでしょうか? わかる方、ご回答宜しくお願い致します。

  • フリーターは倫理的に許されるか?

    日本でフリーターと言えば、怠け者、社会不適合者、犯罪者予備軍と考えられ、子供がフリーターになると言えば学校に親が呼び出される始末です。 就職活動に失敗した学生たちはフリーターになるなら死を選び、十代のフリーターや高学歴の院生がフリーターを続けるぐらいなら殺人や強姦をした方がマシ(テロリストになる)という選択をしました。 それほど、日本社会で軽蔑されている存在が、他の人と同じように呼吸し、買い物を行い、生活する状況が許される理由は何でしょうか?。

  • これは仏教の思想的限界か

      人が死んだ後にお経を読むだけの葬式仏教であれば坊主ならだれでも出来るが、 人の生死の選択について、現代社会における生命倫理の問題について、仏教が何一つ現実的答えを示せないのはもはや仏教の思想的限界なのか。    

  • ルイ14世について詳しく知れる本を教えてください

    ルイ14世がどんな人物だったのか?なぜヴェルサイユ宮殿を沼地に建てたのか?いろいろな事が知れる本を探しています ちなみに自分は歴史は無知です 皆様回答よろしくお願いします

  • 戦後日本の闘争史で

    1960 安保/ 日本社会党員の労働者が主に敗北 1970 安保/ 大学教育の一時停止。戦後日本の崩壊。 両闘争ともに対アメリカの図式ですが。無条件降伏した 日本の経済成長はバブル崩壊まで継続しました。犯罪においては 受益者が犯人である、法則によれば。売国奴が戦後にアメリカの走狗 となり。アメリカは再三篩いに掛ける構図でマツリゴトし、 Decade 1 after か2 after か3 after の生存者がスパイだったと判明する。 頃には、次世代の若者が内部粛清を繰り返すんだと。悔し涙するだろう人々は、 すでに人ゴミで夢の島、いない。 上記の認識で正しいですか?

  • アウグスティヌスと《愉快な乞食》

     ▼ (アウグスティヌスと《愉快な乞食》) ~~~~~~~  私は 名誉と利得と結婚とを渇望していましたが あなたはそういう私を嘲笑なさいました。    私はこれらの欲望のために さんたんたる苦難をなめていましたが ご自分以外のものに甘さを感ずることをお許しにならなかったあなたは それだけ恵み深かったのです。  主よ わが心をみそなわしたまえ。あなたは これを心に想い起こして御前(みまえ)に告白することをおのぞみになりました。いまはもう 私の魂はあなたによりすがって そこからはなれることがあってはならない。その魂をあなたは あんなに粘り強い死のとりもちから ひきはなしてくださったのですから。  私の魂は何とみじめだったことか。しかもあなたは その傷の痛いところをつかれました。それは 私の魂が 万物をこえながらしかも万物がそれなしには無であるあなたを目ざして 万物を投げすててむかい むかうことによって傷をいやされるためでした。  だから わたしは 勇敢にも悲惨に耐えることをせず あなたが 《わたしの力は 弱さの中でこそ十分に発揮される》(コリント後書2:9)と言われたように 《その傷の痛いところをつかれました》。 もういちど繰り返します。傷の痛いところをつかれて わたしは おろかにもなって その悲惨に勇敢にも耐え ただわたしの好むところに従い 可能なことを為そうとは欲しませんでした。  じっさい 私は何とみじめであったことか。ある日 そのみじめさを痛感するために あなたはどのようにとりはからいたまうたことか。  その日 私は皇帝にむかって讃辞を朗読する準備をしていましたが それは 讃辞の中でたくさんのうそをつき うそつきの私が それをうそと百も承知の人びとのお気にめすようになるためでした。私の心は心配であえいでおり 身もほそる熱い思いに燃えていましたが ミラノのある街路をとおりながら 一人のみすぼらしい乞食をみとめました。  もう満腹していたのでしょう。冗談を言いながらはしゃいでいました。私はためいきをつき 自分たちのばかげた仕事から何という多くの苦痛が生じてくるかということについて つれの友人たちと語りあいました。  じっさい 当時 骨折っていたそういう努力のかぎりを尽くして 欲望の突き棒につつかれながら おのが不幸の重荷をひきずり ひきずりながら重荷をつみかさねつつ そういう努力によって得たいと願っていたものは ほかでもない 安全確実なよろこびでした。ところが そのよろこびにあの乞食は すでに先に到着しているのに ひょっとすると私たちは けっして達することができないかもしれないのです。  彼が乞食をして得たごくわづかな金ですでに手に入れてしまったものを 私はこのように辛苦にみちた紆余曲折をへてさがしまわっていますが もとめているのはすなわち 現世の幸福のもたらす快楽にすぎません。  たしかに乞食とても 真のよろこびを得ていたわけではありません。しかし私とても そのように奔走しながらさがしもとめていたものは かの乞食のそれよりも もっと虚偽のよろこびだったのです。  たしかなことは 彼はよろこんでいるのに私は苦しんでおり 彼が安心しているのに私は動揺しているということでした。もしだれかが 《君はよろこびたいか それとも心配したいか》とたずねたとしたら 私は《よろこびたい》と答えたことでしょう。さらに あの乞食のようになりたいか それともこのままでいたいかと問われたならば 心配と不安とで疲れはてていたにしても やはりこのままでいるほうをのぞんだことでしょう。  けれども この判断はまちがっていました。どうして真でありましょうか。  じっさい私は かの乞食よりも学問があるからとて 自分のほうがすぐれていると思うべきではありませんでした。なぜなら 私はその学問から よろこびを得ていたのではなく ただ人びとの気にいることをもとめていたにすぎないのですから。しかもそれは 彼らを教えるためではなくて ただ彼らの気にいるためにすぎなかった。だからこそ あなたは こらしめの杖でもって 私の骨を打ち砕かれたのです。  それゆえ 私の魂にむかってこういう者は 遠ざかってもらいたい。  何によってよろこぶか そこにちがいがある。あの乞食は 酩酊によってよろこんでいたが 君は栄光によってよろこぼうとしていたのだ。  主よ それはどのような栄光でしたろう。あなたにおける栄光ではありませんでした。じっさい あの乞食のよろこびが真のよろこびではなかったように 私ののぞんでいた栄光も真の栄光ではなく かえってそれは私の精神をますます逆転させてゆくばかりでした。乞食の酔いはその晩さめたことでしょうが 私は酔いながら眠り 酔いながら起きました。将来も同じように眠っては起きたことでしょう。その状態は まあ 何日つづくことであったか。  もちろん どこからよろこびを得るか そこにちがいがあることは 知っています。信仰にもとづく希望から生ずるよろこびは あの虚妄とは比較にならぬほどへだたっているのです。しかし当時においても 私と乞食とのあいだにはへだたりがありました。疑いもなく 彼は私より幸福でした。その理由は 一つには 私が心配でふぬけになっていたのに 彼はまったくの上機嫌だったということにありますが それだけではありません。彼は道行く人の祝福を祈って酒に ありついたのに 私のほうは うそをつきながらからいばりの地位を追いもとめていたのですから。  当時 私はこういった意味のことを 何回となく親しい友人たちに話し そのような場合 自分がどういう状態にあるかをしばしば考えてみました。そして状態がかんばしくないことに気づいてかなしみましたが 悪い状態をいやがうえにも悪くするばかりでした。そして何か幸運じみたものがほほえみかけることがあっても 手を出す気になれませんでした。なぜならそれは とらえようとすると飛びさっていったからです。  (『告白』 6・6・9-10 山田晶訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この《乞食》の手放しの愉快さ・底抜けの明るさ これが われわれのベースになるのではないか? 飾りの要らない樅の木だけのクリスマスツリーのごとく。ベースは 悩みでも苦(ドゥッカ)でもない。  ――これが 問いです。あなたの哲学は 何と言いますか?

  • 足軽と騎馬武者

    戦国時代に騎馬武者になれた人と言うのはどういった人だったのでしょうか? 足軽はそれこそ 農民から集められて簡単な訓練と武装で最前線に送り込まれた下っ端 と言うイメージがありますが 騎馬武者は 馬に乗るぐらいだからそれなりの武士だったと思うのですが… 単に馬の扱いに慣れてるから とか そういう基準とかがあったのでしょうか? それとも足軽として召集されたものの 「お前は馬に乗れ」と言われて騎馬武者にされたりとか?

  • 【急募】教えてください泣

    19世紀の興行師P.T.Barnumという人物が行った、英語における貢献(P.T.Barnum's Contributions to the English Language)について詳しく教えてください泣 よろしくお願いします!

  • 大坂城を造ったのは誰?

     一般に豊臣秀吉と答えますが、ナゾナゾでは 大工さんという答えになります。  でも実際は、ある武将を普請奉行に任命して、諸大名の 負担、持ち出しで築城をさせていたと思うのですが、工事は その大名の足軽や募集人足だけで賄ったのでしょうか。  まさか本職の大工、左官をかき集めて本職集団が作った、とは 思いませんが本職が一人もいないということもないだろうし、 どうなんでしょうか。

  • 戦後70年

     鎌倉時代のことを考えていて、鎌倉時代というのは、一言で評価すると、「武士による本格的な政治が始まった時代ということなのかなぁ」などと考えているうちに、ふと、最近よく耳にする「戦後70年」ということを思い出してしまいました。  日本の歴史の中で「戦後70年」……私自身がほぼ生きてきた時代(*^_^*)……というのは、日本の歴史に少しでも関心を持たれている方が、どのように評価しているのだろうか?ということが知りたくなりました。  それで、とりあえず私の持っている日本史に関する本、数冊をめくってみたら、私の質問の答えに似たような「キャッチフレーズ的」なものがありましたので、1例として列挙します。  例は、「読むだけですっきりわかる日本史」(後藤武士著)です。 (1) 旧石器~古墳時代……日本のあけぼの (2) 飛鳥~天武王朝時代……天皇中心国家の形成 (3) 奈良時代……平城京と仏教の時代 (4) 平安時代……藤原摂関政治から武士の時代へ (5) 鎌倉時代……北条執権と鎌倉御家人、兵どもが夢のあと (6) 室町時代……足利幕府と南北朝 (7) 戦国・安土桃山時代……群雄割拠から天下統一へ (8) 江戸時代……250年の太平 (9) 明治時代……近代日本の夜明け (10) 大正~平成時代……二つの世界大戦、頂点と挫折、そして奇跡の復興  ということでしたが、「戦後70年」を評価するということになると、上記の「(10)大正~平成時代」とも全く異なるような気がします。もちろん、政治、経済、社会、国際関係などなど、評価する観点によって、その表現は当然変わってきますので正解、不正解という評価は、私には出来ません。  したがって、BAは選ばないで締め切りします。それでもよろしければ、皆様の考える「戦後70年」というのを、評価していただき、キャッチフレーズ的に表現していただきたいと思い、質問しました。自由、勝手、気ままにご回答を寄せていただければありがたいです。

    • 締切済み
    • noname#205122
    • 歴史
    • 回答数8