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一番好きな、江戸幕末期のエピソード!

kamejrouの回答

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  • kamejrou
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回答No.8

こんにちはchachaさん 少し良くなりましたので 調子に乗って プチ 快気祝 また 頭痛がしまして 馬鹿は死ななきゃ治らないようです   > 一番好きな 江戸幕末期の エピソード その前に 仰る 有馬新七の話しを少し 寺田屋騒動に至るまでの 経緯はchachaさん よくご存知でしょうから触れません 有馬新七と言う人は 純粋で無欲 かつ 激烈な人、 そうであったようです 「わいごと刺せ!」 この共に 串刺しにされたのが討手の 道島五郎兵衛 示現流の 達人であったと言われておりますが 誠忠組と言う 志を同じくした 同志を 殺し合わせる 薩摩の 幕末維新史において 大汚点と 言われるのも むべなるかなでしょうね 豆を煮るに豆がらをもってする 知らせを聞いた 西郷さんが こう呟いたそうです 薩摩は 二度と 勤王の 二文字を 口にはできん とんと 今までの芝居であった さて本題ですが 私の好きなエピソードは 少し明治にかかってしまいますが 天璋院篤姫と 皇女和宮 あのお二人が 江戸城を出てからですが 勝海舟の 別邸だったのでしょうか? 勝海舟の もてなしで 馳走をいただく 互いに仲睦まじく 給仕 しあったと言います 万感の思いもあったでしょうね? 互いに 楽しそうに笑い合っている姿を想像するだけで 私などは涙が出る思いです まあ、 この二人の女性のことは いずれ又どこかで chachaさんと 話してみたいものです 最後にもう一つ 私の好きなエピソードを ただこれも 明治に 少し入っておりますし 舞台は北海道小樽です 永倉新八と言う 新撰組一の 使い手と言われた人がおり 新撰組のほとんどが討ち死にする中 北海道小樽で 天寿を全うしました 永倉新八さんには お孫さんがおられて ある日に二人で 芝居見物に行ったそうです 新八さん もう腰が曲がって 歩くのもようやくの風情 木戸のあたりで 地廻りのゴロツキに絡まれて 転ばされたそうです ゴロツキのやる事など 昔も今も同じです 転んだ 新八さんを 蹴飛ばしたかもしれません? そうしましたら 新八さん ゆっくり立ち上がったそうです それを見ていた お孫さんによりますと 背筋がピンと伸びて そのゴロツキどもを睨め回したそう その気迫に怯んだのか? そのゴロツキどもは 蜘蛛の子を散らすように逃げさった お孫さんが、 幾度も 死線の迫力とはああであるか? 私の好きなエピソードです ここいらにしましょうか

chacha0035
質問者

お礼

kamejrouさん、こんばんは。 >馬鹿は死ななきゃ治らない いやいや、男はちょっとくらいバカな方が良いんですって!w 役割分担じゃないけど、その分をカカアがバランス取ってくれるように出来てるんです。 なんなら、カカアの教育の為に、我々男子はバカの役割を引き受けてるわけですからww こんな事書いたら、ミチヨさんに怒られるかしら?ww >示現流 細かい話で恐縮ですが、 薩摩には、東郷の示現流と、薬丸の自顕流とがありまして、 例えるなら、土佐で言う所の上士が学ぶのが示現流で、下士が学ぶのが自顕流なんス。 >天璋院篤姫と 皇女和宮 へぇ~、勝海舟の別邸で? これは知りませんでした。 篤姫と言ったら、斉彬の養女となって、家定だかに政略結婚させられたくらいのイメージしかありませんでしたが、明治維新後の人生も幸せそうだったんですねぇ。 >永倉新八 おおっ!凄い!w 2番隊隊長、老いてもなお!ってエピソードですね♪ そこらのゴロツキ程度じゃ、潜り抜けた修羅場が雲泥の差だったんでしょうね! 関係ないけど、新選組といえば私的に好きなエピソードといえば、油小路事件! 八番隊組長の藤堂平助や、二刀流の天才・服部武雄が粛清されちゃうんすよねぇ~。 龍馬を暗殺した疑いのある、人斬り鍬次郎こと大石鍬次郎なんかも魅力的ですが、 そんな集団でトップを張ってた永倉新八さんは凄ぇっすね!w 回答ありがとうございました。

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