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一番好きな、江戸幕末期のエピソード!

5mm2の回答

  • 5mm2
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回答No.4

こんにちは。 先日の質問では、茶々入れて失礼しました(笑)。 評価できる事件と言えば「生麦事件」から「薩英戦争」の終結までの、薩摩藩の毅然とした態度ですね。 幕府の弱腰の態度のままでは、明治維新も上手く行ってなかったのではと思います。 ドラマ「西郷どん」では殆ど描かれてなかったので、ネットで調べたくらいの知識ですが、当時世界最強と言われた英国海軍を撤退させたのですから、大したものですね。 更に評価するのは、その後の英国との終結条件の交渉力です。 どちらも簡単に非を認めづらい事件だけに難しい交渉だったのでしょう。 その中で、毅然とした態度で理路整然に意見をぶつける薩摩藩士の態度に、英国紳士も敬意を示したのでしょう。 お互い納得のいく条件で折り合い、信頼し合う仲にまでなったというから、正に雨降って地固まるという事ですね。 その時英国から購入を決めた戦艦が、ロシアのバルチック艦隊を撃沈したのではないでしょうか。 今また、中国をけん制するためにやってきた空母「Q.エリザベス号」見ると、皇室を頂点とした日英の絆を感じます。

chacha0035
質問者

お礼

5mm2さん、こんばんは。 >「生麦事件」から「薩英戦争」 私もいつイギリスと事を構えてもいいように、日々「西瓜売り商人」の練習をしております。なんつってw ちなみに、薩英戦争に関しては、薩摩の判定勝ちと思ってますw >幕府の弱腰の態度のままでは、 私の解釈は、幕府は列強相手に結構したたかに立ち振る舞ってたと思うんですよね。 江戸幕府もオランダから情報を得てたはずなので、アヘン戦争なんかのイギリスの鬼畜っぷり情報も仕入れてた事でしょう。 安易に通商条約を結ばないように、のらりくらりと上手くかわして、当時中堅国のアメリカなんかと先に和親条約を結んだり、当時最強最悪のイギリスを警戒してたのかなぁって。 結局、イギリスが薩摩と手を結んだのも、薩摩に武器を売りつけるための商売だったんじゃないかな?と。 個人的には、薩摩に幕府を倒さして、彼らに都合のいい国づくりをさせたんじゃないかと思います。 清でアヘンで儲かった、ジャーディン・マセソン商会のトーマス・グラバーが長崎に来たのも、その辺が目的なんじゃないかと思うんすよねぇ。 >英国から購入を決めた戦艦が、ロシアのバルチック艦隊を撃沈 仰る通り、スケベのmikasaさん・・・じゃなかった!w 戦艦三笠なんかも製造元はイギリスでしたよね。 日露戦争では、ドッガーバンク事件なんかをロシアが起こしてくれたから、イギリスが怒って嫌がらせしてくれたことで、ヘロヘロに疲弊したバルチック艦隊を日本海海戦で打ち破れました。 でも、個人的には、信頼し合う仲かって言うと、正直眉唾ですw 回答ありがとうございました。

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