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彫り物(入れ墨)、昔の日本はファッション、なんでヤ

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江戸時代などは一種のファッションとして多くの人が体に彫り物を入れていたそうです。
特に夏場に和服を着崩しで素肌がみえる姿になる事が多かった人の間で(職人の人々を中心に)、ふんどし一丁よりはと、徐々に遊び心から体に彫り物をする人が増えることになったそう。
更に芝居の舞台役者などが入れ墨を行うことで、多くの人に広がっていったそうで。

変わって平成初期になると彫り物をしているのはヤクザの人々だけとなっています。
なぜ日本で伝統化した彫り物が現代になるとヤクザの人だけが受け継ぐこととなったのでしょうか?

回答 (全5件)

  • 回答No.5

ベストアンサー率 54% (375/683)

他カテゴリのカテゴリマスター
>一種のファッションとして多くの人が体に彫り物を入れていたそうです。
現在よりも広く普及してはいましたが、町人階級が主体でした。
最も人口が多い百姓階級には普及していませんでした。
武士階級も極めて限られた人だけでした。
町人階級でも江戸の街で暮らす人達に普及していました。
ただし、全身に統一された絵柄のものを彫り込むのは限られた職業の人達だけでした。
仕事師と呼ばれる人達で主として火消を請け負っている人達が主体でした。
現在建築現場で高所作業を請け負う人をとび職と呼びますが高い所にいるから鳶ではなく本来は「とびぐち」を取り扱う人という意味です。
江戸時代の消防は破壊消防でしたので火消を請け負う人は家屋を破壊する道具として「とびぐち」を持ち歩いていました。
この火消人足は町入用費とよばれる一種の税金で養われていました。
火事が無い時にはどぶ浚いをしていました。
この人達が火事場で火傷しないように龍など水に縁のある図柄を全身に彫り込んでいました。
火炎を後背としたお不動様が持っている剣には龍が巻き付いたようなデザインがされています
倶利伽羅剣とよばれます。
このデザインが好まれました。
彫り物を倶利伽羅紋々というのはこれが由来です。
この命知らずの火消人足(臥煙)の風体を肉体労働者が真似るようになって広がりました。

>徐々に遊び心から体に彫り物をする人が増えることになったそう。
遊び心で彫られたことはありませんでした。
全身に入れ墨を入れるには激痛と入れた後の高熱に耐える必要があります。
この激痛と高熱に耐えたということが彫り物をしている人物にとっては一種のステイタスになっています。
現在のアメリカ人などが入れているTATTOとは異なります。

>更に芝居の舞台役者などが入れ墨を行うことで、多くの人に広がっていったそうで。
芝居の登場人物に入れ墨をさせた図柄の浮世絵が出回った後の事です。
役者自身は彫り込んではいませんでした。役に応じて彫り物を染めた衣装を着用していました。
肉襦袢と呼ばれ現在でも使われています。

>日本で伝統化した彫り物が現代になるとヤクザの人だけが受け継ぐこととなったのでしょうか?
明治時代の大日本帝国憲法の下で禁止したことが影響しています。
現在の日本国憲法下の法律では入れ墨だけを取り上げて禁止する法令はありません。
現在の広域暴力団の元になった明治時代の非合法集団の構成員が禁止されている入れ墨を入れることで国家権力である警察を恐れていないということを誇示して威嚇の効果を期待していました。
一方で全身に彫り物を入れていた職業に従事する人達が減っていきました。
結果として彫り物を入れている=非合法集団員という認識が浸透して行きました。

参考
日本の入れ墨、その歴史 | nippon.com
http://www.nippon.com/ja/views/b06701/
  • 回答No.4

ベストアンサー率 38% (211/543)

他カテゴリのカテゴリマスター
>江戸時代などは一種のファッションとして多くの人が体に彫り物を入れていたそうです。
どこから得た情報なのかは知りませんが、一般的に入れ墨を入れる町民の殆どは「罪人」です。何もファッションで背中や体の一部に入れ墨を入れているわけではありません。時代劇で有名な遠山の金さん(遠山金四郎景元)の桜吹雪は、コテコテのフィクションであり、あんな入れ墨を入れる武士は基本的に存在しません。

ただ、身体を張った仕事してる方々(漁師や火消しの様な人)は、個人を識別するために敢えて彫り物を入れる場合がありますが、ファッションが目的ではありません。

この様に、罪人の場合は入れ墨、罪人でない場合は彫り物と、きちんと区別されています。また、公衆の面前においては、入れ墨・彫り物の区別が無いため、銭湯等の他人に裸体を見せる場所においては施設利用を敬遠される風習が未だに根強く残っています。
今でこそ、ファッション目的でタトゥーを入れる人が増えていますが、見栄えの良いものではないと思います。
  • 回答No.3

ベストアンサー率 20% (122/609)

江戸時代は、入れ墨と彫り物は別物です。

時代劇などを見るとわかります。「あいつは入れ墨もんだ」というのは「罪をを犯した人だ」の意味ですね。

彫り物でも誰でもしたわけではないです。現在で言うとガテン系、ヤンキーのお兄さんにです。

そんなに一般化してませんよ。
  • 回答No.2

江戸時代などは一種のファッションとして多くの人が体に彫り物を入れていたそうです。
それは違います、刺青を入れることが多かったのは、職人特に大工や火消し等肉体労働者です。
所謂荒くれもの達です、一般の町人商人農家はまず入れる事はありませんでした。
何故か?それはバツとして刺青を入れる慣習があり、刺青を入れることに抵抗が少なかった荒くれもの達に広まっただけです。
その流れが任侠界に広まり、現在のヤクザに繋がります。
なので、刺青は世間からあぶれたものという認識なのです。
  • 回答No.1

不思議ですよね。

日本人の気質って、全員じゃないけども、神道?の影響なのか、削ぐこと(掃き清めるとかの意)を美徳としたところあります。
現在の和服の正装マナーも、ネックレスやイヤリング、腕時計はタブーとされてます。(厳密に言えば、指輪もなのですが、これだけは容認されてるようです。)
茶道でも、「動き」は、無駄な動作を省く動きになってます。
小学校で生徒が掃除をするのも、教育の一つとなってたり。
家庭でも、ある程度の年齢になれば、家の外周の掃除を親から躾けられることからスタートしたり。
整理整頓を躾けられたり。
部活でも職場でも、新参者は先輩のやりかたを見習ったりすることからスタートしますよね?
任侠の世界の人も、そうでない人も、もとは子供だったわけですから、親からの影響、教師からの影響、友人知人からの影響、道を歩けば一期一会の人達からの影響を受けて育つのです。
無人島で育ったわけではないのです。

そういうのがベースにあって。

人間と言う動物は、五感のなかで、視覚からの情報を一番重要視してるみたいです。
だから、どうしても「人は見かけが・・・」とか、「第一印象が・・・」とかになりがちです。(本当は、しばらく付き合ってみないと、その人となりがわからないのにーです。)
で、野性的な発想で、強く見せたい心理があって、「私は、これだけの痛みを辛抱できた奴なんだよ」と主張してるのでしょう。恐らく。
でも、同じ辛抱でも、単なる怪我の跡だったら、見苦しいので、美しく傷跡が残るように考えたのだと思われます。

ほぼ任侠の人だけに特化したようになったのは、たぶん、日本人の特徴的な心理で、「人と違うことに対する恐れ」があると考えられます。
一例ですが、盲目の人が白いつえをもって街を歩けば、同じ場所に居合わせた人はどうしてよいかわからない人がおおいのでは?
西欧では、これを個性と考えるのですが、日本では「障害者」と、まるで別の種族みたいに感じる日本人がいるようです。核家族化も原因の一つだと考えらええてます。
小学校でも、多数が○○ゲームを持ってて、自分ひとりが持ってなければ、どうですか? 「多数派の枠に入ってれば安心」と思う人が多いそうです。
一般人が、入れ墨をしなくなったのは、多数派に入りたかったのも理由としてあると思います。

それから。昔は罪人の腕やお顔に入れ墨をした、そういう経緯からも関係すると思います。
参考 http://www.edojidai.info/kurashi/zaininn-irezumi.html
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