• 締切済み

感受性の高い方

感受性が高い方は五感も良い方が多い気がします。 第六感も含め、元々持っているものであろうとおもいますが 感受性が比較的に一般より高いであろうと思われる方は五感も良い方が多いでしょうか? 以前、紳助さん(非常に感受性の高い方だと思います)が話されていましたが 泣く(その感度があるということ)ことができる人は芸能で売れる。。といった 内容を話されていたと思います。 その泣くとは、歌など聞いて何だか分からないけども涙が止まらない、という見えなないこと、ものごとに感受できるセンスなのですが、日本人でいうと人口の1割も感受性が高いと思える人はいないような気がしますが、時々そのような方がいたときに感受性が高い人は、五感も良い人が多いのではないかと思ったのですが、そんなことにご興味が有られる方がいましたら、ご回答いただければと思います。 知人に非常に勘の鋭い方がおりますが、五感も良く、一般的な人々とはかけ離れた洞察力と繊細さのようなものをお持ちです。 もし、感受性の高い方がおられましたら是非ご意見をお願いいたします。 カテゴリーに迷いましたので適当な選択にさせていただきました。

みんなの回答

  • mon205
  • ベストアンサー率31% (139/441)
回答No.8

スミマセン。まだ締め切られていないようなので、再回答させてください。 いや「回答」ではなく、私の気持ちを「表現」させて頂く感じかな。 お陰様で、全ての回答と、アナタのそれぞれへのお礼文を何度も読み返し、とても勉強させてもらえました。 まずHSPと言う言葉さえ知りませんでした。 興味を持ち、検索し、己と当てはめて「なるほど・・・」と、どんどん奥へ奥へ興味を募らせることができました。 当てはまるかも知れません。 もしかしたらHSSかも知れません、 いずれにせよ、元々心理テストや占い等、 「自分の落としどころ」で各々が納得するもので、 昨今出て来ている様々な精神の病名すら、 わざわざ探しに行かなければ、本人さえも知らないままで、 周りが「こうだ」と決めつけたところで何の意味もなさないと思うのです。 事実、 >感受性が高い方は五感も良い方が多い気がします。 私もそう感じる場面は多々ありました。 しかし、事例が少ない。 感受性が高すぎる?が故、 傷つきやすく、経験値が「他人」との距離をどんどん遠ざけていた気がします。 幼い頃から、親や周りの大人に「異質」扱いされてきました。 今となっては、それこそが「生き辛い大人にならないように」故の親心だったのでしょうが・・・。 色々な病気のレッテルも貼られました。 私は、自己防衛に必死な一方で、似ている「異質」を探していた気がします。 日本人は特に、そして昔の人は特に 「普通が一番幸せだ」と思い込んでいる気がします。 性別もそうです。 良い世の中になったと思います。 もしも、30年生まれるのが遅かったら、私は確実に「Xジェンダー」を選んでいたと思うから。 それでも、与えられた環境の中で、この日本で生きて行くために、 己の「個性」は「空気を読む」が如く、封じ込めてきました。 良い世の中になったなぁ。。。 昔の「異質」も、今は「個性」として認めてもらえる。 >日本人でいうと人口の1割も感受性が高いと思える人はいないような 今後、もっともっと広く世の中に、この日本でも 「各々が持つ様々な個性」が、押し込められることなく、苦しむことなく「発揮」できるようになると期待します。 前回の回答で言うところの「表現の場」の広がりですよね。 すると、アナタの中で「感受性が高い」と思われる人の割合が、どんどん増えるかと。 感受性が高い者同士、その距離感を如何に縮められるか?で、また違ってきますが。 >感受性が高い人は、五感も良い人が多いのではないかと思った 私は、第六感然り、全てにおいて「感」「勘」「観」を大事に生きてきました。 己を「信じる」ための、単なる「自己防衛」でもあったのかも知れませんが。 ただ、年を重ねる毎に、もう、そう必死で己を守る必要もないのかな?と感じ、 なんとな~くですが、それらの「トゲ」が一つずつ無くなって行った気がしているのも事実です。

Applepen
質問者

お礼

mon205さん、こんにちは。 再びの御回答、御意見をありがとうございます。 貴方様は非常に素直な方であり、優しい方なのでしょうね。 親御さんと色々な出来事があったのかもしれません。 一見、幸せそうな家庭でも少し中まで入ってみると 様々な問題があり、外目には分からない問題がある 家庭、家族が多いと思います。 私自身も母との関係で疲労することが多くありましたものの、友人知人、知り合った方そうでない方と、本当に想像以上の大変な思い、経験をされている方と出会う事もあります。 親からのスリコミが幼少にあると (大抵あると思いますが) 自分で考える前に、こうだと教わってしまうことが素直な人ほどあるような気がします。 私自身それに気が付いたときには十代だったと思いますが、一緒にいる相手(親、家族、パートナーなど)に自分が非常に影響を受けていると気が付き、年を重ねるほどにその認識が深くなり、気を付けようと思っています。 日本にいたときも、海外にいる今も日本のおかしいところは多々思うところはありますが、日本人のある種の思い込みの強さや、粘り強さ(執拗な?)狭い物の見方、整列を促すような考え方、強いる社会… しかし、その反面それらが良い部分として日本らしいものづくりが出来るのでしょうね。 日本の「ものづくり」の素晴らしさってどこにも引けを取りません。 それどころか、どこの国もなかなか勝てません。 日本男性の変態的な事件のニュースを見るたびに 日本の過酷な労働の歪みが出ているのかなあ、なんて 感じることもあります。 女性も、大らかな人が少ないと思いますね。 自己防衛、他人と関わることが簡単に出来ない 様子を見て、伺うような怖れを持っている人がとても多くいるような気がします。 笑顔ができない日本の女性多いです。 身だしなみも、あまり気を使わない少々ガサツな印象の 日本女性が海外には結構います。 実はとても個性的な人々が多いのに 個性をなるべく消して社会に出て働く、人と関係を持つには感受性も封印してしまわないと結構大変なのかもしれませんね。 度々のご回答ありがとうございます。 良い週末をお過ごしください。

  • marissa-r
  • ベストアンサー率21% (634/3008)
回答No.4

先ず、感受性は“高低”ではなく”強弱“で表すものです。 私はHSPですがネットにて簡易テストが有りますので試されてみては、いかがですか。 個人差が有ると思いますが私は独りっ子の左利きで当時の同年代とは色々な面で異なった環境で生活してきたので、それが原因かと思っていました。 まあ、歌を聴いて泣くなんて事は有りませんけどね。 五感が優れているのも個人差が有ると思いますよ。 六感は他者より優れているとは思いますが、それがHSPが理由かは定かではありません。

Applepen
質問者

お礼

こんばんは。 初めに >感受性は“高低”ではなく”強弱“で表すものです この定義のソースはどこにあるのかご存知ですか? すみません、日本語のウィキですと非常に薄い内容で、英語にのほうには 長い説明がありました。 hspのhighlyからみて、特に高いと表現して間違っているような印象が無いのですが、高いということではなくて、強弱で表すとの記述が特に見当たりませんのでお伺いします。 英文を読むのですが、HIGHやLOWなどの様々な分野の記述は当然のように使われていますが日本では何か問題なのでしょうか。 HSPは存じていますが、それを確認するための質問ではないです。 HSPのテストをネットでしたとしても、その本人の認識で大分違ってくるかもしれませんね。

  • keizo99
  • ベストアンサー率14% (263/1815)
回答No.3

感性、感受性、私わ、感性が、過敏な方で感受性は、あまりありませんが、良く感きわまり、泣けるといいますが、感と感受性は、別ものでわと、おもいのですが、感受性の強い人は!喜怒哀楽の差が強いのでわないかとかんじます、自分の感情がいっぱいになり、コントロール出来なくなつた、ものが、溢れるのが、涙として、体から排泄する、好意が、涙となつて出ると、聞いたことがあります、

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (934/8791)
回答No.2

全ての基準は自分なので見えないものを比較するとなると更に困難ですが・・ 本来なら誰しも持っているかもしれない第六感で比較してみましたが、身近な第六感の鋭そうな人の五感が特別優れているのかと言われると・・ 感受性が強いから感じるのか、第六感が強いから感じるのか、かと言って鈍かったら何も感じないんじゃないかという比較の難しさを感じてしまいました。 全てが人並み外れた人も当然いるとは思いますけどね。 ただ例えば何か1つの感覚に障害が生じると、それを補うために他の感覚が鋭くなったり、何かを発端に、またはある感覚が鋭くて他の感覚にも刺激がいく場合などがありますよね。 それに加え生まれ持った個人差も無視できないと思うので、それぞれ別物と考えてもいいのかなと思いました。 ひとつ言えることは、何かが鋭すぎると同時に生きにくさも感じることがあるのかもしれないなということでしょうか。

Applepen
質問者

お礼

こんばんは。 >全ての基準は自分なので見えないものを比較するとなると更に困難ですが・・ そうですね、客観的視点で見ることが可能な人は意外に少ないし、云っても出来ない人が多いと思います。   なので、それを踏まえても少し上にいかないと話せないお話、かもしれません。 >本来なら誰しも持っているかもしれない第六感で比較してみましたが、身近な第六感の鋭そうな人の五感が特別優れているのかと言われると・・ 感受性が強いから感じるのか、第六感が強いから感じるのか、かと言って鈍かったら何も感じないんじゃないかという比較の難しさを感じてしまいました。 確かに。 所謂幽霊みたいなものをみていますが、親も見ていますし、兄妹も、そのようなものを経験しています。 だからといって、感受性が高いというようなことは全くありません。 こういうものをみるのは六感でよいのでしょうか。 >ただ例えば何か1つの感覚に障害が生じると、それを補うために他の感覚が鋭くなったり、 以前どなたかがお話しされていましたが、 病気等体を壊す場所は、そもそも強いから壊すのだというようなことでした。 例えば、スポーツ選手は体を酷使しますので大けがをする可能性が常にあり、内臓の疾患も周りの人々を見ていると、暴飲暴食等の長い期間を経て病気になっている、亡くなった方も多くいます。 個人的に小食なのは、暴飲暴食が出来ないのですよね、それは体が少々虚弱だったせいで結果、 無理をしないのです。 また、自らの体の悲鳴に気が付かない人が非常に多いですね。 目が見えない人は音に敏感であるとは聞きますが わたしが観察する限り、どこかを悪くすると連鎖的に悪くなっていく方が多いような気もします。 盲目の方は命にかかわるので、聴力を失ったら外には出れませんよね。 性格的なもの、左右する気がいたします。 >ひとつ言えることは、何かが鋭すぎると同時に生きにくさも感じることがあるのかもしれないなということでしょうか。 そうでしょうね。 わたしの周りに感度の低い人も高い人もいますが 鈍感な人のほうが生き易そうです。 きっと、裕福になり色々なものが揃い整っている環境があると、原始人のような生活には戻れないように贅沢になってしまうこともあるかもしれません。 わたし自身、食べれるものや食べれないもの 石鹸一つでも使えないものがあったりしますので チョイスに時間がかかることが多いです。 ご回答ありがとうございました。

  • mon205
  • ベストアンサー率31% (139/441)
回答No.1

そもそも・・・ >感受性の高い方がおられましたら是非ご意見をお願いいたします。 自分で「はい。私、感受性が高いです」とわざわざ発表する人って、そうそう居るのかな?・・・と疑問。 少し意地悪な回答になってしまうかも知れませんが・・・ 感受性って(誰かと比べて)「高い」「低い」と判断するよりも 個人的に「強い方かな?」「鋭いのかな?」と思うものではないでしょうか? 踏まえて、 私はきっと「感受性が豊か」な方なのかな?と時折感じていました。 五感も「良い」「悪い」ではなく、わりと「鋭い」方だったのかな、過去を振り返ると。 感じたものを感じたまま・・・それを内に秘めないで、すぐ言葉にしてしまう。 これは自身の欠点でもあったりします。 ストン!と相手の心に突き刺さり 「涙が出た」「解ってくれる人が居た!」と感動されることもあれば 「傷ついた」「そこまで言われる筋合いはない!」と激怒されたこともしばしば(汗) 子供の頃からなんとなく気づいていました。 「普通」と言う枠からはみ出している。と。 たぶん、捜せば何らかの病名はつくでしょう。 人間、みんな人生の主人公は「自分」なんですよ^^。 >日本人でいうと人口の1割も感受性が高いと思える人はいないような 表現力の違いなのかな? 「傷つくくらいなら表現しない方が良い」と内に秘めている方が多いのではないでしょうか。 >感受性が高い人は、五感も良い人が多いのではないかと思ったのですが、 何事にも「鋭い」(感じ方が高い?)わけですよね。 しかし、感じても 「感じた」と自己表現できる場が、大人になればなるほど少なくなる。 また周りの大人達に窘められて「感じるままに表現してはいけないのだ」と学習してしまう。 人は皆、自分に足りないモノを求めて(人生の)旅をしている。 憧れたり、羨ましがったり、妬んだり・・・ 共感し合い、相哀れみ、認め合う。。。 やがて己の個性が確立すると 「足りなかったからこそ、あの人と出会い、助けられたんだなぁ・・・」と 今の幸せに、全ての出来事が繋がっていたんだ。。。と感謝できるようになる。 スミマセン、物事を大袈裟に捉える傾向もありますね(汗)

Applepen
質問者

お礼

こんにちは。 「疑問」についてですが、わたしは特に疑問だと思わないのですが、日本の方は御自身でそのように云わないかもしれませんね。 そう宣言しても全く問題ないと思いますが誰かに否定されるのを恐れると云わないことを選択するのかもしれませんが、自分にしか分からないことであると思うのと、他人はそれほど周りの人の観察はしていないと思うので聞いてみたいと思いました。 強い弱い、鋭い鈍感、どちらでも良くて それは表現の違いですので御気になさらないでください。 これは他の方へのメッセージでもあります。 >傷つくくらいなら表現しない方が良い この表現、否定されることや嫌われることなどへの恐れなのではないでしょうか。 また後半のお話は質問とは少々かけ離れていますが わたしは自分に無いものを求めて旅を?人生を生きていると思ったことはないですが、それも表現の違いと云えば、そんな感じもいたします。 大抵のことはすべて実現というか、叶っているので幸せな人生ではあります。 感謝、出来ることもあれば出来ないこともありますね。 まだ人生の途中なので最後はどう思うのでしょうか、自身でも分かりません。 感受性が高く、賢い方は自身の個性を理解されている方もいらっしゃると思います。 紳助さんのお話を先に触れましたが、色々な面で平均より上にいる方のお話は、とても興味深く そうしたお話は誰もが出来るものではないと思いますし、理解できない方もおられるかもしれません。 ありがとうございました。

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