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直感的とは、実は論理の積み重ねでは?

理系人間は、自分で考えるというよりも、他人が作った規則や法則 を丸暗記し、その式に当てはめるだけ。 式自体が、ある種論理的であるだけで、その式に当てはめて回答を出す のは、論理的回答とは言えないのではないか。 当然、公式などを作った人は、論理的であり、文系脳と言えるだろう。 直感とは、考えていない事ではなく、思考時間が一瞬であるというだけ。 いままでの経験上とか、持ってる知識を一瞬でその状況に置き換え、最善だと思う言動をする。 どう思いますか?

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  • ベストアンサー
  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.9

哲学では、「直感」という言葉はあまり使われませんね? ベルグソンも「直観」と言っているし、カントも「直観」と言っているし。 「直感」というのは俗にいう言葉で、「勘」とか、「パッと閃いた」とか、なんとなくそんな「感じ」がする、という風に使われ、文学ではよく使っていると思います。 パースは、デカルトやカントの「直観」という考えを批判して、その「論文集」で・・・・・・ (1)何の予備知識もなしに、記号(言葉)を使って推論することなく、漫然と思いめぐらすだけで、判断する能力を私たちは備えているであろうか? (2)直観は推論の前提とはなるが、結論とはならないものといい代えてもいい。 (3)私たちが直観的能力を持っているか、どうかということを直観的に判定する能力を果たして私たちは持っているだろうか? (4)ある認識が他の認識によって限定されるのか、それとも心の外の事物によって限定されるのか、ということは、その認識からだけでは決定できない。 (5)私たちが、直観という能力を持っていることの証拠は、単に私たちがそういう能力を持っているように「感じられる」ということだけである。 (6)私たちは、内観の能力を有しない。内部世界に対するすべての知識は外部的な事実にかんする私たちの知識からの推論によって導き出される。 (7)私たちは、直観の能力を持たない。あらゆる認識は以前の認識によって論理的に限定される。 (8)私たちは記号(言葉)を使わずに考えることの能力を持たない。 (9)私たちは絶対に認識不可能なものを把握する能力を持たない。 (10)いかなる対象を認識する場合であっても、その最初の認識の瞬間などないのであって、認識は必ず連続的な過程によって生ずるものなのだ。 (11)私たちはデカルトのように完全な懐疑から出発することは不可能である。私たちが哲学の研究に入るとき、私たちは現に持っている偏見・先入観から出発せざるを得ない。 ・・・・・・こうして、パースは哲学には出発点がある、基礎があるという考えを否定し、そして「直観」というものを否定し、哲学は、推論からなる、と言っています。 あなたが冒頭で、「直観的(直感ではなく)とは、実は論理(推論)の積み重ねではないか?」と言っている通りです。 「直観」とは、何の前提もなく、一瞬にして考えるというものだとすれば、そのようなものはなく、必ず何らかの前件・前提があって、「今までの経験上とか、持っている知識」を元に、推論を重ね、「その状況に置き換え、最善と思う行動をする」というものだと思います。 パースがいうように、「最初の認識の瞬間」というのは、ないのですから、あるのは連続的な推論の過程であるということ。 たとえば、ニュートンが「万有引力の法則」を発見したのも、リンゴが木から落下するのを見て、直感でパッと閃いたのではなく、あれこれと推論して、その果てにようやく発見したものです。 推論の連続的な過程の果てに。

その他の回答 (9)

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.10

脳の活動を,荒っぽく単純化すれば, 模倣と組み合わせを繰り返しながら推論や解答を出しているだけでは無いかと思います。そこに文系とか理系とかはあまり関係なく,結果の出し方が画像か文字かの違いが右脳的,左脳的で大きな違いだと思います。 言語だって,公式に当てはめているだけでしょう? ここに書いている回答だって,そもそもは母親が私に ぱぱ ままと教えたことから始まっている膨大な「公式」の中の一つだと思われます。 直感も言語に例えれば当然あなたの言っていることと同じ。当たり前のことです。こう言えば通じると瞬時に検証して日本語であれば五十音を単語とか会話文という公式に載せて並べているだけのことですからね。 クリエイティブな人,仕事と呼ばれるのは,その公式の分野が遠く離れた物を上手くつなぎ合わせることができた人に与えられる呼び方でしょう? 陶芸の世界にヨーロッパの美術のセンスや,パンクロックの世界で生まれた感覚,料理研究家と自動車整備士のセンスなんて呼ばれる公式を,自分なりに上手くつなぎ合わせてそれらを瞬時にイメージできて,画像化したり文章化できたりすれば,天才陶芸家と呼ばれるのではないでしょうか?

hadakamru
質問者

お礼

ありがとうございます。 勉強になります。 「言語も公式」 たしかに。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1724)
回答No.8

補足、ありがとうございます 補足も含めて感じたことは、直感は、あくまでも正しくないほうが多いのでは?と感じました 例えば、書かれている通りに論理や経験の積み重ねが多いほど、直感の正確性は向上するように思いますが、経験値が低くても直感はあるかと思います しかし、前者のモノよりも正確性は乏しく、乏しいからこそあえて、その場ですぐに言語化しない人も多いのでは?と感じました つまり、理論や経験値が豊富な人は、それだけ自信もあるでしょうから、普通に言葉がでてしまうことで、「直感的とは、実は論理の積み重ねでは? 」という疑問が湧いている気がします 少し質問内容とズレてしまいましたが、そのような意味では、おっしゃる通りかと思います

  • kknow
  • ベストアンサー率18% (16/88)
回答No.7

その通りです。 試験問題のようにすべての単語が確定的概念として存在していれば論理的思考で正解を出すことが出来ますが、現実社会ではその概念を特定するのに直感を使わざるを得ない。 理系人間や経済学系の人間は社会における事象を「論理で読み解いてるつもり」になって、そもそも根底となる概念を読み取れていないことが多々あります。

回答No.6

 道具として使うなら、それもありでは。公式など作るほどの頭脳ではないので、論理的かどうか、文系脳(?)かは分かりません。  確かに直感というようなものは、平素の思考の積み重ねなどによってひらめくもののようです。例えば、下記URL参照。 参)67歳おじいちゃんが数学上の未解決問題を“歯磨き中”に解決! https://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201704_post_12877.html?_p=3

  • okok456
  • ベストアンサー率43% (2575/5952)
回答No.5

>直感的とは、実は論理の積み重ねでは? 賛同します。 感とは説明できなくても状況を分析し経験に基づいた判断と言えるでしょう。 他人が作った規則や法則も知識ですね。 状況を分析し当てはまる法則が引き出せるかは能力の差ですね。 熟練工や職人の感覚・技術を理科系技術者が分析、数値化し機械化・自動化しているそうです。 余談 私は元来方向音痴ですが、仕事で車で毎日のように移動するようになりコンパスと地図を使えるようなりました。 何年かするとコンパスと地図が無くても目的地にある程度は行ける能力がつきましたが、 カーナビを利用するようになりその能力は低下してしましました。 スマートファン無しでは一人旅は出来ない日本人が増えそうですね。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1724)
回答No.4

えっと 質問文の中に、論理の積み重ねと経験の積み重ね、両方書かれています もう少し整理されて、補足を願います

hadakamru
質問者

補足

失礼しました。 ものすごく簡単に言うと、直感とは、論理や知識、経験すべてを瞬時に駆使し、思考し、結論が出てしまう事なのではないのか?と。 何の筋道も立てていないのではなく、自分で理解するより先に、結論に辿りついてしまうのではないか、と。

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率26% (1858/7100)
回答No.3

何だか本当の理系の人を知らないようですが? 高校程度で理科のできる人は、式に当てはめて答を出す人もいるでしょう。 しかし理系人間は規則や法則を当たり前のこととして理解できる人です。 公式なんかほとんど覚えていないから、試験の時は公式を考えて導き出しそれから問題を解くことが多かったなー。 直感とは思考時間が一瞬のことではなく色々考えてみてどう考えても変だ、だからもしかしてこうなんではないかと言う論理的な考えが直感です。

hadakamru
質問者

補足

大変失礼いたしました。 「理系人間」という括り方は、誤解を招いてしまいますね。 所謂、理系脳とか文系脳とかという括りの事で。 公式を作った人、式を考えて導き出すこと。 勿論そういう人が、論理的思考の持ち主なのではないか、と。 直感とは、論理的考え方だという意見は同じです。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1794/6864)
回答No.2

>直感とは、考えていない事ではなく、思考時間が一瞬であるというだけ。 >いままでの経験上とか、持ってる知識を一瞬でその状況に置き換え、最善だと>思う言動をする 面白い考え方だと思います。私もそう思います。 「新しい記憶」は海馬に、「古い記憶」は大脳皮質にファイルされる ようです。 従って、普段使っている所は海馬だと思いますが、今見て感じていること をきっかけに、大脳皮質にある過去の記憶が蘇る瞬間が「直感」と感じ られるのかもしれませんね。ある種、シックスセンス? 何もないところからは、何も生まれませんよね・・・笑

hadakamru
質問者

補足

そうなんですよね。 「直感とは:推理・考察など論理的思考によらず」なんて書いてありますが、これは大きな間違いなのではないかと思うのです。

回答No.1

  いままでの経験上とか、持ってる知識を一瞬でその状況に置き換え、出した結論です 最善か最悪かは判らない  

hadakamru
質問者

補足

仰る通り、結果として良かった悪かったはあるでしょうが、直感で行動や発言をする際には、きっと一瞬で「これが最善だ」と判断するのではないでしょうか。

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