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終戦記念日は、8月15日ではなく、9月2日のはず。

 終戦記念日は、8月15日ではなく、連合国と合意調印した9月2日のはず。  井の中の蛙でなく、グローバルな日本人なら、終戦記念日は、連合国と合意調印した9月2日のはず。  世界の常識からはずれる。 みなさん、文部省に、間違ったことは教えるべきではないと、言うべきだと思いませんか。 ご意見があれば、教えて頂けませんか ?

  • Broner
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  • 政治
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  • staratras
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回答No.17

No,16です。少し補足させてください。 回答者が主張しているのは「終戦記念日」(これは通称で日本政府の正式な表現では「戦没者を追悼し平和を祈念する日」)として最もふさわしいのは8月15日であるということです。これは日本において第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終結した日がいつかという歴史学上の問題と同値ではありません。 戦争終結については複数の考え方があります。主なものを挙げれば、1945年の8月14日(ポツダム宣言受諾を連合国各国に通告した日)、8月15日(天皇がラジオ放送でこれを国民に伝えた日、9月2日(日本政府が降伏文書に調印した日)などです。正式に(法的に)降伏が成立したのが9月2日であるというのはもちろん正しい主張です。 ただし戦争が終結しても、世界のすべての地域で日本軍の戦闘が終結したわけではなく、実際に戦闘が終わった日にはばらつきがあります。 戦後まもなくの占領下の日本では9月2日が「降伏の日」「降伏記念日」「終戦記念日」などと呼ばれ、GHQによる戦勝を記念する行事も行われていたそうですが、独立回復後には9月2日を特別な記念日とする考え方やこの日の行事はほとんど見られなくなってしまいます。 それとは逆に当初は8月15日ではなかった政府主催の「全国戦没者追悼式」が、1963年から8月15日に行われるようになって国民の間に定着し、1982年には8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されました。8月15日が「終戦の日」とされるようになったこの一連の歴史の経過の重さを考えるべきだと思います。 結論を繰り返しますと、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として最もふさわしいのは8月15日であり、これは日本において第二次世界大戦が終結した日がいつかという歴史学上の問題とは異なるということです。

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質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 『「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として最もふさわしいのは、8月15日』ですか。  議論しているのは、終戦記念日として相応しい日です。 議論を、変えないでください。 終戦記念日は、8月15日ではなく、連合国と合意調印した9月2日のはず。 日本も、連合国も、この日をもって、以後に生じた戦いは、暴力行為として、平常法に基づき、裁かれる。 この日が、区切りなのです。 このように、法的に、学究的に、科学的合理的に、現実に対応する姿勢が、大事なのです。 8月15日を終戦記念日として、その日から9月2日の間で、戦闘し死傷した人は、特例として、戦争行為とみなす。 それは、韓国人とおなじです。 日韓基本条約で、慰安婦、強制連行問題は、日韓間で合意しましたが、政権が代われば、無責任に知らんふりです。 韓国民が、条約の内容を明らかにしろと政府に要求すると、韓国の国益を損なうから、出来ないと、無責任。 このように、法的に、学究的に、科学的合理的に、現実に対応する姿勢が、ないのです。 ひるがえって、日本が先の戦争で負けたのは、連合国は、レーダー、コンピューター、原子爆弾の三種の秘密兵器を持っていた。 日本は、天皇の三種の神器を持っていたが、ご存知のように、敗戦してしまいました。 反省するに、法的に、学究的に、科学的合理的に、現実に対応する姿勢が、大事なのです。 でなければ、先の敗戦は、何の意味もなさない。 何度でも、負け続けることでしょう。 くどいですが、法的に、学究的に、科学的合理的に、現実に対応する姿勢が、大事なのです。

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1439/3512)
回答No.16

高校の日本史の教科書などには正しく書かれていますし、歴史の教師もそう教えています。40年前回答者が使用した教科書には次のように書かれていました。 ここにいたって政府も意を決し、軍部内の反対をおさえて8月14日ポツダム宣言を受諾し、翌日、天皇はみづからラジオ放送を通じて国民にこれを発表した。ついで9月2日アメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印が行われ、ここに…(中略)…第二次世界大戦はまったく終りをつげたのである。(「精選日本史」山川出版社) この一連の歴史の流れ、さらに樺太などでは8月15日以降もソビエト軍の侵攻によって、非戦闘員を含む多くの人名が失われたことなどを忘れずに理解していれば、終戦記念日を8月15日とすることは何の問題もないと回答者は考えます。8月14日、同15日、9月2日を比較すれば、当時物心がついていた日本人に一生忘れられないほどの衝撃を与えた日は8月15日だけだからです。 また「日本が戦争に負けた日」を8月15日だと考えているのは日本だけではありませんし、他の国が9月2日で一致しているわけでもありません。 韓国では日本の敗戦により独立を回復した「光復節」として8月15日が重要な記念日(祝日)となっていますし、中国本土(中華人民共和国)が「抗日戦争勝利記念日」、台湾(中華民国)が「対日戦勝記念日」としているのは9月3日です。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 『この一連の歴史の流れ、さらに樺太などでは8月15日以降もソビエト軍の侵攻によって、非戦闘員を含む多くの人名が失われたことなどを忘れずに理解していれば、終戦記念日を8月15日とすることは何の問題もないと回答者は考えます。 8月14日、同15日、9月2日を比較すれば、当時物心がついていた日本人に一生忘れられないほどの衝撃を与えた日は8月15日だけだからです。』ですか。 あなた達には、学究の姿勢がないのでは。 終戦とは、日本と相手国の連合国の終戦の合意に基づいて調印され、終戦の実効が生ずると、双方が合意した。 だから、双方の終戦の合意に基づいて、戦いが終結する。 日本だけで決められることでは、ないのです。 もしも、調印以降に、攻撃すれば、裁判により、暴行事件として裁かれるようになるのです。戦争ではないのです。 だから、終戦は、日本と相手国連合国の終戦の合意に基づいて調印された日とするべきです。  8月15日を終戦とすると、それより前の、8月15日から、9月2日の間に、連合国に攻撃を受けて、死傷した人は、戦争による死傷とみれないでは、ないですか。 特例を設けるから、心配ないですか。 自分の都合の良い事実しか、聞き入れない、韓国人と同じじゃないですか。 国同士の条約調印、裁判、法的効力などが、大事です。 終戦は、相手国の合意が必要です。 双方の法的効力、戦争なのか、暴行事件なのか、区別できなければならないのです。 ソ連の侵攻は、新たなる戦争で、連合国ではない。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.15

どうも韓国の方からのご質問のようですね。 世界的に見ればバラバラです。 8月15日は戦闘中止命令が出ましたので、 日本では終戦記念日で良いのです。 9月2日は降伏文章サインした日なので、 敗戦日になります。記念しないだけです。 ソ連は9月15日頃だったと思います。 礼文島だったと思いますが、そこでの戦闘終了日が対日戦争終了日です。 朝鮮、中華人民共和国には降伏していません。 北朝鮮も韓国も当時存在しません。 戦争もしていません。 中華民国の蒋介石には降伏しました。 ロシア(ソ連)はサンフランシスコ講和条約に含まれず、日ロ平和条約も結んでいない筈です。なら現在も戦争してる事になります。 下らん言葉遊びです。

Broner
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 『世界的に見ればバラバラです。 8月15日は戦闘中止命令が出ましたので、 日本では終戦記念日で良いのです。 9月2日は降伏文章サインした日なので、 敗戦日になります。記念しないだけです。』ですか。 韓国人ではありません、科学的合理主義者です。 大学などの研究者の立場で、物を考える、普通人です。 あなた達には、学究の姿勢がないのでは。 終戦とは、日本と相手国の連合国の終戦の合意に基づいて調印され、終戦の実効が生ずると、双方が合意した。 だから、終戦の合意に基づいてされて、戦いが終結する。 日本だけで決められることでは、ないのです。 もしも、調印以降に、攻撃すれば、裁判により、暴行事件として裁かれるようになるのです。 だから、終戦は、日本と相手国連合国の終戦の合意に基づいて調印された日とするべきです。 それより前の、8月15日から、9月2日の間に、連合国に攻撃を受けて、死傷した人は、戦争による死傷とみれないでは、ないですか。 特例を設けるから、心配ない、ですか。 自分の都合の良い事実しか、聞き入れない、韓国人と同じじゃないですか。 韓国人のアホと同じじゃないですか。

  • OsatKaso
  • ベストアンサー率24% (43/178)
回答No.14

あなたは、「9/2にミズーリ号で降伏文書に調印したのだから、この日が終戦記念日のはずだ。」と言われているのですね。 実は、8/15は日本では終戦記念日(敗戦じゃないですよ)ですが、外国では次のようになっています。  アメリカ VJ(Victory Japan)記念日(日本に勝利した日)  韓国   光復節(日本の支配より解放された日) このように、各国で扱いが違いがあります。これは、それぞれの国民の歴史に対する扱いが違うからです。グローバリズムの世の中でも、それぞれ違うのは当然であり、それが一致されることはないと思います。 あなたの言う、終戦は9/2とするならば、アメリカの勝利、韓国の解放も9/2になってしまうはずだけれど、そうなってませんね。 それゆえ、「玉音放送のあった8/15を終戦記念日とする」ことで問題がないのです。(ちなみに、韓国は8/15に解放されたわけではないことは、歴史が証明されています。)また、あなたの言うように、終戦記念日を9/2に変更するとなれば、あらゆる書物や報道を全部書き換えなければならない、となってしまいますよ。これには、どれだけのことをやらなければならないでしょうか? それと、グローバルが必ずしも正しいのか、という問題があります。 「太平洋戦争」我々は、この言葉を使用していますが、この言葉はアメリカ側で使用していたものです。(日本では「大東亜戦争」としていました。) 戦後、GHQの圧力で太平洋戦争になったのです。 現在では、「大東亜戦争」なんて言うと、「右翼が戦争を肯定しているからこんなことをいうのだ」というふうに言われることがありますが、「この戦争の戦場は、太平洋より東アジアと考えるべきだ。確かに、アメリカ側から考えると太平洋が戦場だけど」という人もいます。 このように、立場が違うといろんな考え方ができ、それもどこまでかは正しいのです。ここのあたりを考える必要があるのではないでしょうか?

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質問者

お礼

 あなたは、自分の都合の良い事実しか言わない、韓国人のようだ。 科学的、合理的に考えて、戦争当事者、日本と連合国の戦争終結を合意調印した日が、終戦としての、双方の戦闘を終えたと実効のある日。 双方の戦闘を終えたと実効のある日、その日こそ、終戦の日とすべきと思いませんか。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (840/4403)
回答No.13

>終戦というからには、相手国があり、連合国の合意がなければ、終戦ではありません。 連合国は終戦を迫っていましたが合意はいつしたんでしょう? あなたは9/2と言いたげですがそれは調印の日でしょ? 合意した日は私は知りません。 9/2まで引っ張っていたら3個めの原爆が落ちると思いますが? >8月15日では、盆休みで、休日の意味が無い。9月2日なら、休みとなる。 8/15は休みではない会社はたくさんありますよ。 >学生、及び勤労者の大部分は、休みの増える方に賛同しますよ。 そういう人たちと、敵対するつもりですか。 そんなつもりは毛頭ない。終戦記念日は祝日ではないのだから。

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質問者

お礼

 あなたは、自分の都合の良い事実しか言わない、韓国人のようだ。 科学的、合理的に考えて、戦争当事者、日本と連合国の戦争終結を合意調印した日が、終戦としての、双方の戦闘を終えたと実効のある日。 双方の戦闘を終えたと実効のある日、その日こそ、終戦の日とすべきと思いませんか。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3311)
回答No.12

今更”過去の歴史問題見直し・改訂作業執り上げるのは”真夏の幽霊追うが如し。 文部科学省・云々は、そうかも知れづですが、現代日本人の視点に立てば、国民等しく敗戦時期の”歴史を掘り下げる事は、”禁断の実・”パンドラの箱を、今更誰が”開けるのか、出来れば思い出したく無い事だらけでしょうに、今更、何の是正か修正か”期待される効果は、何でしょうか、誰も”その事はもう良い過ぎた事とされて、別の明るい話題が、欲しいのでしょう。 どうしてもと、言われるならば、投稿者様が”先頭を切って、修正努力・国会提案*主旨論文作成+活動資金+人材募集+近隣諸国への配慮と、更には、文部科学省への提言デモ行動等”政治活動を自ら”発奮行動を、起こされたら如何か。 ”過去完了の歴史にしたい、そう言う”センチメンタリティも”必要な事でしょうに妙に”正義感・歴史家・”ツウ振るのは良いが、”日本は未来へ投資・近隣北アジアへの平和努力を”粛々とODN等含めて実行中・当面は”北◇◇問題解決に注力中。 それで、良いでしょう。・”古来、君子豹変するが、日本の進む方向性だから。 終戦は、8月15日に”天皇陛下”敗戦”放送が有ったとされていたから、それ以降 ”米国駐留軍”政治を、否応なく我慢苦難歴史を刻んで来た、”9月2日の時云々の 時期は、敗戦国としての、”東京裁判行く末に国民全体が、注目し動転していたからの結果:A/BC/戦犯と言うのは、矢張り”連合国側”勝者の論理で敗者が日本 ”ソ連・北方四島ドサクサ紛れ、火事場泥棒騒ぎ等、現代も解決していない”禍根を残していただけの事でしょう。・敗戦と云う事は、何らかの代償が有るのか。 ◉そう云うものでしょうから、今だ且つて”8月6日・8月9日・・・慰霊者参拝収まらず、歴史は”過去へ、平和は誰も”保証責任無いが、あれから72年がたったと、云う”現実感のみが、重く暗く国民それぞれに、澱み沈殿しているからでしょう。

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質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 あなたの気持ちはよくわかる。 しかし、現代の若者は、もう、何の知識も、感慨も無い、敗戦国も、天から与えられたものと考え、何も疑問も持たない。 もう、過去は、うすれてしまっている。 あなたのような、感慨を持つ人は、年齢を重ね、消滅してきている。 もう、新たに、休日を造った方が、良いと思いますが。 終戦というからには、相手国があり、連合国の合意がなければ、終戦ではありません。 そうでなければ、当時の文部省は、嘘を、管轄の学校で、教えるように指示したことになります。 世界の常識からして、戦争の相手国の合意を得て、終戦とすべきだと思います。 だいたい、8月15日では、盆休みで、休日の意味が無い。9月2日なら、休みとなる。 学生、及び勤労者の大部分は、休みの増える方に賛同しますよ。 そういう人たちと、敵対するつもりですか。

回答No.11

No.7です わざわざお礼を記入いただきありがとうございます。 お礼に「欧米も、9月2日までは、日本は敵国としていた、それが、世界の常識という。」とありますが 中国をはじめ東欧諸国では9月3日が対日戦勝記念日になっています。 ドイツに対するヨーロッパ戦勝記念日は5月8日ですが全ての戦闘が終了したのは5月11日です。 5月8日についても西ヨーロッパが5月8日であっただけで、調印が行われた当時のベルリンでは5月9日でした。 当時のソ連(モスクワ)も5月9日でした。 現在もロシアではプラハで赤軍が戦闘を続けていたにもかかわらず対独戦勝記念日は5月9日としています。 「戦争が終わったのが、9月2日」とされておられますが、フィリピンのモンテンルパでは引き続いて日本兵の収容と処刑が続いていました。 処刑が中止になり釈放されたのが1953年7月7日です。 正確に言えばこの日まで日本兵は元より出兵させた国家としての日本にとって戦争は続いていたことになります。 質問者さんの主義主張に難癖をつけている訳ではありませんので誤解なきように願います。 物事は考え方次第だということをご理解願います。

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質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 終戦というからには、相手国があり、連合国の合意がなければ、終戦ではありません。 そうでなければ、当時の文部省は、嘘を、管轄の学校で、教えるように指示したことになります。 世界の常識からして、戦争の相手国の合意を得て、終戦とすべきだと思います。 だいたい、8月15日では、盆休みで、休日の意味が無い。9月2日なら、休みとなる。 学生、及び勤労者の大部分は、休みの増える方に賛同しますよ。 そういう人たちと、敵対するつもりですか。

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17765)
回答No.10

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E6%88%A6%E5%8B%9D%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5#.E5.AF.BE.E6.97.A5.E6.88.A6.E5.8B.9D.E8.A8.98.E5.BF.B5.E6.97.A5 貴方の意見が世界の常識だとしたら、東側の終戦記念日も間違っているということになりますよね。 であれば、中国やロシアにも「あなた方は間違っている」と、啓蒙活動をしてきてください。 「立場が違えば主張も変わる」というのも世界の常識では? 大抵のものは事務手続きされた日と実施された日は一致しません。 日本の場合は「降伏文章であるポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせた日」を終戦記念日としただけ。 終戦を知った日本の殆どの部隊は戦闘を放棄し撤退を始めたはずですが、これ幸いにと攻め込んできた敵愾戦闘部隊が存在したため、民間人を保護するためとか部隊の撤退を助けるための戦闘はあったでしょう。 でも、日本の部隊から戦闘を仕掛けたことはないはずです。 「降りかかる火の粉を払っただけ」の紛争規模だったと思います。 特に、中国から撤収する日本人民間人に対して中国人(軍民両方)が行った非人道的な行為の方こそ国際法違反として弾劾してもいいと思いますが、当時はそんな国際法は存在せず勝てば官軍、負けた国に権利は何もないというのが常識でしたからね。 だから戦勝国内で日本の分割占領が真剣に話し合われた。 ※その中に韓国はない。韓国の建国はその後だから当たり前w 「国が国民に間違ったことを教えるべきではない」という主張はごもっともだと思いますが、お隣の半島国家ではそれが常識になってますからね。 こちらもぜひ間違ったことを教えるなと啓蒙活動を行ってもらえると幸いです(笑)

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質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 偏狭な他国の事は、どうでもいい。 終戦というからには、相手国があり、連合国の合意がなければ、終戦ではありません。 そうでなければ、当時の文部省は、嘘を、管轄の学校で、教えるように指示したことになります。 世界の常識からして、戦争の相手国の合意を得て、終戦とすべきだと思います。 だいたい、8月15日では、盆休みで、休日の意味が無い。9月2日なら、休みとなる。 学生、及び勤労者の大部分は、休みの増える方に賛同しますよ。 そういう人たちと、敵対するつもりですか。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (840/4403)
回答No.9

>もちろん8月15日以降もしばらく戦闘は続きました。 そう、ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して攻め込んできましたね。

Broner
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 終戦というからには、相手国があり、連合国の合意がなければ、終戦ではありません。 そうでなければ、当時の文部省は、嘘を、管轄の学校で、教えるように指示したことになります。 世界の常識からして、戦争の相手国の合意を得て、終戦とすべきだと思います。 だいたい、8月15日では、盆休みで、休日の意味が無い。9月2日なら、休みとなる。 学生、及び勤労者の大部分は、休みの増える方に賛同しますよ。 そういう人たちと、敵対するつもりですか。

noname#230100
noname#230100
回答No.8

文部省は、かつて存在した日本の行政機関の1つで、教育、文化、学術などを担当していた 2001年(平成13年)の中央省庁再編にともない、総理府の外局であった科学技術庁と統合し文部科学省となった 確かに、間違ったことを声高らかに放つと恥ずかしいですね 井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る 確かに、正しい日本語の知識と見識を知らないバカが多いですね でも、わざわざ文部科学省に言わなくてもいいかな バカはバカで可愛いですよ

Broner
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 日本では事実上「戦争状態が終わるのを知った」8月15日を「戦争が終わった象徴の日」としていますが、 もちろん8月15日以降もしばらく戦闘は続きました。 だから、戦争が終わったのが、9月2日。 戦闘が終わった日に、終戦とすべき。 欧米も、9月2日までは、日本は敵国としていた、それが、世界の常識という。

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