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敗戦の日を終戦記念日という理由は?
どう考えても敗戦記念日だと思うのですよ。国恥記念日でもいいですが。 終戦などという他人事のような呼びかたをするから独立国には防衛する 軍隊が必要であるという世界の常識が身につかないのだと思います。 なぜいつまでも終戦の日・終戦記念日などとよぶのでしょうか?
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仰せのとおり歴史的事実を考えると正に敗戦ですね。終戦という語はその事実の隠蔽とも考えられてきますね。 この言葉が最初に使われたのは、陛下の終戦の詔勅においてでしょう。 当時、陛下も国民も決して敗戦という言葉を使いたくなかったのですね。 そしてまだ戦えるという気持ちを持っている方もたくさん居られました。 そういう中で、国と国民の疲弊を考え、敢えて戦争を終わらせるのだ。というご意図、お気持ちだったのでしょうね。 今、落ち着いて事態を冷静に考えると、敗戦という事実をしっかり表したことばにするべきだと思われてきます。 終戦にという敗戦。敗戦という終戦ですね。 敗戦にしろ終戦にしろ、国民としてはこみ上げる万感の思いを一言では表せません。 どちらの語にするか。 今、長く使ってきた語をここで変更することに反対はないのですが、そこにいろんな意図が介在してきます。 いろんな気持ちやこれからのことなどが。 簡単に新しい用語に統一することは、今は控えたい。しかし敗戦である。 そして陛下の意図からの終戦させたのである。その陛下のお気持ちを大事したいと存じます。
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- key00001
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「終戦記念日」や「終戦の日」と言うのは俗称です。 8月15日の公式名称は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」です。 停戦日でも終戦日でも敗戦日でも無く、玉音放送(国民に降伏を通知)が行われた日であり、現在は「戦没者追悼式」を行う日です。 敗戦記念日とすれば、ポツダム宣言の受諾通知は8月14日、降伏文書への調印は9月2日です。 終戦記念日とすれば、平和条約調印の9月8日、又はその発行の4月28日です。 これらの日は、公的には記念日とはされていませんので、日本には終戦記念日や敗戦記念日は存在しません。 主権国における防衛論にまで展開するなら、せめて「日本には、敗戦記念日どころか終戦記念日さえ存在しない」と言う認識から発端すべきです。
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ありがとうございました。勉強になりました。
- ShiroganeMadam
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「敗戦」という剥き出しのことばを上品に「終戦」言ったのです。 ずうっと使っていっていいと思います。 ダッチロール恍惚痴呆老人を「認知症の患者様」というのと同じです(爆笑)。
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歴史的事実は敗戦です。 しかしいつまでも、終戦記念日と呼び続けるのは、最初にそう呼んだ人たちがいたからで、敗戦でなく、終戦と呼ぶ事で、彼らの利益を守っています。 最初に敗戦でなく終戦と呼んだ人たちとは、陸軍や政府の戦争へ至るやや暴走気味な日本国の運営に、歯止めをかけられずにどちらかと言うと応援した人たちです。 マスコミや、学校の先生などの教育者たち、町会長などの地域ボスたち、などなど、戦争責任を負いたくないと考えた戦争協力者たちです。 彼らにとって、敗戦でなく終戦と言いう言葉は、自分たちの悪行を逃れる素晴らしい方便でした。 敗戦でなく、終戦と呼ぶ事で、あたかも自分たちが嫌々戦争に駆り立てられた被害者のような顔をしていられたのです。 東日本大震災とその後の原発報道など、日本のマスコミ報道の現実を見れば、敗戦でなく終戦と呼びたがる。日本のマスコミのひ弱さが、良くわかるように思います。
お礼
マスコミってひどすぎます ありがとうございました。
呼びたいからだと思いますけどね~。 変えたかったらもう変えていると思います。
お礼
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- bakansky
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昭和天皇の終戦の詔勅によって日本側が戦闘を放棄することを連合軍側に通達したことで、「終戦」 となりました。「敗戦」 を認めたわけではありません。何十発の原爆を落とされて、実質上は戦闘継続が不可能になったとしても、それをもって敗戦ということにはなりません。日本という国家が消滅してしまっていたとしても、降伏しなかったのなら、敗戦ということはないでしょう。 敗戦という言葉は、ゲーム感覚みたいです。ゲームなら勝ち負けがありますが、戦争に勝ち負けがあるでしょうか? ベトナム戦争はベトナム側の勝利ということになるのですか? しかし、アメリカ側は、「敗戦」 だとは認めないでしょう。駐留軍を引き上げはしましたけれども。 それはともかく、私が高校生の頃、左翼の側であると思われる先生も、「終戦記念日というのはおかしい。敗戦記念日じゃないか」 ということを言っていたのを覚えています。要するに、日本帝国主義敗北の日だということなのでしょう。 天皇の 「赤子(せきし)」 たる日本国の臣民にとって、天皇の決断が最終最高決断なので、それに逆らうわけには参りません。だから、戦闘行為を終結させたわけです。その意味では、「終戦」 という表現の方が、ふさわしいように私には思えますが、そうは受け止めない方もおられるかもしれません。それはその人の問題で、「敗戦記念日」 と称してはいけないなどとは思いません。 その当時の内地にいた非戦闘員の方々にとっては、「戦争が終った」 というのが 「実感」 であったようですから、言葉の上では 「終戦」 という表現がピンとくるものであったという経緯もあろうかとも思います。
お礼
コメントありがとうございます
私も以前から「終戦記念日」という言い方には違和感を持っていました。米・英・ソによる「ポツダム宣言」を受諾するか否かで御前会議は真っ二つに分かれます。受け入れるべし。徹底抗戦すべき。昨夜の池上さんの戦争ドキュメントには3対3で真っ向に分かれたそうですが、最後には昭和天皇がご決断をし、終戦を決意したわけです。それ以前にこれを一時「黙殺」した事により、広島・長崎に「原子爆弾」が投下され、天皇陛下は大変心を痛められました。天皇陛下はともかく、軍部ことに陸軍の降伏への反発は激しく、青年将校達は意地でも8月14に録音された「玉音レコード」を奪おうと画策します。しかしそれは失敗に終わり、15日朝に正午に重大放送があるという告知が成され、国民は正午に初めて天皇陛下の肉声をラジオで聴き、戦争の敗戦を知ったわけです。 8月15日は正式には「正午に天皇陛下の玉音放送」があっただけです。昭和20年9月2日。この日、ミズーリ号で降伏文書調印式があり、私はこの日こそが「終戦記念日」もとい「終戦決定日」と考えます。この際、9月2日を「終戦調印記念日」と定めるべきではないのか?と考えます。
お礼
ありがとうございました
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ありがとうございました