• ベストアンサー

終戦記念日とお盆の関係

お盆は8月13日~15日のことだと理解していますが まさにお盆である8月15日と終戦記念日が重なったのは 意図したものでしょうか、偶然でしょうか?

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数23

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Eivis
  • ベストアンサー率29% (1122/3749)
回答No.2

  ポツダム宣言の受諾可否をめぐる御前会議は、8月9日午後2時に始まり、12時間経っても結論が出なかったと言います。   通常の御前会議は「事前に発言者も発言内容も結論も決まった上」開かれた形式的なもので、この日はまったく異例な事です。   鈴木貫太郎総理を除く6人の構成員は3対3で対立したままとなり、鈴木総理が天皇のご聖慮を仰いでやっと受諾が決定した。 これがなんと次の日の8月10日午前2時20分であったというから、天皇を徹夜仕事に巻き込んだ非常事態である。 最後の御前会議は8月12~14日に数十時間開かれ、14日午前10時過ぎに、やっと終戦宣言のご詔勅内容が決まったと言う。 ・・・曰く、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。…」 このような経過ですから恐らく「月遅れのお盆」に合わせると言うことより、連合国側に返答を迫られて15日になったと思います。 『お盆までには・・・』という気持ちが有ったかも知れませんよ・・・人は重大事を決定したり発表する為には『精神的区切り』がないと踏み切れない弱さが多いのです! あの日は朝からよい天気で、丁度きのう今日の東京の空のように抜けるような空ときびしい暑さの元でラジオを聞いていました。 疎開先の家でラジオも無い人が多かったので、5、6家族が集まって聞いていたのですが、ラジオが古くてガーガーという雑音で 聞き取れず、皆一様に黙ったまま負けたとも勝ったとも分らず解散したことを覚えています。 それから町外れの北上川まで泳ぎに行き、帰り道に盗んだ夏の青リンゴがやたらと美味かった・・・! 次の日・・・あれはやっぱり負けたんだと言う話が広まり・・・そんなことを云うのは非国民だと言う「在郷軍人(退役者)」がいたり、 ホッとする人がいたり・・・毎年いつも天気のよい15日には思い出すのです。 月が替わって進駐軍がジープでやってきた時【敗戦】という実感が湧きました。。。

takuma-risa
質問者

お礼

ありがとうございました。 やっとすっきりした気がします。 私も「精神的な区切り」論に同感です。 現代ではメディアを通じてしか、見聞きすることのない「戦争」が ほんの57年前には身近なものだったのですね。 私の父母も10歳の時、長崎で終戦を迎えています。 EIVISさんと同様、ジープの進駐軍で敗戦を実感したそうです。

その他の回答 (1)

noname#24736
noname#24736
回答No.1

第二次世界大戦は、1945年(昭和20年)年8月に入って、広島・長崎へ原爆を投下されたことで、日本は完全に戦う力がなくなり、これ以上犠牲者を増やさないために、8月15日の日正午、日本の降伏条件などを定めた連合国側のポツダム宣言を受諾したことを、昭和天皇がラジオ放送を通して発表し、戦争が終わったことを国民に知らせました。 この第二次世界大戦の終りを記念し、平和を祈るために、終戦記念日となったので、お盆である8月15日と重なったのは偶然です。 終戦と云っていますが、実際には敗戦です。

参考URL:
http://homepage2.nifty.com/calendar/8gatu/shuusen.htm
takuma-risa
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 少し質問の仕方が悪かったようですが、ポツダム宣言を受諾し玉音放送(敗戦) があったのが8/15であることは存じております。 ただ、単に連合国側との交渉の結果、だけではなく、なぜ8/15だったのかといった歴史上の裏話があれば知りたかったので質問した次第です。

関連するQ&A

  • なぜお盆と終戦記念日が同日なのでしょうか?

    なぜお盆の中日と終戦記念日が同日なのでしょうか?

  • 戦前の終戦記念日はいつ

    戦後の終戦記念日は8月15日ですが、戦前の終戦記念日、日露戦争などの終戦記念日はいつですか?

  • 各国で終戦記念日のようなものがあるのでしょうか?

    8月15日は日本では「終戦記念日」で、政府主催の全国戦没者追悼式がありますが、全世界各国には「終戦記念日」「全国戦没者追悼式」があるのでしょうか? 特に、アメリカ・イギリス・中国・韓国・ドイツやロシアなどどうしているんでしょう? また、イラクなどの地区には終戦記念日のようなものがあるのでしょうか?

  • 日本の最後の対戦国と終戦記念日

    日本の最後の対戦国はソ連ですか。 一般的に終戦記念日は8月15日とされていますが、対ソ戦が終わった本当の終戦日は別の日なのではないですか。 にもかかわらず8月15日を終戦記念日と強調する訳は何ですか。

  • 敗戦の日を終戦記念日という理由は?

    どう考えても敗戦記念日だと思うのですよ。国恥記念日でもいいですが。 終戦などという他人事のような呼びかたをするから独立国には防衛する 軍隊が必要であるという世界の常識が身につかないのだと思います。 なぜいつまでも終戦の日・終戦記念日などとよぶのでしょうか?

  • 8月15日が終戦記念日というのは変では?

    1945年8月13日 大日本帝國軍の戦闘が終了    同年8月15日 玉音放送     同年9月02日 ミズーリー号で降伏調印式     同年9月08日 講和条約調印  1952年4月28日 講和条約発効(大日本帝国の戦争が終了) 1972年5月15日 沖縄本土復帰 ↑で間違いありませんか? だとすれば、 1952年まで戦争状態だったのであれば、「終戦記念日」は、講和条約発効日の4月28日に、しかも「独立記念日」あるいは「主権回復記念日」と呼ぶべきではないでしょうか。 外国には独立記念祭というのがよくありますが、日本にはなぜないのでしょうか。 日本はアメリカのポチのため実質独立していないからとも聞きましたが…。 しかし、1972年まで本土復帰されていない沖縄のことを考えれば、4月28日に独立記念日(主権回復記念日)を祝っていいのかとも思います。 少なくとも、8月15日を終戦記念日と呼ぶのは語弊があるのではないでしょうか。 以上、聞きたい事をまとめますと、 (1)8月15日を「終戦」記念日と呼ぶ事は変ではないでしょうか (2)独立記念日(主権回復記念日)を設けないのはなぜでしょうか (3)設けたとして、日付はいつが相応しいでしょうか 少しアンケートっぽくなってしまった気がしますが、できるだけ詳しい方々がおられるカテゴリーで聞いてみたくここに投稿させていただきました。 それぞれ、どう考えれば良いでしょうか。 他に何かあれば、よろしくお願いします。

  • 終戦記念日は、8月15日ではなく、9月2日のはず。

     終戦記念日は、8月15日ではなく、連合国と合意調印した9月2日のはず。  井の中の蛙でなく、グローバルな日本人なら、終戦記念日は、連合国と合意調印した9月2日のはず。  世界の常識からはずれる。 みなさん、文部省に、間違ったことは教えるべきではないと、言うべきだと思いませんか。 ご意見があれば、教えて頂けませんか ?

  • 8月15日は終戦記念日?敗戦記念日?

    終戦記念日を美化しすぎではないでしょうか? アメリカへアタックしたのは日本からで有ったのは事実 戦争に負けたのも事実、終戦という記述よりも敗戦との 記述の方が妥当ではないだろうか? 強烈に戦争への抵抗感をうませるためにも敗戦記念日との 名称へ変えるべきかと思います。

  • 終戦記念日の黙祷

    終戦記念日の正午には1分間黙祷するといいますが、その1分間とは正午から1分間なのか、正午をはさんで1分間か、もしくはその他か、どれなんでしょうか?

  • 日本の終戦記念日は9月5日

    8月15日は、第二次世界大戦終結の日なので、多くの関係国で記念日になっています。しかし、ソ連が対日参戦をし日本が降伏の意思を明確にした後も侵攻し、北方領土を占領。8月28日〜9月5日までの間に北方四島を占領しました。ですので、日本の本当の終戦記念日は9月5日ではないのでしょうか?