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終戦記念日の扱い/そもそも8月15日なのか?
終戦記念日は、日本では8月15日ということになっています。それはおそらく、玉音放送が昭和20年のこの日の、正午に流されたことに起因していると思うのですが、ある意味「日本側の都合」で勝手に決めているような気がして仕方ありません。 世界史的に見て、この日付でないことはよくわかるのですが、果たしてあの「第二次世界大戦」はいつ終結したと見るべきなのか、ご教授ください。 又、8月15日を特別な日にしてしまっている日本側の事情等に詳しい方の補足もお待ちしております。
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- blackhill
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第1次世界大戦は、1918年11月11日に終わりました。この日の朝5時、休戦協定が調印され、そこでは6時間後に戦闘行為は終結すると明記されていました。 このため、11時までは戦闘が継続し、この日だけで2738人の兵士が戦死したということです。 第2次世界大戦の場合、ポツダム宣言受託の天皇の詔書が放送され、戦闘行為は終結しました。(一部例外あり)。しかし、トルーマン米大統領は、降伏文書が調印される日がVJDAY, すなわち対日戦勝利の日であると宣言し、9月2日が正式な戦争終結日となりました。 また、イギリスでは8月15日が勝利の日とされています。 日本では、8月15日まで戦争が継続していました。8月14日、回答者が住んでいた町は第2次大戦中もっとも激しい爆撃を受け、中心部は壊滅しました。まだ小学生(国民学校)でしたが、8月15日、戦争は終わったと聞いて、もう殺されなくてよいと思ったことはいまだに忘れられません。 どちらの側でも、戦場の兵士たちも同じでしょう。8月15日を境に、血まみれの世界から殺し合いのない世界へと大きく変わりました。 文書や署名といった記録を扱っている歴史家はともかく、8月15日をもって第2次世界大戦が事実上終結したとすることは妥当だと思われます。 なお、旧ソ連は戦勝祝賀際が行われた9月3日を戦勝記念日としていましたが、ロシアになって9月2日に変更したようです。しかし、8月15日以降の旧満州や北方4島での戦闘行為を正当化することはできません。
- kusirosi
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世界史的には、ともかく、 アメリカ初め多くの国では、 東京湾に来た米戦艦ミズーリ号上で、 降伏文書(休戦協定に相当する)に、 内閣代表・重光外相、大本営代表・梅津参謀総長が乗り込み 調印し、連合国各国代表が受領確認した 9月2日を以って、VJディー(対日占領記念日)と祝し 第二次世界大戦終戦としていること多いです。 ・それはおそらく、玉音放送が昭和20年のこの日の、正午に流されたことに起因していると ですね。 連合国へのポツダム宣言受託通告は、前日14日に行われ、玉音放送の詔書も 14日の日付で、署名、宮中で録音されてます。 8月16日 終戦を徹底するため、全陸海軍に停戦を命じる。しかし、通信機も失い孤立状態の部隊も多く、中国大陸では9月半ばまで、南方ではさらに長い間、降伏しなかった部隊もあります。またソ連が満州のみならず、朝鮮、樺太、千島列島、歯舞色丹にも、侵入したので、改めて停戦命令出るまで反撃を、行った部隊もありました。) 8月19日 マニラに河辺虎四郎参謀次長が赴き、降伏手続打合せを行う 8月26日 終戦連絡中央事務局設置。 8月28日 進駐軍の第一陣としてテンチ米陸軍大佐以下150名が横浜上陸、以後、進駐兵力は最盛期には米軍・英連邦諸国軍合わせ最大で43万人となる。 8月30日 マッカーサーの専用機「バターン」号が神奈川県厚木飛行場に到着。帝都進駐に備え、横浜グランドホテルを接収、GHQ仮庁舎を設営。マッカーサー元帥をGHQ司令官とする日本統治が、始まる。 9月2日 日本政府が戦艦ミズーリで降伏文書調印。 ・アメリカ合衆国では、8月14日に日本の降伏が報道された。トルーマン大統領は 「“VJデー”の布告は、日本が降伏文書に正式に署名するまで待たなければならない」と発言した。 同年9月2日の降伏文書調印を以って、トルーマンはラジオ演説を行い、日本が正式に降伏したこの日を“VJデー”とする、と宣言した。 ・ロードアイランド州では、州の祝日として「Victory Day(勝利の日)」を8月の第二月曜日に定めている ・イギリスでは、8月15日がVJディー ・旧ソ連は、対日戦勝記念日は9月3日であった。これは、スターリン政権が、降伏文書調印の翌日9月3日に戦勝記念式典を開いたことに因む。 現在のロシアでは、2010年連邦議会が 9月2日を「第2次世界大戦が終結した日」とする法案を可決、メドヴェージェフ大統領が署名し、9月2日を「第2次大戦終結の日」としている。 ・中華民国・中華人民共和国は、抗日戦争勝利を9月3日としている。これは、日本政府が降伏文書に調印した9月2日の翌9月3日に、国民党政府がこの日より3日間を抗日戦争勝利記念の休暇としたためである。 なお、台湾では、1945年10月25日、中華民国政府が台北中山堂において日本の降服式典を行い、台湾総督府から台湾島を接収した10月25日を台湾光復節としている。 ・日本が降伏文書に調印した9月2日に、ベトナム民主共和国(北ベトナム)の樹立が宣言された(ベトナム独立宣言)。 ベトナム民主共和国を継承したベトナム社会主義共和国(統一ベトナム)では、 VJデーに当たる9月2日は、建国記念日として、国慶節とされている ・半島ではVJデーに当たる光復節(韓国)及び解放記念日(北朝鮮)は、双方とも8月15日としている。 ただし、韓国の光復節は、1948年(昭和23年)8月15日の大韓民国建国宣言を 祝するものでもある。
お礼
詳細なる解説痛み入ります。 各国の「終戦(戦勝)記念日」を羅列していただけるまでは想像しておりませんでした。非常に勉強になります。 8/15を何らかの記念日にしているのは日本以外には、南北朝鮮とイギリスだけなんですね。特にイギリスがこの日付を採用しているのは知りませんでした。 各国の状況が垣間見られて参考になりました。ありがとうございました。
- Mandheling
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日本での終戦記念日なんだから日本の都合で決めていいんじゃないでしょうか? 第二次大戦に関わった国がそれぞれ独自に終戦の日を決めてもいいと思います。 日本にとっての終戦は質問者さんのおっしゃるとおりだと思います。 国際的に統一した日としては、調印した降伏文書にかかれている日付になるんでしょうが、 それと各国の終戦記念日とは別ものであり、統一する必要もないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに「日本独自の記念日」なのは理解していますが、どうにも8/15=玉音放送の日というイメージしかなかったものですから、質問させていただいた次第です。 統一の必要はない・・・確かにそうかもしれません。参考にさせていただきます。ありがとうございました。
- opechorse
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8月15日は、玉音放送によって日本の組織的戦闘が終わった日であって 本来の第2次世界大戦・大東亜戦争終結は、ミズーリ号降伏文書調印の9月2日だと理解しています 8月15日については、日本の国家元首たる天皇陛下が 戦闘終結を宣言したから、以上の意味はないでしょう 軍部のクーデターや 宇垣特攻 占守島の戦いなどの北方戦線は 8月15日以降も戦闘は続いていたわけですし
お礼
端的にお答えいただきありがとうございます。 一番当方の「認識」に近いお答えをいただきました。玉音放送日が終戦の日であるならば、ほかに戦闘は行われているのはおかしな話ですし、北方での戦闘はどうあってもおかしな話ということになりますね。 ポツダム宣言受諾の日だとしてもずれは生じるわけですし、やはり、「玉音放送が行われた日」という以外に意味はないのかもしれません。
確かに「終戦の日」については、いろいろな案があるようです。 でも、私はいいと思います。 逆に8/15でなかったなら、国民に知らしめたのは8/15だからと言う人が大勢出てくるでしょう。 否定すれば、さも知っているかのように振る舞える、そんな日本なのです。
お礼
WIKIも見させてもらいました。 なぜ8/15なのか?という問いかけそのものが黙殺されているように感じ、また、そんなに玉音放送がすごかったのか、ということを提起もしたくあり、質問した次第です。 録音日が8/14で(=ポツダム宣言受諾日)、その翌日に放送したから8/15が放送日となり、その日を記念日にしたということでしかないのかもしれませんね。ありがとうございました。
お礼
すばやいご回答に感謝いたします。 日本国民として「特別」な一日であることは疑いようもない8月15日ですが、以後も戦闘が続いていたことを鑑みると、正直「玉音放送の日」でしかない、という感じを持っておりました。 回答者様の御意見(8/15で終結という考えは妥当)は参考にさせていただきます。ありがとうございました。