合理的に考えると義理や恩は要らない?

このQ&Aのポイント
  • 最近、遺骨の引き取り手が減っているという報道があり、これは格差社会による貧困や関係の希薄化の象徴と言えるかもしれません。
  • 一方、具体的な例を見ると、親族に対する責任感や義理が薄れている傾向もあるようです。例えば、子のいない叔父の墓の管理費を払っている高齢の人が増えています。
  • また、親の亡くなった後に墓園の管理費を滞納する人もいて、墓地の没収後は合同墓に入れられることがあります。彼らは自分の生活や好きなことを優先し、「義理や恩」よりも自分の幸せを重視しているようです。このような考え方が現代では一般的なのでしょうか?
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合理的に考えると義理や恩は要らない?

 今日の新聞の冒頭に「遺骨の引き取り手が無い事が急増」  と云う記事がありました  格差社会による貧困や親子や兄弟   親族等でも関係が希薄に成っていると云う事の象徴かと  思いますが、二つの例を挙げさせて戴きます  1 定年退職し年金暮らし、親の墓 子どものいない叔父の墓の管理費を払っているが、    私も高齢になるので 墓地内の合同墓に手続きをして入れられた  2 40歳位の方で定職には付いている 親が亡くなり、墓園管理費をわざと滞納  (親の住所から長男であるこの方の住所は知らせず、通知が来ても無視)  5年未納なら、墓園の手で墓地は没収、墓地内の合同墓に入れられる  此方が何もしなくても、墓園が無料でしてくれるので良いと云って居ります。  この方は海外旅行や車等は優先し、「したい様に生きる」と云う事を優先させている  タイプで  祖父母の葬儀も近くに居ても出席拒否、香典無し 親の葬儀も誰にも知らせず火葬のみ  そして「どう思われれも良い、生きたいように生きる」事がモットーとされております。  自分は離婚した妻と子がいるが、その様な間柄だと気を使うだから俺が年老いると  「最低限度」の事は公的に世話に成り、遺体の火葬は市にお願いしたいと云って居ります。  この方は納骨墓の事のみならず、子の結婚も「俺は俺あいつはあいつ」と出席拒否  義理の為に金を使う事程無駄と云って居られます。  親族 職場関係の冠婚葬祭は出席拒否 御祝いも出さない そのスタンスを貫いております  現代ではこの様な感覚が主流なんでしょうか?  ご回答お願いいたします

noname#250543
noname#250543

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  • eroero4649
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回答No.2

我が子の結婚式さえ「俺は俺、あいつはあいつ」とまでいう人は極端でしょうね。普通の人はそこまで徹底的になれません。根っから家庭を持つのには向かない人だったのでしょうが、自分にその気がなくても周囲に無理やりくっつけられた時代でしたから結婚させられて、案の定離婚となったのでしょう。そんな人をあてがわれた元奥さんとそんなのが父親になっちゃったお子さんが可哀想ですけどね。 もしその人が今の40代以下だったら、フツーに独身として暮らしていたと思います。ここでも、会社の公式の忘年会や新入社員の歓迎会にも頑として出席しないのがモットー、という人がいますしそのくらいの人は割とどこの職場にもいる時代だと思います。 サラリーマンとして生きるなら、義理や恩は要らない生き方が合理的になると思います。義理で給料が増えるわけじゃないですから。でも自営業とか社長とか、何らかで自分で商売をするスタイルならば、逆に義理や恩がないと生きていけないと思います。経営者ってのはだいたい義理や恩や人脈で商売を融通し合っているからです。それはあの一見そういうものから一切距離を置いているようにみえるホリエモンもそうです。そういう人脈や義理みたいな繋がりがなかったらライブドアはあそこまで大きくならなかったでしょう。プロ野球球団を買わないかという話も、ニッポン放送の株を買い占めることも彼が自ら思いついたことではなく、誰かが持ってきた話ですからね。ただ彼は損得を越えて他人の面倒を見るということは絶対にしない人でしたから、彼が逮捕されてしまうと周囲の人たちはほぼ全員といえるほど彼の前から姿を消してしまったのです。 彼が損得を越えて周囲の面倒を見ていたなら、あそこまで華麗に没落はしなかったでしょうし、今でももうちょっと大きな規模で何かのビジネスをしていたと思います。どこかから「あなたには世話になりました。ぜひ一緒にビジネスをやりませんか」といわれてたでしょうからね。そうなっていたら、その人を世話したお金なんてのは彼が動かしたお金に比べればはるかに小さかったんですから、ずっとずっと割に合う投資になっていたと思いますよ。

その他の回答 (3)

  • tknkk7
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回答No.4

1.回答A:合理的に考えると義理や恩は要らない。? :ご家庭先祖の事含めて人生観次第。 2..回答B:被害妄想なのか、どちらにしても、2017年も”不景気でしょう、ご尤もです。 3..回答C:現代は、この様な感覚が主流なのでしょうか。?:不謹慎ですが主流でしょう。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7258)
回答No.3

生きているときの付き合いそのものより、死んでからの’骨’にまつわるアレヤコレヤの 義理なら、どんどんと希薄になるでしょうね。 宗教観からの墓でもないし、そもそも、お墓って、日本人は平安時代ぐらいなら、貴族様だって、化野?アタリにポイしてたということですから。 江戸時代に今の戸籍にあたる人別ができて、それを管理するのが、準役所的お寺というシステムにしてから、人の生まれと、死とを’寺’が管理したのが、檀那寺システム。 それに人口が集中して、死人がごみになるとそれは衛生的でもないので、 投込寺もあって、人の最終処理場?としての寺が確立したからの、葬式、埋葬、寺です。 なので、当時なら、まだ宗教観もあったから、お墓もお金のある人は卒塔婆ぐらいは立てて、やりましたけど、どんどんといわゆる’墓’はなくなるでしょう。 第一、人が一生懸命ご先祖の墓守をすると、生きている人の地面がなくなる。 日本中が墓だらけです。 所詮、何年かたって、整理するなら、生きている人の’お金の使い方’としての感覚的なものにすぎない。 墓石の墓場もあるぐらいです。(継承する人もいなければ、掛かりを払わない子孫もいるので) そもそも、住んでる人が、少ない地方は、墓が持たない(人工的なものなので、管理しないと風化します)。 これを無駄と思うかどうか。 墓石だって輸入してたりするので、 俺のものは俺のもので、俺が使うなら、社会的には、葬式のためにタメておいて 死後に消費されようと、パチンコで使おうが同じことです。 葬式には、義理と恩がもれなくついてくるが、パチンコには付いてこない。 でも、使うお金は同じです。 庶民にとっては結婚式だって、戦後です。 葬式は、長屋にみなさんが集まっての、死体運びのための通夜ですから、これとても、 ごみ処理の一環だから、義理があろうがなかろうが、始末するしかないわけで。 粗大ごみだってチャント料金を払う人もいれば、 そのままの人もいる、いずれ片付くと思う人はそうなのでしょう。 義理と恩は、関係者が全部生きていてこそのものです。 やりたいからそこにお金を使う、時間を使う、労働として提供する。 それがパチンコでも同じこと。 死んだ後に役立つかどうかは私は、たとえ親子兄妹でも意味ないと思う。 期待通りに動くつもりでも、結果的に出来ない親子だってたくさんいるわけだし。 ありがとうと思う人はそうだし、恩知らずもたくさんいるし、不義理という言葉もあるのですから。 楽しいからパチンコと、気が済むから義理を果たす、同じかな? (ちなみに私はパチンコはやりませんけど)

  • maiko0333
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回答No.1

>義理や恩は要らない? (^_^)3 フムフム。、どうでしょうかね。 私は田舎育ちなので、義理は大切にと思っていますが。 困ったとき、自分ではどうしようもなくなったとき、 誰かが助けてくれることがあるやもしれない。 そういうときに義理を欠いていると助けてくれないこともある。 -- 私の村には消防署がない。119がかかると村の若い人たちが消防団を組んでて その人達が消しに来る。 そういうとき、「あー、あの家は付き合い悪いから慌てて消しにいかなくてもよかろう」 とかそういうことが普通に行われています。 -- どこか忘れましたが前に消防署で消防士が「あそこは消しに行くな」 というのもありました。

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