葬儀墓等無用と思って居られる方に質問です

このQ&Aのポイント
  • 葬儀墓等無用と思って居られる方の思いとしては死後の世界は無いから?寺や親戚付き合いが面倒だから?墓も存続するのが面倒だから?という事なのでしょうか?墓参りで故人を思い出し、縁を持つのは良いが、煩わしいと思う方も居られるようです。
  • 葬儀墓等無用と思って居られる方には、死後の世界が存在しないという考えや、寺や親戚付き合いが面倒だと感じることがあるようです。また、墓も存続するのが面倒だと思う方もいます。しかし、墓参りによって故人を思い出し、縁を持つことができるため、一方で良いと思う人もいます。
  • 葬儀墓等無用と思っている人たちの思いとしては、死後の世界が存在しないと考える人や、寺や親戚付き合いが煩わしいと感じる人、墓の管理や存続が面倒だと考える人などがいます。しかし、墓参りを通じて故人を思い出し、縁を持つことができると考える人もいます。このような意見の違いは個人の価値観や考え方によるものです。
回答を見る
  • ベストアンサー

葬儀墓等無用と思って居られる方に質問です

信教の自由でありますので 批判非難はしておりません 唯現在島田和巳氏の「葬儀はいらない」がベストセラーになっており 時代の流れ(共同体の崩壊 核家族 不況)というものがあり、 その事も背景にある事を踏まえた上で質問させて戴きます。 葬儀 墓が無用と思って居られる方の思いとしては? 1 死後の世界は無いから? 2 寺や親戚付き合いが面倒だから? 3 墓も存続するのが面倒だから? という事なのでしょうか? 事実墓も合同の供養塔に収めてそこへお参りに来られる方も居られます? 私も親戚の墓が遠方にあり、近いうちに此方(私の家の墓)へ収めるか、合同の供養塔に収めようと思っております。 又あくまで「白骨」が収められているのですが、墓参りでその時には故人を思い出し、いのちの繋がりを感じることが出来ると思いますし、その切欠で親戚とも縁を 持てるのは良いと思いますが、  その様な事も煩わしいと思う方も居られるのでしょうか? (寺が拝金主義という事も問題だと思います、この事も時代の流れで改善すべきだと思います)  (親戚に「外車に乗りたいので法事はしない」  「墓も放置すれば、勝手に墓園管理者が納骨してくれる」   「好きな様に生きる」と豪語しておられる方が居られます  その方の言動に私は少し可笑しいと思い 彼の父母の墓も此方へ収める手続きを  しようと思いますが、彼は「余計なお世話」と思っているようです)

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2713/12237)
回答No.9

無用と思ってる人は自分の人生全て「個人」て完結してるつもりなんでしょう。 植物を含めて生き物を殺して食べる事に目を瞑っても、人は誰か(何か)に助けてもらわないと生きていけなくなっています。そういう世の中なのに個人主義が増長しすぎて、自分だけが大切になってしまっている。 そんな人には縁者の死も関係を否定し、自身の死後を誰かに関係して欲しくないのでしょう。 何が無駄かは個々の判断と思うので、全てを否定するつもりはないですが、個人主義を強調するくせに都合よく取捨選択して生きているのには辟易します。

その他の回答 (8)

  • mon205
  • ベストアンサー率31% (139/441)
回答No.8

どれも当てはまるし、どれも当てはまらない。です。 そもそも、肉体は「魂」が借りて居るものに過ぎないし、肉体も骨も様々な命を頂いて作られたものだから、感謝こそすれ、滅びて(死んで)しまえば、もうそこに「私」の意思はない。 法定相続人がお陰様で「一人」なので、その一人の意思に任せる。 「・・・しなければならない」と法律で決まっているのなら従ってください。 決まっていないのなら、好きにしてください。 それだけの事です。 丸投げしているわけではありません。 「・・・して欲しい」なんて「欲」すらありません。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7258)
回答No.7

【葬儀 墓が無用と思って居られる方の思いとしては?】 1-3全部違うかな? 死後の世界(墓ではなく、観念的に)はあると思って、今を生きてます。 そうでないと、死んだ後の生きている人たちに迷惑かけてないかがわからないでしょう? 宗教的な付き合いとか、親戚とかは、もう、数がそもそも少なくて、 呼び集めない限り従姉妹関係(今現在50-70代)は、何年も顔を見てない。 呼び集める?何のために? あえて法事ですか? なんで?とか言われるだろうな。 おおよそ日本には在住ですが、ひとかたまりで住まいがあるわけじゃないので、 もう、顔を見ることもないでしょう。 墓は・・・・ねぇ。 母方の墓(公営)は祖父を納骨する時に、 最初に入った、祖母の骨壷がひっくり返っていて(そう言えば、何年か前に地震があったとか其の時に話題になりました)、 すでに、中身が雨の浸水?で跡形も無く、残っているのは「骨壷」だけ。 コレなら、原理的にも、墓の中であろうが、外であろうが、同じこと。 それに、50年位経つと、骨壷の中でも粉になるそうですね。 で、骨壷の数としていっぱいになると、古いものから廃棄とか。 子供の頃に、心配で、母親に聞いたことがある。 お墓がドンドン増えたらどうなる? 骨壷がドンドン増えたらどうなる? 大事に大事にお参りしてとっておくと生きている人が住むところもなくなる? 母がいいました。 『置き場所としての「墓」がいっぱいになれば、古い骨壷から捨てられる。 お墓も、同じ。」 だとすると、死んでからのたかが50年、100年?ぐらいの置き場所と判っているかどうかに過ぎない。 最初から捨てちゃって、みんな一緒も問題ないと思えるかどうかです。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2222/14727)
回答No.6

どれも微妙に違うかな? 墓を維持するのは経済的な負担が大きいです。うちは娘が一人です。 たかが墓のことで結婚に制約が出来るのは親のエゴだと思います。 実際、うちの実家の寺などは寺の改築費だの住職の位を上げるのに お金が必要って酷い時は年100万単位、掛かります。 寺が拝金主義という事も問題だと思います、この事も時代の流れで改善すべきだと思います >職業として有る以上、仕方のない部分も有るとは思います。 改善するなら墓を必要としないという考え方も、有りだと思いますが。 それに娘は有給も取れないような忙しい仕事に就いています。 わざわざ墓参りに行って骨に手を合わせなくとも、手を合わせたければ 心の中で手を合わせれば良いだけです。 親戚の付き合いがしたいと思うのなら他のことでも出来ますからね。 わざわざ、どう思ってるかも解らない親戚にまで強制するのも 違うと思ってます。 死んだら、それで、おしまいでいいと思います。

  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.5

墓は、世界共通の考え方ではありませんね。 他国では川や海に流す水葬もあるなど、墓に入るということはあくまで個人の好みや拘りに過ぎないものです。 私は、将来にわたり、身内や親戚にまでその単なる個人の好みや拘りを押し付ける気持ちにはなれません。 子孫や親戚など自分ではないヒトには、自分とは違った考え方があって当然なのですから。 墓に入って欲しかったと思う子孫もいるかもしれませんし、墓に入ったことで墓参りが面倒だと思う子孫もいるかもしれません。 しかしどちらの子孫にも共通して本当に大切なのは、墓に入ったヒトの気持ちも墓に入らなかったヒトの気持ちも、どちらも理解できるようにヒトとして成長することですね。 それが理解できれば、自分とは違う考えを持つヒトやこれまでの先祖の選択なども否定する気持ちにはならないものです。 また、墓参りで、故人を思い出すことができるということはあるでしょうね。 では、海や空中に撒いたらどうでしょうか。 海は水に繋がって私たちのもとに常にありますし、空中も常に私たちの周囲にあるのですから、いつでも故人を思い出すことができます。 墓があれば、墓参りをしていないことで、墓参りに行かねばとプレッシャーを感じる子孫や親戚が将来いるかもしれません。 墓に入らなければ、わざわざ遠方の墓に子孫や親戚のお金を使って来させることもないのです。 その交通費も、そのヒトの喜びのために使ったほうがそのヒトのためになる、私もそのほうが嬉しいのです。 故人を思い出すことは、心に思いがあればいつでもできます。 あるヒトは墓に行って故人を思うかもしれませんし、あるヒトは自分の心の思い出を引き出して故人を思うかもしれません。 故人との思い出のない墓よりも、そのヒト(故人)が生きていたときの思い出のある場所やモノのほうが、私にとってはよほど大事に感じます。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2124/10782)
回答No.4

私も、なくてもよいと思っています。 墓は、その土地に住んでいるから、管理できるのです。 子供が、別のところで、仕事を見つければ、そこには帰ってきません。 孫にとって、故郷は別のところです。 現実には、荒れた墓が増えています。 宗教では、死んだ人は、その人を思う人の、心の中に宿っているとされ、 本来墓などはいりません。いつでも、どこでも、なくなった人を思い浮かべ、 心の中でお祈りをすればよいだけなのです。 私の父の兄弟、一人は、神様、お宮でのお葬式。 法事がないので、子供たちに負担がないだろうと。 一人は、お別れ会、遺骨は、故郷の海にまいてくださいと言ってなくなりました。葬儀はなく、お別れ会をして、焼き場へ行きました。 お墓がないと、遺骨がないと、寂しいと思う人もいるでしょう。 大事なのは、なくなった人と暮らしてきた人の気持ちです。 葬儀には、たくさんのお金も必要です。 墓を建てれば、お金も、それを維持していくことも必要になります。 金銭的に余裕がないなら、葬儀などに使わず、生活に使うほうが、よっぽどましではないかと思います。 おうちが代々続く時代は、過ぎ去っています。 見栄の象徴である、お墓は、今後は急速になくなってくると思います。

  • fumuslover
  • ベストアンサー率25% (1031/4001)
回答No.3

私の場合はただ土の中に納められたくない。 死んだ後くらいは自由になりたい。 ので海への散骨を希望しているし、家族にはそう伝えてあります。 何があっても埋めないで欲しいと。 死後の世界なんて100%無いと思うし親戚だ血統だ云々に何の興味もありません。 ただ自由に海を漂って行きたかった国、暮らしたかった国、会いたい人のいる国に辿り着けたらなぁ(もちろん有り得ませんよ)という思いです。 他の方の回答はもう少しまともかと思いますけど私は私で真面目な思いで書いてます。

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2543/11319)
回答No.2

仏教式のお葬式いらないです。お寺にお墓いらないです。 自分自身が仏教徒でない(無宗教)ため、仏教式のお葬式を挙げてもらう必要がありません しかし何もしないと残されたほうもいろいろ困るというのであれば、お別れ会のようなことをしていただいて会食で私の話で盛り上がってもらえれば幸いです お墓も同様でいりません。 それ以上に、私は次男で、かつ我が家には娘しかいないので、私がお墓を用意しても妻しか入らず、娘にお墓の維持管理を押し付けることになるのも忍びないです 共同納骨所とかに入れてもらえば骨になってもいろんな人がいて楽しそうですし、全部散骨が許されるなら近くの海岸にでもまいていただいて構いません。 そこをお墓としてもらいます。 自身に対してはこのような考えですが、お友達や親せきのお葬式には普通に出ますし、お墓参りもしてます。苦にもなっていません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10456/32891)
回答No.1

私、結婚していなくて兄弟もいないのですよ。だから私が死んじゃったら、お墓を管理する人がいなくなるのです。 親戚筋からいうと、今まで一度か二度しか会ったことがないハトコ(従兄弟の息子)が管理することになりますが、彼からすれば生まれて一度か二度しか会ったことがない親戚のおじさんの家の墓の管理をさせられるなんてたまったものではないでしょう。 それなら合同墓のほうが誰か別の人をお参りにきたときに少しばかりこちらもお零れにあずかれるよなと思っています・笑。

関連するQ&A

  • 葬儀無用を実施された方居られますか?

     俳優の神山繁氏が亡くなる前「死んだら唯のカルシウムだよ」といい  「思い出してくれれば良い」と言われたとされております。  現在「葬儀無用」という言葉がよく使われておりますが、  この様に葬儀無用を実施された方は居られますか?  又葬儀無用について、  1 死後の世界等信じないから  2 親戚などの付き合いが煩わしいから  3 葬儀そのものは意味はあると思うが、バブル期に派手になったので   見直す必要がある  等の理由があると思いますが、葬儀無用を実施され その理由を聞かせて戴きたいと思います。  (私自身も物質的に死ねばカルシウムだと思いますが、その方と共に過ごし歩んだ 日々を思い、縁あれば葬儀には参列しております。最終的に佛教でも釈尊も霊魂を否定し、浄土真宗の蓮如上人も白骨の御文章で「唯白骨のみぞのこれり」と言われております、が佛教はいま私が生きているのが絶対でもなく 死も絶対でないという はからいなき世界ですが、葬儀無用の1 2の理由の方は「生きているのが絶対」という考えなのでしょうか?)  (一例を挙げると 私の知人に「好きな様に生きる」「めんどさい付き合い嫌い」  実父の葬儀も火葬のみ 親戚の冠婚葬祭行かない 香典も出さない。  先祖の墓も立ち会って撤去すれば、金がかかる 放置すれば、墓園が撤去してくれ て供養塔に納めてくれれば良いという考えで、「俺は好きに生きてきたから、  火葬して遺骨は火葬場に捨ててくれればよい」と言っております。  彼は義理の付き合いは大嫌いで、そんなものに束縛されたくないと言っております。) 

  • 葬儀 法事無用と云う方に質問です

    40歳男性です。 現在葬儀 法事無用と云う方が増えていると思います 寺院が拝金主義的であったり、 昔は自治会的に地域の寺社仏閣を護持していかなければならないと云う事が それが政教分離から自由になった 親戚の付き合い等も簡素化される方が多くなったと云う事が理由だと思いますが 葬儀 法事無用だという方は 1 死ねばモノとなる 死人に価値はない 死者を悼む気持ちもない 遺骨(散骨でもよいと思いますが)は捨ててほしいと云う考え 2 悼む気持ちはあるが儀礼的なものは嫌(元来 インド等は遺骨を川に流したりしておりますが、そこで手を合わせます 日本も元来そのようなものでありましたが、その気持ちや江戸時代に寺壇制度が出来 儀礼を重んじるようになっていったのでその事から見直していくべきだと思います)  私も霊魂は信じておりませんし、科学的に心臓が止まれば死と受け止めますが、種の保存先達のいのちがあり私もいのちを戴いていると考えますので派手にすることはありませんが、そのような気持ちから親族の葬儀や法事には参列してまいりました 又私は自営業でその付き合いや親戚の出入りも多かったので呼ばれたからと云うのもありました。 葬儀法事無用の方を批判非難しておりませんどの様な考えかお聞かせ戴ければ幸かと思います。

  • 葬儀 現代ではシンプルな考えなのでしょうか?

     とある実例です  親族の方(2年前に90歳位で死去)が  「派手にしなくてもよいので この金(定期預金や積立をしていた)   で葬儀をして、今まで世話に成った親族や関係者には最低限度返してほしい」と  云っておりましたが、  その息子に当たる方(50歳位)は「そんな金あるなら 葬儀に使う等は無駄」と  火葬のみ行い、その積立金は「私が蓄えるなり、好きな事に使う」と  云っておりました。  又、先祖代々の墓地も墓苑の事務所に連絡し、立ち会うと撤収費用が掛かる、  住所変更の手続きをせず、五年間管理費未納ならば、墓苑で撤去され  墓苑内の合同墓に納められるので、「その方が金がかからず良い」と  云い、「意図的にそうしよう」と云っております。  現在の経済状況や核家族化と云う事も解りますし、  この様な者も節約するのは時代の流れだと思いますが、  亡くなられた故人の方の思いが「葬儀無用」と云っているのならば  未だ、良いと思うのですが、「葬儀に使ってほしい」と云う事を  無視したり、墓苑の件も、「金がかからずばれなければ良い」と云う事  は一寸人間として育ててくれた方にと思うのですが、私が古いのでしょうか?  彼は「好きな事にお金を使う」「無駄な事は一切しない」と云うポリシーで  今まで来たのです。事実冠婚葬祭のお祝いは出さない。そして自らも結婚したが、  披露宴行わなかった 数年後離婚し 最近娘が結婚したが その娘の結婚も  出席拒否 唯彼の父はこちらに戴いているので お祝いはしましたが、  彼は「好きだからお祝いをくれた、俺はしない」と云うスタンスです。  又、「自分は出来るだけお金を出費せず 相手から多く取る」  「親しい間柄であっても、自分が出すときは 粗探しをして値切る   貰うときは多く云い、相手が喧嘩しないと喧嘩しないのが悪い」と   いいます。   彼からするとお祝いを戴いたり返したりと云うのが「馬鹿」だそうです。  現代ではこの様な考え方が主流になっていくのでしょうか?  ご回答お願いいたします。

  • 冠婚葬祭を合理的に考えると?

     私は家が寺です、どうしても此方の立場でものを見てしまいますし、  寺院に批判的な人は  1 寺院が拝金主義である  2 江戸時代に寺壇制度が出来、その名残で葬儀は仏式で行う人が多い    (事実 江戸時代より前は寺院数も少なく、幕府が寺院を行政の役割を     担う形で末寺を増やしたのが名残だと思う     又村によっては神道(明治の廃仏毀釈等や寺院を造らず神社のみの地域)      や隠れキリスト教信仰で今もキリスト教信仰している地域もあり様々で     す)    その様な事が多いに大きいと思われます。   又、儀礼に参列する人やお香典のやりとりは多かったが、昔(昭和50年代始め   までは)通夜葬儀も葬儀社任せではなく、近所の人や親戚が食事を作ったり、   受付等は手伝ったりしていたそうです。   地域によっては祭壇を組むのも僧侶がしていたそうで、   バブル期より便利な方に行き、今不景気で「会館でお金を掛けず」と云う方向   に云っていると思います。現代のこの様な形を憂うだけでなく、今の状況で   出来ることをすればよく、拙寺は布施を幾ら以上とか、その様な事は云った事は   ないのですが、その事を踏まえた上で実例を挙げ質問させて戴きます。   1 女性の方で     大学がキリスト教系の大学出身で今そこの付属の高校の教諭をしており、     洗礼を受けている (夫もキリスト教)     父母は拙寺の門徒でした。娘しかおらず彼女が長女ですが、     親の思いは私が元気な間は続けていきたいと拙寺の本堂や     墓には参ってこられます     私が老いると、何らかの手続き(永代墓に入れる事等)させて戴きたいと     云っておられます。    2 男性の方(50歳位)実父が亡くなり、葬儀を今までの付き合いのある寺      に知らせると「親戚や近所の人に知られるのが面倒」と葬儀屋に頼み      火葬のみにした。     この父に当たる方が存命中から自らの住所(近所に住んでいるらしい)     は知らせなかった。     父が亡くなった葉書も出さず、放置したままである。     父に当たる方は先祖代々の墓も「私が元気な間は払う」    と20年分の管理費を墓苑に払っているが、     この人は「俺は知らん」「勝手に処分されるとよい」     (事実5年未納だとこの墓苑は合同墓に入れられるだから      意図的に居留守を使い放置して向こうで勝手にやってくれるので      こちらがお金を払わないので良い等と云っていたそうです)     この方はお父さんの存命中からお祖父さんの葬儀や法事なども参列は無かっ    たのです     寺が拝金主義で嫌とかそう云うのではなく     近所や親戚付き合いが面倒と云うと、好きな様に生きる     と云うのが(お父さんが存命中に「海外旅行を優先させお祖母さんの葬儀に     出なかった」らしく 周りを怒らせた事もあったそうです)     が一番の理由だそうです。     現代では2の様な方が多くなるのでしょうか?     ご回答お願いいたします      

  • 以下の場合、お布施?はした方がよいのでしょうか?

    33年前に父が亡くなった時に母が寺(日蓮正宗)の墓園の墓を買い(?)ましたが金銭的な面で墓石までたてる事が出来ませんでした。その母が先日亡くなり、これを機に私達子供で墓石をたてる事にし、寺を通して指定の墓石店へ依頼を済ませました。49日の法要に合わせて納骨、開眼供養(?)を行う予定です。 そこで質問です。 ご住職様から今お墓には父の遺骨が入っており、墓石工事中はお父様も落ち着かないでしょうから一旦墓から遺骨を取り出し、寺の納骨堂へ移し、母の納骨時に一緒に墓に戻しましょうと言われました。今週末、ご住職様と共に私の車で墓園へ行き、暮園の管理者がカロートを開け父の遺骨を取り出し、寺の納骨堂へ移します。この時に、何かご供養とかお布施とかお渡しした方がよいのでしょうか?お渡しする場合、金額(相場が全くわかりません)とのし袋には何と書くのか教えてもらいたいのですが。また、49日の法要時には、どのくらいお渡ししたらよいのでしょうか?よろしくお願い致します。

  • 葬儀について

    率直に葬儀を執り行う会場についてですが、祖父母の葬儀を行った処の「お寺」で行うのがベターなのか又は専門の葬儀会館で良いものなのか?永代供養の事も在りますし。何故なら祖父母の葬儀を行ったお寺とは私は全く交流が無く、次は私が・喪主・になりますので思案している所です。もし何か助言頂けるなら宜しくお願いします。

  • 永代供養について詳しい方教えて下さい

    実は私の母が亡くなった時葬儀の際お寺さんやお坊さんの手配は出来ますかとの問いに私や親戚に知り合いがなかった為葬儀会社で手配をしてもらい又母の遺言でお寺は永代供養にしてほしいとの事でしたので葬儀屋さんの知り合いの所を紹介して頂いたのですが、後で色々調べて親戚等との意見を聞いた所実家の近くにあるお寺さんの方がいいんではないかとの意見がでたのですが、その場合葬儀屋さんに紹介されたお寺さんへ支払った永代供養代は返して頂けるのでしょうか又移動は可能なのでしょうか?

  • 神道式の葬儀って容易にできますか?

    最近テレビや実生活での噂話で葬儀屋業界、お寺の拝金主義を聞けば聞くほどに葬儀、供養にそこまでしてお金をかける必要があるのか、という疑問にかられるようになりました。 大切なのは家族を丁重に弔う気持ちです。幸い自分の両親はまだ健在ですがいつの日か2人が旅立つ時には気持ちのこもった簡素な方法で送り、その後の法要もあまりお金をかけないつもりでいます。 そういうわけで自分は両親の為に神道式の簡素な葬儀を検討していますが実際のところ容易にできるのかどうか心配です。 ご家族、ご親族の葬儀を神道式で行ったという方がおりましたら是非ともアドバイスを頂戴したいと思っております。宜しくお願いします。

  • 永代供養について

    永代供養について質問があります。 私の家族の構成は父、母、私(長男)、妹です。私も妹も結婚していません。 先日父が亡くなったのですが、それまで私達家族には普段お付き合いしているお寺はありませんでした。またお墓も持っていませんでした。 今回父が亡くなり、葬儀の時にとてもお世話になったお寺さんで永代供養にしようかと思います。永代供養というと一般的に跡継ぎがいない方などが入るお墓というイメージがあるのですが、私達たちのようにお墓がない場合でも永代供養に入ることもありますか? 万が一、普通のお墓を購入しても私達子供が結婚しないで死んだとしたら誰も墓を面倒見る人はいなくなりますよね。その点では普通のお墓でも永代供養でも変わらないと思うのですが。 あと永代供養といっても、お寺さんにあとはまかせっきりで何もしない・・ということはなく私達家族は普段時間があればお花を供えにいったりと父を愛する気持ちはあります。

  • 火葬だけの場合

    うちは経済的な理由もあって、親に人並みな葬儀を出せる余裕はなく、火葬だけの供養になりそうです。親戚も遠方のため葬儀に呼べる人もいません。 質問ですが、火葬だけの供養であっても、どこの葬儀屋にするのか事前に決めておく必要はありますか? さらに、墓守もいないため墓を建てる予定もありません。墓を持たない人のための共同墓地や、永代供養の管理施設や寺はありますか? ちなみに、年法要をするつもりもありません。 これらについて、何かアドバイスを頂きたく質問させてもらいました。 同じような経験をお持ちの方やそうでない方でも、今度気を付けておくべき点や準備すべき事等、何でも構いませんので回答をお寄せ下さい。宜しくお願い致します。

専門家に質問してみよう