冠婚葬祭を合理的に考えると?

このQ&Aのポイント
  • 冠婚葬祭の合理化について考えると、寺院の拝金主義や仏式葬儀の名残などが大きな要因とされます。
  • かつては葬儀の準備や受付は近所の人や親戚が手伝ったり、地域によっては祭壇を組むのも僧侶が行っていた時代もありました。
  • 現代の冠婚葬祭では便利さを求める傾向があり、会館などでの手軽な葬儀も増えていますが、個々の思いや状況に合わせて適切な形を選ぶことが重要です。
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冠婚葬祭を合理的に考えると?

 私は家が寺です、どうしても此方の立場でものを見てしまいますし、  寺院に批判的な人は  1 寺院が拝金主義である  2 江戸時代に寺壇制度が出来、その名残で葬儀は仏式で行う人が多い    (事実 江戸時代より前は寺院数も少なく、幕府が寺院を行政の役割を     担う形で末寺を増やしたのが名残だと思う     又村によっては神道(明治の廃仏毀釈等や寺院を造らず神社のみの地域)      や隠れキリスト教信仰で今もキリスト教信仰している地域もあり様々で     す)    その様な事が多いに大きいと思われます。   又、儀礼に参列する人やお香典のやりとりは多かったが、昔(昭和50年代始め   までは)通夜葬儀も葬儀社任せではなく、近所の人や親戚が食事を作ったり、   受付等は手伝ったりしていたそうです。   地域によっては祭壇を組むのも僧侶がしていたそうで、   バブル期より便利な方に行き、今不景気で「会館でお金を掛けず」と云う方向   に云っていると思います。現代のこの様な形を憂うだけでなく、今の状況で   出来ることをすればよく、拙寺は布施を幾ら以上とか、その様な事は云った事は   ないのですが、その事を踏まえた上で実例を挙げ質問させて戴きます。   1 女性の方で     大学がキリスト教系の大学出身で今そこの付属の高校の教諭をしており、     洗礼を受けている (夫もキリスト教)     父母は拙寺の門徒でした。娘しかおらず彼女が長女ですが、     親の思いは私が元気な間は続けていきたいと拙寺の本堂や     墓には参ってこられます     私が老いると、何らかの手続き(永代墓に入れる事等)させて戴きたいと     云っておられます。    2 男性の方(50歳位)実父が亡くなり、葬儀を今までの付き合いのある寺      に知らせると「親戚や近所の人に知られるのが面倒」と葬儀屋に頼み      火葬のみにした。     この父に当たる方が存命中から自らの住所(近所に住んでいるらしい)     は知らせなかった。     父が亡くなった葉書も出さず、放置したままである。     父に当たる方は先祖代々の墓も「私が元気な間は払う」    と20年分の管理費を墓苑に払っているが、     この人は「俺は知らん」「勝手に処分されるとよい」     (事実5年未納だとこの墓苑は合同墓に入れられるだから      意図的に居留守を使い放置して向こうで勝手にやってくれるので      こちらがお金を払わないので良い等と云っていたそうです)     この方はお父さんの存命中からお祖父さんの葬儀や法事なども参列は無かっ    たのです     寺が拝金主義で嫌とかそう云うのではなく     近所や親戚付き合いが面倒と云うと、好きな様に生きる     と云うのが(お父さんが存命中に「海外旅行を優先させお祖母さんの葬儀に     出なかった」らしく 周りを怒らせた事もあったそうです)     が一番の理由だそうです。     現代では2の様な方が多くなるのでしょうか?     ご回答お願いいたします      

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

多分おテラの方でしたら、お寺を維持する系の答えを期待されていますよね? 大変残念ですが、もう日本は昔ではありません。親戚がワイワイ集まってお金を出して世間にはずかしくない葬式をしたり、まずまずのお墓を維持したりできる人は国民の5%位じゃないでしょうか?今後少子化がさらに進み、高齢者ばかりになる。非正規労働者の割合が増える。ビンボーな人が増える。ギャンブルが流行る。で、ゆとりある人がどんどん減ります。又厚生労働省はとっくに平均余命の低下を計算してます。平均余命は勝手に減りません。現在小三位で自殺する子は今後増える事があっても減る事はないでしょう。このままいくと小一小二も自殺するでしょうね。一方40-50代も自殺者は増えます。高齢者の自殺も増えます。= 平均余命低下。少ない人数で多数を養う為に若い人、働き盛りの人はモーレツに悪い労働条件で働き、体調を崩します。すると薬を飲む。今市販薬はネットで買えるコンビニで買える。365日24時間薬は入手できます。日本人は世界一薬好きと言われてます。何故か?働き過ぎだからです。薬漬けの結果、肝臓、腎臓の機能がおかしくなり入院等莫大な医療費負担がのしかかります。薬は「見えない商品」と言われています。選ぶ人、使う人、払う人が別々だからです。大変失礼ながらお寺さんも薬に似ているように思います。選ぶ人、使う人、払う人が違います。 今、サラリーマンの殆どが睡眠薬を飲んでいるそうです。安全でしょうか?健康になれるでしょうか?お寺に行き座禅を組めば健康回復できますか? 一例を挙げます。ドグマチールという薬、少量飲めば胃潰瘍に効き、中等量はウツ病に効き、多量なら統合失調症に効くと言われています。合法的に統合失調症の薬を大量投与されていた人間が命を預かる仕事をしていたらどうなりますか? 1982年日本航空第350便墜落事故を知ってますか?機長の突発的な異常操縦による着陸失敗により24名の尊い命が失われました。機長は精神系薬物を大量投与されていたそうです。この機長は加害者であると同時に薬物被害者だと私は思います。貴方様にお願いしたい。宗教が人の命を助ける仕事なら、今死にそうになっている命を一人でも多く助けていただきたい。失礼ながら葬式やお墓は事後です、その前に命を助けてほしいです。 東尋坊=自殺の名所のすぐそばに電話ボックスがあります。いつも必ず100円玉が積まれ、電話番号が書いてある。その連絡先は近くのお寺で電話をかけた人は無事に生還するそうです。 そういうお寺が沢山あればいいと私は思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 失礼ながら葬式やお墓は事後です、その前に命を助けてほしいです。 東尋坊=自殺の名所のすぐそばに電話ボックスがあります。いつも必ず100円玉が積まれ、電話番号が書いてある。その連絡先は近くのお寺で電話をかけた人は無事に生還するそうです。 そういうお寺が沢山あればいいと私は思います。 その通りだと思います 葬儀がではなく 現代人の悩みに答えていく、そして心の安穏よりどころとなる これが本来の仏教の教えです 私も格差社会や自殺者精神的苦悩これを解決出来ることが出来ればと思います

その他の回答 (5)

回答No.6

自分の出処、歴史がわからなくなってしまうというのは、何か寂しいものだと思います。自分の命は、自分だけのものではなく、長い間にわたって途切れることなくつながってきたその一部を、今、自身が生きてつないでいるのだと思います。命は、1つ2つ、・・・と個数を数えるものでなく、多岐多様に枝分かれしながらつながってきたラインと考えます。従って、先祖の命に思いを馳せることは重要なことなのではないでしょうか。私が若いころ、伯母が人生3度、否応なく人目にさらされることがある。誕生ー結婚ー葬儀だと言っていました。 私は、2のような方が増えるとは思いません。また、増やすような教育をしてはいけないと思います。

  • sutorama
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回答No.4

全ての物事には原因がある 人の人生は千差万別で、物事の原因に同じ事象や人生はないのですから、比べようがないかと思いますが、いかがでしょうか おうちの人に、諸行無常・諸法無我について、教えてもらいましょう

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7258)
回答No.3

【寺が拝金主義で嫌とかそう云うのではなく・・・・】 ええ、たとえ拝金主義であったとしても、そうでなくても家業ですから、仕事として生活費にするなら、タダのボランティアという訳にはいかないです。 たとえ5千円でも100万でも、金銭のやり取りなしという訳にはいかない。 なので、一応、金額の多寡ということには触れずでも、寺の墳墓はごく一部の家系?しか維持できないでしょう。 【現代では2の様な方が多くなるのでしょうか?】 核家族が増えて、その分、墓数も増えた。 ましてや長男、直系が継承する祭事ということなので、娘になると姓が変わるとか、寺側が規制するわけでもないでしょうけど、すでに○○家というのが そぐわない。 なので、今時の市民墓地などは、なんだかわからないような墓石(夢?とか)有りますね。 墓碑ととして刻ままれる名前も戒名ではなく、俗名。 別に、家系としてしっかりと残しているなならコレはだれそれというのがはっきりするでしょうけど、50年も経つと、’この人だれ?’です。 葬式、法事そのものも、長生きすると、故人を知る人(良い人だったとしても)そのものがより少なくなります。 同年齢はよぼよぼ、人生の成功者とは限らない。 タダの酒飲み、病人の成れの果て、元妻に迷惑かけ、子どもに迷惑かけ、 などなど。 恩恵を受けたような人は積極的に参加・参列もするでしょうが、 タダの出費を伴う、不愉快な集まりになるなら、だれも出ない。 たまさかの少ない親族の集まりで、’近況報告要請’になると、 余計なお世話発言が多々出る。 お前が俺に何をしくれたんだ? それでよく説教がましいことを・・・・ですね。 お墓維持するまで余力がないのですよ。 金銭的にというのもあるでしょうけど、気持ち的に。 時間は自分のために使いたい。 同様にして、自分の次の世代にも、同じ義務?を負わせるなら、無理じゃない?と思う。 現実的な話を一つ。 私は長男のヨメに相当します。 別居13年になります。 この間に子供二人は成人しました。 上が娘31、下が息子28です。 ○○家の墓が新宿区内の寺に昔からありますが、息子の代まではとりあえず’お金’出せば持つでしょう。 でも、息子はフリーターなのです。 その次の代はない。 自分が生きていくのに精一杯でしょう。 そして、今現在の墓守?を寺とのあれこれの付き合い(命日墓参り、盆、お彼岸など)は、義弟(旦那の弟)が何やら熱心にやってます。 この彼も、実はほとんど昔からフリーターで、独身・実家住まい。 自分の葬式の心配、その後もあるからでしょうけど、先日は息子を連れ出し、 墓参りに連れられていきました。 2030年には、男性の独身者は3人に一人、女性は4人に一人との 統計予想もある。 墓守は自分のために出来る人も限られるし、もちろん、その次の代はない。 娘の嫁ぎ先は、彼が、15代目とかの地方出身なので、’実家の墓?どうでもいいよ’になるでしょう。 私ですか? 年齢的順番から言うと、次は旦那で、私で、義弟になるでしょうけど。 宗教心もないので、’骨’の置き場所、捨て場所の確保としか考えてないので、 火葬場でそのまま全部捨ててもらうように・・・と、娘・息子には伝えてあります。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12621)
回答No.2

日本は不思議な宗教観を持っていますからね。 同じ仏教でも宗派があります。これはキリスト教にも言えますけれど。 歴史のどこかの時点で宗教=めんどくさい的な図式が出来上がったのかもしれません。もしくは新宗教=悪的な・・・。 私個人的には明確な料金表がないことがもっとも倦厭される要因ではないかと思っています。枕経から戒名代、通夜告別式のお布施なども明朗会計にしてくれれば、文句も多くなるでしょうけれど、あとから恨むこともなくなるのかなーと思います。 宗教観というよりも、それらに付随する煩わしい事から残された家人を解放してやるというのも、生前のその方の宗教や故人との向き合い方にもあるのかなと思います。核家族化が進み家で亡くなるなどということもなく、葬式にもまた結婚式にも出たことが無いという人が増えています。お盆やお彼岸に墓参りや仏前に何かを供えるとかそういう儀式めいたことを知らない人も多くなってきているみたいです。 千の風になって~あたりからかなw 葬式や法事だけの付き合いならともかく、いつのまにか檀家に入っていて、毎年卒塔婆代だと徴収されるのはともかく、袈裟を新しくするとか畳みを変えるとかそういうことに金を徴収されるのも面倒だと思ったり。誰かが無くなってその寺に世話になると一族末代まで延々と金がかかり続けるというのが、本気でどういうシステムなんだろう!?って思うことがあります。 もし、恨んで出てくるなら上等だ!っていう・・・w よって、色々なケースがあると思いますが、そういう煩わしい事の一つになってきているのかなと思いますよ。

  • k-josui
  • ベストアンサー率24% (3220/13025)
回答No.1

時代と共に風習も変化すると思います。 家というものの確立?これはどのような変遷を辿ったのか私は知りません。 ただ、戦前5人組(向こう3件両隣)という制度が軍部に都合が良く、政治的に利用されたような気がします。     この制度の延長で家という物、家長制度が戦前にはあり「他所から見て恥ずかしい事をするな、あの家はという目で見られる」という事があったのですが、高度経済成長と共に、家族制度が崩壊し個人が優先される時代になったと思います。 家という概念があったからこそ何々家の墓があり、その家を立派に継いでいくためには葬儀もきちんとしていた。     これは私の知人のお坊さん(営業で知己を得た方です)も「葬式というのは、亡くなった方は横に置いといて、立派な葬式を挙げるかという事で、家というものを継いでいく事を世間に周知する儀式」とおっしゃっています。     そして政治的な利用は絶対いけないが「家という物が確立していれば、世間の目というものを気にする事になり、悪事を働く人も無くなる」という事だそうです。 これは一理あると思いますが、現代はその「家」というものが崩壊していますから、家族葬、あるいは直送という形態が増えると思います。 いい、悪いは論議があると思いますが、これも時代の変遷なのではないかと思います。      その中でお寺というものも、それに合った形に変化するべきであると私は思います。 ただでさえ少子化が進み、絶対的な人口が減る中、お寺の数だけが同じでは維持できなくなるのは当然で、寺院の統廃合は必須だと思います。      このように書く私でさえ、私が死んでも葬式も墓さえもいらないと思っています。火葬の後の骨なども焼き尽くして何も残らなくてもいいと。

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