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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:危険な時代になりそうな気が)

危険な時代になりそうな気が

eroero4649の回答

  • eroero4649
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回答No.6

ていうか、既に無人機ってのは実用化されていますけどね。MQ-1プレデターっていうやつです。何がすごいって、アフガニスタンで使われてもこれを操縦しているのはアメリカからなんですよね。今のところは、全自動は難しいので人間による操縦が必要ではあります。 このプレデターには大きな問題が指摘されていて、それはパイロットのストレスが異常に強いってことなんです。だってさ、朝起きて車に乗って出勤して、出撃して人殺しして夕方に自宅に帰宅するのです。映画「ランボー」でも描かれましたが、戦争に行ってきた人たちが戦場と平和な母国のギャップに苦しむってのがありましたが、それが毎日だもん。朝に日常、昼間戦場、夜日常。こんなん狂うに決まってますやん。 あまりに精神的に病むパイロットが続出したので、米軍はなんと「引きこもり系ゲーマーをパイロットとして採用」という方針に出てるそうです。オタクが何人気を病もうとどうということはないということですわね。 地上の兵士に関してですが、いずれ「ロボット戦車」は出てくると思いますが、戦争って最後は生身の兵隊がそこに行って占領しないといけないんですよ。テクノロジー的には、赤外線で熱反応があったものに対して撃つというのは難しくないし、現在も行われています。だけどその熱反応があったのが、敵の兵隊なのかそれこそ味方の兵隊なのか女なのか子供なのかの見分けはロボットにはつきません。ほっといたら敵も味方も皆殺しにするようなのは危なっかしくて採用できませんわね。暴走しないようにする最善の方法は「人間が命令を出さないと実行しないようにする」ことです。ということは結局「人間が命令を出さないといけない」ということでもあります。 質問者さんが思っているほど「テクノロジーは万能」ではないのですよ。例えばゲームひとつをとっても、チェスや将棋のような駒がどう動くか厳密に決まっているようなものについては人間のプロを打ち負かすコンピューターソフトが出て来ていますが、囲碁のような戦略性が高いゲームはまだまだ苦手としています。「抽象的に考える」ってのがコンピューターは苦手です。

meido201
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 敵の兵士と味方の兵士を見分けるのは、人間でも服装やヘルメット の形で見分けます。 現在の指紋認証システムや角膜認証システムを兵士のエンブレム に置き換えれば簡単ですね。 また、自動発射システムは遠隔操作が必要と書かれていますが、 それはロボット兵士の照準を合わせられた味方の兵士の携帯して いるプログラム機器で発射を制御すれば良いだけです。

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