• 締切済み

ネット上での批判について

ネット上で他人を批判することは今も昔もよくあることだと思います。 特に最近ではいじめの問題や違法行為をした人に対するバッシングをよく目にします。 非人道的な事件や国民が恥をかくような事件は確かに憤りを感じますし、それに対する意見をネット上で言いたいと思う人も多いはずです。 しかし、これが度を過ぎている・本来の意図と違っているのではないかと最近感じます。 いじめの問題では、過熱したネットの人々が犯人捜しを進め、様々な憶測が飛び交いました。 個人情報を載せたり顔写真を無断で公開したりもしていました。 しかし中には誤った情報や誤解が発展したものもあり、実際に無実の人がバッシングを喰らって傷つくということまで起きました。これは最近もあったので覚えている方も多いと思います。 違法行為をして取り上げられた人物に関しても、バッシング・批判が集中するのはよくあることです。 罪を犯すことはもちろんその社会の中に所属している限り許されることではありませんし、 周りの風当たりが強くなるのは仕方ない事だと思います。 しかし、過度のバッシングや批判に耐えきれず、自ら命を絶ったという事件が何度かあったと記憶しています。 ここで疑問なのですが、社会的に良くないことをした人たちとはいえ、一般市民がネット上でその人の個人情報をさらすという行為は、問題ないといえるのでしょうか。 犯罪者や悪い事をした人だからと言って、私たちが個人・集団のレベルでこのような制裁行為を行う権利はあるのでしょうか。 個人の基準と社会の基準と違いはありますが、構造上はいじめと大差ないような気がします。 (そういう人に限って「いじめはよくない」なんて言うものですが・・・) 法律に関しては素人なのですが、社会的に悪だから制裁していい、いじめてもいい・・・というのはどうも個人の価値観が混入している気がしてなりません。 また、最近ではSNSやまとめサイトなどで、批判を加速させるような投稿が多く見受けられます。 中にはコラージュを作って馬鹿にしたり、事件と関係ない個人の「ディスり」などもあります。 どこか事件の人物をネタにして盛り上がりたいという動機が強いように見えて、このような風潮に危機感を覚えます。 批判をしている人たちの多くが真面目に問題について話し合うのであれば問題ないと思うのですが、そうではない人たちのほうが多いのではないかと感じています。 心理学的に、事件に対して抱く不安に対する一種の防衛反応が、ネットの匿名という性質(厳密には違いますが)や集団心理などと絡んでこのようになっているのではないかと考えているのですが、一つの社会問題になりつつあるのではないかと思います。 ネット上の批判・叩きなどの行為について、皆さんの意見をお聞かせください。 感情的な意見や冷やかしは求めていません。 真面目に話し合いたい方の意見をお聞きしたいです。 法律や社会学・心理学、またはこういった内容に通じている方の意見ならぜひ参考にさせてください。 長文失礼いたしました。 どうぞよろしくお願い致します。

みんなの回答

  • bekraf
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.10

>どこか事件の人物をネタにして盛り上がりたいという動機が強いように見えて 盛り上がりたい、目立ちたい、一目置かれたいなどの感情が透けて見えますね。 >不安に対する一種の防衛反応が、ネットの匿名という性質(厳密には違いますが)や集団心理などと絡んでこのようになっているのではないかと考えているのですが 最初は正義や防衛反応だったのかもしれない。 ただ今はもうそれよりも、盛り上がりたい、目立ちたい、一目置かれたいなどの感情が大きなウエイトを占めている気がする。「悪い奴には何をしてもよい」との風潮すら見え隠れし、どこぞの国と大差ない。 >構造上はいじめと大差ないような気がします。(そういう人に限って「いじめはよくない」なんて言うものですが・・・) はい、「大義名分」さえあれば、いじめと変わりない行動をとっても、もはや心が痛むことも無いのでしょう。 或いはやり過ぎだと頭の隅では分かっていても自制がきかないのでしょう。 ミイラとりがミイラに・・・ どこぞの国と変わりない・・・ その割りには日本人の精神性を自画自賛するのですが・・・ それもどこぞの国の国民と・・・

回答No.9

誰がネットをしているか、ということじゃないかな? お隣の国のようにネットが実名制でも、似たようなことをやって自殺者が出てますから。 この辺の国はネットは似たような人たち、社会的弱者の人たちがやってる気がします。

回答No.8

あなたに1票投じます。 日本人は正義感をふりかざすのが、好きなんだと思うよ。 マスゴミも・・・ そんな国で育った子供達は、学校で嘘をついたり、ズルしたりする奴に正義感をふりかざし虐める。 当たり前のことが当たり前におこっているだけだね。 いじめは悪だと言いながらいじめる セクハラという言葉を使ったパワハラがおきている。 他にもDV・差別・平等・・・ 正義感をふりかざしたくなる言葉は危険です。 本来、正義や礼儀はこころざすものであって、他人に強要したりふりかざすものではないはず。 嫌な国になったなぁ・・・

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.7

故人の名言。   輿論(よろん)は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。   たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。 やや、芥川賞なみの警句やねぇ。

  • sukotinx
  • ベストアンサー率24% (56/232)
回答No.6

現行の法律はずいぶん昔に作られたものであり、犯罪に対する罰則や司法の判断が、現代に合っていないのです。例えば、子供の認知では現代科学ならばDNA鑑定で明らかなのに結婚してからの日数でしか判断しなかったりしています。飲酒運転なども、以前はとても罪が軽かったですよね?多少重くなりましたが、まだまだ加害者が得している、と感じます。 その、司法の判断が民衆の感情とズレている為に不満が噴出し、そのはけ口として匿名性が高く感じられるネットが一番使いやすい為に起こる現象だと思います。おそらく自分以外の人も同じような意見だろう、という思いも行動に移しやすくなる原因でしょう。昔と違い、プログラムの知識が無くても簡単に画像や動画を掲載できてしまうのも一因です。 解決策として、ネットにはよほど精通していなければ匿名性はゼロだという事を教える教育を広める事と、犯罪者天国、と思われない司法の改革が必要です。

  • weavaest
  • ベストアンサー率15% (157/1020)
回答No.5

自由の意味を履き違えた人が増えたんでしょうね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

名誉毀損など、法に抵触する場合は、法に照らして 処断すればよいと思いますが、 問題は法に抵触しない場合でしょう。 ”社会的に良くないことをした人たちとはいえ、一般市民が ネット上でその人の個人情報をさらすという行為は、 問題ないといえるのでしょうか。”      ↑ 問題は大ありだと思います。 ただ、一般市民に限定する理由は無いと思います。 公権力がやることはあまり考えられませんが、 マスコミもそれ以上のことをやっています。 マスコミは、必要も無いのに、加害者ばかりでなく、被害者の 個人情報まで晒します。 しかも、間違いというか、デタラメも結構多いです。 その被害はネットの比ではありません。 マスコミが許されて、どうしてネットは許されないのだ、 ということにもなりかねません。 こういう風潮は是正されるべきであり、その為には まずマスコミが範を示して欲しいと思います。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2023/7558)
回答No.3

 政治家や官僚の子供とわかると、途端に報道内容を変えるマスコミと同じにしろというわけですか。権力を持っている犯罪者には手加減しろというわけですか。テレビと同じ統制メディアにしろというわけですか。  テレビのインターネット叩きに閉口している者ですが、それは何も言わないのですか。テレビは何をやっても構わないが、インターネットは勝手な事をするなというわけですか。  テレビも昔はインターネットとほとんど同じ内容の映像が放送されていた時期があります。ところが、テレビ番組に対する政治的な批判が相次ぎ、放送法の改正が繰り返されて、今では何も放送出来ないに近い状態になっています。  インターネットにテレビと同じ内容を期待するのは愚かだと思います。インターネットが嫌ならば、テレビを見れば良いでしょう。そういう人は大勢います。無理してインターネットを閲覧する必要はありません。個人の自由です。  同じように、テレビを見たくない人がインターネットを閲覧し、自由な書き込みをおこなうのも個人の自由です。テレビしか見ない人達から苦情を言われる筋合いはありません。インターネットをテレビと同じにしてはなりません。

dademao
質問者

補足

>政治家や官僚の子供 ~ インターネットは勝手な事をするなというわけですか。 そんなこと言ってませんしそういう風にも思ってません。 おっしゃる通り何を発信するかは個人の自由ですから。 ただ、現代における利用の傾向が問題を生んでいるのであれば、それを考え共有していくことは大切だと思いませんか。「問題がある=悪い、改善しないといけない」なんて図式は表面的すぎます。問題の本質を捉える努力をしないといつまでも成熟しない社会になってしまいます。良いか悪いかの価値判断は二の次です。 「○○が嫌なら見なければいい」 それも個人の判断なのでこんな言葉が存在すること自体無駄ですね。たとえ嫌でもそれに直面することになんらかの意味があると考える人なら見るし、不快感に圧倒されてしんどい人なら見ないでしょう。大体この発言をする人は「(炎上すると面倒くさいし私が見てて不快だから)嫌なら見るな」という願望が近い気がします。 後半のインターネットとテレビの話は話を拡張しすぎですね。 ありがとうございました。

回答No.2

 ネットで炎上する場合、 (1)間違った情報を根拠にして批判する (2)自説と異なる意見に対して反論する の二つのパターンがあると思いますが、両方とも「情報」「意見」に対する反論と言うより、発言者の人格まで傷つけるような、感情的な暴言が含まれることが多いようです。  私自身も上のような発言の衝動にかられることがありますが、自重するように心掛けています。しかしネットではそのような歯止めの利かない人が多いようです。喩えるなら酒癖が悪いのに、毎晩飲み歩く酔っ払いのようなもので、マナーを守った上で、大人の付き合いのできないユーザーがいるようです。ネットを開発し利用する科学技術に、利用方法を一考する道徳観が追いついていないのでしょう。

noname#210263
noname#210263
回答No.1

必要悪。 抑止力にもなっている。

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