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禅の「無分別」の意味

amenhotep2000の回答

回答No.4

urbaniteさん こんにちは。 私は仏教は趣味の茶の湯と哲学者西田幾多郎の理解のため、かじった程度なので、禅における「分別」ではなく、西洋的な「分別」を参考になればと思い回答します。 ラテン語で日本語の「分別」と訳される語は「discretio」という言葉です。 この言葉はギリシャ語の「diakrisis」から派生したそうですが、元々ギリシャ語でどのような意味だったかと言えば、「切る・離す・ふるい分ける・区別する・感覚的に諸性質を識別する」の意であり、そこから、「善悪を区別する・真と偽とを識別する」という意味になったそうです。 また「discretio」はギリシャ語の「metron」という語にも密接に関係し、「測定する・制限する・適度にする」という意味から、「節度と中庸を意味する調和を与える」という意味も兼ね備えたそうです。 この中庸という言葉は、プラトンは「メネクセノス」の中で「何事も度を越すなかれ、という古いことわざが名声を得たのは、それが真に正しいからである。」と言い、アリストテレスは「二コマコス倫理学」で「徳は尺度であり、中庸であり、両極端の均衡にある。過多も過少も良くない」と言っています。 以上はギリシャ哲学における自然的秩序における「分別」ですが、キリスト教が西洋で広まると、「discretio(分別)」は神という超自然的秩序に基づき、人間に働きかける霊を見極めて、それが神からのものか、人間からかdiscretio、また悪魔からかを「分別」する能力とされました。 そして中世の修道院においては「discretio(分別)」は「一般的識別能力・道徳的価値のあるものを知る能力・賢明な中庸、すなわち修行による極端な厳格と、度をすぎた寛容の拒否」とされ、これらは、謙遜によってのみ与えられる、神からの賜物であるとされました。 本論の禅の話に戻すと、禅宗は、お経を読むことによって、頭で理論的に真理にたどり着くのではなく、ひたすら座禅という肉体を酷使することにより悟りを開く宗派で、悟りの境地は言葉では説明出来ないと聞きます。 これは、中世のキリスト教の修道院に近いところもあるかもしれませんが、私のような長文の回答を書くようでは、悟りは程遠い。しかし、中庸と言う言葉は、洋の東西を問わず、ひとつのキーワードで座禅を通して、自分の心をコントロールし、いつも中庸に保てるというのは、禅における「悟了同未悟」の見地ではと思われます。中庸でなく、おごり高ぶったり、卑屈になる人は多々います。 最後に補足ですが、私は、白隠の達磨禅師の絵が好きですが、2010年の12月から1ヶ月程、千葉市美術館で行われた、アメリカの蒐集家が日本から持ち去った「帰ってきた江戸絵画~ギッター・コレクション展~」で白隠の「一富士ニ鷹三なすび図」なるものを観ました。 正月の初夢で見ると縁起が良いとされるものを、白隠らしい絵が描かれてましたが、その上に漢字で「是什麼(これなんぞ)」と書かれてました。「是什麼(これなんぞ)」とは実に意味深です。やはり禅の悟りの境地にならないと白隠が何を言いたいのかという本質は分からないと思いました。 では、修行に戻ります。悟りに至ったら、次に回答するときは何も書かず、真っ白な回答をしますので、そこから何か読み取ってください。

urbanite
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 謝るのもかえって失礼に当たるのかもしれませんが、すみません。 あまり参考にはなりません。少なくとも今は。 よろしくお願いします。

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