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太平洋戦争中の米国のスローガン

日本では、「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」などがありますが、 米国ではどんなスローガンがあったのですか。 できれば、そのスローガンが生まれた背景も簡単でいいですから教えてください。 よろしくお願いします。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.5

  Stay on the job until every murdering Jap is wiped out [  「人殺しのジャップがみんな拭い去られるまで職場を離れるな」(下記)など、沢山あります。このあたりのウィキは日本版がありませんので、、、  https://www.google.com/search?q=anti+japanese+propaganda&biw=1920&bih=888&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CB0QsARqFQoTCNvN3Ouc-sYCFcmjiAodiNcA5Q http://j387mediahistory.weebly.com/anti-japanese-propaganda-in-wwii.html http://www.tofugu.com/2013/02/20/dr-seuss/ https://en.wikipedia.org/wiki/American_propaganda_during_World_War_II

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 こんなに沢山あるのですか!!! 驚き!! しかし、冷静に考えてみると、豊かな国アメリカのことですから、厖大な量のポスターを印刷して配布したとしても、なんら不思議ではないですね。 しかもカラー印刷で…。 とにかくメッチャ面白いです。 攻撃的なポスターが多いですね。 「Remember Pearl Harbor」は、ポスターとしては少数派のようです。 新聞・雑誌・ラジオでは大いに採り上げられたのでしょう。 大変参考になりました。

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その他の回答 (6)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.7

 #5です。補足です。  反日教育が生まれた背景は、下記のような子供用の映画にも見られます。  https://www.youtube.com/watch?v=jxtlcrIkIbI  https://www.youtube.com/watch?v=sOmkvEMLIT0

kouki-koureisya
質問者

お礼

技術的な会話はなんとかこなしてきましたが、漫画映画でもHearingはできません。 ポパイは久しぶりです。雰囲気は分かりました。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.6

 #5です。補足です。 >>  Stay on the job until every murdering Jap is wiped out  「人殺しのジャップがみんな拭い去られるまで職場を離れるな」  は軍需工場の職場のポスターのように見えますが裏の意味は 「人殺しのジャップをみんな殺すまで殺し続けろ」です。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 ポスターの説明では、このスローガンは、「バターン、死の行進」を機に作られたようです。 私は、見た瞬間、 裏も表も、ずばり「人殺しのジャップをみんな殺すまで殺し続けろ」だと思いました。 もう少し私に読解力があれば、家庭向けのスローガンをうまく訳せるのですが、 「あなたの戦争です。必需品以外は止しましょう」と言うのもありました。 持てる国の余裕ですね。

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  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.4

やはり「リメンバー・パールハーバー!」じゃないでしょうか?! 実情の本土の国民標語については、不勉強で知りません。 アメリカは、食料、物資を軍隊の要求に応えて全て前線に送っています。 ただ、あっても、不思議はありません。 あのアメリカでも、本土では配給切符が配られいました。 特に、生肉は手に入りずらかったようです。 しかし、アメリカの配給切符は、最低限を保証するものであって、 肉屋に在庫があれば、自由に追加で買うことができました。 日本の様な厳しい統制ではなく、 やはり、前線のためのに、「多少の不便は仕方がないか」が、国民感情だったようです。 こういう状態の中で、標語のようなものが、あったかもしれません。 100%の答えではなく、スミマセン。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 アメリカにも配給切符があったのですか! 「配給切符」とは懐かしい言葉です。 ちょっとだけ当時の日常を知ることができました。

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  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1961/9579)
回答No.3

kouki-koureisya さん、こんばんは。 そうですね。有名なのは「リメンバー・パールハーバー!」でしょうか?有名な真珠湾奇襲攻撃の時、攻撃の一時間後に宣戦布告がを行ったため、ルーズベルト大統領に「騙し討ち」といわれて卑怯者呼ばわりをされました。 詳細は下記のURLを参照ください。 真珠湾攻撃 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 「リメンバー・パールハーバー!」は、戦後にまで続く最大のスローガンとなりましたね。 アメリカ国民を一致団結させてしまいましたね。

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  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

アメリカ本土(当時は大陸の48州のみ)での戦闘が無かったため、太平洋戦争中のアカデミー賞で『トムとジェリー』が受賞している年があるくらい、いつも通りの生活をしていたのです。 実はアカデミー賞の常連だった!トムとジェリーの受賞・ノミネート作品を見てみよう | FILMAGA(フィルマガ) https://filmaga.filmarks.com/articles/117 太平洋戦争での唯一のアメリカ大陸での被害は、日本から偏西風に乗せて爆弾と一緒にとばした紙気球が、オレゴン州で不発弾として落ちていたのを、ちょうど山間部で見つけて触ってしまったグループを死傷させてしまった1件のみでした。 風船爆弾 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%88%B9%E7%88%86%E5%BC%BE ですから、兵士を求めるための「アンクル・サム」というアメリカの代名詞みたいな架空の人物が指差している「I WANT YOU FOR U.S. ARMY」のポスターと、銃後の備えとして装備品など工業品の製造を頑張ろうという「We Can Do It!」と女性が腕まくりしているポスターくらいのものです。 I WANT YOU FOR U.S. ARMY - Google 画像検索 https://www.google.co.jp/search?q=I+WANT+YOU+FOR+U.S.+ARMY&tbm=isch We Can Do It! poster - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=We+Can+Do+It%21+poster

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 こんなポスターがあったのですか! 「We Can Do It!」は、何年か前のアメリカの大統領選でもよく聞きました。 「I WANT YOU FOR U.S. ARMY 」これも素晴らしい。 『トムとジェリー』は、孫と一緒によく観ましたが、時代の背景を考えると大変参考になりました。 当時のアメリカの日常生活の一端がよく分かりました。

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回答No.1

普通の国家は旧日本軍とことなり、戦略や戦術をまともに考えているので 精神主義に傾倒するような愚かしさは持っていない。だからスローガンなんてないでしょw

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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