• 締切済み

何故多くの日本人は"雇われる"前提なのか

ふとした疑問です。 日本人の多くは大学を卒業して大手企業に就職する事を目標に掲げて生きる人が多いです。これはそういう国家レベルの洗脳的な刷り込み(文化、習わし)なのでしょうか? もっとスポーツ選手や芸術家や起業家などの選択肢がきっちりと提案され、その提案を受け入れられる制度やシステムがあってもいいのでは?とふと思いました。 現状、スポーツ、芸術系(音楽、絵、文学、お笑い)、新しい企業など、日本は狭き門であるとともに徐々に衰退しているように感じます。 これは日本がそういった文化なのでしょうか? それとも諸外国もこんなもんでしょうか? 皆様は大卒市場やこの雇われる前提に生きる日本人の性質をどの様に考えていますか?回答お待ちしております。

みんなの回答

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (657/1170)
回答No.13

日本人の性質、とらえるのは早合点しすぎだと思います。 参考として、2014年度版の13歳のハローワークでの将来の職業希望のアンケートを見てみます。 http://www.13hw.com/jobapps/ranking.html 企業などに「雇われる」ことを大前提とする職業であるのは、 グランドホステス(1)、保育士(4)、看護師(6)、ディスパッチャー(7)、公務員(10)、薬剤師(11)、金融業界で働く(14)、小学校教師(17)、大工(18)、編集者(20)、警察官(21)、動物園の飼育係(27)、幼稚園教諭(28)、芸能マネージャー(29)、ホテルで働く(31)、テレビ業界で働く(34)、臨床心理士(37)、スポーツ用品メーカーで働く(41)、スポーツのチームや組織で働く(43)、NASAで働く(46)、水族館の飼育係(47)、アパレルメーカーで働く(50)、客室乗務員(51)、中学校・高校教師(57)、陸上自衛隊(60)、プラネタリウムで働く(65)、宇宙飛行士(67)、エンジニア(72)、PA・音響(74)、理学療法士(78)、天文台で働く(79)、パイロット(82)、電車運転士(84)、消防官(85)、アメリカ軍兵士(86)、航空自衛隊(90)、音響エンジニア(94)、海上自衛隊(97)の37職。 それ以外の職業は、たとえばプロスポーツ選手(2)のように、なんらかのチームおよび企業に所属するような形を取ることもありますが、知名度や就業スタイルとしては個人事業種や起業家に近く、同じように、ファッションデザイナー(3)、パティシエ(5)、ゲームクリエイター(8)、医師(9)など、企業などに所属する場合もあれば、個人で起業することもイメージしやすい職種が相当数あります。このように考えると、雇われる前提であっても、「◯○師(士)」のような国家資格を必要とする職についても、資格取得後、個人で起業したり独立したりできるものもありますし、動物園の飼育係(27)、ホテルで働く(31)のように、自分が理想とする動物園やホテルがなければ自分自身でそれをつくる、という考えも浮かぶでしょう。また、技術者や研究者のように、自身の能力次第で、企業などに所属していながら、半ば個人事業主化してしまうような職種もあります。 このように見ると、国家レベルで"雇われる"ことが良いことかのような刷り込みが行われているというより、雇われる側or雇う側という2択以上の、柔軟な職業選択のあり方が教育の現場や日常を通じて子供たちに提示されていると思います。 しかし日本のビジネス分野が多岐に渡っていることもあり、どのような職種を選んでも、個人で店舗や事業所などを構えるスタイルなのか、そういった事業所などに就職するのか、が、概ね存在しているとも思います。 なので、質問者さまが疑問を持たれているのは、どのような職種を選ぶか、ということより、選んだ職種の中で『社長になりたい』と思う人が少ないのではないか? ということではないか、と。また、その職種で独立開業しようといった『意志や発想が貧弱』ということにもなるのかもしれませんね。 しかし、後者のような独立開業や新規分野の職業開拓というのは、果たして『誰かが教えてくれる』ことなのでしょうか? どうやったら社長になれるのか、どうしたらスポーツ選手としてお金を稼げるのか、どうやったら芸術家として食べていけるのか、ということについて、それらの「how to」的なものは、実験的に教育現場でのカリキュラムとして投資や起業などを行っている場合はあっても、おそらく日本でも他の国でもそれらがスタンダードとなるレベルで確立されることはないと思います。 ただ、賛否はあれど、ドイツのマイスター制度や進学か特別な技術を必要とする職を目指すかの選択を早期に行ってしまうギムナジウム制度、イギリスのナイトの称号…などなど、ある一定の、稀有な能力を必要とする職種を保護する社会体制は、日本ではあまり進められていませんね。フランスなどでは所得の不安定な芸術家などの活動を担保する芸術家専門の保険会社があったり、職業欄に堂々と「芸術家」とかけたりします。 日本では確定申告をしようにも、「芸術家」は職業欄に書けなかったり、所得が不安定であるがゆえに活動資金の融資を受けられない、など社会的には圧倒的に不利です。 そういった制度的な差が、職業選択として無難な方向に多数派を向かわせてしまっているとは思いますが…。 ただ、もうひとつは、高度経済成長期のような不自然で急速な発展を遂げた日本経済ゆえに、それが文化的な『幸福論』をも変えてしまったのではないか、とも考えられます。 高度経済成長期を経ることで、「所得は少ない(もしくは不安定である)が、自分がやりたい仕事ができることが良い」というものではなく、「職業よりも、高所得で豪華な生活ができることが良い」ということが、豊かさや幸福の価値観になってしまったのではないか、と。 もちろん、スポーツ選手や芸術家や起業家などがお金が稼げないわけではなく、その内の一握りの成功者には大きな金銭的メリットが発生します。ですがそれはあくまでも結果論であって、それらの道を志す人の多くは、所得よりも「やりたいこと、興味があること、得意なことを仕事にしたい」と考えたのが発端ではないでしょうか。 個人的な予測としては、今後、日本の経済も停滞し、人口減からどんどんと「高所得=幸福」ではないという価値観も生まれてくると思います。そうなってくると、"雇われる"前提というのは崩れてくるのかもしれませんね。 フランスやドイツなどを例に挙げましたが、それらの国は、日本よりも発展した時期は早いものの、悪く言えば、日本より先に衰退し停滞している国でもあるので、"雇われる"前提の人々が生き残りやすい社会環境というのは、ある意味で経済的に発展しているがゆえで、特殊な職業が増えていくというのは、その経済的発展と引き換えになるのかもしれません。

  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1095)
回答No.12

教育機関が雇われる前提の人間を育てるのは これは成熟した近代社会全般に見られる現象です。 ちなみに雇いたい側(起業した人)は教育機関を全く信用していません。 国家レベルの洗脳というのは言いえて妙ですね。 ご存知の通り富国強兵策を掲げて全国民に対する普通教育を施した結果 戦争に突っ走り自治権を奪われた過去を持っているわけです。 しかし教育制度自体は明治時代から大して変わっておらず 良い兵士が良いサラリーマン(企業戦士)になっただけですね。 疑問にお応えしますと、 日本だけに見られる文化ではなく欧米でも問題になっています。 ブーメラン世代って言葉を聞いたことはないですか? そしてMBAとかいろいろ資格持ってるのに独立したがらないのもどこも一緒です。 ただし、これはたぶんどこの国でも一緒でしょうけど 起業する人って10代のころから自分で稼いでるんですよね。 なので親がそれをさせたがらない日本だと 特に起業したがらない人は多いと思います。 教育制度が普及していなければ 自分で自分を養う人の割合が当然増えます。 なので学校や教師の数が足りないとされている 東南アジアなんかは今成長真っ盛りですね。 インド、アフリカはこれからでしょう。

回答No.11

なんらか事業をやろうとか思うまえに、それ以外の遊びの誘惑にかられる環境にあるとか。たとえばパチスロ屋とか 無駄な娯楽に労をそそぎやすい環境は世界一な気がする

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10504/33036)
回答No.10

>これは日本がそういった文化なのでしょうか? そうでしょうね。理由は他の方がいろいろ書かれているのと同じです。ちなみにイギリスのあのチャーチル卿は我々について、「日本人は喉笛に噛みついてくるか、ひれ伏すか、どちらかだ」とおっしゃっています。 >それとも諸外国もこんなもんでしょうか? 少なくとも中国では「独立して社長をやるやつが偉い。雇われるやつは能力が劣っているから雇われるのだ」という価値観なのだそうです。だからなかなか大企業が育たず、すぐポコポコ独立しちゃうんですって。 >皆様は大卒市場やこの雇われる前提に生きる日本人の性質をどの様に考えていますか? 日本の風土気候では、そういう生き方がいちばん死なない確率が高かったのだと思います。日本では震災のような大災害が起きても諸外国のように無秩序や略奪が横行するということがほとんどありません。それはそういう気質も影響しているでしょうし、そういう気質だからこそ大災害が起きてもパニックを起こさないのだと思います。

  • satouenn
  • ベストアンサー率13% (276/2055)
回答No.9

皆と同じがいいからなのではないでしょうか?起業する、とかなると何かと目立ちます。 あとは、良いロールモデルがいない、とか、失敗する(レールから外れる)とリカバリしにくいので、挑戦しにくいのもあると思います。

noname#252929
noname#252929
回答No.8

本人の気持ちの持ち方でしょう? 私は技術屋なので、経営をやるより、社員の方が楽でいいからなぁと思っていたのですが、気が付いたら、国内で会社を起ちあげて、海外にも会社を起ちあげて、経営者になっている状態です。 誰だって、経営者に成ろうと思えばなれると言う事なんでしょうね。 スポーツ選手や芸術家は、実力主義の世界です。 実力が無ければ、やっていけないですので、そりゃ狭いのは仕方ない話です。 企業かはやろうと思えば誰でも出来ますよ。 当然、会社が続くかどうかは別の問題で、日本なら30万位あれば会社は簡単に起こせますからね。 ただ、なにをするために起業するのかは、その人の努力が無ければだめですけど、これはどこの国だって同じです。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.7

作家の境屋太一さん(一時期、経済企画庁長官もしてました)が、そういう本をけっこう書いてましたね。 「大量規格社会」とか。若い人は、知らないかもしれませんが。 あと、古くは明治時代にまで遡ります。 小室直樹氏の「憲法学入門」だったかな。司馬センセの「この国のかたち」でも少し触れています。 要は、明治の文明開化の時代、政府が必要とする官僚を早急に育成するため、作ったのが東大と京大。 そこで欧米の学問を輸入して、とにかく知識を詰め込ませたわけ。 今の大学システムは、その東大・京大モデルを拡大発展させたもの。 これが、戦後の暗記優先の受験勉強にもつながります。 まあ、昭和の「追いつき追い越せ」の時代までは、それでもよかったんですが、ある意味では日本は世界最先端の課題先進国になってしまい、参考にするモデルがなくなってしまいました。 少子高齢化とか長期デフレとか、はたまた世界に例を見ない「自称、平和主義。実質は他国に安全保障を依存していた国の行く末」とかね。 今の日本に必要なのは、自力で問題を解決できる人材です。 しかし、教育制度や世間の意識が、未だに古いままでいるのが実情です。 これでは、諸問題がなかなか解決しないのも、まあ止むをえないですね。 かといって、いつまでも今の状況でいて、良いわけはありませんが。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

>現状、スポーツ、芸術系(音楽、絵、文学、お笑い)、新しい企業など、日本は狭き門であるとともに徐々に衰退しているように感じます。これは日本がそういった文化なのでしょうか? 情けないですが、そのようですね。 >もっとスポーツ選手や芸術家や起業家などの選択肢がきっちりと提案され、その提案を受け入れられる制度やシステムがあってもいいのでは?とふと思いました。 これはその通りだと思います。 現状の一例ですが 地方文化の向上と地方生活の質の向上を目指して一流芸能の地方公演を下ささえするNPO法人の活動に一時関わっていましたが、会員制のチケットを売り歩くにつけても、一般のひとたちが生活の中にそういう質の高い娯楽を取り込む意欲の薄いことに絶望しました。 若い人間がまず実質生活の確保にしか目を向けられないし、楽しむ時間もないのは、いまの時世、仕方がないとも思いますが、金も時間も(若者に比べて)有り余る団塊の老人たちがあまりにも安っぽいTV娯楽だけで自足していることに情けなさを覚えました。そういう娯楽はある程度のコストがかかるのですが、本物のゲイジュツを楽しむという意味を知らず、ともかく食い物以外のことにけちる、ただのチケット以外見向きもしないという無趣味結構人間が昨今どんどん増えているように思いました。 社会がそういう一流芸能、一流芸術、芸術家をみなで一灯なりしたささえしないと、彼らは育たず根ぐされしてしまいます。 これからの日本はつまらない国になっていくでしょう。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.5

日本の教育は、戦前は「良い農民」「良い兵士」養成機関だったのが、戦後「良い勤め人」に変っただけです。個性をつぶし、大勢に従い、意見や人と違うことを言ったり行動すると嫌がられる。こういう教育を受けてきた人たちが自営業に乗り出そうとする確率が低いのは当たり前です。「実業家」「自営業」などを生業にする人たちの大半は「変った人」なのはそのためです。つまり彼らは日本の教育に逆らって個性を磨いてきた人たちで、教師からは嫌がられてきた人が大半です。

  • tef84754
  • ベストアンサー率33% (35/103)
回答No.4

日本の社会の幸せとは、まずは「安定」を求めています。 あまり目立つようなことがもともと苦手な民族なのです、出る杭は打たれる、そのような言葉もあるぐらいですからね。 また、学校の教育でも、子供の時から勉強をして大きな会社に入れば生活が「安定」する=幸せになれるというような考え方を教え込まれて来た影響もかなり強いでしょうね! それと比較をすると、自営業などは、商売が上手く行っている時にはそれでも良いのですが、良い時と悪い時との波がサラリーマンよりかは極端ですよね? 波がある=不安定=不幸せ というような? そんな考え方の人達が昔の日本人の大人には非常に多いのです! (特に、今でも女性は安定を好む傾向が強いとも思います) 起業家の道を選択するのであれば、親としては、それよりも安定をしている職業、サラリーマンになって貰った方が心配が少なくて良いからだとも思います。 ですが? 私は個人的に大手企業に就職をする人生だけが「幸せ」だという考え方は、今現在では、もはや時代遅れになってしまっているとも思うのです! 大手企業ですら倒産する危険性も昔よりも多くなっても来ていますし、年功序列で毎年会社で仕事をこなしていれば勝手に給料がどんどんあがって行くというわけでもありませんからね! その人、その人で、職業選択の道も今ではたくさんひらかれて来ているとも思います、その人が本当に好きな事を仕事として選択をすることも出来るような、そんな「幸せ」という価値観も、今現在では人それぞれで異なって来ているというような気がするからなのです。 そして、収入を得るという方法も、現在では人によりさまざまなやり方がありますから、自分のやりたい道で生活をして行く事が出来れば、そちらの方が長い人生においては幸せなのではないのでしょうか?  私にはそのようにも感じられてしまうのですけれどもね・・・。

関連するQ&A

  • 日本文化について

    日本文化について教えてください。 ・文学や絵画などの日本文化、芸術は『 』の文化・芸術であると言われる 『』に入る言葉は何でしょうか? 教えてください。

  • フランス文化の衰退?

    昭和の頃はフランス文化というと、絵画、音楽、文学、演劇、バレエなど 香気ある素晴らしいものとして、日本でも結構もてはやされてたように 思うのですが、最近はあまりフランス発の文化が流行ってるようには 感じません。 フランス文化は衰退してしまったのでしょうか?

  • 日本文学研究の歴史と国学の歴史について勉強しています。

    日本文学研究の歴史と国学の歴史について勉強しています。 自分なりに、類似点や相違点をまとめてみたのですが、いまいち、まとめがずれているような気がしてなりません。どなたか日本文学に精通している方のアドバイスや補足がいただけたら幸いです。 【まとめ】 日本文学…日本の文学。またそれを研究する学問。 日本文学研究…日本文学の研究を行うこと。基礎には文献学的性格があり、言語芸術作品としての文学を中心に研究する。 その歴史…日本文学はかつて国文学と呼ばれてた。日本文学研究は、古くは吉賀矢一により、明治時代、ドイツ文献学が導入されることによって成立したもの。特に、古典では書誌学的な研究も多く行われ、外国の研究者の注目も集まり、古典から現代文学まで幅広く研究対象となっている。 国学…古事記、日本書紀、万葉集などの古典の主として文献学的研究に基づいて、特に儒教、仏教渡来以前における日本固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。文献学と同じように、古典の文献を厳密に文献学的に研究することにより、日本文化と精神の特性を明らかにしようとするもの。 国学の研究…古い時代の文献を研究すること。古い日本本来の固有の文化と精神を明らかにしようとするもの。近代以降の日本文学研究の基礎。 類似点:文献を研究すること。 相違点:(1)日本文学があらゆる時代の文献研究をするのに対して、古い時代の文献研究を行うことが国学の研究である。(2)日本文学は、それぞれの時代の文化や精神の特質を明らかにし、外国文化に対する日本の文化の精神の特質を明らかにするが、国学は日本本来の固有の文化と精神を明らかにするものである。 問題点:広義は国学、日本文学とも同じ部分がある。さらに、日本文学の基礎に、国学があるという考えによれば、問題がないはずである。しかし、時代背景や文献などの違い、さらには日本文学が芸術分野までも含み、あまりにも広範囲になることから、これらの日本文学、国学をひとくくりにして、一貫性をもたせることは困難である。 それぞれの歴史という点では、内容が不十分な気がしています…特に日本文学研究の歴史が曖昧だと思います。 サイト情報などもありましたら、よろしくお願いします。

  • 日本文化の本質

    いろいろと考えてみたのですが、いまいち掴めません。日本文化とひとくくりに言ってもたくさんありますが、これだ、とその本質を特徴づけるものはありますか?そしてその背景にあるものはいったい何でしょうか? P・F・ドラッカーという人が「日本は知覚の鋭い国で、目で見る芸術が何よりも日本の本質を表している」、と言っています。う~ん、そうなのかなーと思うのですがいったいどういう意味でしょうね。 それとは関係なく、自分で思い浮かぶこととしては、人の性質や生活様式として、「器用さ」、「静かさ」、「多神教」などがあるのかな、と思います。あと、時間の概念・感覚が欧米のものとは違うように感じます。そういった違いを引き起こすファクターが何なのかがさっぱりわかりません。 ちなみに、「文化」を広辞苑(第五版岩波書店)で調べたところ、技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容を含む、とありました。 これらの側面の何れか、もしくはその他のことで何かわかることはないでしょうか?

  • 韓国映画と日本映画の絶望的なレベルの差はどこから?

    私は映画は総合芸術だと思っています。 娯楽作品であっても文学作品であっても、文学、音楽、美術、建築、文化、歴史、ビジネスが複合して生み出される芸術です。 その映画ですが、日本の映画は全てが幼稚な学芸会レベルで絶望的に最悪です。 セリフは怒鳴るかぼそぼそしゃべるだけ、悔しい時は目を向いて歯ぎしりし、悲しい時はボロボロと涙を流し、おかしい時はゲラゲラ下品に笑い、怒った時は頭の周りで手を振り回してプンスカ。高校生レベルのCG合成、アイドルの歌謡曲に漫画原作の魅力のない脚本。 本当に日本の映画はひとつ残らずゲロカスです。 一方、まともな歴史も文化も文学も建築も何一つ存在しないおとなり韓国の映画は驚くほどレベルが高い。 脚本、映像、音楽、俳優、演出、全てが日本を圧倒しています。一つも勝てるところが見当たらりません。 これは一体何が理由なのでしょうか? 詳しい方、教えてください!

  • ロストジェネレーション

    第1次大戦中アメリカの文学および生活様式等に強烈な問題提起をしたロストジェネレーション。 日本ではバブルの終焉による大不況時代(1990年から2013年)がそうかと思われますが、アメリ カのような、そのときの文化・スタイル・芸術などの分野では、何も出てきてないような気がします。 日本の若者たちは今まで何をやっていたんでしょうね。企業に誘導された大消費だけですか?

  • 日本女性の地位と教養について

    近年、「男と女では脳の構造が異なっている」ということが言われているようです。 皆さんは「女が苦手なこと」と言われると、どう答えますか? 「車の運転」 確かに間違いではありません。 (僕は「女性全員がうまくない」というつもりはありませんが。。。) ちなみに、飛行機の操縦となれば、さらに男女間の格差があるそうです。 それともう一つ言われていることがあります。 「文学・芸術」です。 世界的に歴史を見渡しても、女性の文学者や芸術家は見当たらないからです。 (僕はこれの理由がわかりません。この理由がわかっている方がおられたならば、回答してください。) 但し、文学については、女性が活躍している国があります。もちろん、日本です。 平安時代の女流文学。これは世界に冠たるものです。 日本の教育では、「女性だけの文字である仮名(かな)があったから」となっていますね? でも、僕はそれだけではないと考えています。 そう、日本女性に地位と教養があったのです。 ある本で読んだことですが、こういうことがあるからです。 「藤原氏が外戚政策をとるために、娘の教育に力をいれたから」 (この方が説得力があるはずなのに、なぜ教えないのでしょうか?) 鎌倉時代以降では、女性が表に出ることはなかったというものの、女流文学はきちんと存在しています。(例:阿仏尼の十六夜日記、加賀千代女の俳諧、与謝野晶子や樋口一葉...) 僕が思うには、日本は貴族や武士の文化と別に、庶民の文化も存在していた、ということです。 万葉集にある、東歌や防人の歌、作者不明の歌等、名もないような人でも歌を残すことができたことが証拠です。ここでも、庶民にそれなりの教養があった、と考えなければならないでしょう。 尚、欧米では、19世紀でも「ファーブルが女性に勉強を教えたことで、学校の先生を解雇された」 ということからも、女性の教養はなかったようです。 当然、これでは女流文学など考えられません。 このことでも、日本女性の地位と教養を感じ取れます。 もう一つ、僕が疑問に感じていることがあります。 「現在、フランスやイタリアのファッションデザイナーがみんな男なのはなぜか?」 日本では、森英恵、桂由美、コシノ三姉妹といった、第一線で活躍する女のデザイナーがいます。 このことも、ヨーロッパは男尊女卑で、日本は女性の地位があるからでしょうか?

  • どっちの大学を?

    私は高校3年です。 日本大学社会学科・日本大学国文学科・専修大学日本文学文化・東洋大学メディアコミュニケーション学科・東洋大学日本文学文化学科 で、出版関係かテレビ関係の仕事に就くにはどこが一番いいでしょうか? あと、夜間大学に行くとやっぱり就職で大変だったり、有名企業には就職できないのでしょうか?

  • 日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか

    最近感じるのですが、多くの著書が 西洋的価値基準で日本文化を論じたり評価しているのではないか?と感じています。 そもそも日本、東洋文化というのは西洋的な近代合理的価値基準ではない部分が大いに あると感じます。 ですので西洋的解釈を用い、評価すれば自ずと西洋文化が優れている云々という事になるのは必然であり、日本人は日本人の独自の観点で評価するべきだと思います。 例えばハリウッド映画的感覚で小津安二郎は評価出来ないでしょうし (海外で評価されてるみたいですが、一体何をもって評価しているのでしょうか) 越天楽や能楽音楽を西洋音楽理論で解釈する事に意味はあるのか?等 ヨナヌキスケール云々とかいう表面的な解釈ではなく 日本純邦楽と西洋音楽の違い、序破急と西洋楽式論、 または茶道や柔道等といった「道」とスポーツ的思考の違い 西洋医療や東洋医療の違い、日本文学と西洋文学の違い・・etc 東洋文化に比べ西洋文化は論理的思考、構造的で日本文化は情緒だと言われてますが お詳しい方いらっしゃいましたら、 もう一段深く具体的なそういった西洋文化的論理では解釈していない、出来ない東洋、もしくは日本文化の表現する目的といいましょうか、構造といいましょうか、その評価基準等、 何か参考著作等やご意見でも何でもいいので幅広く知見を伺えればと思います。 これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか、 一抹の参考になればと思います。

  • 作家の陰口を言う編集者が大学の先生に

    編集者をしていた頃、「大江健三郎先生は、ほんとは五木寛之先生と仲が悪いんだよ~」とか 「橋本治はXXYだ!」とか「柴田元幸は河童だ!」とか、いろいろ言っていたひとが、文学部の 講師に転職しました。 学生相手の授業でこんなことを言いそうなひとが、教員としてふさわしいのでしょうか。作家の先生方の迷惑ではないでしょうか。 自分が東大法学部をでているからといって、文学部をばかにしている態度も、私には、耐えられません。 映画のメタファがまるでわからないひとが、「現代文化論」や「サブ・カルチャー研究」を講義し、文学をばかにし、真面目に取り組んだことの1度もないひとが、「創作」や「日本文学」の講義をするのは、汚い行為で、将来的に、日本の文学や文化の衰退をまねく行為とも思えます。 なんだか、汚いな、と感じてしまうのですが、そういうものなのでしょうか。