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自殺する人としない人の違い

ホーキング博士や乙武さんのように身体が不自由でも前向きな人もいれば、感謝しなければいけない状態の自分なのに自殺していく人の違いはどこにあると思いますか?

  • gaitu
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質問者が選んだベストアンサー

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  • parts
  • ベストアンサー率62% (6364/10149)
回答No.2

先がないと思えば死にたくなり、先があると思えば長く生きたいと思うのが人ですよ。 簡単に言えば、衣食住が最初から保証されていて、何でも買えます。何でも食べられます。どこにでも行けます。みんなが我が儘を言っても聞いてくれますという環境で、育った人が、20歳から20年ぐらいで徐々にその資産を失い、20年後に底をつくと生きることに絶望しやすくなります。一瞬に失う場合は、未遂を起こす可能性はあるが、比較的生きたいと思うでしょう。 何故徐々にだとそうなるかというと、単純に言えばマイナスに社会を見るからです。 上手くいかないことが継続して発生すると、例え五体が満足であろうが、五体が言うことを利かない人であろうが、これまでに満足した期間を上回る期間何らかの失敗が続くと、生きる価値を失ったと見なすようになるのです。 これは、人が社会における必要性を求めているためです。要は、一人では生きられないから、他人との関わりを持ち続けたいと人は思うのです。しかし、人との関わり合いを持ち続けるにしても、借金などが増え周りから攻められ続けると、生きる意欲を失います。 それに対して、常にお前は出来る人だと励まされたり、成功を喜ばれたりする場所にいれば、その人は、死にたいという感情を思うことすらありません。その人が、どちらの側に今いるかが重要であり、自分がどういう情報を元に未来を見つめているかによります。

gaitu
質問者

お礼

非常に分かりやすく答えですねこれが ありがとうございます でも、そうなると解決方法はどうなるでしょうか? もし先をご存知ならお聞かせ願いたいです

その他の回答 (2)

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

その境目は、「生きて行くリソースが足りているかどうか」らしいですよ。 健康とか、お金とか、愛情ある人間関係とか、好きな趣味とか、今後の希望とか、 人によっても違うし、いろいろあると思いますが、 とにかく、生きて行くことにプラスになるリソースが、あるラインを満たしていれば、 どこか別のリソースでは欠けていても、補えるものらしいです。

gaitu
質問者

お礼

なるほど、これもそうですね! では目標を下げることもリソースを増やすには効果的ということになるんですね 納得です

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

人間は成長を感じなければ自殺したくなる可能性が増加します。

gaitu
質問者

お礼

これもありますね! ありがとうございます

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