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貧困の連鎖を断ち切るのに教育以外はないのか

phjの回答

  • phj
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回答No.17

そもそもなぜ「教育」なのか、ということを誰も検証していませんね。 少なくとも貨幣経済においては「教育」は豊かになる(賃金を多く稼げる)重要な要素です。 なぜなら個人が持っている「労働資本」が教育によって決定されるからです。 たとえば日本では江戸時代の中期になると寺子屋が発達しました。これは日本中に貨幣経済が浸透した時期とほぼ同じで、なぜ寺子屋が発達したかというと「読み書きそろばんが出来なければ、商家にあっては番頭に成れず、船乗りにあっては船頭に成れない」といわれからです。 つまり銭勘定とそれを保存する帳簿を扱えなければ、利益を得ることは難しかったということです。 現代では多少複雑になっていますが、それでも同じです。 実際問題として、小学校・中学校で得られる知識というのは「その後の勉強や社会活動において、必要となる知識習得ためのツール」にすぎないのです。 つまり、高校や大学または就職してから得られる資格や経験などを自分の労働資本にして金を稼ぐ、という点から見て小中学校レベルの知識では、現代社会においては不十分でありそれでは稼げず、あくまでもその先のいろいろな知識習得のための最低限の準備にすぎない、ということです。 この点に小中学校の時点において、貧困層の子供はすでに問題があります。 大きな点で言うと ・親がまともに子供の面倒をみないことによる、食事や生活態度の不良による学習意欲の減退 ・収入が低いことによる、学習サポートの不備(塾などだけでなく、授業に必要な文房具をまともに買えないなどもあります) ・親の教育レベルが低い為に、子供が学習で躓いても気がつかない、または気がついてもサポートできない(漢字もまともに書けない、九九もまともに出来ない親だっているわけです) などがあり、これを親以外の誰かが肩代わりしないかぎり、子供たちは貧困による学習能力不良のまま、どんどん大きくなり、中学を卒業する年齢にはすでに手遅れになり、3K労働や非合法活動などのいわゆる不良になっていくわけです。 これを貧困の連鎖、というわけです。 ですからこれを抜け出すにはたしかに「教育」が必要なのですが、実は一番重要なのは「学習意欲の向上のためのサポート」と「貧困家庭であっても、学習に必要なコストは必ず誰かが負担する」ということなのです。 つまり質問者様のいう「また、ほぼ全員が教育だけに集中したら、集団から頭1つ抜けるには、教育以外の要素で“差別化”することも必要になるのでは?」というのは、そのサポートが成功して競争が激化してからの話であり、上記のサイクルをみればサポートが成功したとしてもそれほど競争が激化するとは思えないこともお分かりになると思います。(なぜなら本来一番サポートすべき親が、高学歴の親ほど積極的に支援しないからです) それでも、最低ラインの貧困の親がいて、少しでもサポートを受けてすこしでも貧困から抜け出すことができれば子供は「教育の大切さ」を認知し、自分の子供には「親としての教育サポート」を行うことができるでしょう。そうすればその次の子供はさらに改善された環境を得ることができ、4代目ぐらいには東大に入れる人物を輩出でいるようになるかもしれません。 これが教育による循環であって、国民全体の階層の流動化を生む力になり、貧困層のルーツをもつエリートは深く自国の問題点を追求できる、と言う事になっていくはずなのです。 このことを知っていた戦前の人々(特に地方の地主階級)は、近隣の貧困家庭の出身者でも学習意欲があり、能力の高い子供がいると地元のお金持ちが融資をして、そのような子供たちに高等教育を受けさせたのです。 たとえば野口英世なども、そのような地域のサポートを受けたひとりですし、戦前の教育にはそういう有徳者と呼ばれるお金持ちの存在も大きかったのです。 もちろん今のように全員が少なくとも小中学校に行ける生活レベルとは比べものになりませんが、しかし、同時に有徳者のようなサポートを与えるシステムがなくなったことで、貧困層が固定化されつつあるのも事実です。 貧困の連鎖を断ち切るのに必要なのは「教育そのもの」も重要ですが、それ以上に「学習意欲を妨げないようにするサポート」が重要なのです。

nijik
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  ご意見にはほぼ同意ですが、ご意見の多くは「政治や行政ができることであって、個人(子を持つ親や、子自身)ができることではない」と感じます。  まあ、野口英世の例などは、「政治や行政ではなく、個人でもなく、地域ができること」というかたちですが。

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