• 締切済み

死んだら.....。

ご質問致します。人間は、亡くなったら、どうなるのでしょうか(意識がなくなり、そのまま無になる。来世があり、そこでの生活が始まる等)?臨死体験を経験された方、いらっしゃいましたら、お教え頂きたいと、思います。また、来世が存在するとしたら、どの様な所でしょうか?この世との違いを、教えて頂きたいです。

みんなの回答

  • ppp4649
  • ベストアンサー率29% (614/2093)
回答No.7

臨死体験した事の無い人の回答ばかりなので、私も・・・。 一応、本から得た知識です。 死んでも魂は残ると思います。 その仮定で「無」にはならないです。 死んで生まれ変わるを繰り返して、楽しいや苦しいなど様々な経験をして私達(魂)は成長していきます。 生まれ変わった時点では過去の記憶は消されてますが、死んで向こうの世界へ行けば記憶は取り戻されて全ての経験が統合されます。 そして魂は少しづつ成長していきます。 来世は修行に出る前の「休憩の場」、苦しくて壮絶な人生を歩んだ人にとっては「癒しの場」です。 また新たに生まれる時に何を学ぶか「人生計画の場」です。 この世との違いは肉体が有るか無いかの差でしょうか? 肉体が有れば制約も多いし食べて行くための苦労も多い。 裏切り裏切られたり、人を好きになり結婚して子供を育てたり色々な経験を出来るのも肉体があるからだと思います。

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。来世が平穏な場である事を、祈っております。私は、この世での行いが悪いので、かなり不安ですが...。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3443)
回答No.6

人間が死ぬという場面に「臨終」という言葉があります。よく映画のシーンにも出てきますが医師が「ご臨終です。」と言いますがこの臨終がまずは最も大切です。なぜならば臨終は人生行路の総決算、また未来世への第一歩であります。ですからその臨終の姿がそれまでに積んできた一切の悪業、善業、死後と来世の状態を如実に顕わすのであります。そうしますとここに「地獄」「成仏」という言葉が出てきます。これは私達の生命の実感をいうのです。たとえば人が眠っている場合、実際は布団の中で寝ているのに夢の中ではジャングルで猛獣に追い回されたりして汗をかくほどうなされる事があります。それと同時に「地獄」や「極楽」などと言う世界が実在する訳ではありませんが、死後の生命はそれまでに集積された業報によって厳然と苦楽を感じ続けていくのです。そして、その死後の生命がまるで燃え盛る溶岩の中で身が焼き尽くされているような苦しみを感じていれば地獄であり、歓喜に満ちた楽しみの中に安息していれば成仏というのであります。恐ろしいことにもはや主体的な判断や行動を持てない死後の生命は自らが内包する業報のままに苦楽をそのまま感じ続けていくしか無い、身を焼き尽くされそうな苦しみを感じていてもそれから逃れようとする行為すらとれないのです。こうした死後の生命の状態は実に臨終の相によって明らかに知る事が出来るのであり、それ故にこそ「臨終の相」は最も大切であり、死後の生命の状態が明らかに顕われた決定的に動かし難い証拠となるのです。

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。「臨終」の姿が美しくなれる様に、日々を過ごさなければならないと思いました。自然に美しい人が、一番素晴らしいと思いますが...。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.5

少し古いお話になりますが丹波哲郎と言う俳優さんが監督し作った「大霊界」と言う映画があります。 主人公が事故に合い幽体離脱して三途の川から閻魔大王の裁きを受けて天国と地獄を見学して結局は現世に帰ってくると言う内容です。 もう亡くなられましたが丹波哲郎さんは生前、死後の世界をたいへん勉強されていて作った映画ですので私は死後の世界についてへんに納得してしまう事が多かったです。 個人的なお奨めなので何等かの参考にはなるのではないでしょうか?

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。天国と地獄の存在は、昔から言われてますよね。私は、どちらに行くかは微妙だと思われます。良いことも悪いこともしていますので(笑)。死んでからのお楽しみです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#193391
noname#193391
回答No.4

産まれる前の状態に戻るのでは? 他人様は知らないけど、自分は産まれる前の記憶は一切無いです。 あの状態へ戻るのだと思えばそれほど理解し難い状態ではないと感じます。 むしろ死後意識が残るとしたらその方が理解し難いと感じますけど。 臨死体験は死に至るまでの過程で脳が作り出す世界です。 臨死=死ではありません。 完全は死から帰還した人はいないと思われます。 戻ってきた以上臨死なのだと思います。

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。死後の世界は、死んでからのお楽しみなのでしょうか?将来、確認出来ることを、楽しみにしています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2067/7719)
回答No.3

 日本昔話に子供が竜に乗って天へ上る話がありますよね。あれは臨死体験者が言い残した話に基づいて書かれたのではないかと考えられているようです。実際、死の淵に立った時に、同じ夢を見る人が大勢いるからです。かぐや姫が月に上る話も、臨死体験者の話だと考えると説明出来る部分が多いようです。  日本昔話に臨死体験者の夢の話が残っているのは、昔の人が死とはどういうものかを真面目に考えていた証拠かもしれません。男は竜に乗って天へ上り、女は月の世界に上る夢を見た後で死ぬわけですが、なぜ、そういう夢を見るのかと言えば、血液中の二酸化炭素濃度が高くなるのが原因の幻覚症状のようです。  人間は脳が正常に働かなくなって死を迎えると考えるべきでしょう。臨死体験は脳が最後に見る夢を記録したものに過ぎません。  コンピュータが死を迎えるとしたら、どういう状態になるでしょうか。正常な演算が出来なくなり、CPUが暴走状態になって、記憶されているデータが読み出せなくなるという結末になりますが、人間の死は脳が正常な機能を失い、最後は真っ暗な闇を見て、ゴロゴロという音を聞きながら終わるようです。  人間は死ねば、それで終わりですが、コンピュータはデータをバックアップして保存出来ますから、新しいコンピュータにデータをインストールすれば、復元した記憶に基づいて、過去の情報処理を再開出来ます。  そういう意味では、コンピュータは不死身ですが、人間は脳の情報を保存出来ないので、不死身ではありません。人間が来世を経験出来るようになるには、脳の情報を完全な形で保存する技術が必要で、それが無い現在は、来世を体験するのは不可能でしょう。

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。やはり、臨死体験は幻覚でしたか。私は、「死」より、来世に対する恐怖の方が強いです。死後の世界が、平和で楽しい「世」である事を期待しています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.2

死んだらどうなるのかとか、死後の世界はあるのかと言う質問は腐るほどありますから、一度過去ログを検索してください。 死んだらどうなるかは誰にも解りません。 臨死体験をした、死の淵から蘇ったと言う人もいますが、その方達は死んだ訳ではありませんので死後の世界を見た訳では無いのです。 死んだらどうなるかの概念は、宗教観や生活環境によって大きく違います。 因に私はホーキング博士の結論を支持します。 http://www.j-cast.com/2011/05/18095921.html?p=all

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。過去ログで、知識を深めようと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • g36c1213
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.1

前、テレビで見た事があるのですが、  その人は女性で、お肉を見たり、なんらかの景色を見たりすると、気を失い、なにかぶつぶつと言い出すのです。その女性は前世では、日本とは違うところで住んでいたそうです。それでテレビの取材の人はその民家を訪ねると、その一番の長老が、昔に女性が言っていたように、同じことが起こっていたといっていたのです。  すごいですよねw

komatsu225
質問者

お礼

ご親切に有難う御座いました。不思議な体験って、あるみたいですね。私も、体験してみたいです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 意識存在は輪廻転生の証拠となり得るか

    肉体の死によって全てが無になるのなら、これ以上楽なことはないと思われます。 しかし、現意識があるということは、現意識は、現世に存在したということです。 現世に存在したということは、意識がいったん無に帰したあと、ふたたび現世に現れる可能性があるということではないでしょうか。 現意識は現世に存在するという間違いを一度犯しています。 これは意識が現世に存在するということの証拠になります。 すると、無に帰した後、ふたたび意識が現世に現れるという間違いを犯す可能性があるということではないでしょうか。無に帰した意識がふたたび現世に現れないとするならば、無から意識が現れるということもないのではないでしょうか。 よく人間の意識を機械のスイッチに例えて、ついたり消したりする、それが意識に相当するものだという説があります。その説は意識を無から発生させ無に帰するものです。 しかし、優れたパソコンであっても、それは意識ではありません。優れたパソコンは電気が通っているかいないかというだけです。電気が通っていても意識はありません。 意識とそうでないものの違いは、感受性と創造性を発する主体(つまり心)があるかどうかということだと思います。 意識でないものと、意識を同一視することはできないのではないでしょうか。 そこで意識の比較対象が現時点では存在しないと思われます。だから機械のスイッチを入れたり切ったりすることは、意識が無から発し無に帰することを証明していないと思われます。 意識はまだ得体の知れない何かです。 睡眠と死を同一視する見方もあります。睡眠中は意識がなく、次の目覚めの時に飛んでしまうわけです。その間、無だったと言えるのではないでしょうか。しかし、肉体がなくなったとしたら、目覚めの時は永久に訪れないから、永久に無であると言えるわけです。 しかし、睡眠と死を同一視するのも間違っているのではないでしょうか。何故なら、睡眠は肉体が存続しているという条件で、死は肉体が存続していないという条件だからです。条件が違うのに、睡眠を理由に死を決定することはできないのではないでしょうか。 意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか?

  • 輪廻転生とかの根拠

    ほとほと疲れたので「来世に期待」という心境に陥りました。 そこで同じことを考えている人はいるのかなと「来世に期待」と検索したら、たくさんスレがたって、少し驚きました(笑) そこでまた考えたのですが、本当に来世に期待してもよい仕組みなのか、あの世というところは?ということです。 輪廻転生の考えだと、この世は自分をバージョンアップするためのところ。この世で自らレベルを向上させれば、神により近い精霊になれるといいますし、信じてきました。 でも一方で、死んだら無という考えもあります。 でも我こそは真実だと語る、あの世は誰が見てきたものなのですか? もし、死んだら無だとしたら、もうこの世限りの自分で終わってしまって、死ぬ楽しみがなくなってしまいますし、この世で懸命に頑張っている命はなんのために頑張るのか、ということになります。 あの世は、ある、ないという方双方の考え方を知りたいです。

  • 無は存在しますか?

    この世には有るという事しかないのではないか。というのも何をどこまで分解しようが分解されたものが有るからである。(物質の無限) 無は考えられない。何故なら無は想定出来ない。想定されたものが有るからだ。(意識の無限) だから、世には無限しかない。無など存在しない。 それでも、無が存在するという方、それはどういう事でしょうか? 存在しないという意見でもいいです。

  • なぜ人は無を求めるのか。

      この世は仮の宿であり、真の世界ではないと言ったりもする。 この世の全ては幻であり、実在はしないと言ったりもする。 自分だけが存在しないほうが良いと思っているのであろうか。 それともこの世の全てが存在しないほうが良いと考えるからなのであろうか。 なぜ人は無を求めるのか。 いや無ではなく空であると言ったりもする。 無と空の違いさえ知らないにも関わらずである。 座禅を組んで無の境地に浸ろうとする輩もいる。 ところがその座禅を組んだ後、飯を食うのである。 無を求めるならなぜ飯を食う必要があるのか。 食った飯は無なのか有なのか。 あまりに愚かとしか言う以外あるまい。  

  • 全身麻酔下の意識と魂

    以前、全身麻酔で手術を受けましたが、その間全く意識はありませんでした。大多数の方々はこのように意識が無くなるようですが、その間、魂も無くなっているのでしょうか。あるいは手術中幽体離脱や臨死体験をされた方もいらっしゃるので、やはり意識とは別に魂はあるのでしょうか。ただ、私は手術中の時間の経過はあったように感じますので、魂は無意識中も存在していて、霊的な体験をしていてもただ忘れているだけ、と思いたいのですが。皆様、特に全身麻酔経験者の方のご意見お願いいたします。

  • 突然の窒息感が続いた事があります。

    ある日突然に強い窒息感が起きて、それが長く続いた事があります。 二度と味わいたくないため、もう長く色んな事にこだわり、避けています。死ぬ恐怖ではなく、この世はこの世で、万が一あの世はあの世で窒息感が続いたら恐いため、死にたくない、と怯えて不安になる事項は避けている状況です。長く続いた初めての頃が、とにかく大変だったんです。 色んな人の臨死体験をたくさん読んだところ、窒息感の後には楽な気持ちになったみたいです。 問1、溺れそうになって生き返った臨死体験がある人は居ますか。 あるいはそういうHPはありますか。 また、仏教でもキリスト教でもあの世があるという事を習うと思います。悪い事を行った人は、あの世で悪い事が悪いとサトるまで、何かをさせられたり考えさせられるとか。あの世で、良い事、悪い事を行った人がそれぞれ同じ所に行く事は考えにくいですが、ただ、窒息感が続いたら何も考えられない、サトりも出来ないから、悪い事を行った人がやらなきゃいけない行というのは、窒息感とは別だと思うのです。 神様、仏様、霊の存在はあると思いますが、霊に興味がなく、宗教をやるつもりもありません。 誤解はないと思いますが、臨死体験があって窒息が楽になったという人の経験はそれはそれで事実をききたいと思っただけで、それをみたからといって、天国にいけるわけがない自殺は、絶対によくないと思います。わざと死んで楽になりたいなんてとんでもない。窒息感なんか続かない、神様がそんな事するわけない、と考えるためにききたいです。 窒息感なんて続いたら、人間的に耐えられないと思うのです。 だから亡くなったり、倒れたりするわけですよね。 それは弱さではなく、皆そんなの当たり前に耐えられないから、多くの人がパニック発作が怖いのですものね。 問2、窒息感なんて続いたら耐えられないのは皆同じで、そんな恐怖に怯えていたら誰でも生活できないものですか。私だけが耐えられないわけではないですよね。 当たり前すぎて、変に思ったらすいません。恐怖が大きかったために、当たり前の事がわからなくなって、友達にもきけません。大変困っています。皆さんどうお考えですか。

  • 死後の霊魂存続についてです。                     

    死後の霊魂存続についてです。                                  体外離脱、臨死体験の脳内現象説優位や、心霊現象の超能力説優をみても、死後存続は、まともに考えてありえないのが一般的認識だと思います。また、宗教や霊界通信が説く桃源郷のような天界や、この世の善悪によって振り分けられる行き着く死後の世界、といったものもいかにも人間が作り上げたようにしか思えないです. もちろん、ちっぽけな人間の理知をはるかに超えた存在や世界があるということは、考えられますが、これも所詮小さな人間の作為と十分考えられる宗教やスピリチュアリズムの説くものをずっと超えたものに違いないと思います。  宗教やスピリチュアリズムの信者の方々は、どうして信じていられるのでしょうか。

  • 臨死体験の進化論的起源

    ずっと昔ですが、臨死体験についてある本で「どの民族にも似たような臨死体験が報告されている。人間は死の恐怖に対面するとそれから逃れるイメージが脳の中で作られる。そのように遺伝子的に組み込まれているのだ」という意味の説明がありました。 ちょっと変な気がします。死ぬ前にしか見られない素敵なイメージの存在がその個体の生存に有利なのでしょうか。 臨死体験から生き残った人が伝えるイメージによってその集団が死を恐れなくなり他の集団と勇敢に戦える、とでも言うのでしょうか。 なお、この質問は「現実逃避の進化論的起源」という面白い質問に触発されて書きました。

  • 臨死体験(臨死体験をしていない方も)

    臨死体験した方、詳しく話して下さい。 また、臨死体験で体験したことはそのまま死ぬと続くのでしょうか?それとも、生死をさまよっている時だけなのでしょうか?

  • 【臨死体験によって人間には自己再生能力があると思っ

    【臨死体験によって人間には自己再生能力があると思った話】 臨死体験を経験した人が共通して経験していること。 それは「宇宙のような光を見た」と言います。 この光は神経の伝達物質であった可能性が高い。 臨死体験中に手術を受けた人は手術の記憶がない。 しかし臨死体験の記憶が残っている。 しかし本来、夢は目覚めると全容を覚えていない。 夢は記憶されないはずで断片的な夢に入る導入部だけ覚えていて夢は、夢の全てを語ることは誰も出来ない。 しかし、臨死体験をした人は夢の流れを記憶しており、起承転結の起だけでなく起承、起承転と夢の切り替わり場面まで覚えている。 最初は自分の空想だが、宇宙のような光の世界にいった人は自分の神経を物体、物質として認識出来たということ。 神経を可視化出来るということは人間は癌よ治れ!!癌細胞よ死ね!!と念じれば癌細胞を直に直接攻撃出来る能力を有していると思う。 だから、人間が病気の箇所をさすってここを治れ!!!!と念じてがんが無くなるのもあり得る話だと思う。 で、超能力者が患者の幹部に手を当てて、患者に病気の箇所に意識を集中させて、患者に治れと強く念じさせて治したという摩訶不思議な超能力者は実際は患者本人の意識で治したわけだけど、超能力者は幹部に意識を集中手助けをしたのだから一定の役割はあったと思われる。 人間は意識を集中すれば自分の神経伝達を見ることが出来る力は持ち備えていると思われる。 けど、祈祷師は詐欺師だ。 祈祷師は被験者に今でいう覚せい剤とか大麻と飲ませて、食べさせて洗脳していった。

警察に対する苦情と流れ
このQ&Aのポイント
  • 警察に対する苦情申し出の流れと対処法を知りたいです。争い相手も違法行為をしており、証拠がないとして捜査が終了しましたが、不平等な扱いに不満を感じています。
  • 警察には平等な対応を期待しているのに、苦情申し出をする方法や流れを知りたいです。相手方も違法行為をしているのに証拠がないとして捜査が終了し、不公平な状況です。
  • 警察に対する苦情申し出を検討しています。相手方も違法行為をしているのに証拠がないとして捜査が終了し、不公正な扱いに不満を感じています。苦情申し出の流れや対処法を教えてください。
回答を見る